白く酷く



選別を終えてから初任務に行くまで、父は帰ってこなかった。

任務で遠くの地に行っているらしい。父は名前が生まれる前に剣士として一線を退いたが、育手として鬼殺隊の後進育成に貢献しているのだとか。名前が藤襲山に行ってからは一層任務の数を増やしたらしい。そのため、結局元水柱の教え子と伝手を作ってどうすればいいのか分からないままだ。いや、前世の父親像を参考にするなら“後継ぎを作る相手を見繕って来い”あたりだと予想できるのだが。今の父がおかしい人なのは理解済みなので断定できないのが辛いところだ。

結局、杏寿郎とも会えぬまま出立の日はやってきた。

隊服を着こみ、今度こそ母が用意していた秘色の羽織を肩にかける。初任務へ出立する際、一人家に残される母は言った。


「どうか、どうか。お気を付けてくださいね」


後に起こることを知っていれば、それは鬼に言うべき台詞であっただろうに。



***



「ころ、ころせ……ころして……おねがい……」


関節という関節を岩に縫いとめられて魚の開きのようになっている鬼。その様をじっくり観察する名前。と、上空からドン引きしている鎹鴉。『ヤバい人間の専属になっちまった』と黒い羽毛の下で鳥肌を立てていた。鳥だけに。

通る旅人を喰う鬼が出るという山。そこに単身乗り込んだ名前は、目に付いた石を適当にポケットに忍ばせオーラを注ぎながら鬼の居場所まで歩いた。走ればおよそ二十分で目的地に着いただろうが、のんびりとオーラを溜めるために敢えてちんたらした。十一歳の少女の足は短く、足場の悪い山の中では移動が大変だ。実質二時間もかけて辿り着いたのは、元は人間が住んでいたであろう小屋。古びてはいるがしっかりと窓が締め切ってあるのがいかにもという風情だった。

夕方に山に入ったので、辺りはすっかり夜の静けさ。サワサワと不気味な風、木の葉の音。嫌な湿気が肌にじっとり纏わりつく。

『もし、もし』名前が戸に声をかけると返事があった。『どうかなさいましたか』男の声がすぐそこから聞こえてくる。『疲れてしまって。少し、休ませてください』待ってましたと言わんばかりに勢いよく戸は開いた。

この時、名前は円であらかじめ小屋の中の様子を伺っていた。藤襲山の鬼と同様、やはり異質なオーラが混じっている。これにより、相手が鬼であることを先に察知していたのだ。

そこからは早かった。バッと襲いかかってきた鬼をいなし、逃げるように山の東へと誘導。丁度良い場所はないかとウロウロした果てに狭い岩場を発見。そこで足を止めると同時に適当に拾った枝に周をして投擲。瞬時に鉄串ほどの強度を手に入れたそれが的確に鬼の肉を裂き骨を砕き岩に食い込ませた。

そこからは語るも悍ましい実験の始まり始まり……なので中略。

分かったのは、画竜点睛という能力において人体の部位もまた生命の内に入るらしいということ。

入山する際にオーラを溜めた二時間物の石五つ。それぞれ腕、心臓、肋骨、眼球、脳に変換して時間を計ったところ、前世でもぎ慣れている腕や心臓はほぼ八割ほど保ったのに対し、拷問の時くらいにしか触ったことのない眼球と肋骨は五割、脳に関しては三割しか保たなかった。やはりある程度慣れ親しんでいるものほどオーラの効率がいいのは前世の時と変わらないらしい。加えて脳といえば人体の中でも特に小難しい精密機械のようなものだ。何も考えず石からスパコンを生み出すような無茶ぶりは、実現できているだけで驚天動地の奇跡だろう。

オーラを消費し役目を終えた石はどこからともなくころりと体外へ排出された。入れる際はわざと欠損させた体の部位に鬼が回復する前に石を埋め込んで、素早く能力を発動させていたが、その際には傷も一緒に癒えた。

効力が切れた場合もその結果は続くのか、置き換えた臓器がなくなったと同時に治癒もなかったことになるのか。鬼が自動的に体を回復させてしまうため、こればかりは鬼の体では解明できない疑問だった。

流石に“じゃあ今度は人間で試してみよう”とはならなかったが。


「【人間の命は取り返しがつかないものね】」


だからと言って鬼の体を弄んで良い理由にはならない。と、教える人間はその場にはいなかった。

強制的に体を弄られ、治されたり壊されたりを繰り返した鬼の瞳にもはや生気はない。いくら体の欠損が治ろうと(治されようと)精神的負荷がリセットされるわけもなく、もはや可哀想なほどにうわごとを繰り返している。けれども名前はトドメを刺さない。刺せない、と言った方が正しい。

魚の開き状態から枝を抜くことで解放してやり、夜通し監視することしばらく。東の空からいち早く日が昇り、爽やかな朝の空気が肺に満ちる。そして。瞬きする内に鬼の呻き声は短い悲鳴を最後にこの世から消えた。

こうして名前の初任務は日輪刀を一度も抜かずに終わったのだった。



***



……という任務を繰り返すこと十回。

鬼殺隊に入隊してから既に一年。


「ブッコロス。ブッコロス。喰う。喰うぅぅ」


名前十二歳。今日も今日とて実験している。

筋肉質で大きな鬼だったために生け捕りに少々手こずったが、いつものように人目のつかない山中で磔にしてご開帳。邂逅してあまり時間が経っていないので相手は元気に恨み言を吐いている。

いつまで続くかな、と名前の鎹鴉は遠い目でギリギリ声が届く範囲まで離れた。悲鳴が聞こえなくなってからそばに戻るという精神的防御を一年間で学んだのだ。他への異動願いが受理されない時点で既に半分心が死んでいたが。

画竜点睛による人体のパーツ生成、および治癒能力は実験を繰り返すごとに少しずつオーラの消費が抑えられていった。具体的に言うと凡そ二割ずつ変換時間が伸びた。腕や心臓はほぼ十割だ。脳に至っては未だ五割に満たないが、この調子で扱いに慣れていけばもっと改善されるだろうという手ごたえは感じている。

何故に画竜点睛によって作られたパーツが人体に適応できるのか、埋め込んだ場所の傷が治癒されるのかは未だ謎のままだ。もともと特質系の能力などブラックボックスであるからして、その手の話題に詳しい念能力者が周囲にいない今、考えるより訓練する方を名前は優先した。

慣れた手つきで裂いた腹から臓器を取り出し、いつもの要領で石を滑り込ませ、鬼が自然回復する前にサッと能力を発動。臓器に変換されると共につぅーっと閉じていく傷を眺め、懐中時計をカチリと開く。


「──血鬼術 背面憎握」


名前は慢心していた。

今まで会敵した鬼は総じて人を喰った数が少なく、異形であれど異能は持たない雑魚ばかりだったためだ。加えて、名前は鬼に対する認識を“元人間の魔獣”のまま改めてはいなかった。

故に、異能の鬼との邂逅はこれが初めてであった。

──ぬろぉぉおん。

薄い体をした鬼が、気配もオーラもなく突然、名前の背後から姿を現したのだ。

運が良かったのは、その鬼がただ人間の背後を取ることだけに特化した非力な鬼だったこと。言い換えれば、たったそれだけの血鬼術で六十人もの人間を喰って来たということでもあるが。

捕食する直前にのみ気配を表す鬼。その骨と皮ばかりの手が名前の首に届くまでコンマ数秒。そして、名前がそれを察知したのはもう少し早かった。

だが、名前の柔い手を凶器に作り換えるには三秒という長い時間が必要であり、地面の石を拾ってナイフとして投擲するにはやはり時間がない。拳で迎撃しようにも十二歳の少女の腕はひょろいながらに長さのある鬼の腕にリーチの差で負ける。どれも首に傷を負うことは免れない。

たった一つの得物を除いて。


「ぎゃッッッ」


コンマ数秒よりもさらに短い時間。とっさの判断で名前は腰の日輪刀を抜いた。鋼鐵塚特製の美しく繊細な刃は驚くほど滑らかに鞘から走り出し、父直伝の抜刀術も相まって瞬きもしないうちに鬼の頸をすっぱり跳ね飛ばした。

恐ろしいまでに直線的に飛んだ首が木々にぶつかり、落ちたその場で二回三回とバウンドする。それを視界の片隅に捉えつつ、名前は急いで首なし胴体の急所目がけて日輪刀を振り下ろした。まるでピン止めされた蝶の標本のように手足をビンと伸ばして動かなくなった鬼。これなら再生までに時間がかかるだろう。

さっさと他の関節も固定して、朝まで放置しよう。急襲されたばかりとは思えないほどのんびりと足元に落ちている枝を掻き集め、名前は再び顔を上げる。そして、

土塊のように崩れ始めた鬼の体を目の当たりにした。


「は?」


は?


「いいねぇ、派手に頸かっ飛ばしちまって。地味に雑魚甚振いたぶってる変態にしちゃあ見所あるじゃねぇか」


は?


← back
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -