皎々慮外



「馬鹿かッ!!」


鬼の頸を刎ねる段階になって名前が腕を噛ませていることに気付いたらしい。サクッと刃を振り下ろした天元が振り向きざまに罵倒する。馬鹿。それが罵倒の言葉だと最近知ったばかりの名前は不思議半分不満半分で天元を見上げた。


「いくら雑魚の牙は通らないつったってな、血鬼術を使うような奴の牙も通らないとは限らねぇだろ! 使えるモンは使えと言ったがこんな極端な使い方をしろとは言ってねぇ!」


目と口を大きく開けて声を荒らげる天元。それは、口数以外では初めて感情を露わにした瞬間だった。

人間だ。

場違いにもそう思ってしまった。今まで天元を人間以外の何か──例えば、人形だとか。そういった血の通わない存在だとは一度だって思わなかったのに。その時、その瞬間、名前は天元を人間だと理解した。

まただ。また、誰かに似ていると思ってしまった。けれど誰にかはとんと分からず、名前はただよく分からない感情を持て余すハメになる。

この気持ちを、どう処理すればいいのだろう。

目に入ったゴミがやっと取れたような、耳に詰まっていた水が抜けたような。何とも形容し難い爽快感が体の内を走り抜ける。名前はいつも以上に呆けた顔で天元を見上げ続けた。

一方、尚も言い募ろうと口を開いた天元は、しかし、何か思うことがあったのか。無理くりに口を閉じてふぅと細く息を吐く。そうして元の表情の乏しい彼に戻ってしまった。


「この街には鬼が二匹いた。お前が引きつけた奴と、最近流れてきた旅人狙いの奴。お前らを尾行している途中で旅人喰いの方を見つけて、そっちを仕留めてからこっちに来た。俺はお前の安全より鬼の頸を優先したわけ。で、そっちは?」


二本立てた指を一本倒し、残った方の指が名前を指す。あまり真面目に聞く態度ではなかったので、名前もそれなりの態度で報告した。


「鬼、喰った人間に化ける。騙して遊んでた。さっきまで捕まえて、待機」
「んで、俺がその鬼の頸を地味に斬った。うっし。任務終わり。解散」
「アオーアオー! 集合! 集合!」
「は?」


鎹鴉のタイミングが毎回絶妙すぎる。

ついさっきまで夜空に同化していた黒い影は、大きな鳴き声と共に急降下して天元の肩に着地した。


「宇髄天元! 桔梗名前! 次ノ任務ヲ言イ渡ス! マズハ東ノ山ニ向カウベシ! アオーアオー!」


うそだろ、と苦い顔をする天元。まだぼんやりしている名前。

このパターンがお約束化することを、この時の二人はまだ知らなかった。



***



比較的緩やかな山の、綺麗に整備された山道の途中。休み処の幟を掲げた茶屋に一組の兄妹が座っていた。


「おい、ついてるぞ」
「む、むぐ、う?」
「ったくよォ」


天元が親指で名前の口元を拭い、そのまま指についた餡子をペロリと舐めとる。餡子が乗った団子をもぐもぐと食べ続ける名前は普通の妹のようで、呆れた顔で茶を啜る天元は普通の兄のようであった。

なんやかんやのすったもんだで二人が出会ってから既に半年が経っている。

毎度毎度、二人の元にやって来る任務は姿を隠すことが得意な鬼の討伐で、お約束のように諜報が必須であった。ので、最初は口から出まかせだった兄妹設定を半年も続けるハメになったのだ。

天元は兄妹を演じている間は親し気に「名前」と呼んだが、それ以外では「おい」「てめェ」「お前」ばかりで絶対に名を呼ばない。(これは名前が桔梗と呼ばれることに慣れておらず結果的に無視することを繰り返したためである。名前は気付いていない) そして名前に対しても演技以外で「兄や」呼びを許すことは決してなかった。

この微妙な仲で任務を熟すのはかなり不都合なことのようでもあったが、意外と鬼を殺すことにかけてはかなり息が合った。お互いに気配が薄く、それでいて気配の読み合いが上手いため阿吽の呼吸どころか空気の揺れだけで攻撃のタイミングやフェイントのかけ方、名前が気を引いてできた隙に天元が頸を刎ねるという合理的なパターンを確立してしまい、二人の討伐数は半年で二十を超えた。

これに味を占められてしまったのかもしれない、とは天元が愚痴っぽく溢したことだ。会話は相変わらず通じてるのかいないのか微妙なところだが、結果が出てしまっている以上、コンビを解散させる気はないのだろう。流石ブラック極まる鬼殺隊。

今日も次の任務に向けた情報収集の途中だった。ここら辺の山を根城にしている鬼を討伐しに行った隊士が皆帰って来ない。どうやら相当強い鬼らしく、ひょっとしたらカゲン? かもしれないと鎹鴉はやかましく宣っていた。

もしもカゲン? の鬼であったなら、死亡率は格段に上昇する。が、天元は乗り気なようで、以前よりも精力的に情報収集をしている。理由を尋ねた名前に対して珍しく(声音だけ)嬉々として語った内容は、柱になりたいという出世願望だった。


「柱になれば、これまで以上にお館様のお役に立てる」
「おぃあかたさま?」
「お前、まさか……お館様も知らないとか言わねェよな」
「知らねぇ」
「はぁ……」


長く行動を共にしてうつった荒い口調。それに似合わぬ幼い首傾げ。天元の苦手意識も最近やっと薄れてきたらしい。

呆れつつもスムーズに続いた説明曰く、お館様とは鬼殺隊を束ねる産屋敷家の当主こと。柱とは一定数の鬼と十二鬼月と呼ばれる鬼のボス直属の配下を倒すことでなれる地位なのだとか。そういえば杏寿郎の父親はそういう地位にいるとか言っていたような、いないような。急にポンコツさを思い出した名前の頭がなんとか記憶を捻り出そうとする。会ったことのない人間など思い出しようもなく、うむうむ頷いてワハハと笑う杏寿郎しか出てこなかった。


「本当に物を知らねェな」


憐れむような言い方に、むしろそういったことはどこで習うのかと聞き返したくなった。もはや天元に教えられた知識で任務を熟しているようなものだ。杏寿郎が言葉の師ならば天元は鬼殺の師になりつつある。

もちゃもちゃ団子食しを再開する名前。餡子というものは小豆という豆を加工して調味料で味付けしたものだと聞いた。独特な風味がなかなかに美味だが、これを甘味扱いされると納得がいかない部分もある。素材本来の甘味ばかりで砂糖の欠片も感じられない。日本の食事は塩を振ることで本来の味を際立たせた甘味が多く、名前は前世の砂糖塗れのスイーツが恋しくなった。今ならチョコロボ君で二億溶かしたキルアの気持ちも分かる気がする。チョコが食べたい。ぎぶみーチョコ。

心なしかいつもより遠い目で二本目の団子を消費する名前。それを頬杖をついて見ていた天元は突然。突拍子もない質問を投げかけてきた。


「お前、父親のことが嫌いか?」


ちちおや──父様。

きらい……嫌い?

つまり、父のことをどう思っているか聞かれているのだろうか。

名前は父を思い浮かべる。日本人らしい黒髪に濃い桔梗色の目で、浅い顔立ちで、いつもしかめっ面で、ほとんど口を開かない。……改めて聞かれると困るものがある。屋根がある場所で会ったのが家の玄関から廊下までしかないという事実。だいたい庭で棒を振り回していた記憶が九割ほどを占めている。

そんな相手のことを好きか嫌いで判断できるのか。
そもそも父母に対して好きも嫌いもないのではないか。

片頬を膨らませて、ぷすぷすと空気が抜けるまで考える。お決まりの癖を披露した名前を静かな目で見つめる天元は、今までで一番人形のような無機質さを醸していた。


「俺は元忍だ」


『鬼殺隊に、忍びの者が入ってきたのよ』

脳裏に、いつかの母との会話が蘇った。ポンコツな頭でもそのことは覚えていた。忘れてはいけないことのキッカケとして、脳のシワ一つ一つに刷り込まれた記憶だったから。


「俺の親父は一族復興を望んでいた。そのためなら子すら道具として仕込み、潰れればそれまでだったとすぐに忘れ、仲間は、友は……家族は、目的のための手段でしかない。そういう考えを俺は受容し切れなかった。忍である前に人間である俺を無視されてきたことが、堪らなく許せない。だから俺は、

──親父が、大嫌いだ」


天元の黒い眼は徐々に暗く、昏く、ドロドロと淀んで、焦点がどこを結んでいるのか分からなくなる。意思を持たない闇人形のようで、けれどその印象は低く重く色を持った声音で上書きされていく。

憤りを、
遣る瀬無さを、
悔しさを、
虚しさを。

全部を少しずつ掬って混ぜて焦げるまで煮詰めた感情は、名前にとって恐ろしい質量を持って襲い掛かってきた。

こんな感情を名前は持ち得ない。それらは生まれた時から丁寧に一つ一つ押し潰されて封じ込められてきたから。天元の父親は教育・・に失敗したらしい。その結果が嫌悪という感情を持つ一人の人間としてそこに在る。

それがほんの少し、名前には羨ましかった。前世の教育が完璧だったゆえに、感情というものを生まれ直した今もよく分らないまま持て余しているのだから。


「ずっと考えていた。階級も違う初対面のガキと俺が組まされるワケを。気配を読むのが上手いから、なんて地味な理由のわけがない。必ずそれ以上の派手な理由があると。半年、ずっと、お前を見てきた。……確信したよ」


ドロドロとした眼は、やや落ち着いた色を取り戻して名前を再び見つめる。天元曰く、この行為を半年も繰り返してきたのだと。初日から感じた含みのある視線はきっとその一貫だったのだろう。

そして天元が言った通り。確信できたからこそ、こんなにも懇切丁寧に名前に言って聞かせているのだ。


「お前もそうなんじゃないか。俺と似たような家に生まれて、“そう”なったんじゃないのか?」


『卑しい草の者よ。金さえ積まれれば平気で人も殺すの。ああ悍ましい。あんなの鬼と変わらないじゃない。嫌だわ、……』

母の声が再び脳裏から浮上する。

しのび。前世の名前と似たような仕事を、天元はやっていたのだと言う。

チラと盗み見た手は無骨ながらに白く、名前の柔い手とそう変わらない色に思えた。けれどそれは、人の血で赤く染まったことのある手だ。命を摘み取ったことのある、洗わなければいけない手に違いないのだ。

私と同じ・・・・、”



「 人殺し 」



──ピキリ。

湯呑みにヒビが入る。名前は気にしない。頭の中はたった一つの疑問でいっぱいだったから。

私と同じ・・・・人殺しならば、知っているかもしれない。”と、そればかりを気にしていたから。



「人殺し、どうやって償う」



いつまでも、理解しない。

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