if/もしも主人公が男だったら



『女の子だったら良かったのに』とは、生まれた時から何度も聞かされた母の言葉だ。


「飴村さん、あの、すいません」
「ええ〜? なんで謝るの? なんでなんで?」
「その、面倒をおかけして……」


ピンク色の髪の毛が目にも眩しい男の子……に見える男性。飴村乱数という人は、名前だけじゃなく経歴も中身もぶっ飛んだ人らしい。俺より二つ上という童顔はくるくるキラキラ表情が変わって目まぐるしい。


「あっ、そっか。もしかして名前、ラップ経験ゼロなこと気にしてる? イマドキ珍しいもんね〜天然記念物ぅ〜」
「ははは……」


自己紹介の二言目で下の名前を呼び捨てされて面喰らったものだ。感嘆にも煽りにも聞こえるセリフに苦笑がこぼれる。

母方の叔母の無花果姉さんは、大学卒業祝いだと言って俺に一本のマイクを贈ってきた。

前世で握ったことのあるカラオケのマイクと同じようでいて、ものすごいハイテクが詰まっているらしい。こともなさげにポイッと投げられて慌ててキャッチしたのがついさっき。そのついでに飴村さんを紹介されて、すぐに中王区の外へ追い出された。母さんも無花果姉さんも相変わらず扱いが雑だ。

いつの間にか死んで、生まれ変わったこの世界は男がラップをすることが嗜みである世界だった。それが常識として急速に広まったのは近年とはいえ、常識は常識だ。リリックを考えるどころかラップ自体あまり聞かない自分にとって、マイクを渡されてライムを踏めと言われる無茶ぶりには肝が冷えた。無花果姉さんの一見冷たい視線は、本気でラップができない俺を心配していた。見下されたり蔑まれたりするよりも憐れまれる方が堪えることを身を以って知った。

中王区を出てから飴村さんのテリトリーであるシブヤ・ディビジョンに着く。

どこに行って何をするとか説明もなく、ただヒプノシスマイクの使い方を教えると言われてのこのこ着いて来てしまった。フンフンと鼻歌を歌いつつ道行く女性に手を振ったりして、本当に人気のある人なんだなあと実感した。


「飴村さん、これからどこに行くんですか?」
「え〜? 無花果お姉さんから聞いてないのぉ?」


いつの間にか握られていた手首。小柄なのにすごい力で引っ張られてずんずん人混みの中をすり抜ける。えっ、えっ、と狼狽える間にゲームセンター横の隙間に入って、そこから人通りがどんどん減っていく。そしてやっと飴村さんが立ち止まった場所は居酒屋の室外機だらけで業者以外誰も来ないような裏路地だった。

戸惑う俺なんかどうでもいいというように、手を離した飴村さんがにぱっと笑う。その手には小さな女の子が持っていそうなパステルカラーのマイクが握られていた。


「じゃ、頑張ってね」


そこからの記憶はない。



***



「はっ、はっ、はぁっ」


喉がヒリヒリする。

いつから、どこからか。とにかく誰かがついて来ている。ずっと。追い立てるように走ったかと思えば靴音を聞かせるようにゆっくり歩いたり。途中からこっちを怖がらせる目的でついて来てるんだと気付いてから生きた心地がしなかった。

早歩きがだんだん小走りになって、いつの間にか全速力で走っていた。

怖い。


『名前ちゃんが女の子だったら良かったのに』


怖い。


『そうだったら、親子一緒に同じところに住めたのに』


怖い。


『残念だわぁ』


母さんに捨てられるのが、ずっと怖かった。


「っ、れ?」


何を怖がっているんだ?

頭の中でグルグル聞こえる声。母さんの声。無邪気に、素直に、人差し指で蟻を潰す手軽さで、プチプチと。何かが減っていく気がした。女じゃないことの何が可哀想なことだったんだろう。俺の何が悪いんだろう。


「憐れだな。いい歳した大人が親離れすらできないとは」


今度は知らない声だった。


「いや、逆か。向こうが子離れできないのか」


ビールケースに蹴躓いて体勢を崩す。

たたらを踏んで、何とか持ち堪えて、でも走る気力は完全に削がれていた。まだ走れるのに、せっかく転ばなかったのに。膝から力が抜けて、結局地べたに座り込む。


「いつも下郎だ野蛮だと散々蔑んでいる男を、生まれた時から調教して──虐待して。顔色ばっか伺う薄っぺら人間に育てておいて、一端の人間に調伏してやったと良い気になってやがる。捨て犬が気まぐれに与えられた餌に尻尾を振るのが、楽しくて仕方ないんだろうな。ハッ、なんだそれ。まともな感性じゃないな」


すぐそこまで来ていた誰かが、人が、人影が、覆い被さるように腰を折って、真上から唯一見える目がギョロリと俺を見下した。


「お前の親、クソ以下かよ」


“キュィィイーン……”







「えっ」


手の中のマイクから何かが生えている・・・・・

何かっていうか……蔦? 枝? 植物の生長を定点カメラで観測したように、鈍い金色がマイクから手の甲、腕に、肩にと纏わりついて、上半身を中心にして外へ外へと枝葉を伸ばした。そして両腕の長さ程度に伸びきった枝の先で、まるで果実のように丸いスピーカーがいくつも実った。


「えっ」


ナニコレどんなファンタジー?

ハイテクどころの騒ぎじゃない。持っていたマイクは、何かアンティークな鈍い金色になってるし、巻きついてる蔦は触った感じまんま金属だ。それにしたって質量保存の法則とか金属の展性とか延性とかどうなってるんだ? 無花果姉さんは俺に何を渡した?

というかここどこ?

シブヤ・ディビジョンのスクランブル交差点はどこにも見えない。センター街でもない。どこか奥まった、パチンコ店の裏手か? そこで俺は何を……確か、飴村さんとシブヤ・ディビジョンに来て、途中で逸れて、変な人に母さんの話をされて……なんで俺ん家の家庭事情の話になるんだ? あれ?


「あーあーダメじゃん」


いつの間にそこにいたのか。すぐそばに立っていた飴村さんが、慣れた手つきで棒付きキャンディの包装をペリペリ剥がしている。


「せっかくヒプノシスマイクを起動したんだから、自分が思うままにリリックを刻まないと!」
「り、りりっく?」


えーと、つまりラップをしろと? そのためには韻を踏まないといけないんだよな? 韻……漢詩の五言みたいな?


「えー、“ヘイヨー、俺はいま二十二、両親に育てられた十分に、たくさんありがとう言いたい二人に、だからあんま口出すな人の家庭に、YO”?」
「ぶっっっ」


めちゃくちゃ笑われた。


「こんなっ、こんなんでもちゃんと拾ってくれるスピーカー、すごいっ、健気っ! ヒプノシスマイクってマジやっばい!」
「だ、誰だって初めてはあるじゃないです、か……!」
「あはは、ひぃ、ムリッ、名前テンサイだよっ、ふふふふ、ふっ、ゲホッ!」
「笑いすぎです飴村さん!」


笑いすぎてむせ始めた飴村さんに対してこっちは真っ赤になってる自信がある。ラップしろだなんて無茶ぶり一発芸にも程があるって言うのに、これが当たり前なこの世界がおかしいんだ。


「はぁ、面白かった! じゃあ、今日はもう帰ろっか!」
「帰る? シブヤ・ディビジョンで何か、ラップの練習するんじゃないんですか?」
「うん、もう済んだから!」


済んだ? 即興ラップで爆笑されること以外に何かした記憶がない。

女の子と見紛うばかりの可愛らしい顔でキャンディを舐める飴村さん。良く分らない人が世の中にはいるんだなあと、勉強になった一日だった。


「あっ、そうだ。これ僕の連絡先。あとで連絡ちょーだい!」


うそだろ。



***



「どうだった」
「うん! ヒプノシスマイクはバッチリ起動したよん!」
「ほう?」
「た・だ・しぃ、ラップバトルには向いていないかもねぇ。名前のラップはぁ、攻撃力ゼロの完全サポート型! あんなヘロヘロなフローでも元気モリモリ! ちゃーんとパワーアップしたしね!」
「なるほど、神宮寺寂雷のタイプか」
「ジジイみたいな回復効果はないけどね……それで、どうするの?」


わあ、ここで黙っちゃうなんて。無花果お姉さんにもカゾクアイってヤツがあったんだ。意外〜。

着かず離れずの距離で、成人しても面倒を見ていた甥っ子が、社会人になる節目に自衛手段をあげて、それでも起動してほしくないなって気持ちもあって、いろいろ確かめるためにわざわざ僕を使うんだもん。

だってヒプノシスマイクが起動するってことは、男としての凶暴性を兼ね備えていることの証明だ。

相手への敵意を言葉に乗せてスピーカーで拡散する。甥っ子がそんな人間じゃないことも確かめたいし、でも無防備なまま泳がせるには中央区外は危険だし。フクザツな乙女心ってやつ? 無花果お姉さんかわいい〜。名前愛されてるぅ。

ま、結果は起動しちゃったわけで、でも能力は他人のパワーを底上げするだけ。自分一人じゃ何にもできないビミョーな効果だし。

マイクが起動しただけでアウト? それとも能力的に攻撃できないからセーフ?

ドキドキ。
ワクワク。
ソワソワ。
ハラハラ。


「貴様には関係ないことだ。下がれ」


うん、教えてくれるわけないよねぇ。


「えー!」
「うるさい。さっさと出ていけ」
「無花果お姉さんのケチ!」
「飴村」
「……仕方ないなぁ! じゃあね、無花果お姉さん!」


分かりきっていた答えに対してここぞとばかりに駄々をコネコネして、本気で怒られる前に部屋から逃げ出す。割に合わない仕事をしたなぁ。

ふとポケットの中のスマホが震えて、名前からのメッセージが通知画面に浮かび上がった。他人行儀な文面〜。嫌なら連絡しなくてもいいのに、無視することもできないくらい素直なイイ子ちゃんで、誰かに逆らおうって考えすらないんだね。


『何も知らないくせに』


そんな人間から一瞬だけ漏れた敵意。

幻覚に追い詰められて言い返した、たった一言で発芽・・したヒプノシスマイク。キッカケは家族を馬鹿にされたことだなんて、お綺麗すぎてビックリしちゃう。形を持って出て来たスピーカーもアクセサリーみたいに綺麗な金色だったし。

というか、あのスピーカーって何をイメージしてるんだろうね。金色ならシンプルに林檎かな? 三人の女神たちが争った原因の黄金の林檎。食べたら不死になれるっていうアレみたい。まじファンタジー。

……もしかしたら、別の果実かもしれないけどね!


「それこそ皮肉だな」


誰もいない廊下で、誰にも聞かせる気のない独り言が、妙に弾んで聞こえた。



企画へのご参加ありがとうございます。プニカでもしも主人公が男だったら、でした。女の場合は必要以上に持ち上げられる居心地の悪さで後ろ向きですが、男の場合は家庭内モラハラで無自覚に精神不安定気味です。その分、母親と無花果姉さんが過保護なので結果女の時と変わらない不安定さかと思われます。ちなみに乱数くんが言っている別の果実は無花果のことです。ヒプマイ夢で初めてラップ()を書いた緊張感がものすごいお話でした。素敵なリクエストをありがとうございました!

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