小さなオバケ



宇髄天元は不良だった。

なりたくてなったというより派手なことを突き詰めていくうちにそう呼ばれた男である。

生まれつきの恵まれた体格と容姿。頭の回転が速い長所は勉強よりも面白いことをするために使われた。公務員の父母に抑圧され続けた中学までの自分はいない。高校に入ってから髪を伸ばし眉を整え制服を改造、派手なアイメイクを施すようになる。バイト三昧の末に買い叩いた中古バイクに跨って、拾った鉄パイプ片手にブイブイ言わせた15の夜。

補導はしょっちゅうだし両親や学校から叱責されることもたくさんあったが高一の秋にはもう何も言われなくなった。一度きりの人生、派手に生きてナンボだろう。抑圧された幼少期は大きな反動として天元を自由へ掻き立てた。

そんな天元ももう高三。本気でなくとも地頭が良いので留年はしない。ドベ3あたりの成績でギリギリ進級したばかりの、春のことだった。

土曜日の夜の9時。コンビニ前でヤンキー座りで携帯をいじっていた最中、光の届かない駐車場の片隅に、ぼぉっと光る影を見つけた。

目を凝らす。あまりにも静かなもので初めは幽霊かと身構えたが、阿呆らしい。

それは白い髪だった。

とたとたと音がしそうな足取りでコンビニまで近付いてきたのは女児。幼稚園に通っている年頃の子供がこの時間に一人でいるのはおかしい。しかも手には剥き出しの千円札が握られている。

ネグレクト。チラッと浮かんだ社会問題。ガムをくちゃくちゃ携帯をいじるフリして何とは無しに様子を伺う。軽快な入店音の後、すぐに商品を持ってレジに置いた子供。しかし店員は何やら渋っているようで、恐らくは天元と同じことに思い至ったのだろう。このまま放っておけば通報されるかもしれない。巻き添えは御免だな。そう思い立ち上がった天元は、ふと、自分でも予想外の方向に足を向けた。


「すんませーん。コイツ、俺の妹。もうすぐ親が迎えに来るんで外で待ってたんだわ」
「う?」


見上げた青紫色がきょとりと瞬く。

店員は最初は疑わしそうだったが、二人が似た髪色だったことから渋々と会計をした。卵6個入りパックだった。

明るいところで見た子供は、肩までの髪の半分が白で下半分が黒の白黒頭だった。さっきのは白い部分だけが暗闇の中で浮いて見えたのだろう。とんだ趣味の毒親だな、と思ったのは一瞬で、近くで見ればどうやら地毛のようだ。遺伝子の不思議かよ。

卵パックを人質に子供を連れて元の定位置にヤンキー座りする天元。子供はしばらくじっと観察してから、見よう見真似で短い足をかっ開いてしゃがみ込んだ。


「お前、親はどうした」
「ぉや?」
「母ちゃん父ちゃんどうしたよ」
「かあちゃ、母様?」


ずいぶん古風な呼称を使う。


「母様、父様、しごと、てつだう」


ふぅんと気の無い返事をしつつジロジロと子供を観察する。

肌ツヤは悪くない。飯は食わせてもらっている。服も汚れていない。髪もよく梳かされていて、わずかに石鹸の匂いもする。風呂に入ってから出てきたらしい。態度は幼稚園児にしては落ち着いていて、年不相応にぼんやりと覇気がない。何より口調がたどたどしく、会話は成立するが発音がかなり怪しい。

ネグレクトというよりは、生まれつきの“そういうもの”なのだろう。


「カーサマとトーサマと一緒じゃねぇとな、ガキの夜遊びは目立つぜ。通報されて困るのはお前のカーサマとトーサマだ」
「う、ちゅ、つーほぅ?」
「あー……犬のおまわりさんで通じるか?」
「いぬぅ? わんわん?」
「そう、ワンワン」


ひたすらに疲れる会話だ。何せ天元の兄弟は両親の厳しい躾で早くから言葉は達者だった。この手の子供の相手は初めてに等しい。


「なんでコンビニで卵買うんだよ」
「りぇいぞこ、たまご、ないない」
「りぇ、れ、冷蔵庫か。カーサマが買ってこいって?」
「うう、じゅーすのむ、みた、ないない」
「自主的なハジメテのおつかいかよ」
「母様、いそがしい、わたし、てつだう、しゅる」


はぁあああ。深く溜め息を吐く天元。ぼんやりした顔の割に人のことを思いやる頭はあるらしい。


「とにかくさっさと帰れ。カーサマに見つかったらお前、泣かれるぞ」
「なく、どして」
「そりゃお前、」


天元の舌が異様な重さを帯びる。『子供を心配しない親はいないだろう』と言えるほど親に心配された記憶がない。彼らが心配なのは自分の世間体だ。決して天元個人を心配しているわけではなかった。

気付いてしまったからこそ、今の天元がいる。


「う、さようなら」


そんな天元を置き去りに。聞き分けの良い子供は急に立ち上がって、卵パック片手にとたとたと走り去っていく。闇の中に浮いている白髪は、やはり幽霊のようだと天元は思った。

偶然のその出会いは意外なことに繰り返された。子供が決まって土曜日の夜にひょっこりコンビニに顔を出したからだ。

「来んな」といくら言おうと、コンビニで卵やベーコンや牛乳や食パンや、とにかく次の日の朝に出るであろう品を買っていくのである。その度に天元が兄のフリをして店員を誤魔化すハメになり頭を抱えた。一時の嘘が今ではコンビニのバイトの間で本当になってしまっているのだから。


「なんで毎週毎週抜け出してくンのかねェ。ふざけてんのか」
「だって、母様、」
「分かった分かった忙しいんだろ何度も聞いたわボケ」
「ぼ?」
「お前のことだよボケ」
「ぼ、ちがう。名前」
「あーハイハイ名前ちゃんね。ちゃんと名前言えて偉いねェ。偉いついでにさっさとうち帰れ」
「う」


何故そこだけは素直なのか。

一つ頷いてとたとた走っていく小さなオバケ。天元はいつも微妙な顔で見送った。面倒ならば土曜日の夜を避ければいいのに、むしろ土曜日の夜だけは必ず足を運ぶ自分に「馬鹿かよ」と独りごちた。


「はぁ!? おまっ、小学生ッ!?」


何度目かの夜のこと。気まぐれにガムを一個やったところ、子供は天元の手元と自分の手元を見比べてガムの値段と内容量を尋ねてきた。二百円くらいという曖昧な数に一瞬不満そうな顔をしつつ、僅か3秒。子供はガム一個分の値段を払おうと小銭を取り出したのだ。

もちろんガム一個くらいで金を取ろうなどと思っていなかった天元。雑なお断りをいれつつ、幼稚園児のくせに異様な速さの割り算を解いてみせた子供を訝しんだ。そして初めて年齢を聞いたところ、帰ってきたのは「きゅー」の一言。

この小さな子供は、毎日ランドセルを背負って小学校に通っているらしい。


「ちゃんと飯食えよ。牛乳とか残してねェだろうな。下手すると転んで骨折とかあるぞ」
「ぎゅーにゅ、のむ、あさ」
「それでコレかよ」


思わず頬に手を伸ばしてむにむにと感触を確かめる。やはり肌の感じからして栄養が行き届いている。欠食児童にはどうしても見えず、単に成長速度が遅いだけらしい。気が付いたら縦に伸びていた天元には信じられない小ささだった。

また一つ知っていることが増えたというのに余計に得体の知れない存在になった子供。ゾッとしている視線にも気付かず、のんびりもらったガムの包紙をペリペリ剥がし、小さな口にガムを入れ、噛んだ。その瞬間から、パーツというパーツが思いっきり中央に寄ってしわくちゃになる一連の変化をスローモーションで見てしまった。


「にぎゃい」


天元は吹き出した。


「ぶっ、くく、ッお子ちゃまにキシリトールは、辛すぎたなァ!」
「からい? からい、からいからい」
「へいへい悪かったって」


静かに抗議の声を上げる子供は、某落ち込んでる電気鼠のような顔のまま。余計に面白かったので、気を良くした天元はコンビニで口直しの飲み物を買ってやった。アイスミルクココアをストローでちゅうちゅう飲む様は心なしか花が舞っている。まあこんな日もアリだな、と思った天元だった。


「奢ってやった優しい天元様に感謝しろよ」
「てぇげぇさま?」
「おいおいマジかよ」


この後めちゃくちゃ練習させた。

小学生だった子供は──名前は、昔の天元のように家からの締め付けが強いらしく、口が回らない割に勉強漬けで頭の回転が早かった。小三でパーセントの計算を完璧にマスターしているのは異常すぎる。そのくせ日常の立ち回りが鈍く、親に言われたことばかりに意識が向いているようだった。

だからこそ、余計に妙な親心のようなものが湧く。

自分の兄弟たちと同じく表情が乏しい名前。そのくせ食べ慣れないお菓子を与えるとほんのり笑ったり、ガムを与えると警戒して距離を取ったり、頭をぐしゃぐしゃに撫でるとちょっと嫌な顔をしつつ受け入れたり。こういう小さな反応がいつかなくなってしまうのでは、と。平和ボケした小学生を複雑な顔で見ていた天元。

平和ボケしていたのはどちらか。

少なくとも天元がするべき心配は、もっと別のところにあったはずなのに。


「コレ、宇髄の妹だろ」


先月にボコボコにした他校のヤンキーだった。そいつがお仲間三人連れて名前の腕を掴んでいる。

いつも通りの土曜日の夜が、いつも通りじゃなくなった日だった。

テンプレの煽り。漫画ならそこは彼女か中学生くらいの妹だろう。幼稚園児に見える小学生を捕まえてベラベラ喋る男はかなり絵面的にダサい。現に引き連れてる男たちも微妙そうな顔をしている。けれど本人は卑怯上等ダサい上等で天元をぶちのめせればそれでいいらしい。

表面上は落ち着いているものの、意外にピンチだ。

天元一人ならばどうとでも逃げられるが、名前を無傷で助けて逃げるのは骨が折れる。比喩ではなく、相手はバット持ちがいるのだ。手ぶらの天元では少しだけ分が悪い。

さて、どうしたものか。冷や汗をたらりと流した、その時。


「いっ、でぇッッ!!」


名前が男の手に噛み付いた。


「は?」


手が離れた隙に的確に弁慶の泣き所に打ち込まれた蹴り。そのまま体勢を崩した男の頭がちょうど名前の頭上に来たかと思えば、小さな体が目一杯踏ん張ってジャンプ。強烈な頭突きが男の額に直撃した。

あれは痛い。

現に男は声にならない悲鳴を上げて地面に寝っ転がっている。他の男たちもまさか子供がそんな的確な攻撃を仕掛けてくるとは思わず固まっていた。

天元もしっかりきっかり混乱していたが、とたとた駆け寄ってきた名前にハッと気付くと、すぐに小脇に抱えて一目散に逃げ出した。


「馬鹿ッ! ボケッ! お前、かなりヤバかったんだぞ分かってんのか!」
「だいじょぶ、」
「じゃねーから言ってんだよ! だいたいお前、なんか武術でもやってるわけ? なんだよあの動き」
「ぶじゅ、じゅ、から、あい、」


柔道、空手、合気道と言いたかったらしい。

それもよく分からないまま、走り続ける天元。


「もうお前、夜に来んな」
「や」
「絶対来んな。二度と来んな。今回は良くってもな、次大丈夫とは限らねェんだよ」
「でも、天元様、あう」
「今度は俺から会いに行ってやる」


嘘だった。

天元自ら子供に会いに行くことはこの先一生ない。何せ名前と年齢しか知らない子供だ。どう会いに行けばいいのか分からないなら、それでいい。

不良の自分が会いに行ってまた同じことが繰り返されるくらいなら、もう一生会わなくてもいい。どうせ小学校の頃の記憶なんて遠い昔の不確かなものだ。この子供の人生において忘れてもいいことなのだ。


「だから、来んな」
「…………う」


今度こそ、子供は頷いた。

見覚えのある道でやっと地面におろしてやる。子供はしばらく「うーうー」唸ったが、一度大きく天元を見上げて、そして何も言わずに闇の向こうに消えて行った。

ぼんやりとかすれていく白い頭。やっぱり幽霊だったのだと、天元は忘れることにした。



***



「それが赴任先の学校の生徒だったモンでよォ! 結果的に約束守っちまった! 世の中ままならねェな!」
「宇髄先生! 俺が聞きたいのはそういうことではないのだが!」


ずいぶんと天気が良い日だった。開放的な青空がのどかな街に広がっている。というか広すぎた。

壁が崩壊した美術室にいる三人。正座している天元と名前、仁王立ちの煉獄杏寿郎先生だ。

「名前……俺が受験で忙しい時に夜遊びしてたのか……」「土曜は塾生が多くて母君も丸付けに駆り出されていたな」「そういえば買った覚えのない食材が冷蔵庫にあると」「武術は素人に向けるものでは!」なにやらコメカミを抑えてブツブツ言っている杏寿郎と、反省の色が全く見えない二人。


「だからァ、久しぶりに会えた妹分の復学祝いをするのは当然だろ」
「それで美術室を爆破する必要が?」
「結果的にな! これはこれでド派手でいい!」
「良くない! まったく良くないぞ宇髄!」


とうとう先生をつけるのをやめたらしい。

同僚として普段は仲良さそうにしている先生二人のマジ喧嘩に置いていかれる名前。今日はしのぶがカナヲやカナエ先生たちと食べるというのでぼっち飯をしようとしたところ、廊下で会った天元に腕を取られ美術室で花火パーティーが始まったのだ。

おにぎりをもさもさ食べつつ飛び散る火花に目を輝かせる名前。調子に乗った天元が「芸術はド派手だ! 爆発だ!」と打ち上げ花火を持ち出して、このザマだ。


「だいたい名前が小学生で夜遊びなど! 信じられん!」
「ああ? 近所のガキにどんな理想抱いてんだお前。コイツのヤバさを知らないのか?」
「俺の幼馴染を貶さないでくれないか!」
「貶してねェわ事実だわ!」


なんだかヒートアップしてきた二人を尻目に、名前は食べかけのおにぎりにしょんぼり想いを馳せた。

梅干し……。



← back
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -