銃兎とバレンタイン



今年の二月十四日は平日だ。平日の警察官、組織犯罪対策部という仰々しい名前の部署に定時帰宅なんて言葉はあるのだろうか。

なんて疑問が湧いたのは、バレンタインデー当日の仕事終わりにデートに誘われたからだ。


『十四日の夜は予定を空けておいてくださいね』


いつも通りスマートに誘われて、私は何も考えずに頷いていた。銃兎さんからのお誘いを断るのはプロポーズの一件でかなり慎重になっている。それを抜きにしても、会いたいと思ってもらえるのは嬉しいことだし。

銃兎さんは手作り料理に何か一家言あるらしいので、手作りチョコは自重して今年の新作を購入。多分そんなに甘いのが好きでもなさそうだし、華やかさよりシンプルさを考慮してボンボン系が多めの六粒入りのブランドチョコだ。箱のデザインが職場で配った義理チョコに似ているのに気が付いて、慌てて赤いリボンを巻いた。ちょっと歪んでいるけど、まあ、リボンなんてすぐ解くだろう。うん……うん……。

……なんでこんなに緊張するんだろ。

ヨコハマディビジョンの駅まで電車で着いてからも妙にそわそわする。仕事終わりで服装はいつものオフィスカジュアルだけど、会社の化粧室でヨレは直したし、グロスもお気に入りの可愛いヤツを塗った。さっき駅のトイレでも確認したから大丈夫。大丈夫なのに、前髪のポジショニングが気になる。

何となく、バレンタインデーにチョコ持ってデートの待ち合わせといういかにもな雰囲気が、こう、ざわざわするというか。周りとの馴染めなさに混乱している内に思春期らしい思春期を送れなかったせいで、成人してから思春期みたいなこと始めちゃってるのかもしれない。なにそれ恥ずかしい。

時間を確認した後、真っ暗になったスマホ画面には緩んだ顔が映っている。慌てて真顔を作ったものの、恥ずかしさで居た堪れなくなった。

銃兎さんと会うまでに元に戻らなければと、とりあえず駅中のコーヒーショップに入ることにした。温かい物でも飲んで落ち着こう。







銃兎さんが来ない。

待ち合わせから既に二時間は経っている。マナーモードにしたスマホはテーブルの上でずっと沈黙。緩んでいた顔は完全に落ち着いてしまった。電話もメールもメッセージアプリも通じないとなると、仕事でトラブルがあったのかなあ。

……やっぱり平日の夜に無理して予定を入れたのがいけなかったんだ。

そろそろレジから感じる視線が痛い。確認すれば閉店時間のギリギリだ。ああ、店員さんも早く帰りたいんだ。すっかり冷めたソイラテを飲み干して返却カウンターに持っていく。自動ドアの外は駅中とはいえ店内よりは少し肌寒い。

終電まで粘ろうか。せめて、連絡がつくまで。幸いチョコの賞味期限も差し迫ってない。今日は渡せなくても週末にちょっと会って渡せれば全然大丈夫だ。むしろ平日だろうがバレンタインは当日に会わなきゃいけない、なんて空気にして銃兎さんに気を遣わせた私が悪い。

もう学生でもないのに、思春期拗らせて浮かれた私が悪い。

だから、こんなことで裏切られた気持ちになるのはおかしいでしょ。


「名前さんッ!!!!」
「はい!?」


ちょっと泣きそうになった気持ちが、駅中全体に響くほどの大声で叫ばれて全部吹っ飛んだ。


「お待たせっしてっ、すいません!」
「は、はい」
「連絡もせず、こんな時間になってしまって、ゴホッ」
「銃兎さん、いったん落ち着きましょう」
「ハァ、すいませ、」


さっきの音量はどこから出したんだろう。そう不思議に思うほど息を切らした銃兎さんがこちらに走り寄って来る。いつも丁寧に整髪料で整えている髪型とか、きっちり首元まで締められているネクタイとか、できる男の代名詞のような見た目がちょっとずつ崩れていて、本当に急いで来たことが一目で分かった。

それだけで、揺らいでいた気持ちが簡単に落ち着いてしまった。私、チョロすぎでは?


「ここは寒いので車に移動しませんか。外に停めてあるんです」


意外と早く復活した銃兎さんが眼鏡をくいッとかけ直す。いつも大人の余裕と色気で押せ押せな銃兎さんの、ちょっとバツが悪そうな顔が珍しい。本気でテンパってたんだろうなあ。行きましょうと優しく背中に手を添えられて、あっと、言い忘れていたことを思い出した。


「お仕事、お疲れさまです」


銃兎さんのポカンと口を開けた顔も珍しかった。







「今日はこちらからお誘いしておいて待たせてしまってすいません。帰りがけに左馬刻のヤロッ……急な通報がありまして。アクシデントでスマホも壊してしまい、連絡ができず──いや、言い訳なんか聞きたくないですよね。どんな理由があろうと、名前さんを不安にさせていいことなんてありません。本当に申し訳ありませんでした」


ヨコハマの夜の街を走る車内。いつになく下手に出た銃兎さんが重ねて謝罪をしている。今日の遅刻は本当に落ち込んでいるらしい。

私としては銃兎さんが来てくれただけでもうチャラというか、むしろプラスというか。車内という狭い空間に二人きり、なんてもう何度も経験しているのに、今日のそわそわ感が急にぶり返してきて落ち着かない。


「名前さん?」


赤信号に捕まって、銃兎さんの視線がチラとこっちを向く。


「軽蔑、しましたか?」
「えっ!? いいえ、そんな、銃兎さんを軽蔑なんて」
「ですが、先ほどから口数が少ない気が」
「あっ、ええっ、それは、不可抗力といいますか」
「何か言いにくいことでも?」
「言いにくいことと言いますか、」


バレンタイン効果で急にあなたの隣にいることが恥ずかしくなりましたとか言えるわけがない。

今度は私がさっきの銃兎さん並にテンパり始めた、その時。

きゅぅぅぅ〜〜……。


「…………?」
「…………っ」


生まれたての子犬のような鳴き声がどこかから聞こえてきた。

えっ。俯き気味だった顔がそろっと音源を探す。あちこち彷徨わせた目が、最終的に隣の真っ赤な顔でコメカミを抑える銃兎さんに行きついた。

……えっ?


「す、すいません……」


じゅ、銃兎さんのお腹の虫さん、ですか……。


「ああ、クソッ。カッコつかねぇ」


エンジン音でギリギリかき消されなかった声が届いて、銃兎さんが本気で恥ずかしがっていることを理解する。よっぽどのことがない限り崩れない慇懃な口調が、碧棺さんにくらいしか使わないワイルドな低い声に変わっていた。

や、やめて! 今は何でもカッコよく感じるからやめて!

今日は初っ端から草臥れててちょっと雰囲気の違う見た目とか、弱っている態度とかワイルドな口調とか、普段のスマートさとのギャップでなんだかドキドキする。バレンタインの思春期脳で胸のときめきがいつもの比じゃない。

私、この後に面と向かってチョコ渡せる?

手作りじゃなくてもチョコはチョコ。バレンタインに渡すなんて愛の告白と同義だ。この妙に緊張して震える手でそんなこと、できるわけがない。でも渡さないのも嫌だし。えっと、どうすれば……あっ。


「銃兎さん、お食事までの繋ぎにお菓子はいかがですか?」
「?」


赤信号が青信号に変わって、銃兎さんの意識が前に向かう。よし、今だ。

カバンに仕舞っていたチョコを取り出して、自分で結んだ不格好なリボンを外す。シンプルなデザインの箱を開けるとカカオのほろ苦い香りが車内に広がった。さっきのコーヒーショップで手は洗ったし、大丈夫、だよね。

運転中なので一応ボンボン系は避けて、オレンジピールが入ったチョコを摘まんで、運転中の銃兎さんの口元に近付けた。


「ぁ、あーーん……っ!」


あれ? これはこれで恥ずかしいのでは?

そう自覚したのと同じくらいのタイミングで、車が急にウィンカーを出して人通りの少なそうな道に逸れて停車した。


「え、銃兎さん?」
「運転中に可愛らしいことは止めてください」
「はい?」
「現役警察官を事故らせる気ですか」
「あ、そうですよね、すいません」
「だいたい、そのリボンを解くのは私の楽しみだったのに、勝手に解いて──ハァ、今年のバレンタインはお互い反省ですね」
「そ、そうですね?」


あれ、銃兎さん急に元気になってない?


「ところで、」


突然の変化に置いていかれた私をよそに、手袋を外した手が私のチョコを摘まんでいる方の手首をやんわりと掴む。ついでとばかりに手の甲を指の腹でスリっと一撫で。変な声が口から飛び出た。



「今、私は運転中じゃありませんよ?

────可愛らしいこと、してくれませんか?」



草臥れている銃兎さんは、いつもの三倍色気のごり押しだった。



企画へのご参加ありがとうございます! プニカで銃兎さんとバレンタインを過ごす話でした。大事な時に邪魔が入って格好が付かない星の元に生まれた銃兎とイベントごとほど思春期拗らせる主人公のバカップルを意識しました。楽しんでいただけたら幸いです。お祝いコメント共々、素敵なリクエストをありがとうございました! これからもお付き合いよろしくお願いします!

← back
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -