if/左馬刻様とお見合い



拝啓、お母さん。

この時間ならちょうどお仕事の最中でしょうか。いくつになっても精力的にお仕事をしていらっしゃるあなたは大変魅力的で、素晴らしい人だと日々敬服しています。けれど、この不肖の娘は思ってしまうのです。


「いやァ、左馬刻には急な仕事を入れちまってな。こんなに遅れるとは思わなんだ。待たせてしまってすまない。文句ならアイツじゃなくオレに言ってくれ」
「いいえ、そんな、文句だなんて」


娘のお見合いくらい隣に付き添ってほしかったな、と。

カコン、という鹿威しが遠くから聞こえた。他には風にさわさわ揺れる竹の葉とか、鯉が泳ぐ池に流れる水とか、誰かが玉砂利を踏んで近付いて来るのとか、そういう日本庭園らしい風流な音がさっきからひっきりなしに聞こえてくる。ヨコハマ・ディビジョンにこんな立派な料亭があるなんて知らなかった。

そこで待つこと一時間。

分厚い座布団の上に座る私は真っ赤な振袖を着ていて、斜め向かいには貫禄溢れる着物のオジサマがニコニコと話しかけてくる。今日お見合いする碧棺左馬刻さんの上司で、カテン組? の一番偉い人? らしい。それってつまり極道の……いや、知らない知らない。私、極道ものの映画とか興味なかったし。言わぬが花ならぬ知らぬが花ってことで、うん、うん……。

私が一人でこのお見合いに挑んだのとは逆に、向こうは付き添いの人が来て本人が来ないという事態が起きている。正直、このまま本人が来ないまま終わってくれたら、それはそれでいいんじゃないかなぁと思ってしまう。相手はヤクザさんだし、噂を聞く限り中王区の女性に対して良い感情は持ち合わせていないはずだ。

そんなこちらの気持ちも知らず、ザッザッ、という玉砂利の音。碧棺左馬刻さんはお庭の方から姿を現した。……白いアロハシャツに真っ赤な染みを付けて。


「おう親父ィ。例のクソ蟻ん子どもの巣見つけたぜ。ついでに熱湯注いで引っ掻き回してやったらうじゃうじゃ湧きやがってよォ」
「左馬刻、そのシャツどうした」
「あ? ああ、心配すんな。返り血だ」
「そうか、そりゃ良かった」


全然良くない。

蟻さんのお話してたんじゃないの? 蟻さんからそんな真っ赤な血出ないよね? こんな真昼間から抗争でもあったんですか? なんでお見合いの前に抗争? ハマのヤクザにはそんな文化か習わしがあるの? ワケが分からないよ!

武力放棄が為されて久しい昨今。前世以上に血を見る機会が減ったはずの社会に、まさか直接誰かの血を見ることになるとは思わなかった。頭の奥で血の気が引いていく。フラっとし始めた頃に鋭い赤い目と目が合った。


「……ンだよ、まだ帰ってなかったのか。約束の時間が過ぎたらさっさと帰ると思ったのによォ。中王区のクソ女にしてはプライドってモンがねぇんだな」
「左馬刻!」
「親父も余計な気ィ回してんじゃねーよ。自分の女くらい自分で見繕うっつの」
「そういう問題じゃない! オレァな、お前に、」
「へいへい」


あ、これ帰れるかもしれない。

完全に私の存在をないものとしてオジサマと口論を始めた碧棺さん。この感じだと、オジサマが乗気で、碧棺さんはまったくその気はない、と。オジサマは碧棺さんの上司というわりには本当のお父さんのような態度で押され気味だし。これはお見合いが始まる前に流れる予感がする。私も向こうからお断りがあったと言えばお母さんに説明がつくし。

内心碧棺さんにエールを送りつつ、事の成り行きを見守っていた。その時、今度は大人数の騒々しい玉砂利を蹴る音が庭から聞こえてきた。


「いた! 左馬刻の野郎こんなとこに居やがった!」
「あ"?」
「こっちだ! テメェら集まれ!」


え! えっ、え、えー?







「チッ、ンで俺が」


なんでこんなことに……。

あの後、何を思ったかオジサマが碧棺さんに私を押し付けて逃げるように命れ、指示しまして。ドスを効かせた抗議と共に押し返されそうになったところで「まさか女一人守れねえような玉ナシじゃねぇだろうな」という挑発だか脅しだか分からないお言葉で渋々と連れ出された次第です。

乱暴に手を引かれて振袖でわたわた廊下を走ること少し。従業員以外立ち入り禁止の札の横を通り過ぎて適当に入った部屋は多分リネン室。積み重なったお布団の影に隠れるように座った私たち。碧棺さんはずっとイライラしてるし、私はずっとビクビクしている。だって定期的に遠くの方から悲鳴や怒号、ついでに碧棺さんを呼ぶ声が聞こえるんだもの。

すぐ隣、肩がくっつくほどの近くから舌打ちが止まない。ビクッと勝手に震える体。そのたびに隣から舌打ちが聞こえて震えないように体を抱きしめる。ヤクザの抗争も怖いけど隣の碧棺さんもめちゃくちゃ怖い。

どれくらい時間が経ったか。もしかしたらほんの数分かもしれないし、三十分くらい過ぎたかもしれない。遠くの声が聞こえなくなってきたあたりで、どうしてか、隣から不機嫌そうな声が話しかけてきた。


「テメェ、本当に中王区のクソ女かよ。ガキみてぇにビビり散らしやがって」
「は、はじ、初めて、なんです、こういうの」
「ハッ、だろうな」


噛み噛みでやっとこさ返事をしたこちらに対して、相手は馬鹿にしたような態度。膝を指でトントンする仕草すら苛立っているように見えていつまでも気が気じゃない。


「これに懲りたらヤクザと見合いなんて金輪際するんじゃねーぞ」
「はひ、母に伝えておき、おきます」
「母ァ?」
「ひっ、あ、すいませっ、母に勧められたので、来ました」
「親の言いなりか」


また鼻で笑われた。けど、言い返すなんて気も起きなくて静かに俯く。それきり、会話が途切れてまた気不味い空気が流れ始めた。

そんな時、遠くの方でまた碧棺さんを呼ぶ声が聞こえ始めた。

始めの内はさっきみたいに無視してたけど、声はだんだん近くまで聞こえてくる。それにおまけして不穏すぎる断末、お、雄叫びまで近付いてきて。

とうとう、ここがバレたんじゃないかって。思い出したように震えが大きくなって、目線が同じ場所を行ったり来たり。心臓が早く動くのに背中は嫌に寒くって。逃げた方がいいのか、隠れたままでいいのか。決められない二択が頭の中でゆらゆらしたその最中、隣りの人が予告もなく立ち上がった。

そして、そのまま部屋の外に向かって歩き出したではないか。


「い、かないで……」


我ながら、なんて無謀なことをしたのかとビックリした。


「アァ?」


心細さのあまり、私はとっさに碧棺さんのズボンを掴んでいた。

動きにくい振袖姿のまま、中途半端に腰を上げて伸ばしていた右手。けれど碧棺さんの歩みが強くて、踏み出す一歩に釣られて体勢を崩す。前に倒れかけて膝と手を突いたハイハイみたいなポーズ。でも右手だけはまだズボンから離れていない。そんな私のつむじに鋭い視線が刺さっていることを、振り返った爪先の向きでなんとなく察してしまった。

冷や汗が首筋を滑り落ちる。


「俺様がお前の言いなりになると思うか?」
「そ、それは、でも、あの、」
「離せや」


ちょっと足をずらすだけで指の隙間から逃げていったズボン。右手は宙を浮いたまま、引っ込められる雰囲気でもなく。俯いてだくだくと汗をかき続けた。

だって、碧棺さんが出て行って、一人になったところを知らないヤクザが入ってきたらどうなるんだろう。あんな血で血を洗うのが日常茶飯事な人たちに見つかって、それで?

その先は怖すぎて、想像したくもなかった。

どうして、こんなことになったんだろう。


「おかぁさん……」


思わず、呼んでしまったのはこのお見合いを勧めてきた張本人。

私を助けてくれるのはいつだってお母さんなんだ。だから、助けを呼ぶのは当然だって。開き直ろうにもやりきれない情けなさ。二十歳超えてこれはどうなんだろうと思っても、縋るものがない今はどこかの誰かに頼るしかない。私にとってはそれがお母さんだった。


「泣いてんじゃねぇよ」


え、と溢れた声は目の前の白いシャツに吸い込まれた。

グイッと強い力で頭を抱かれて、いつのまにかしゃがんでいた碧棺さんの胸元に顔が押し付けられていたんだ。

色白で体温が低そうな見た目をしているけれど、シャツ越しの温度は温かくて、ああ、この人も人間なんだなって失礼なことが頭に浮かんだ。


「泣き止め」
「泣いて、なんか」
「泣いてるから言ってんだよ分かれや。テメェが泣き止まないとこっから動けねぇじゃねぇか」


本当に泣いていなかった。少なくとも涙は溢れていない。けれど大きな手が私の頭をポンポンと一定の間隔で叩いてくる。まるで愚図る赤ちゃんを宥めているみたい。


「外の様子を見てくるだけだ。ここで待ってろ」


それからすぐ、頭が少しだけ軽くなった感覚。スッと髪の毛を何かが滑って、碧棺さんの手にある物を見て、さっきまで頭に差していた簪だと分かった。


「狙うなら目か喉だ」
「め、のど、って」
「ここにゴミどもが入ってきたら、真っ先にコイツを突き刺して怯んだ隙に逃げろ。テメェの身くらいテメェで守れ」
「でも、喉、刺したら、」
「ああ、死ぬかもな」


金属の冷たい質感。真っ赤な梅の花が繊細に咲いている装飾具は、今この瞬間に恐ろしい凶器に変わってしまった。



「そん時はテメェも極道こっちの仲間入りだ」



トクベツに俺が面倒見てやるよ、と。唇の右端だけ引き上げた、とてもニヒルで、とても楽しそうな表情を浮かべた碧棺さん。

彼が私に笑いかけたのはそれが初めてだった。



***



それからどうなったかと言うと。


「すいません。すいません。本当に申し訳ありません。すいません」
「しつけぇわ! チャキチャキ歩け!」
「ひっ、すいません!」


のんびりと歩く碧棺さんの背中に謝り続ける私。

碧棺さんが出て行った後、ずりずりと膝を擦るように出入口付近に移動した私。いつ、誰が来てもいいように、それでいて誰も来ないように簪を握り締めて祈った時間。汗をかくほどの強硬状態は、遠くから近付いてくる足音でさらに進行した。よたよたと立ち上がって、簪を振り上げた体勢で、目の前の戸が開くのをジッと注視した。

そして、戸が動いた瞬間に、パニックは最高潮に達した。傷付けないと、喉はダメ、死んじゃう、でも、目、失明、わたし、どうしよ、わたし。

訳も分からずギュッと目を瞑って簪を振り下ろした。


『や、やぁあああ!』
『うぉっ』


……相手は私を迎えに来た碧棺さんだったのに。


「ピーピー泣いてた甘ちゃんが良く動けたな。やるじゃねーか」


そして何故か上機嫌である。


「才能あるかもな、お前」


勘弁してください。

二人一緒に元のお部屋に戻ると、挨拶した時と全く同じ定位置に座っていたオジサマ。妙にニコニコと片手を上げた彼が、驚きの事実を口にしたのだった。


「吊り橋効果ってヤツあるだろ? アレを狙ってみたんだが、どうだ? 惚れたか?」
「馬鹿かよ」


つまり、嘘だったらしい。

舎弟の皆さんで演技する、私が怖がって碧棺さんを頼る、碧棺さんは女性に甘い(本当?)から仕方なく守る、そのままなんやかんやでいい感じになってお見合い成功、と。なるほど無理がある。このオジサマ、怖い顔をしている割にずいぶんお茶目な思考をしているらしい。
言いたいことはいくらかあったけれど、とりあえず怖いことは最初からなかったんだって聞いたら体から力が抜けた。ちょっと倒れかけたけど、碧棺さんが背中を支えてくれたのでなんとか立っている。あれ、本当に女性に優しい。初対面の怖さはなんだったんだろう。


「じゃ、じゃあ、さっきのはぜんぶ演技だったんですね。良かった、誰もお怪我をされてないみたいで。あまりに悲鳴が迫真すぎて、私、ビックリしてしまいました」
「そりゃそうだ、本当に敵襲だったんだからな」
「はい?」


はい?


「最初に庭に乱入してきたヤツらはマジモンの虫。俺の名前叫びながら中歩き回ってたのがその取りこぼし。後半の方だけウチの舎弟だ」
「見合いの途中で乱入しやがったのは腹立たしいが、お陰で良い案が浮かんだ」
「急な思いつきで下のモンを巻き込むんじゃねぇよ」
「ああ、悪い悪い! お嬢さんも、怖がらせて悪かったな!」
「ったくよォ……ア? オイ親父、気絶してるぞコイツ」


二度と目覚めたくない。



企画へのご参加ありがとうございます! プニカifでもしも左馬刻様とお見合いしたら、でした。優柔不断なプニカの人と左馬刻様をくっつけるには庇護欲を煽るしかない、と親父に頑張ってもらいました。このお話の左馬刻様はプニカの人を妹に重ねて見ているけれど、本当の妹にはヤクザの世界に絶対関わらせないだろうし、逆に一緒になる相手なら少しは慣れてもらわないと困るな、と無自覚で荒療治しそう。つまりそういうことです。素敵なリクエストをありがとうございました!

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