アングラ主が中学生にママ活させる



ヤバいことになった。

背後から聞こえる声が、もはや何と言っているのかも聞き取れない。それでも声音で口汚く罵っていることは感じ取れる。マイクを通していなくても言葉は刃ってことだ。現実逃避が酸欠気味の脳に交じり始めて、本格的にまずいかもしれないことにさらに焦った。

いち兄の力になりたい。いち兄のような男になりたい。待っていないで自分から行動しなければ。そのための第一歩としてこっそり始めた情報収集。いち兄みたいに足で稼いで知り合いを増やし情報網を大きく広げていく。その途中で足を伸ばしたシブヤ・ディビジョンで、変なヤツに目をつけられてしまった。


「元The Dirty Dawgの山田一郎の弟だ! 売っぱらえば相当な額がつくぞ!」


人身売買なんて前時代的すぎる。

度重なる戦争と混乱に乗じた治安の悪化は倫理の退行を引き起こした、とか何とかはニュースで聞いた内容だ。いち兄もTDD時代にヤバいヤツらと戦ったって話は人づてで聞いていたけど、実際に目にすると全然印象が違う。どれだけの力があれば、どれだけ強くなれば、いち兄みたいになれるんだろう。

罵声がだんだん近づいて来る。シブヤ・ディビジョンの道はあまり詳しくない。僕一人で通れそうな道ももう見当たらないし。ここの細い路地を抜けたら大通りに出る。人の目があるところなら何とか助かるだろうか。それとも、みんな見て見ぬフリをして結局捕まってしまうんだろうか。

短い呼吸を何度も繰り返して、もつれる足で何とか転ばないように走り続ける。

捕まったら、いち兄は絶対に僕を助けに来る。もしかしたら二郎のヤツもついて来るかもしれない。『お子ちゃまはお子ちゃまらしく安全なところで大人しくしてろ』とか二郎のクセに、二郎のクセに! 兄貴ぶって説教たれてくるに違いない。それにいち兄が同意してきたら目も当てられない。

カッコ悪い。
成長しなきゃ。

どうしたら、いち兄みたいに、

僕は、どうやって、


「リョウくん!!」


その答えは、突然目の前に現れた。



***



「ちょっとリョウくんどこ行ってたの!? 塾の前で待ってないからお母さん心配したでしょ!?」


は? 誰だこの人。

っていうか、リョウくん?

大通りに出る路地を横切るように停まった一台の車。白くて、キラキラしてて、車体がのっぺりしてて、運転席が左側だから外車だ。外車を乗り回すような人間がここら辺にいるわけがない。と思えば、スモークが貼ってある窓が半開きから全開になって、中から人が顔を出した。


「あら、そちらリョウくんのお友達? どうも〜うちのリョウくんがお世話になってます〜」


黒いショートヘアを揺らして首を傾げる二十代の真ん中くらいの女性。高価そうなジャケットや、真っ赤な唇から飛び出る間延びした挨拶が、授業参観で見た外面の良い母親像とダブる。

場違いな人間の登場に、僕だけでなく追ってきたヤツらもびっくりしたのか、僕が近くにいるのも忘れて女性に食ってかかった。


「は? 何言ってんだこのアマ」
「こいつは山田三郎だろーが」
「山田、三郎? いいえ? どなたかと人違いしていませんか?」
「え、え?」
「ねぇ、リョウくん?」


( 合 わ せ ろ 。 )

流し目でチラリと覗いた視線は有無も言わさぬ迫力を持っていた。


「え、あ、はい。お……お母さん」


言い慣れない呼称だ……という場違いな感想が頭に浮かんだ。それに満足そうに頷いた女性は、今度はニッコリとそら寒い笑みをヤツらに向けた。


「ところであなた方はどちら様? その、山田三郎さん? という方と人違いしているのならリョウくんのお友達じゃないですよね? うちの子と何してたんですか? ──何、しようとした?」


最後の一言に、目の前の人の本性が全部詰め込まれている、気がした。

上に立つ人。人を使う人。支配する人。そういう独特の空気が重力を何倍にも増長させたみたいに圧しかかる。

気付けばヤツらはどこかに逃げていて、僕は何故か外車の安定感のある助手席にカバンを抱えて乗り込んでいた。


「どういう、つもりですか」
「助けられた礼も言えないのか?」


びっくりするくらい低い声だった。

ぶるり。さっきの柔らかい口調との落差で背筋が勝手に震える。


「た、助けていただいてありがとうございます」
「フン。意外と素直だな」
「っそれで、どうして助けたんですか」
「義務教育を終えていない子供を見捨てたら、流石に品性を疑われるだろう」


子供。子供、子供って。僕は子供である前に男だ!

叫んでやりたい衝動は、相手が正論を言っている事実で何とかやり過ごす。


「それにしても、お、お母さんって……あなたに中学生の子供がいるのは無理があるんじゃないですか?」
「そうか? いてもおかしくない年のつもりだが」
「うそだろ」


十六歳で結婚した十二歳の子持ちだとしても最低で二十八歳。おかしくない年齢ということは三十を過ぎているかもしれない。

思わずまじまじと相手を観察する。ニヒルな口調や目を細めた時に一瞬現れる小ジワは、確かに見た目以上の年齢なのかもしれない。何より、そういう説得力を感じさせる空気を持っている。さっきまで間延びした馬鹿みたいな話し方をしていたとはちょっとも想像つかない、何とも言えない強烈さを持った女性だ。


「姉というには図々しいかと遠慮してみたが、そうか、母親か……」


赤信号に捕まって一旦停止。エンジン音が止み、静かになった車内でその独り言はよく聞こえる。感慨深い響きを持ったそれが、まさかの鋭角急回転で僕の理解を通り過ぎていくなんて。


「少し前の言葉を借りれば、こういうのをママ活と言うんだったな」
「は?」
「なるほど、ではこうしよう。君の家の近所のコンビニまで案内してくれ」
「はあ?」


何だ、何を言ってるんだこの人。

ここでやっと、そう、やっとだ。やっと僕はさっきのヤツらよりヤバい人間に捕まったかもしれない可能性を考え始める。

降りようかと思った車は青信号であえなく発進。タイミングを逃した。どうにかしてこのヤバい空間から逃げ出さなくては。


「ママ活ではデートの対価を支払わなければならないと聞くが、君は私に何を求める?」
「意味が分かりません。そんなのどうでもいいからすぐに降ろしてください」
「降ろしてもいいが、ここはまだシブヤ・ディビジョンだ。あの無作法者のテリトリーなんじゃないか?」
「うぐっ」
「彼らは人違いに納得していないようだったからな。ここは大人しくお母さんの車に送られてくれないか、リョウくん?」


何がお母さんだ。そんなの……もうほとんど覚えていないっていうのに。会って数分で母親面されたって気持ち悪いだけだ。


「だ、だいたいなんだよ、その、リョウくんって」
「リョウタっぽい顔だったから。ジュンっぽい顔でもあるな」
「ほんと、ワケが分からない……」
「この世にはそういう人間もごまんといるさ」


自分で言うな、自分で。


「ごまんといる人間の中で、あんなどうしようもない人種に自ら関わっていく君も、私としてはワケが分からない」


急に刃物を突き付けられたような寒気がした。

危険だと分かっていてヤツらに近付いた。それは、いち兄がいつもやっていることだから。虎穴に入らずんば虎子を得ず、だ。価値のある情報ほど危険を冒してでも取りに行かなければならない。危険を渡り歩いて初めていち兄のような強い男になるんだと。そう決心して、このザマだった。

悔しい。

今の自分も、見透かしたようなことを言う彼女にも、抑えきれない羞恥が湧いて、減らず口が自動的に始まってしまう。


「……あなたなんて、子供を捕まえて説教したいだけの年寄りじゃないか。今僕が騒いだら即刻児童買春容疑で逮捕ですけど、いいんですか?」
「ああ、だからママ活だ」


相手は動揺するそぶりもなく、運転の片手間に懐から取り出した長財布をこっちに投げてくる。とっさにキャッチすればズッシリとした重量感が両手に乗っかった。


「生憎と現金を持ち歩く習慣がなくてね。所持金がいくらか忘れてしまった。君の目で確認してくれないか」


ゴクリ。

唾を飲み込む音が大きく聞こえた。言われるままにそっと財布の中身を検めると、十万円ごとの束が3つ、ふてぶてしく収まっている。財布を持つ手が震えた。こんな大金を見て触ったのは生まれて初めてだったから。


「ほら、ママの財布だ。好きなだけお小遣いを持っていくがいい」
「バッ、バカにすんな!!」
「馬鹿にはしていない。対等なビジネス相手として対価を払おうとしている」
「び、ビジネス? はあ?」
「君を安全なところまで送り届ける権利が欲しい。その権利にママ活という契約を結ぶことで正当性を持たせたい。意味が分かるか?」


わ、分からない……。この人との会話はずっと分からないことだらけの連続だ。


「それに、対価を受け取れば警察を呼ばれても共犯関係ということで君を道連れにできるしな」
「……は、はは。なんだよ、それ」


威圧的で、突き放した物言いで、からかってる風でいて、変なことにこだわって、ママ活だの突拍子も無いことを言い出す。年齢不詳の変な大人の車に乗って、僕は何を振り回されているんだ。

急にドッと疲れて、座席に思いっきり体を預けた。そう言えばちょっと前までヤバい追いかけっこをしてたんだ。あんな怖かった記憶もすぐに塗り替えてしまうほどの強烈な人間が僕の隣に座っている。変な笑いも出て来るはずだ。


「で、君の家の近所のコンビニを教えてくれるか? 駅でもいいぞ?」


からかい混じりのそれに、僕は重いままの財布を突き返した。


「……イケブクロ・ディビジョンの、適当なコンビニに、お願いします」
「了解した、リョウくん」
「好きにしてくださいよ、お母さん……」


お母さん。やっぱり言い慣れない言葉だ。これからもきっと、そうなんだろうな。

その時、横目でチラッと見た“お母さん”の笑顔は、悪戯が成功した小さい子みたいに可愛らしかった。

だからかもしれない。


「憧れてる人がいて、その人みたいになりたくて、いろいろ真似してみたんです。でも、ダメだった」


僕は、いち兄にも二郎にも、クラスメイトにも先生にも、世界中の誰にだって言えなかった悩みをこぼしてしまった。

そう、まるで親に相談する子供みたいに。

弱音と愚痴の吐露が粗方終わった頃に車は見覚えのあるコンビニに停まった。ちょうど学校と自宅の真ん中にあるコンビニで、この人は最初から僕のことを知っていたんじゃないかって疑念が湧く。それももうどうでもいいことだったけど。

「ちょっと待ってろ」の一言を残して彼女がコンビニに入っていく。時計を確認すると車に乗ってから三十分くらいしか経っていなかった。体感より全然短い。一時間くらい経ったと思っていた。

彼女は言葉の通りすぐに帰ってきて、尊大な態度とは裏腹にうやうやしく助手席のドアを開けてくれる。片手にはホカホカと湯気を立てるビニール袋。


「まだ帰っていないとは思わなかった。やはり素直な子供だな、君は」


ムッとした。反面、その通りだとも思った。この人は本当の僕の母親ではないのに、何故親の言いつけを守るように大人しくしていたのだろう。


「憧れの人の真似をして上手くいかなかったなら、真似じゃない別の方法を模索する。オールマイティーなんてものは得意なことを伸ばしてから目指すものだ。まずは自分に向いているやり方を探すんだな」


その答えを提示するように、彼女は僕の頭を撫でた。正確にはポンと軽く叩く動作に近かったかもしれない。


「兄弟で仲良く食べなさい。おやすみリョウくん」


そう言って、呆気なく白い外車は走り去った。

結局財布を突き返した僕に対するママ活とやらの対価なのだろうか。僕の手の中に残ったのは、ついさっきコンビニで買ったらしい肉まん3つ・・


「リョウくんじゃないって、知ってたんじゃないか」


山田一郎の弟で、三兄弟だって知ってたんじゃないか。

それが嬉しいのか、悲しいのか、──寂しいのか。

リョウくんじゃない僕には、よく分からない感情だった。



***



「あ、お母さん」
「は?」
「え?」
「ハァ!?」
「はい?」


ちょっと待って修羅場はやめて。

中王区の各ディビジョン代表が泊まるホテルのロビー。何回目かのバトル開催で一二三に会いに来たところで出くわしたブクロの三兄弟。私の隣にはスーツ姿の一二三。そして突然投下された三郎くんからのお母さん呼び。ワケ分からん。誰かこの状況説明プリーズ。

全く同じ表情で私をポカンと凝視する長男次男と、「名前さんが、子持ち? しかもBuster Bros!!!のってことは、山田一郎はいくつの時の子供だ?」とブツブツ混乱している一二三。そしてちょっと不安そうにお目目ゆらゆらし始めた三男。えっ、めっちゃくちゃ可愛いな美少年かよ。美少年だったわ。

どこかでお会いしましたかー? とも聞けず記憶を洗い直すこと十秒。


「あ、ジュンくん?」
「リョウくんですよお母さん」


記憶が戻る前に補導した中学生、山田三郎でしたわ。たはー。

前の私なんなん? 何キャラなん? カッコいいのか頭おかしいのかハッキリしろ?

この後三郎くんに可愛らしくお礼を言われてーの、ママ活について長男次男にバレてめっちゃ睨まれーの、一二三から涙目で質問責めにあいーの、五人で焼肉行きーの、財布出しーので丸く収まりました。他人の金で食う焼肉は美味いもんね、分かるわー。

……あれ、結局ママ活してね?



企画へのご参加ありがとうございます! フロムアンダーグラウンドで他ディビジョンとの絡みでした。絡み、の二文字からママ活に着地する謎の飛躍力を発揮してしまいました、失礼しました…。本編で出す予定がないキャラにしようと三郎に出張ってもらったのですが、これがifか番外編かはまだ決めかねています。どちらかはお好みで受け取っていただければ、と。最後駆け足になりましたが楽しんでいただけたら幸いです。素敵なリクエストをありがとうございました!

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