ワクワク訪問



※兄妹の他意のないベロチューたくさん注意。




父が死んだ日、遊真は妹に唇を奪われた。

柔らかく水分を含んだ皮膚の感触。その意味を理解するより早く、薄く開いた隙間から短い舌を精一杯のばしてノックされる。あまりの生々しさに遊真は小さな体を突き飛ばそうとした。けれどその日の妹は恐ろしいほどに強情だった。無理やりに後頭部と背中に回された手。生身の人間とトリオン体ほどの力の差があり、遊真は(いつトリガーをオフにしたっけか)と混乱した。


「んぅっ、んん!? んんん〜〜!!」


子供二人が取っ組み合って転がる様はきっと子猫のじゃれあいにしか見えない。それでも遊真は必死に妹を拒み、拒んだ分だけ妹は執拗だった。

最後は鼻をふさがれ、酸素を求める口から容赦なく注がれる熱。暖かい、ぬるま湯のような不定形のなにかは、遊真の体を内側から補強していく。きっと十秒にも満たない時間。ちゅっと離れていった唇のよだれをぬぐう妹は無表情。対して遊真は暴れた上に酸欠で酷い顔をしている。


《説明を求める》


兄と妹の濃厚なキスシーンを見るハメになったレプリカは長いNow Loadingから回復したらしい。重力に従って自然落下した炊飯器が幾何学的な軌道で再び空中に浮かび上がる。トリオン兵でも動揺を隠せない現状にやっと遊真の混乱は落ち着いてきた。


「家族でしていいのはほっぺかおでこまでだろ……」


家族。……そこで遊真の顔色はサッと白くなった。

家族。家族。──親父。砦の外に出るなという父の言いつけを妹は守った。守らなかった遊真は勝手に外に出て、勝手に死にかけて、父に助けられた。遊真こそが父の死の直接の原因であり、父の言いつけを守った妹は親の死に目に会えなかった。迂闊な兄を妹はどう思っているのだろう。

もう、家族だと思っていないのだろうか。

ギュッと拳を握りしめ、意を決して妹を見つめ返す。妹はやっぱり何を考えているのか分からない無表情。けれど、今の遊真にはサイドエフェクトがあった。嘘を見抜く目にはどんな美辞麗句も意味をなさない。妹の嘘を、嘘のままにしてやれない。

どうか、その口から黒い靄が吹き出しませんように。



「私には生まれる前の記憶がある」



見開いた視界は一向にクリアなままだった。


「近界とは違うトリオンが存在しない世界。おそらく玄界だと思われる場所で、家族で殺し屋をしていた。享年は覚えていない。仕事中のミスで私は命を落とし、クガ・ユーゴの娘として新たに生まれ直した。そう認識している」
《トリオン体でなければ言葉が話せないことも、生まれつき白い髪をしているのも、前の生の影響だと?》
「私が話す言葉は仮称・前世の公用語だ。他にもいくつか習得しているがこちらの言語は初めて聞いた。この髪は前世から引き継いだのだろう」


淀みが一切ない。視界はもちろん、口ぶりも。妹がここまで多弁なのを遊真は初めて見た。いつも一言二言しゃべって首を振るだけの子供だったのに。


「私が引き継いだものは、前世の知識と髪色、加えて能力」
《能力?》
「念能力。オーラという生命エネルギーを知覚し操る技術。大元の技術はセンスがあれば誰でも習得可能だが、集大成は個々人で独自の能力を開発することになる。私の能力は、“物に生命を与える”」
「ものに、いのちを……」

「────【画竜点睛フラックス】」


おもむろにズボンからベルトを引き抜いた妹が小さく呟いた呪文。するとくたびれた革製のそれが一人でに蠢いたかと思えば瞬く間に一匹の蛇へと姿を変えた。体を覆う鱗は革製品の質感を残しており、辺りを観察する目は金具と同じ鈍色をしていた。

遊真の手に渡った蛇は革の手触りと変温動物のひんやりとした温度を持っていた。そして数秒と立たずに再びベルトに逆戻り。いくらひっくり返してみても蛇にはどうやったって見えない。

物に生命を与える。物を生命に変えるということの実感が遅れてやってきた。


「遊真の体は生きているが、ほとんど死んでいるようなものだ。私にとって死体は物に違いない。ほとんど物の遊真に私のオーラを注ぐことで命を与えている。続ければ遊真が本当に死ぬことは防げるはずだ」


──死なせない、と。

──生きてほしい、と。

髪も肌も抑揚も真っ白い妹の、目だけは遊真と同じ緋色を爛々と煌めかせている。感情の薄い子供にとって、それは紛うことなき激情でしかなく。


「おれに怒ってないの?」
「どうして」
「だって親父はおれのせいで」
「ユーゴがそう言った?」


そういえば、妹は父を決して父とは呼ばなかった。きっと父は妹の正体を知っていたのだろう。知っていて自分の娘として育てていた。


「私は家族がいないと生きていけない。そういう人間だと言われたことがある」
「おれでいいの?」
「ユーマは最初から家族でしょう?」


嘘は、なかった。

妹はずっと本当を言っていた。


「ユーゴがいなくなって困った。ユーマがいなくなるともっと困る」


悲しいとは決して言わない。感情が薄いというより感情が無いと言った方が近しい妹だった。

これまでも、これからも。


「妹を守るのも兄貴の役目か」
「あと四年で私の方が強くなる」
「生意気な妹だ」
《身体的なリーチを考慮すれば有利だろうな》
「言ったなレプリカ。見てろよ、ぜったいカッコいい兄貴でいてやる」



空閑ルエラは、空閑遊真の大事な妹だ。




「ところで口にチューはどうにかならんかね」
《客観的に見て背徳的だ。あらぬ誤解を招く危険性がある》
「トリガー内にオーラを注ぐにはこれが一番効率的」
「むむむむ……仕方ない、か」



仕方ないで済ませて良いのか?

再び炊飯器が地に落ちた。










「ユーマ」
「ん。何秒?」
「八十九秒後」
「早いな」
《ルエラ、私の役目を取らないでくれ》
「レプリカには別の役割がある」
「その通り。援護頼んだぞレプリカ」
《了解した》


乾いた粉塵が舞う戦場。遠く聞こえる駆動音はトリオン兵のもの。ついで特徴的な低音が空気を無意味に振動させている。

ダガー状のトリガーを片手に構えたルエラと、『弾』印の予備動作に入った遊真。


「競争する?」
「しない。いつも通り、全力で暴れて戻ってこい」
「了解」


敵陣営の姿を視認した瞬間、二人はその場から駆け出していた。

遊真がトリオン兵の機動を削ぎ、ルエラが死角からトドメの一撃を入れる。もしくはルエラがトリガー使いの注意を引き、遊真が捕虜として拘束する。三年で培った戦闘技術と経験により兄妹のコンビネーションは神業として昇華されつつある。

もともと有吾が生きていた頃は個々人で好き勝手トリオン兵を狩り、トリガー使いを一騎打ちで仕留めてきた。いわゆる実践で学ぶ訓練であり、どちらが多く獲物を狩れるかの遊びであった。

父が亡くなって三年。その遊びはもう止めた。

遊真は父が遺した黒トリガーで、ルエラは前世の暗殺術を利用した技で、防衛ばかりの戦況を何度も有利に引っくり返してきた。それでも最小限の単独行動に抑えてきたのは個人では強大な力に立ち向かえないことを理解したから。

遊真の単独行動で有吾が死んだことを忘れないために。

遊真は油断しない。妹が戦場に出ているのだから特に。大きな緋色の目を忙しなく動かし戦況を読む。妹が元暗殺者であり自身と拮抗した力を持つとはいえ、兄としての役割を放棄する気は微塵もなかった。


「『強』印、三重!」


最後のトリオン兵が砕け落ちる。

サッと状況を観察すると、辺りには粉々になったコアと深々と亀裂が入ったコアが半々、散乱した残骸で地面が見えない。城砦の方から聞こえる雄叫びは、きっと自軍の勝鬨だ。

どうやら今回も生き残れたらしい。


「ユーマ」
「ルエラ、怪我は?」
「ない。ユーマは?」
「ない。前回と比べてトリガー使いが減ってる。この様子だと終戦が近い噂もあながち嘘じゃないかもね」
「噂は噂。終わり方を間違えて逆戻り、よくある」
《どちらの意見も肯定する。しかし、ここで長話をするのは得策ではない。安全地帯に戻ろう》
「「はーい」」


遊真がルエラの手を取り、レプリカは頭上でふよふよ。三人仲良く並んで城砦の隠し通路を目指した。

数日後、本当に戦争は終わったらしい。

白々しい講和条約。大人たちの歯が浮く話し合いをよそに、空閑兄妹は城壁からぼんやりと自然を眺めていた。


「これからどうするかなぁ。おまえの故郷でも探す?」
「ユーゴの故郷に行くのが先では?」
「あー、そういえば何か言ってたな。知り合いがいるって」


遊真はこの三年でルエラの正体をすべて聞き出していた。

玄界、もしくはそれに近しい世界から魂だけでやって来て新しい器を得た存在。暗殺者として生きて死んだ女の成れの果てが、現在の空閑ルエラという少女なのだと。

それでも、ルエラはたった一人残った遊真の家族だ。

11歳で成長が止まった遊真を超えた身長。唯一前と同じ身体的特徴であるらしい白髪は、黒トリガーによって変色した遊真の髪と同じ色をしている。遊真が死んだことによって一目で家族だと分かるようになったのは皮肉だろうか。

前世と同じ耳下あたりの長さに揃えており、それ以上伸びると何故か癖っ毛の黒髪が生えてくる。不思議な髪の毛の黒い部分を毎日念入りに刈るのは、遊真と家族であることの意思表示なのだとか。


「ユーマ」
「んっ……」


12歳にしてはやや大人びた顔立ちが、そっと遊真の顔に影を作る。間を置かず触れ合った唇から暖かいものが注ぎ込まれた。三年間続くルエラの治療だ。

トリオンと似ているようで決して同じではない、前世からルエラが受け継いだ生命エネルギー。オーラと呼ばれる未知の物質は遊真の生命維持として日々死にかけの体を補っている。……死にゆく遊真の体に命を分け与えてくれる。

父を奪った兄に言外に“生きろ”と囁く。

薄く開いた唇から注がれる命。ルエラの寿命に影響を及ぼすものではないと知りつつも、妹を貪る後ろめたさはどうしても残る。それ以上に妹に必要とされることで死ねない理由を見出せた。

遊真は生きねばならない。妹に唇を奪われた三年前のあの日も。父親を生き返らせることを目的とした今日も。──妹の命を飲み込んでいる自分は、この体を抱えて生き続けるのだ。



「行くか、玄界。もしかしたらおまえの故郷もあるかもしれないし」
「うん、了解」
《今後の方針は決まったな。まずはこの国から穏便に脱出することから始めよう》
「「おー」」



こうして空閑兄妹の玄界訪問計画が幕を開けた。











玄界訪問計画、完遂。



「おまえの故郷ってここ?」
「ジャポン…………」
「お? 落ち込んでる。珍しい」
《珍しいどころではない。記録の中でもルエラが顕著に感情を露わにしたのは初めてだ》


無表情からほんのりと哀愁を漂わせるルエラ13歳。遊真より20cmほど高い身長を心なしか猫背にして歩く。玄界が前世の故郷ではなかったゆえの落胆かと思いきや、どうやら言語の関係らしい。


「私が知るジャポン語に似た言語体系だ。読解はできる。書き取りもおそらく。だが、会話が恐ろしく難しい」
「トリオン体を解かなきゃいい話だろ。今までと変わらないって」
《必要になればおいおい学んでいけばいいだ。私も随時情報をインプットする》
「うん……」


制服というお揃いの服を着た二人は見晴らしのいい場所を探す。朝の人が少ない時間帯を選び、有刺鉄線が張られた区間の外側ギリギリのビルを見つけた。避難階段をひょいひょい登って屋上まで到着。周りを見渡すにはうってつけのスポットだ。

廃墟の群れの向こう。
尊大に佇む直方体の建造物。


「BORDER。境界か」
「あの文字は知っているんだな」
「こちらは口語もそれなりにできる」
《似た言語体系を確立していても同じ世界とは限らない。ルエラがいた世界は興味深い》
「惑星国家を転々としていれば玄界そっくりの世界にたどり着けるかな」


遊真の目的は黒トリガーになってしまった父を蘇らせること。レプリカもルエラも遊真を優先してついてきたが、二人に別の目的があることもまた察している。レプリカは遊真の死にかけの体の蘇生。ルエラは前世の世界に行くこと。

帰りたいのか、と尋ねた遊真にルエラは首を振った。『一族がまだ存在しているのか』それだけを確認するために戻るのであって、遊真が帰るべき家族であることは変わらない。相変わらずちょっとも濁らない空気にホッとしたものの、奇跡的に元の世界に戻れた時心変わりしないとは限らない。その時、遊真は妹を引き留めるすべを持っていない。

不安かと聞かれれば何とも言えないが、寂しいとははっきりと言い切れた。


「ボーダーの立地は確認できたし、学校とやらに行くか」
「うん」
《さきほどから何度も警告していたが、既に始業の時間だ》
「おっと」


遊真は右手を、ルエラは左手を差し出し繋ぐ。それぞれトリガーを持つ方の手を自由にした状態で走り出した。

まさかそのせいで兄妹そろって車にはねられるなんて思いもよらなかったけれど。




***




空閑ルエラとしての一番古い記憶は四歳の時。見知らぬ男に何事かを話しかけられ、それが己の呼び名だと気付いた瞬間、とっさに口が動いたこと。


『ルエラ。ルエラ・ゾルディック』


幼児の短い舌でも前世の名前はしっかりと発音できた。

男は軽く目を見張った後、仕方のない子供を見るように(事実ルエラは男の実子ではあるけれど)口の端をニッと引き上げた。


『いいや、お前は今日から空閑ルエラだ』


男は、父である空閑有吾は、もともと娘につけていた名前を瞬時に破棄し、前世の記憶を持つルエラの意志を尊重した。その上で自分の娘として受け入れたのだ。

死んだ過去も、生まれ変わった現在も。四歳になるまで現実として受け入れられず逃避していたルエラにはない懐の深さだった。

それから、ルエラは元暗殺者の子供として有吾の娘であり遊真の妹としての立場を五年かけて学んでいった。

有吾の戦闘スキルや教えを吸収しつつ、前世の念能力を取り戻すことも忘れない。どうやらこの世界にはトリオンという生命エネルギーにより栄えた文明が小さな星ごとに点々と存在しているらしい。オーラの別名かと推測を立てたが、トリオンの方がよほど使い勝手がよく、その分威力と汎用性に劣っていた。

どちらも使えた方が良いだろうと、高熱を出しながら纏を習得し、絶と練を日々伸ばしながら発に至った。二度目ということもあり順調な習得であった。生まれ変わった弊害で具現化系が特質系に変化し、オーラを込めた分の時間だけ“物を別の物に作り替える”能力が“物を生物に生まれ変わらせる”能力になってしまったのは困惑したが、無理やり慣れさせた。

そのおかげで遊真の命を永らえさせることができるのだ。結果オーライとはこのことだろう。

兄の遊真は飄々とした生意気な子供だった。加えて黒トリガーで換装した影響かふわふわの髪の毛が真っ白になってしまった。顔立ちは全くと言って似ていないがどうしてもキルアのことを思い出してしまう。ルエラ・ゾルディックと曾祖父を同じとする本家の次期当主。つかず離れずの距離で接してきた殺しの天才。そうするとずるずる芋づる式に前世のことが気になってくる。

キルアはあれから家を継いだのだろうか。
イルミはまだキルアに執着しているだろうか。
そもそもゾルディックは存続しているのだろうか。

ゾルディックの末席を汚す暗殺者として執拗なほど訓練を受けた成功作は、否が応でも家のことを考えてしまう。いや、仕事で死んだ時点で自分も失敗作だろう。顔を見せるのも喜ばれないかもしれない。だが、確認だけはしたかった。

惑星国家を渡り歩くことで故郷に帰れるかもしれないと聞き、嘘を見抜く有吾の能力を受け継いだ遊真に正直に打ち明けた。能力がなかったって本心を言っただろう。家族と名の付くものに無条件に服従するのがルエラという生き物だ。

その本心で遊真を無意味に寂しがらせたことはレプリカに教えてもらわなければ分からなかったけれど。

さて、一年の時間をかけて玄界に密航してきたルエラだが、ここで二つの問題に直面することになった。


「ルエラちゃんって呼んでいい?」
「髪の毛白っ。染髪は校則違反だよ?」
「ハーフ? 帰国子女なんだよね。どこの国にいたの? アメリカ?」


殺し屋に友達はいらない。

前世のルエラに友達はいなかった。友達を作るための社交的な会話も知らない。ルエラが丁寧に接していたのは顧客を差し置いて家族である。生まれ変わってからも有吾に付いて紛争地域にばかり赴いていた。子供と会う機会なんて滅多になく、あったとしても遊真の隣でぼんやりしていれば事足りたのだ。

ゆえに、同年代の子供に愛想よく接するすべを知らない。

知らないけれど、情報を引き出すためには集団から浮かないようにしなければならず。遊真と一緒に遅刻し、通された1年1組で物珍しい視線に晒され続けた。


「パドキアとか、ミンボ、カキン、ミテネ、たくさん。知ってる?」
「なにそれ」
「地理で聞いたことなーい」
「学校だとスマホの電源入れるの禁止だから調べられないよねー」


とっさに出た前世の主要国は、当たり前に知名度ゼロだった。


「小さい国を点々としていた。たぶん知っている人はいない」
「そっかー」
「親なんの仕事してるの? 冒険家?」
「そう、ぼーけんか」
「へえ……」


遊真がいないから真顔で嘘をつく。当たらずとも遠からずであったし。

一通り質問し興味を失くす少年少女たち。予鈴とともに散っていった彼らに緊張を解いた。

別に己ひとりなら嫌われようが何をされようが軽くかわせる自信があるが、三年に編入した遊真に波及すると思うと慎重にならざるを得ない。豆粒大のレプリカがポケットでごそごそ動いた。

有吾の思考をトレースしているフシがある自立型トリオン兵は、有吾がいない今のルエラにとって従うべき親に違いない。親に心配されるという体験は殺気を向けられるよりよほど心臓に悪いことだった。

ずいぶん、感情的な人間になったものだ。

黒板に連ねられる文字を見様見真似で書き写しながらひっそり嘆息する。


……ジャポン語、意外と忘れている。


余裕ですよ〜と遊真にドヤッた手前、可及的速やかに改善すべきもう一つの問題だった。

昼休み。遊真と屋上で落ち合う予定だったが、豆粒レプリカによるとクラスメイトと食べることになったため別行動らしい。なんとか話せそうなクラスメイトをルエラも見つけ、なんとか昼食を食べ終えた。友達とやらになれたのかは分からない。それから学んでいる気がしない午後の授業を受け、帰り際に再びレプリカ経由で別行動を言い渡された。

ジャポンによく似た日本は想像よりも治安が良く、単独行動でも危険はないと密航数日で判断した。目的達成のためにそれぞれが情報を収集し、夜に成果を報告しあうことをあらかじめ決めていた。初めて会う人間には信用に足るまでお互いを紹介しない。理にかなっている。

ルエラはまず言語系の補強は情報収集の基本だろうと帰国子女を理由に教師に相談、まずは図書室でいくつか本を見繕うことに成功。下校時間ギリギリまで本を読みふけった。

時間が足りない。図書室に類似するものはないかと司書に尋ねると、今日はまっすぐ帰宅するように指導されてから、大学の図書館は平日でも九時まで一般開放していることを教えられた。


《ルエラ、せめて今日は食事を済ませて帰宅しよう。ユーマも今食事を取りながら帰宅している》
「……分かった」


遊真の名前を出されると逆らえないことをレプリカは良く知っている。

渋々とコンビニに立ち寄り、前世のジェニーと感覚的に同じ価値の紙幣でサンドイッチを購入。濃い味付けが懐かしく一瞬で玄界シンパになりかけたルエラであった。

帰宅は遊真と同時だった。遊真の報告によると同じクラスメイトのミクモ・オサムという人間を協力者としてボーダーについて調べることにしたらしい。バムスターに遭遇した際にボーダーのトリガーで立ち向かい、ボロ負けしたため遊真が代わりに戦ったのだと。その後オサムから日本の常識を教えてもらう約束をした。ついでに晩御飯はハンバーガーだったらしい。


「あと、赤は“とまれ”だからな。ルエラなら生身でも無事なのは分かってるけど、一応な」
「知ってる。前と同じ」
《交通ルールまで類似しているのか》


家具がほとんどない部屋に二人で毛布に包まって寄り添う。ルエラは思い出したように遊真の顔をこちらへ向けさせ、遊真は慣れたように目を閉じた。いつものオーラの給餌行動は、戦闘があった日は特に長い。


「っぷは。満足したか?」
「まだ」
「今日は一分しか使ってないって」


再度口を塞ごうとした唇を押しのけ、遊真は眠る体勢に入る。このトリオン体に換装した日から眠れた日なんて一度もないのに、妹が眠りやすいように一緒に目を閉じてやる。そんな兄だった。


「おやすみルエラ、レプリカ」
《おやすみ。良い夢を》
「おやすみ」


ルエラが換装を解くと一切の言語が通じなくなる。眠るしかない環境で、兄の温もりを感じながら明日のことを考える。

人は明日を考えるとき祈りを捧げるのだと紛争地域であった子供から学んだ。なんの確証もない幻想を未来に押し付ける行為だと断じていたお祈りを、何とはなしに舌の上で転がした。


遊真の命が明日も続きますように。











翌日、ルエラはクラスメイトと昼食を終え次第図書室で本を読みふけり、イレギュラー門の出現を全力でスルーした結果、見事に避難が遅れた。

ほとんど癖で絶をしていたため気配が全くなかったのだ。何よりオーラを学校の校舎全体に伸ばした円でモールモッドと遊真の戦闘を確認していた。遊真が負ける相手ではないと静観を決め込み、結局避難せずに本を読み続け、校舎の破損により午後が休校になると、これ幸いにとまだ読み続けた。日が暮れる前にレプリカが帰宅を促さなければ夜中まで読んでいただろう。

豆粒レプリカ経由で今度は街にイルガーが出たことを聞いたが、やっぱりルエラは心配しなかった。遊真は過去に何度もイルガーを落としているし、周りの被害を考えなければ適当に地面に叩きつければ終わる。兄の命は心配しても三門市民の命は全く勘定に入れない。ルエラはそういう人間である。

オサムはボーダー隊員とともに本部で事情を聞かれるらしい。一人になった遊真と合流し、トリガーを使用したと聞いたルエラは真っ先に唇に吸い付いた。


《外でのエネルギー補充は推奨されない……》
「応急処置」
「これくらいならスキンシップだろ」


炊飯器の心兄知らず。

妹に毒された兄はのんき。

そのまま夜の繁華街にやって来た二人は初ラーメンに挑戦。箸を上手に使いこなす妹と、お子様用のフォークでちゅるちゅるな兄。真っ白い髪が目立つ二人組は、豚骨ラーメンバリカタ替え玉までキッチリ堪能して店を出た。


「日本の食べ物すげぇ」
「日本の食べ物すげー」


プロフィールに【好きなもの:日本の食べ物】と記載する未来が確定した。サイドエフェクトがなくても分かる。


「そういえばユーマ、レプリカ」
「どした?」
「地中からトリオンが漏れている。ここも、学校も、至るところで。玄界は不思議」


レプリカがビビビッ! と反応した。


《トリオンは生物からしか生成されない。何もないところから出てくるのはおかしなことだ》
「じゃあなんで?」
《地中に門が発生しているか、トリオン兵が潜伏している可能性が高い》
「ほほう」
《調べてみるべきだろう。まずは学校からだな。行こうユーマ》


ルエラは?

視線で尋ねると、レプリカが指示するより早く遊真が口を開いた。


「おまえは留守番。おれと違って寝ないとトリオンが回復しないだろ。戦闘はまだしもトリオン切れで言葉が通じなくなったら大変だ」


正論だった。

正論を盾に妹を守ろうとする兄の鑑だった。

こういう時トリオンを常時消費して翻訳機能を使う現状が恨めしい。だからこそ言語を急務で習得しているのだ。トリオンを出し惜しみしなければいけないし、昼夜を徹して動ける体力がトリオンのためだけに足止めを食らうから。


『ルエラは一人で生きていくには危なっかしいからな。ユーマに守られてやってくれよ。一方通行はいつだってキツイもんだぜ』


有吾の命令おねがいを何度となく噛みしめ、夜の学校へ向かう兄を妹は大人しく見送った。

朝になっても遊真は帰って来なかった。

機能のモールモッドの件で休校になり、遊真はレプリカとともにボーダーの協力者を得てラッド狩りをしているらしい。助けはいらないとのことで、ルエラは大学の図書館とやらに行ってみることにした。


「人が少ない」
《ラッドの件が周知されて外出を控えているのだろう。閉館していなくてよかったな》
「うん」


平日の制服姿が目立つことを二人は失念していた。本を取れるだけ取り隅っこの目立たない席で絶をすれば煩わしい視線は皆無になったため、余計に。その後驚異的な集中力で本を読み書き取りの練習をし、途中でレプリカから食事の警告を受け離脱したことを除けばぶっ続けで十時間。返却されないまま積まれた本を片付けに来た司書が、まったく気配のない中学生による牙城だと気付き悲鳴をあげるまで続いた。

その後コンビニで梅干しおにぎりを買って帰宅。遊真は帰っていなかった。


《現在ラッド掃討のためにボーダーに助力している。あと十時間はかかるはずだ》
「私もやる?」
《回答はノー》


毛布に包まりながら、覚めた目のままつるりと黒いレプリカの機体を眺める。


《寂しいのか。ユーマとこれほど長時間離れたことはないだろう》
「だいじょうぶ」
《寂しいが我慢できる範囲内ということだな。ユーマに伝えるか?》
「いらない」
《了解した》


遊真はボーダーの協力者が信用に足る人物か見定めている段階なのだろう。信用できない相手にルエラを会わせるつもりがない。それくらい簡単に察しが付く。

戦争に参加していた時は作戦によっては別行動をとることだってあった。長時間離れていても何とも思わない。けれど今は、作戦中ではあるかもしれないが戦争中ではない。あくまで最低限の警戒心を残してぬるま湯のような玄界の街に入り浸る。日常の変化にまだ体がついていかないだけ。

“寂しい”という感情は弱々しすぎてルエラの意志の中では生きていけない。すぐに淘汰される嗜好品でしかなく。


《ユーマに伝えれば現状の改善に繋がるぞ》
「守られてやってるだけではダメなのか?」
《そういう話ではないんだ。ルエラはたまに思考が不自由になるな》


そういうレプリカは、たまに有吾そのものになる。

ようやく眠気がやって来たと、トリオン体の換装を解く。こうしてしまえばもう会話はできない。会話を拒絶したような状態でルエラは眠りに落ちた。









学校が休みの間、ルエラは大学付属の図書館に入り浸っていた。

ラッドの掃討が終了後、大学が再開されたのか人の入りが激しくなった。それでも以前に比べればの話で、日中は講義のためにそこそこ静かだ。3日目ですでに司書に顔を覚えられてしまったため、堂々と空いている席に座りお決まりの絶をする。レプリカのランチコールで適当に休憩を挟みつつ書き取りの練習をしていると、ドッカリ。向かいの席に誰かが座って来た。


「……っア!?」


目つきの悪い金髪の男だった。きっとルエラが座っていることに気付かず空いている席を確保したつもりだったのだろう。一度座った手前、立つことが面倒になったのか驚きつつも移動する気配がない。ルエラは気にせず小説の書き取りに戻った。


「おまえ、学校はどうした」


無視の選択肢をなんとか跳ねのける。


「休校。近界民が出て校舎が壊れた」
「三門第三中か。そりゃラッキーだったな」
「何故?」
「学校なんざ理由をつけてサボりたいもんだろ。学校休みでもこんなところで自主的缶詰してるおまえは違うだろうが」
「そういうもの?」
「おう。俺だってレポートがなきゃこんなとこ一秒もいたくねえわ」


ノートパソコンを軽く叩く男は少しイラついているようだった。指摘すると館内が禁煙だからだと。中毒症状が出てまで喫煙するのかと指摘すれば「へいへい耳タコ耳タコ」と訳の分からない呪文を唱えた。


「しっかしなんだその量の本。受験生か?」
「じゅけんせー、ってなに」
「知らねえのかよ」
「外国育ちが長かった」
「なるほど、どーりで敬語使わねえわけだ」


敬語は使える。使う相手がいないだけで。

ちなみに最初の方は有吾と遊真に敬語だった。遊真が幼いうちに有吾に禁止されたため敬語を使う機会がなくなったのだ。


「使った方がいい?」
「俺は別に。ただ年上にはさん付けて敬語にしといた方が円滑にしゃべれる。特に日本じゃな」
「ふーん。わかりました」
「俺にはいいっての」


それっきり会話が切れた男は三十分もしないで煙草休憩に行ってしまった。不規則な頻度で出たり戻ったりする男に一切気にせずルエラは自分の作業に没頭する。気が付けば日が暮れかけており、テーブルの端にはぬるくなったココア缶が置いてあった。


《あの男が置いていったものだ。ルエラへの差し入れと言っていた》
「もらっていいのか」
《それはルエラが決めることだ》


良く知らぬ他者からの施しの忌避と、未知の飲み物に対する興味。天秤はゆっくりと後者に傾き、帰路に付きながら缶を傾けた。とびきり甘くてとびきり気に入った。遊真にも買ってやろうと自販機を探し回り、ホットココア缶を十缶抱えた中学生が夜道を歩く奇妙な光景を三門市民は目撃することになる。


「あまい」
「あまい」
《100g当たりタンパク質0.8g脂質0.8g炭水化物9.6gカロリー計算で48kcal。玄界は飽食が凄まじい》
「日本食すげえ」
「日本食すげー」


このやりとり何回目?









中学より大学の図書館の方が当たり前に蔵書が多いため、もっぱらそちらの方を利用する日々が続く。

金髪の男は毎日とは言わないがたまに顔を出しては犬猫に餌付けするように飲み物やお菓子を置いていく。そのたびに気に入ったルエラがコンビニやスーパーに寄って爆買いし、レプリカに呆れられながら遊真と「日本食すげえ」「すげー」する日々。

その日も当たり前に本の虫と化したルエラだったが。


《ルエラ、ユーマがボーダー隊員に囲まれた。数は4。協力者のオサムと一般人を守りながら防戦している。ユーマが不利だ》


その一言で本を片付けもせず走り出した。

風のように、空気のように。レプリカのガイドを付けながら人ならざる速度で駆け抜ける。有刺鉄線を軽く飛び越え、廃墟の屋根を蹴り、目的地の廃駅が見えてくる。


《まずは狙撃手を対処しよう。射線を意識しなくなればユーマも自由に動ける》
「了解」
《……! 隠れろルエラ!》


急ブレーキをかけながら勢いをそのままに遮蔽物の裏に身を滑らせる。絶で気配を完全に殺せばもはや無機物ですらそこにあると分からない。……はずだ。


「おーい、おーい! そこにいるんでしょー! 出てきてくれないかな!」
《ボーダーの協力者の一人だ。もう少し信頼関係を築いてから会わせるつもりだったが、どうする?》
「あれが、オー、オ、サム?」
《いや、ジンだ》
「未来予知のサイドエフェクトか」


ならばルエラがどれだけうまく隠れても見えているのだろう。

レプリカの了承とともに遮蔽物から姿を現す。そのまま屋根の上をぴょんぴょん飛びながら人の気配がするビルの屋上へと降り立った。


「やぁはじめまして。おれは迅悠一。ボーダー玉狛支部所属の隊員だ。遊真から話は聞いているかな、遊真のお姉さん?」
「……未来予知のサイドエフェクトを持っていると聞い、聞きました。私の居場所が分かったのは見えていたからですか」


途中で金髪男の助言を思い出し、敬語に切り替えたのをレプリカだけが珍しそうに見ていた。


「うん、ちょっとね。あ、こっちの二人は奈良坂と古寺。ボーダー本部の隊員だよ。今から遊真と話し合いに行くんだけど一緒に来る?」
「行きます」


遊真を狙っていた二人は、完全に戦意を失っているらしく、何とも言えない視線をルエラに向けてくる。特にメガネの方が「もう一人近界民がいたのか……!」と口走っていた。どうやら遊真が近界民であることはとっくにバレているらしい。


「遊真のお姉さんお名前は?」
「ルエラ。空閑ルエラ」
「ルエラね。ぼんち揚げ食う?」
「食うます」


ぼんち揚げはしょっぱくて美味しかった。

ボリボリのんきにぼんち揚げを貪る近界民だという少女。白い髪をキッチリ耳下で整え、同じ長さの前髪を乱雑に耳にかけている女子中学生。制服のスカートを気にせず飛んで来た時は状況を忘れて仰天した。驚きが落ち着いた現在も三輪隊狙撃手二人組は居心地が悪い。なにせ無防備な背後を取っているのだ。ここまで警戒されないのは一周回ってナメられていると捉えるべきか。少なくとも自隊の隊長は激昂する状況だ。

駅構内にたどり着いた面々は、そこで戦闘不能になった三輪、米屋と、ピンピンしている遊真、立ち尽くすメガネと一般人と相対する。


「遊真、おまえのお姉さんとそこで会ったぞ」
「ユーマ」


相手が戦闘不能であることがゆるぎない事実であることを確認し、ルエラは遊真に駆け寄った。右腕が吹き飛ばされ、全身に杭のようなものが突き刺さっている。トリオン体でなければ即死であろう胸のど真ん中まで。


「ユーマ、ユーマ」
「だいじょぶだって。おまえは心配しすぎ」
「心配していない。事実を見ている」
「見えてる事実が心配一色なんだって。気分も悪くないよ。勝ったし」


無表情ながらペタペタと体を確認する少女。遊真と並ぶと20cm高く、日本人女性の平均を超える160pある。加えて物静かな面差しが実年齢より成熟して映り、幼い風貌の遊真と並べば高校生に見えなくもない。

線路の砂利にうつ伏せに倒れる三輪は、姉と弟の触れ合いに傷付いた顔をした。それも本当に一瞬のことで、すぐに奥歯を噛みしめ、血反吐を吐き出すように呪詛を紡いだ。


「ふざけるな、ふざけるな! 近界民の分際で、一丁前に家族の心配なんかしやがって! お前たちに家族を殺された人間が何千人いると思ってる!? どうして家族がいるのに、俺たちの気持ちが分からない!? 人間は近界民にとって家畜以下だとでもいう気か!? ふざけやがって、クソッ! 殺す! 殺してやる!」

「それは、つまらない嘘だ」


発したのは、遊真ではなくルエラだった。

背を向け、三輪に一瞥もくれてやることなく、淡々と。


「おまえは私たちを殺したいわけじゃない。殺したい相手が見つからないから代替として私たちを殺したがっている。無意味で不毛な行為だと理解した上で私たちに苛立ちをぶつけている。しかし、私たちはおまえに殺されないし、おまえの八つ当たりに付き合ってやる気もない。適切なセラピーを受けることを推奨する。ボーダーに伝手はないのか?」


敬語すら外れて、淡々と。



「見知らぬ他人に甘えるな」



そうして、なんの感慨もなく三輪を意識の外へと追いやった。



「こ、この未来は、見逃してたなぁ……」


珍しくドン引きした迅である。










「俺が言うのもなんだけどさ、あんまりうちの隊長いじめないでよ。あいつも大変なんだから」


二の句を告げなくなった三輪が緊急脱出した後、殺しに来たわりに軽いノリで会話を振ってきた米屋曰く、四年半前の大規模侵攻でかなりの人間から近界民は恨まれているらしい。

戦争を経験している二人は理不尽にしても正当にしても恨まれることはそれなりにあった。なので同じ顔で同じ「「ふむ」」を口ずさむしかない。


「たぶんさ、あんたらが仲良しの姉弟なところ見せつけられてちょっと精神的にまずいと思うんだよねー。今度会ったらお手柔らかに」


もちろんルエラは頷かなかったが、遊真は背伸びして白い後頭部をチョップした。


「返事くらいしなさい」
「……はぁい」
「よろしい」
「こう見るとどっちが年上か分からないな」


去っていく三輪隊を見送って、迅はヘラヘラとからかってくる。

ことの成り行きに身を任せていたが、遊真はとりあえずいい子の挙手をした。


「そのことなんですが」
「うん?」
「こちら、おれの妹のルエラ」
「ミカドダイサン中学校一年一組の空閑ルエラです。13歳です」
「……うん?」


敵意のある相手に不用意に情報を流さないのは基本。しかし迅には一応助けてもらった恩があるので、折り目正しく背筋を伸ばしペコリと挨拶。

修は「そういえばうちの制服着てるけど三年の編入は空閑だけだったな」と冷や汗。千佳は「私の一個下……後輩……」と高身長を見上げる。流石の迅も「あちゃー」であった。



「秀次のやつ、中一に言い負かされたのか」



黙っておいたほうがいいやつかな。
うん黙っておこう。

即断即決で後回しを決めた迅は、修を連れてボーダー本部へ。遊真とルエラは千佳と一緒に神社へと移動したのだった。




***




諏訪洸太郎は最近、どうにも気になる女に出会った。

男女のあれこれでは決していない。強いて表現するなら“気になる”が一番適切な表現だと思ったから、便宜上そういうことにしている。

初めて会ったのは三門大付属の巨大な図書館……ではなく、飲食店が並ぶ夜の繁華街である。ボーダーの任務帰りにやっている店屋がそこらへんしかなかったため、適当に腹を満たそうと立ち寄った。銃手らしい隙を見逃さない観察力が、たまたま、偶然、それを見てしまったのだ。


「は?」


ガキがベロチューしている。

どこからどう見ても自分が通っていた母校のブレザーを着た中学生二人が、飯時を過ぎた夜の九時近くに路地裏で濃厚なキスをしていたのだ。しかもどちらも日本人の遺伝子的にありえない白髪。染めるにしても茶色か金髪だろうに。背の高い女がチビの子供に覆いかぶさるように唇を貪る様は、官能的で不健全だった。

オイオイいつからこの街はここまでうらぶれたんだよ。

とっさに目を逸らしずんずんと目的の店まで早歩きで通り過ぎる。21歳の諏訪が気まずく思うほどショッキングなシーンはしばらく脳みそにこびり付いて離れなかった。

なので。急遽始まったラッド掃討作戦でレポートを書く時間がゴッソリ削られ、苦肉の策としてゆとりがある講義を自主休講した上で図書館にやって来た時。本がぶっ重なっていて明らかに片付けないで帰っただろうという机に座った瞬間、もともと座っていた例の不良女子中学生と再会し度肝を抜かれたのだ。

不良が学校サボって図書館で勉強ってなんだ。


「おまえ、学校はどうした」


後から思えば不良に説教するオッサンと変わらない絡み方だった。ウザがられても仕方ない質問に、相手はパッと机に噛り付いていた顔を上げた。想像していたよりも素直そうというか、うらぶれた空気が全くない。仔犬のようにつぶらな瞳を瞬かせて諏訪を見つめる。

あ、コイツ不良じゃねえな。

瞬時に己の認識を訂正した諏訪。何とはなしに会話を続ければ、敬語を使えないのを除いて本当に素直な子供だった。無表情で大人びた印象は見た目だけで、レスポンスに変な棘がない。木虎や草壁、黒江といったプライドの高い女子中学生のイメージが強すぎて、諏訪はなんだかんだとっつきやすい珍獣に世話焼きの情がむくむくと。


「ココア、初めて飲んだ。日本食すげー」


どっから覚えてきたのか分からないゆるーい感想を聞かされた時から、諏訪は名も知らぬ少女にせっせとお菓子を配るのが習慣になってしまった。後に遠征から帰って来た風間が「近所のおばあちゃん?」と首を傾げるのはまた別の話である。

結局あのベロチューはなんだったのか。

真剣交際の相手なら路上ベロチューは止めた方がいいぞと忠告しかけたが、それこそ大学生の諏訪が中学生に振っていい話題でもない気がして。言うべきかそっとしておくべきか悩むほど煙草の減りが著しく早まった。











「ンだ、ありゃ……」



諏訪は知らなかった。

二月後。新造チームである玉狛第二のエース空閑遊真と目の前の少女が訓練室の仮想空間でトリガーガン無視の肉弾戦を二時間ぶっ続けで繰り広げ、勝敗が付かないままドローになった通称“スマッシュ空閑ブラザーズ”事件が起こることを。


──少女のベロチューの相手が、彼女の実の兄である事実を。






お兄ちゃんしてる空閑くんめちゃくちゃ良くない?ってなった話でした。いつもの発作です。スマ空閑事件まで頑張りたいですね。

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