人殺しの蒼白



呪いだ。

鏡を見るたびに、名前は思い出してしまう。真っ直ぐ通った鼻筋も、小さいながらに形の良い唇も、気位の高そうな尖った顎も。鼻から下の顔を見ると冷やりとした感覚が滲む。そして自身の家名を知り、邪推が確信に変わりかけた。

“キキョウさんに呪われている。”

前世から死を跨いでまで呪いが追いかけてきたのだと、笑い話にもならない疑念がいつまで経っても晴れない。そう思わせるだけの凄味がキキョウにはあった。

前世の名前の家は暗殺を生業とした家系だった。かの悪名高い暗殺一家、ゾルディック家から血を分け細く細く枝分かれして彼女にまで行きつく。陰に日向に暗殺を熟す御家はどれだけ薄まろうとゾルディックの血か、食うに困らない程度の実力を親から子へと繋いできた。

そんな御家の妙齢の娘に縁談が舞い込むのも不思議ではない。

父に言われるがままククルーマウンテンの正門を開け、山を登り、本邸の中に足を踏み入れる。その時点で、彼女には苦手というカテゴリは存在しなかった。それこそ暗殺者らしく喜怒哀楽が薄く、一族以外と慣れ合わず、孤独を孤独とも認識できぬまま淡々と人を殺す闇人形。暗殺一家としてはこの上ない成功例だ。

そんな彼女に初めて、感情らしい感情を植え付けたのが他でもない。現ゾルディック家当主の妻キキョウだった。

キキョウは表面上は貴婦人然とした態度で歓迎の意を表した。紅茶も茶菓子も控えめな甘い毒入りであったし、勧められた電気椅子も熊が死ぬ程度の大して痛くもない強さ。本家の奥様に客のもてなしを受けていると気付いた彼女は、持てる語彙の全てを使って言葉を飾り立てた。

きっと、あのまま行けば年頃の近いイルミかミルキとの婚姻が為されただろうに。


『キルアさんの髪は白いのですね。私と同じです。ゾルディック家の血が濃いのでしょう』


彼女は悪気なく失言し、運も無くキキョウの地雷を踏み抜いてしまった。


『髪が白いから何だと言うのです。わたくしと同じ髪色のイルミもミルキもカルトもゾルディック家の子供であることに変わりありません。それとも、わたくしの血がちょっとでも濃ければゾルディックとは認めないと言いたいの? 傍流の分際でッ!』


ガラスというガラスを高速で引っ掻いて回ればこういう声になるだろうか。

彼女は生まれて初めて現実逃避というものをした。キキョウからの容赦ない口撃と癇癪ついでの単調な攻撃を避けながら。癇癪なので本気では決してなかったが、流石ゾルディック家に嫁いだ女だけあって無傷でいるのに苦労した。

その後、たまたま居合わせて一言も喋ることなく一連の事件を目撃したキルアから慰めの言葉をいただいた。キルアが彼女とメル友になったのはその時の同情があったからだ。

以降、彼女は一度もキキョウとは会っていない。ほぼほぼ関わってもいない。強いて言うならキルアとメル友なのがバレてイルミの操り人形経由で殺されかけたくらいか。六度目の未遂で母親からの殺害依頼に辟易したイルミとメル友になったのは完全なる余談だ。

皮肉なことに、キキョウへの苦手意識をキッカケに彼女は感情というものを手に入れた。父母祖父母から与えられてきた教育という名の洗脳。重く閉ざされていた感情の蓋が吹き飛び、闇人形は意志を持つ人殺しに様変わりする。

だからこそ、仕事でヘマをして死んでしまったのだろう。

死んで、生まれ変わって。自身の家名が桔梗だと知った時、名前は顔を蒼褪めさせた。成長するごとにキキョウに似てきた顔立ちに蒼を通り越して白くなった。

まさかあの失敗はキキョウの差し金だったのではないか、とは名前という赤子になって真っ先に疑ったことだ。彼女は始め、キキョウが雇った念能力者による攻撃で見も知らぬ赤子にされたのかと思い至り、赤子から幼児になるまで戦々恐々と過ごしていた。これに関しては未だに懸念している説だったりする。


『キキョウさんは立ち居振る舞いもお顔立ちもご芳名も、なにもかもがお美しくていらっしゃいます。私も叶うならキキョウさんのようになりたいものです』


地雷を踏み抜く前の会話のおべっか全てが現実になっている今。これが呪われていないとしたら何だと言うのか。

血の気が引く感覚を振り払うように自身の髪に櫛を通す。長い黒髪の内、頭頂部から耳下までの白髪は前世と同じ色と長さをしている。ゆっくりと梳いている内にいくらかマシな顔色になった。

落ち着く。この白髪を見るたびに、名前は前世のゾルディックの血を思い出す。顔立ちだってきっと、キキョウではなくイルミに似ているのだ。キキョウのスコープの下は見たことがないし、イルミなら血の繋がりがある。多分、きっと、絶対にイルミ似だ。そう自身に言い聞かせることが名前にとっては一番の精神安定剤だった。

結局、誰の差し金でもなくとんだ運命の巡り合わせで桔梗名前というジャポン人に生まれたのだと、現実を納得するのに四年ほどの歳月が経っていた。もしくは、四年も無視し続けた問題にやっと目を向ける気になったとも言える。

名前はジャポン語が話せない。

ヨルビアン大陸とエイジアン大陸の主要言語の習得は必須であったため難なく熟せる。だが、ジャポンという島国は完全な鎖国を行い、余所者は絶対に入国できない鉄壁さを誇っていた。そんな国での暗殺の依頼など来るわけがない。頼むなら国内の忍者にでも頼むだろう。

そんなわけで、名前はジャポン語に馴染みがない。辛うじて秘密裏に流れてくるジャポン語の情報誌をニュアンスで解読できる程度の理解はあるが、文字を書け言葉を話せとなると途端に理解が追い付かなくなる。

これは一大事だ。言葉が通じないというのは生きていく上で致命的な枷になる。どうせ終わりが来る悪夢の類いだろうと、他人だと思って捨て置いた男女が今の父母だと気付いたのも、慌てて言語の習得に取りかかってからだ。

彼女の父母の定義とは、家業を継ぐために幼少期から鍛錬を課す大人を指す。子は親の言いつけを守り、どんなに苦しくとも耐え、そして心を殺す術を学ぶ。前世では生まれた時から母乳に毒が混ざっていたし、初めての訓練は三歳、人を殺したのは六歳になる前のことだった。

その点、新しい父は普通の父だったと言えよう。四歳からの訓練など甘いにも程があるが、子供にも容赦のない拳と蹴りは以前と同じで懐かしさすら感じた。が、所詮は子供騙しのお遊びに過ぎず、結局桔梗家の家業は何で、父は何を教えたいのだろうと首を傾げた。

対して新しい母は母らしくない母だった。母の作る食事に毒はなく、毎日の就寝前には電気椅子の放電の音ではなく子守歌を歌って聞かせる。何もしてこない母を、始めは乳母か使用人かと誤解していたくらいだ。

時間は無為に過ぎていく。聞き取りは何とかマシになってきたが、口はどうもうまく回らない。人種の違いか舌が短くジャポン語どころか他の言語も思うように発音できないのだ。とんだところに生まれてしまったと、名前は何度目かの嘆息を吐いた。

そんな最中、名前はふと、念の存在を思い出す。言語の習得に重きを置きすぎてそちらの方に意識を裂くことを忘れていたのだ。

久しぶりの念。幼子の体は当たり前にオーラを垂れ流している。目を瞑り、意識を平らに均し、徐々に層を薄く、薄く、ついには無の状態を作り出し、肉体は空の器でしかなく、体表をなぶるオーラを収めるためにこそあるのだと思い込む。そうして一月、眠る前に瞑想を繰り返し、名前は見事にぶっ倒れた。


「はじめまして、俺は煉獄杏寿郎という! きみと同じく、鬼殺をなりわいとする家の子だ! これから長い付き合いになる! よろしくたのむ!」


布団の中で薄ぼんやりと見上げた子供は、ジャポン人に有るまじき金赤の髪。どこを見ているのかも知れない瞳も、やはりジャポン人の黒とは正反対の色をしている。鎖国をしているのだから皆全て同じ人種なのだろうという決めつけがひっくり返された瞬間だ。


「どうした! 何故返事がないんだ! 聞こえなかったのか!?」
「ぁ、ど?」
「そうか、ではもう一度繰り返そう! はじめまして! 俺の名は──」


この後の人生において、名前がジャポン語の師として長く仰ぐことになる男、煉獄杏寿郎の挨拶は、全くと言っていいほど伝わらなかった。


← back
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -