皆々空々



「人殺し、か」


痛みに耐えるような顔。それをゆっくりと無表情に戻した天元が、呆れとも諦めともつかない声音で、浅く息を吐くように名前に問いかけた。


「人殺しと共にあることを厭うか」
「いと? 糸?」
「人殺しと一緒は嫌か、と訊いている」
「? 嫌じゃない」
「そう、か。ならいい。……人殺しの償い方、だったな」


天元は、さっきとは比べ物にならないほど静かな眼差しをこちらに向けている。それは夜の凪いだ湖のようなもので、静かではあっても無感動だとはちょっとも思わなかった。


「俺に答える義理はない」


半ば予想していたその返答に対し、だろうな、と名前は思った。何故なにと訊いて答えが返ってきたのは甘やかされていたからで、天元からの甘やかしは任務上の質疑応答かたまのスキンシップくらいしか受けたことがない。名前が今した質問は極めてプライベートなことであり、答える義務は当たり前にない。

名前とて言いたいことは理解できる。理解できる程度に情緒が育ったと言うべきか、それだけの濃い時を天元と過ごしたと言うべきか。はいそうですねと頷きたいところではあったが、こればかりは素直に引き下がることはできない。この期を逃してしまえば、また同じような人間と出会って話を聞けることなどそうないだろうから。

何かを得たいのなら、最低でも先にこちらが何かを差し出さなければならない。名前はぐるぐると思案しながら口を開く。


「父様のこと、良く分らない。好き、嫌いもない」


父親のことが嫌いか、という質問の答え。


「家は、鬼を殺す仕事。しのび、違う」


忍の家の生まれか、という質問の答え。


「私は、」


何故、殺人の償い方を知りたいか、という──。

……そこで、気付いてしまった。

前世の名前は人を殺したが、今の名前は人を殺したことがない。

それは、天元と同じだと言えるのだろうか。


私は・・人殺しか?」
「はぁ?」


思わず尋ねる形になってしまい、不意打ちで面食らった天元が表情を崩す。いつもの微妙な顔に近付いたことに、ほんの少し気が緩んだ。


「お前、人を殺したことがあるのか?」


はい / いいえ / どちらとも言えない

三択なら最後のを選ぶ。が、今は現実の会話であるからして、相手を余計に混乱させてしまうことは目に見えている。

名前は仕事として金銭が発生するなら人を殺すことを躊躇わない。だが、仕事でもないのに人を殺そうとは一度も思わなかった。私怨だろうがなんだろうが、人を殺したいという衝動を感じて実行したことなど前世を合わせてもない。そして今の生家が鬼殺を生業とし、人を守るためにあるとするなら、きっとこの人生が終わるまで人を殺すことはないだろう。

人を殺した記憶はあるが、人を殺した事実はこの身にない。

人を殺せるが、人を殺す気はない。

推定無罪ならぬ、推定有罪。矛盾するようで共生できてしまったそれらを前提とすると、名前は自分を人殺しだと申告するのは何故だか躊躇われた。必要な嘘ならともかく、不必要な嘘をつくのは本意ではない。


「否定、しないんだな」
「う、うぅ……多分、違う」
「多分ってなんだよ」
「おそらく、だいたい、ほとんど、probablyぷろばぶりぃ
「ぷろっ……?」
Maybeめいびぃ
「明媚ィ?」


しかめっ面の天元が自分の髪をガシガシかき回す。


「お前が真剣にワケ分からねェこと言ってんのは、今まで見てきてなんとなく分かる。しかしな、ワケ分からねェことは流石の俺も答えられねェよ」


「いや、真剣にワケ分からねェってなんだ」というツッコミが小声で聞こえてきたが、名前は、それこそ天元が言うところのワケの分からない真剣さで相手の続きを待った。それに気付いた天元も、少しだけ口を噤んでから、「何より、」慎重に言葉を選んで、絞り出すように本心を溢した。


「人殺しの償いなんぞ、一様であってたまるか」


答えではなく、本心だ。

卓上に小銭を叩きつけた天元が立ち上がる。名前も続いて立ち上がり、二人は兄妹のフリも忘れて山の中へと走り去った。



***



日本刀は何故こうも不必要に美しいのか、と杏寿郎に尋ねたことがある。

薄く鉄を伸ばして鏡のように磨き抜かれた刀身は、力の方向を間違えれば簡単に折れてしまう。日輪刀は特殊な玉鋼と刀鍛冶たちによる神懸かり的な技法を用いて作られているので問題ないが、本来は切り結ぶことすらそれなりの力量がなければ叶わないほどの妙技なのだと聞いた。

では、何故、ここまで美しくする必要があるのか。

杏寿郎はいつも通り、名前の問いにハキハキと答えた。

一つは、惑わすため。鏡のように周囲の景色を反射し、横に寝かせれば薄い刀身は簡単に景色に溶け込んでしまう。少しでも目を離すと刀の間合いを見失い、その隙に相手の急所を斬りつけることこそが昔の定石だったのだと。そのためにここまで美しく繊細に作られ、何より、その繊細な物が折れることなくいつまでも腰に在る事実が、剣士の力量を示す結果となる。──誇りとなるのだ、と。

その話を聞いた時。急に、腕の中にある日輪刀に得体の知れない荷物のような面倒さを覚えた。道具に誇りの付加価値をかけるなど、理解しがたい感覚であったし、この話を聞いてしまった瞬間に、刀を使い捨てようと思っていた自分を見透かされたような心地がしたから。

決して折ってはいけないと、言い含められた気がしたから。

だから名前は一年間、滅多に日輪刀を抜かなかった。もともと日輪刀とは呼吸の使い手が放つ独特のオーラを刃に伝導させることで活性化する武器だと勘違いしていたので、呼吸を覚えていない身では飾りでしかないと放っておいたのだ。

それが天元と出会い日輪刀自身が鬼を殺す力があると知り、無視できない代物になってしまった。鬼殺の際に必ず抜かなければならない繊細な物を、毎回毎回折らないように細心の注意を持って慎重に振るう。

刀を扱うことは、名前にとってストレスだった。


「斬れッ!!」


天元が叫ぶ。耳に入ると同時に繊細な刃にオーラを纏わせて周。薄く発光するソレは肉をこそげ取るように鬼の頸を吹き飛ばした。

今回の鬼はいつもと違った。

遠目で凝をしても分かる。あの異質なオーラが膨大で、混ざり方が尋常ではない。半分以上混ざり切った赤とも黒とも言えないマーブルが、鬼の体内を粘っこく満たしている。

一目で危険だと分かり、頭の奥で弱い痛みが走った。

撤退のサインだ。

未知の敵と相対し、確実に仕留められないと判断した時に走る記憶。決して死んではならないという教え。痛みとともに覚え込まされた躾。

この微弱さは、相手との力量差を掴みかねているからか。前世の万全の体ならば勝てるはずだが、今の柔い肉体はあの鬼を打倒するに至るか。やってみなければ分からない、という不明瞭な答えが名前の体を半歩後ろに下がらせた。

それに背中を叩くことで発破をかけたのが天元だ。


『狩るぞ』


その短い一言には、“落ち着け”と“逃げるな”の二つの言葉が含まれていた。

逃げられないと、思った。

戦いは今までの類を見ないほど熾烈を極めた。凝で見なくとも肌で感じる熱気。腕を一振りするたびに削れる地面、木、岩。辺り一帯を禿山にする勢いで迫り来る鬼の左目には“下”の文字が見え隠れした。

名前が引きつけ、天元がトドメを刺す。その戦法が崩れるほど、相手は強い鬼だった。

その鬼を、倒した。

念入りに、決して刀が折れないよう施されたオーラが徐々に抜けていく。軽く震える手は遅れてやってきた恐怖ではなく、無視し続けた警告の痛みの名残だ。それがスーッと消えていくと、やっと終わったのだという実感が湧いてくる。

名前は天元の方に顔を向け、明るく笑みを作った。


「天元様、やっ、」


────ぞわり。

背筋が粟立つ。

気配が一つ多い。
何故消えない。
何故、消えていない。

首を失くした鬼の体から、まだ紛うことなくオーラが立ち込めている。そして首無し胴体が視界がないのも構わず接近し、今まさに名前の頭上で大きな拳が振り下ろされた。


「名前ッ!!!!」


名前の視界は暗転する。

派手に地面に転がって土の匂いが一段と強まる。けれど体に痛みはなく、代わりに全身を温かい何かで包まれている。無臭の上に覆われた鉄と、何かの薬。嗅ぎ慣れた匂いを侵蝕するように鼻孔に届いた、

ぼたり。


「天元さ、」


──血の臭い。

顔を上げた名前の頬を伝ったソレは、天元の頭から湧いて出たものだ。

名前を庇って出来た傷が、血を滴らせて名前の上に降り注いだ。


「あ、ぁ、ダメ、死ぬ、ダメ」


視界が今度は赤く染まる。


「いや」


とっさに、名前は自分の両手を見た。そこには七歳から嵌められている指輪や刺繍糸が大量のオーラを貯めながら眠りについている。その内の一つ、銀色の刺繍糸を目に留め、指から外そうとした。その時、名前の手に大きな手が被さった。

天元の手だった。


「お前でも、そういう顔ができるんだな」


ハッと再び天元を見上げると、彼はこちらを見ておらず、それどころか瞬時に立て直して再生し始めた鬼の頸に向かって刃を振るった。


「──音の呼吸 壱ノ型 轟」


顎下まで再生されていた頸は、爆音と共にズタズタに引き裂かれ再び胴から分かたれる。そして、傷だらけの胴は二度と動くことはなかった。

先刻の激戦が霞むほど、呆気ない戦いの幕引きであった。


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