消えたポイズンホワイト



※ワンピ世界の言語に関して、口語が日本語、筆記が英語という捏造をしています。




ヴィンスモーク・レイジュには双子の妹がいた。

レイジュのほんの数分後に母の胎からまろび出た赤子。泣きわめきもせず静かに目を開ける様は、きっと植物のように穏やかで、死んでいた。

レイジュたちは生まれながらに改造され強靭な外骨格の因子を持っていたが、当時は精神性まで強靭の勘定には入っていなかった。父は、妹のゆるぎない無感情にいたく感銘を受けていたらしい。強さとは体だけで決まらず、何事にも動じない心を併せ持ってこそだと。妹を見て理解し、転用した成果が後に生まれる四つ子の血統因子に盛り込んだ。

この時点で、際立って優秀なのが妹で、合格点の姉がレイジュであるはずだった。

一歳。姉妹は普通に立って歩いていた。
二歳。姉妹は訓練を開始した。
三歳。妹は────、


妹は、失敗作として捨てられた。


妹は確かに戦闘力は並外れた才能があった。父とも他の兵士とも違うしなやかな身のこなしに、レイジュよりも早い外骨格の成熟スピード。ただの一兵卒を二歳で投げ飛ばした時は父も手を叩いて喜んでいた。


『それでこそ我が娘だ!』


あの喝采を、無感動に受け止めて。父の抱擁を、無表情に受け入れて。でも、心の中ではきっと喜んでいたはずだ。レイジュの手を握る力がいつもより強かったから。

優秀な成功作であるはずの妹だった。レイジュが嫉妬すべき、完璧な妹。

けれど、妹は頭が、──知恵がまったくついていかなかった。

レイジュがすらすらと年相応の日常会話を操る横で、妹はにぃにぃ子猫のような鳴き声しか出さなかった。

父が感銘を受けたゆるぎない精神力はまやかしで、妹は言語野に重大な疾患を抱えていたのだ。

これではジェルマの最高傑作に組み込めない。他より勝っているものがあったとしても、一つでも常人より劣っている時点で失敗だ。父は、妹が知的に劣っていることに気付くと、途端に手のひらを返して冷遇した。冷遇して、放置して、無視して。

レイジュが無理やり連れだした外れの船でのピクニック中、海に放り出された。

妹が父親に無視される様は、幼いレイジュにはつらい出来事だった。それが毎日続くのだ。柔い精神はガリガリと削れていき、耐えきれなくなって妹を父から遠ざけた。その結果が、あの事故だった。

レイジュよりも力強く走り回る妹が、ちょうど船のヘリにさしかかったところで、船団の端を海王類の群れがかすめていった。予想もしない揺れが甲板を斜めに傾け、近くを走っていた体が船の外へと飛んでいった。

ほんの、数秒の出来事だった。

泣き叫ぶレイジュ。波が強くて三歳の子供の姿は見えない。周りの兵士や侍女が父を呼んだが、父は姿を見せなかった。泣き腫らして眠ってしまったレイジュに、部屋を訪ねた父が頭を撫でながらこぼした。


『レイジュはもともと一人っ子だった。私の娘は、ひとりきりだ』


いらない子供は、いなかったことにされる。

この時、レイジュは泣き叫びたい気持ちになった。父の異様なまでの厳しさに恐怖したからではない。捨てられたのが自分ではなく妹であったことに、心の底から安堵したのだ。姉より優秀な妹はもうこの世にはいないのだと。

『良かった』
ああ、ああ! 良かった! 父の愛する子供が私だけになって!

幼い独占欲。妹を愛しきれなかった子供の狭量。冷や水を浴びせかけたのは泣き崩れる母の姿だった。

妹の名を呼びながら、冷たい床に膝をつく母。海とも空ともつかない青い瞳に涙を溢れさせて慟哭する。初めて見るその姿に、レイジュは立ち尽くした。

自分が思っているよりも事態は深刻なのだと、大きな遺影を掲げて演説する父を見上げた。

葬式が終わって、妹の物がなくなった一人部屋で立ち尽くすレイジュは、もう同じベッドに眠る塊がどこにもいないのだと、思い知った。

妹の死を、一瞬でも喜んだ自分が、父よりも悍ましかった。

その一瞬よりも人生は当たり前に長い。なのに、一瞬は事実として年を経て精神が成熟するごとにレイジュの心を苛んだ。

四つ子の弟が産まれて、母が儚くなり、サンジが死んだことにされて、拭い去れない罪悪感はレイジュの心臓に抜けない牙を立て続けた。



「あんたにはね、もう一人おねえちゃんがいたの」


ジェルマの家系図から完全に消去された妹のことを、レイジュは、レイジュだけは、覚えていなくてはいけない。


『……ぁ……ねーね?』
『! そうよ! あたちはあんたのおねーちゃん! もういっかい言ってみて!』
『ね、ねぇね、……ねちゃ!』
『すごいすごい! よくできたわねレイジィ!』
『う、ねちゃ、ねー?』


あの小さな命を、覚えていなくてはいけない。



「あんたはレイジィみたいにならないでね、サンジ」



結局、弟は捨てられる前に逃げ出したけれど。




***




「【画竜点睛フラックス】、…………!?」


甲板から海に投げ出されたヴィンスモーク・レイジィは瞬時に靴を脱いで念能力を発動させた。

【画竜点睛】──具現化系能力。込めたオーラの分だけ物質を別の物質に作り替える。変化している時間はオーラを込めていた時間にその物質への理解度をかけた値。理解度は最大1。完全に構造や素材や質感匂い味が分かっていたと仮定すれば、込めた時間が5分なら5分間。見た目だけ知っている程度なら理解度はおよそ0.1として30秒間。理論上、物ならなんでも作り替えられる能力だ。

レイジィは日常的に履いているピンク色の靴を浮き袋に変化させた、……つもりだった。

しかしできたのはピンク色のフグが二匹。思い描いたゴムとビニールの質感で荒波の上をぷかぷかと浮いている。「?」無表情のまま目を白黒させたレイジィ。混乱しながらフグに捕まり、巨大なカタツムリの殻をよじ登る直前で元に戻した。


「…………【画竜点睛】」


恐る恐る、しっかり手にした靴を今度は吸盤に変化させる。ピンク色のタコがゴムの質感を残してカタツムリの殻にくっついた。

──知らない能力ですね?

「????」思いっきり首を傾げながらも順調に登っていき、たどり着いたのは最後尾に程近い医療船の裏だった。思ったよりも流されてしまったらしい。

ピンク色のタコをピンク色の靴に戻し、様子を伺うためにひっそりと絶をした。海に落ちた幼子が背後から現れては不審に思われるだろうという分別はついていたので。


「助ける必要はない。この手を下さずに済んで僥倖だった」


絶をしていなければ、きっと父親の本音は聞けなかっただろう。

ちょうど兵士の訓練船に差し掛かったところで、見慣れた大男が子供についている召使たちに囲まれているのを見かけた。

詳しく聞き取れなかったものの、態度と声音でなんとなく理解するものがある。今まで積み重ねてきた、恐らくこの体の父親である男からの自身の評価。“失敗作”という言葉の意味。


「レイジィは我が王国には“いらない”」


“いらない”。確か、レイジィがピンク色の子供に不要なリボンを押し付けた時、首を振って拒否した言葉だ。なるほど、“いらない”は不要の意味で、その前にレイジィの名が出たということは、……そうか。

レイジィは無言で来た道を引き返した。

一週間、人気がない医療船の倉庫に住み着き、隙を見て金目になりそうな私物を集め、補給のために立ち寄った島に人知れず降りた。

その瞬間、ヴィンスモーク・レイジィはルエラ・ゾルディックとして生きていくことを決めたのだ。


今さらながら、ルエラ・ゾルディックは暗殺者である。パドキア共和国のククルーマウンテンに住むゾルディックさんちの親戚。厳密には前当主ゼノと祖父が兄弟という繋がりがあり、一時はイルミかミルキと結婚する話があったが割愛。

そんなルエラは感情のない闇人形として、ゾルディックが理想とする暗殺者として家族で暗殺稼業をこなしていた。お家の繁栄のための手足となり、公用語のハンター語以外の言語も習得しつつ各地で仕事を遂行してきた。

その矢先、気が付けば身動きの取れない赤子の体に入っていたのだ。

早口すぎて聞き取れない言語をしゃべる人間たち。何事かをしきりに鼓舞する大柄な男。変に柔らかく抱きしめてくる女。鏡合わせの顔をしたピンク色の子供。自身の容姿は、以前と同じ白い髪以外はまったく面影がない。

ぼんやりする意識の中、身振り手振りでせっついてくる周りに従って初歩的な訓練を繰り返し、ピンク色の子供の言った言葉を繰り返し、手を引かれるまま児戯に興じた。乞われるままに同じベッドに入って、ギュッと丸まって眠る時、そういえば女兄弟はいなかったなと思った。

この時点で、ルエラは現実を正しく受け入れていなかった。

周囲の言語は自身が苦手とするジャポン語で、新聞や書籍にはサヘルタ合衆国に似ている。公用語が使われていないことに疑問はあったが、知っている言語が使われている時点でとんでもない僻地か鎖国下にある独立国家かと仮説を立てていた。国土を持たない海上国家の実態を知ったことで余計に仮説が補強されたこともある。

ルエラは、自身の境遇を念能力による攻撃だと考えた。体感時間を狂わされた幻の中にいるのか、意識だけが生まれたての赤子に入れこまれたのか。

すぐにでもパドキア共和国に帰るつもりではあったが、自分のとなりにはピンク色の子供がいた。双子の姉だか妹は、レイジィを必要としている。家族が大事なのは十分理解できたため、子供を置いていくことはひどく躊躇われたのだ。

けれど、それも少し前のことだ。

あの大男は、恐らくはこの子供の父親は、レイジィを“いらない”と言った。他人の子供の体を間借りしている意識があったルエラだったが、この体を“いらない”というのならもらってもいいのではないかと結論づけた。

双子の姉妹のことは気にかかるが、ルエラはどこまでいっても家父長制に支配された人間だった。

大黒柱の父の決定は、子供が何と言おうが絶対なのだから。
子供がどんなに拒否したところで、ここにレイジィの居場所はない。

ここから飛び出したなら、レイジィはレイジィとして生きていけないだろう。

なら、ルエラがルエラとして出て行っても問題はないはずだ。うん、きっとそう。

理路整然と組み立てたようで自分勝手の権化のような結論を振りかざし、北の海のとある島でルエラは自分の人生を歩み始めた。


ところで、ルエラは感情が薄い人間である。自己決定力に乏しく、家族からの命令を聞き、家族のために生きることを至上としているお人形さん。良くも悪くも家族がいてこそ十全に生きられる女で。



「【もしかして、】」



念能力による攻撃ではなく、ルエラ・ゾルディックは死に、異世界のヴィンスモーク・レイジィという子供に生まれ変わった。あの大男も、美しい女も、ピンク色の子供も、血の繋がった実の家族で、真に従うべき家族で、自分にとって必要な存在だったのだと気付くはの一年後のこと。

国土を持たない海上国家ジェルマを4歳の子供が探し出すのは困難なこと。現実を受け止めるのが遅すぎたルエラは、珍しく顔をひきつらせた。




***




《あなたは幼い時に離れ離れになった私の妹。ポイズンピンクと対を成すジェルマ66のNo.0、幻のポイズンホワイトなの!》

「嘘だろっ!?」


北の海、フレバンス王国某所。

大きな病院の待合室に大きな声が響いた。身の丈を隠すように新聞を開いていた少年が、ひっくり返る勢いで仰天したのだ。

「病院ではお静かにっ」看護師さんの注意なんてなんのその。未だに新聞に釘付けになりながら、少年はそろりと今しがた見た文字をなぞる。読み間違いなんて許さないと言わんばかりに、ゆっくり。脂汗でちょっとばかりインクが滲み、慌てて離してしまったけれど。


「あのシロが、ジェルマの幻のポイズンホワイトだったなんて!」


北の海の子供なら知らない者はいない。“海の戦士ソラ”の今日のお話はきっとどこもかしこも阿鼻叫喚になっていることだろう。なにせソラの隣で一緒に育ったぼんやり幼馴染シロが、悪の軍団ジェルマ66の関係者だったなんて。

記憶喪失なんて嘘だったんだ! 憤る少年だったが、話が進んでいくにつれ唇をギュッと噛みしめた。梅干しを食べた時だってそんな顔はしないだろう。

ソラの幼馴染として長く暮らしたシロと、記憶にない家族に会えて嬉しいシロ。どっちも本当のシロで、ソラを騙していたわけじゃない。それに、悪の軍団にだって家族を大事に思う気持ちはあるんだ。少年が妹を大事に思っているのと同じように。


《仕方ないわね、こうなったら意地でもすべてを思い出してもらうわ!》
《きゃあ!》
《やめろ、シロになにをするんだ!?》
《私と同じになってもらうのよ! 変身よ、ポイズンホワイト!》
《あ、ああ! いやぁーー!!》


ポイズンピンクと同じ変身。黒丸が重なったような模様の白いワンピースと蝶のようなマントを身に着けたシロ、──いや、ポイズンホワイトが立ちふさがる! 幼馴染の変わり果てた姿を前に、ソラはどう戦うのか!? 次回、乞うご期待!


「そんな、ソラはポイズンホワイトにどうやって勝てばいいんだ!? 相手はシロなのに、こんなのってないよ!」
「そうだな。待合室で騒ぐ子供を静かにさせる方法も知りたいくらいだ」
「あ……父様」


新聞紙を取り上げられ、やっと周りが見えた。ニコニコと微笑ましそうな人もいれば、非常識に眉を顰める人もいる。バツが悪くなって小さく「ごめんなさい」と呟いた子供。白衣を着た医師は少年の短い髪をかき回した。


「待合室の新聞を読むのもいいが、もっと周りの様子にも気を配れるようになろうな、ロー」
「はぁい」


緑色の長椅子から飛び降りた少年は、今度は実験用のカエルを捕まえに外に飛び出した。

幻のポイズンホワイトが幼馴染と家族、どちらを取るのか。次回が来るまで分かるはずのない答えを、頭の中でワクワク考えながら。




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