if/もしも時透双子の妹だったら



時透有一郎には家族がいる。

優しすぎるほどに優しい父母、双子の弟の無一郎、


「にぃ、にぃ」
「なんだよ」
「だいこ、きゃわ、はいだ」
「はぁ、大根の皮は“剥いた”だ。剥いた」
「だいこ、むいた」


頭がおかしい妹。

名前は言葉が不自由だ。赤ん坊の頃はぼんやりと何も喋らない子で中身があるのかも怪しかったが、父母はあれこれ心配しながら世話をする手を止めなかった。その甲斐あってか、名前は四歳にしてようやく言葉を話した。


「にぃ、むぃ、だいこ、ひ、ひ」
「火じゃなくて煮るって言うんだよ。煮、る!」
「にりゅ。だいこ、にゆ」
「はぁ……」


名前は舌足らずなわりに体だけは丈夫で、四歳にして十歳の有一郎や無一郎と同じだけ動く。加えて刃物の扱いが恐ろしく上手いため、忙しい母の代わりに包丁を持って野菜を切る役割を担っていた。

しかし流石に火起こしはできない。肺が未成熟でいくら息を吹き込んでも火をつけられた試しがない。なので有一郎か無一郎が代わりに火起こしするのが通例だった。


「にぃ、にぃ」
「うるさい。俺じゃなくて無一郎のとこにでも行ってろ」
「う、むぃ?」


山の仔兎のように丸い目が外と有一郎を行ったり来たりする。煩わしさを隠さず手を振ると短い足で外に走っていった。

ある時、珍しく時透家に人が訪ねてきた。普段は山の麓の村に木を卸すので、他人を目にする機会は滅多にない。直接話をつけに来た男は最近村に住み始めたのだと顔を見せに来たらしい。


「頭の障りは育てないと分からん。とんだ災難だったな」


男は名前に対して痛ましいものを見る目をした。

手足の欠損や皮膚の異常など、目視で分かる障りを見つけた産婆は赤子を産湯に浸けずに捨てる。産湯に浸けるまでは人間ではない。人間ではないのだから殺すも何もないのだと。そういう考えが一般的であり、頭の障りは赤子の内に殺すことができなくて可哀想だと、男はそう言いたかったのだ。

もちろん有一郎はそんなこと知らなかったが、妹に向けられた目をずっと覚えていた。

有一郎は妹のことが好きじゃなかった。妹のことで両親はいつも頭を悩ませているからだ。悲しい顔で『名前は大丈夫かしら』『将来お嫁に行けるかどうか』と不安を吐露する母と、なんの根拠もなく『大丈夫だよ、私たちの子供だもの』と慰める父。加えて今回の件で父母はまた心を痛めた。名前がいなければ起こらなかった葛藤を不必要なほどに繰り返している。

“コイツのせいで、父さんと母さんが苦しんでいる。”

次の日、有一郎は名前に手を上げた。延々と、唾を飛ばすほど息を吐いて、どうにか火をつけようと竃の前でしゃがみ込んでいる妹。いつまでやっているつもりかと、丸い白頭を思いっきり叩いた。

妹は泣かなかった。

何が起こったのかも分からず、地べたに転がって屋根裏を見上げている。有一郎が近くにいるのに気付いても、首をこてんと傾けたきりで何も言わなかった。言葉が分からないだけでなく、怒ることも泣くことも分からない。これを人間と言えるのか。

有一郎がしたことは家族には伝わらなかった。小さな妹にした非道を誰も咎めることはない。都合が良かったはずなのに、有一郎はずっと据わりが悪い心地であった。

男の目の意味と、名前に対する苛立ちと。ぐるぐると混ざり合った末の暴力。

あれは、打ちどころが悪ければ死んでいたかもしれない。


「兄さん。名前、あったかいよ」


その晩、眉間のシワが取れないまま寝る時間になり、いつものように三人で同じ布団に入った。無一郎は能天気に名前を抱きしめている。寒い夜だった。有一郎は不機嫌な顔のまま、同じように名前に身を寄せる。じんわりと肌から肌に移ってきた熱。ほぅ、と息が出て、肩から不要な力が抜けていく。


「あったかいね」
「……ああ」


あったかい。

今日の昼間に大きく振り上げたばかりの手で、おもむろに子供の頭を撫でる。白い髪は大きくなるにつれ伸び、耳の下まで滑らかに流れている。有一郎や無一郎とは違う髪質は触っていて楽しく、「うう、うー」と抗議の声を上げられるまで有一郎は無心で撫でて梳いて遊びつくした。

あの夜に灯った胸の暖かさの正体を知ったのは父母が死んでからだった。

有一郎と無一郎。十歳の子供二人だけで生きていくことは厳しく難しい。そこに四歳の名前が加わり、ようやく自分が振るった暴力の意味を理解し始めたのだ。

有一郎では妹を守り切れない。
守っていける自信がない。

この山を出て他の人間の中に放り込めば、きっと妹はあの男と同じ目をたくさん向けられる。『可哀想に』『生まれてくるべきではなかった』『殺してしまえばよかったのに』今の妹は傷付く心さえ持ち合わせていないけれど、成長すれば変わるかもしれない。心を得れば、傷付くばかりの日々が待っている。だから今の内にどこかにやってしまおう──殺してしまおう。『殺してしまえばよかったのに』赤の他人に言われる前に有一郎が。

理解して、怖かった。

あの時は父母が健在で、人が死んだらどんな気持ちになるのかなんて分からなかった。知らなかったから、妹を殺してしまおうなどと恐ろしい思考に至った。有一郎は自分が怖かった。なんて非道な人間なんだと、本当にあの優しい父母の子なのかと。泣いて逃げ出したくなった。けれど有一郎の家族は無一郎と名前の二人しかおらず、帰る場所はここしかない。最近は鬼殺隊などといういかがわしい集団の使いが真偽のほども分からぬ文言で誘いをかけてくる始末だ。簡単に取り入られかけた無一郎を正気に戻さなければならない。

どこにも逃げられないし、弟妹を置いていくこともできない。

有一郎は兄だ。亡き父母に似てお人好しで素直な弟を、殺そうとした負い目がある幼い妹を、どうやっても守っていくのだと。会話が成り立たなくなり布団が別になっても、我武者羅に生きてきた。

生きていきたかった。


「無一郎……名前……」


夏の蒸し暑い夜。戸は開いていた。開いていたから、入ってきた。

始めに目が合った有一郎。感じたことのない熱。悲鳴を上げた無一郎。「無価値」誰がそんなことを言ったのだろう。板間に顔を打つ。熱い。目が回る。悲鳴。雄叫び。行くな無一郎。逃げてくれ。頼む。名前を連れて……。

失血した衝撃で僅かな間、有一郎は意識が飛んだ。それでも左腕の痛みで勝手に目が覚める。自分がどんな状況なのか。弟妹はどうしたのか。いや、この静けさでは結果が見えていた。喰われたのだ。あの化物に。理解と同時に生理的なものではない涙が頬を伝った。

絶望的な状況でも、祈らずにはいられないのが人間だ。


「おねがいします、かみさま」


無一郎は何も悪いことをしていません。
俺と違って良い子なんです。
名前は何も悪いことをしていません。
俺のせいで可哀想な子にしてしまったんです。
俺と違って。
俺のせいで。
俺だけが悪いヤツだったんです。
俺が死んでもいいから、弟と妹を助けてください。
お願いします。
お願いします。
神様、どうか。


「にぃ」


声がした。

有一郎のうわ言が止まる。すると、今まで聞こえていなかった音が耳に届く。火の粉がぶつかって爆ぜる音。有一郎がいつもやっていた竈に火をつけた後に聞こえる音。どうやって火起こしをしたのだろう。無一郎は、ここにはいない。なら名前がやったのだろうか。あの息と一緒に唾を飛ばしてへたり込んでいた子供がいつの間にか火を起こせた。役立たずじゃなくなった妹の成長に、場違いにも有一郎は感心してしまった。

柔い幼児の手にいつもの包丁を見て、余計に。

──仕返しだ。

瞬時に過った考えに乾いた笑いが漏れた。


「にぃ」


それにしたって刃物はやりすぎだろう。

言ってやりたかった口の中に布団を突っ込まれ、目を白黒させている内に耐えがたい苦痛がやって来た。さっきと比べ物にならないくらいの暴力的な熱。ぐるりと目が回って、有一郎は今度こそ完全に意識を飛ばしたのだった。







有一郎は死ななかった。

何日も魘された気がする。とにかく左腕が痛くて熱くて苦しくて。汗をかきながら布団でのたうち回る日々を繰り返し、やっと意識が明瞭になると立派な屋敷の一室に寝ていることに気が付いた。

いかがわしい勧誘を繰り返していた鬼殺隊の所有する屋敷であると知ったのは、食事を持ってきたのが勧誘に付き添っていた子供だったからだ。

子供は膳を置くと慌てた様子で引き返し、連れてきたのは顔を患った男と、使いの女、そして、


「名前っ!」
「にぃ、はょ」


名前は短い足で近寄って、有一郎の布団のそばで膝をつく。どこを見ても傷は見当たらず、本当に無事であることが分かった。


「君は弟君と妹君のおかげで助かったんだ」


鬼殺隊当主、産屋敷輝哉と名乗った男は子守唄のような声でことのあらましを語った。

有一郎の左腕は化物──鬼によって肘の先から切断された。そこから血が際限なく噴き出し、あわや失血死しかけたところを名前が塞いだのだと。火を起こし炎で炙った包丁で傷口を焼いたのだと、輝哉は言った。

そして、有一郎がうわ言を繰り返している間にも無一郎は一心不乱に斧を振り下ろし、鬼が滅される朝まで時間を稼いだのだ。

四歳の子供にそんなことができるものか。あの弱気な弟にそんなことができるものか。胡乱な目を向けた有一郎に対し、名前は我関せず有一郎の左腕をベタベタと触っている。正直痛くて仕方ないが、不思議と止めさせようという気にはならなかった。


「無一郎は?」
「それが、困ったことになってね」


眉を下げた輝哉。逆に眉を吊り上げた有一郎。布団から抜け出そうと藻掻くも、本調子ではない体は一向に布団から離れない。


「落ち着いて。命に別状はないよ。ただ、記憶が混濁していてね、自分のことも……家族のことも分からないみたいなんだ」


じれったいほどにゆっくり療養した有一郎。産屋敷の家の子供と一緒に膳を運んで来て一緒に世話をして一緒に去っていく名前。(普段何をしているのかと聞くと、言葉の勉強と称して遊んでもらっているらしい)そんな日々を繰り返し、とうとう無一郎に会う日がやって来た。

無一郎は確かに様子がおかしかった。

微動だにせず空を見上げ、覇気もなく縁側に座り込んでいる。


「無一郎! 無一郎!」
「? 襖が勝手に開いた」
「無一郎! おい!」
「建て付けが悪いのかな。誰かに知らせないと」
「無視すんな!」


強く肩を押した有一郎。半歩後ろに下がった無一郎。しかし首を傾げ目をパチパチと瞬かせるばかりで、有一郎と名前を無視してどこかに行ってしまった。

無一郎は、兄と妹を認識できなくなっていた。


「くそっ、くそっ! 無一郎のくせに!」


踏み込み荒く当てがわれた自室に帰ってきた有一郎。遅れて追いついた名前。襖を閉めることもなく畳に膝をついて拳を打ち付ける。そうでもしないと、やるせなさで体が散り散りに壊れそうだった。


「なんで無視すんだよぉ……っ」


せっかく助かったのに、これでは死んでるのと変わらない。

無一郎の中で、有一郎と名前は死んだようなものじゃないか。


「にぃ、にぃ」
「うるさい、うるさい! お前なんか……っ!」


──お前なんか嫌いだ!

言ってやろうとして、言えなかった。

守ってやりたかった。
守れなかった。
守られたのは……自分だった。

この事実が有一郎から悪態をつく気力を奪っていく。喉の奥が熱を持ち、堪えきれない嗚咽が溢れ出た。


「にぃ、にぃ」


胸元に垂れる髪を一房、痛いほどに引っ張るこの手が、有一郎に残された唯一のよすがになってしまった。もしもあの時妹を殺していたら、自分は一人になっていた。……それ以前にあの鬼によって受けた傷で死んでいた。そして、何もかもを忘れた無一郎が一人、訳も分からず生きることになっていたのだ。


「……ごめんな」


一年前。父母がまだ生きていた頃、同じ布団で身を寄せ合って暖を取った。同じように身を寄せて頭を撫でる。──暖かい。


「ごめん、名前」


ずっと言わなければいけないことだった。

言わなかったのは、無かったことにしたかったから。自分勝手で妹を害そうとした過去を本当にしたくなくて、わだかまりつつも無理やりに飲み込んで無視してきた。自分が非道な人間だと認めたくなかった。

悪いことをしたのなら、まずは謝らなければいけなかったのに。


「生きててくれて、ありがとう」


ずっと一緒にいてくれて、ありがとう。

こんな悪い子の兄ちゃんでも、また一緒にいてくれるか?

きっと嗚咽混じりで明確な音にはならなかった。名前よりも言葉がおぼつかない有一郎。今まで見たこともないほど困った顔をした名前。「にぃにぃ」仔猫のように鳴いて髪を引っ張るばかり。「痛いだろ、くそっ」悪態をつきながら、ギュッと抱きしめても引っ張る力は弱まらなかった。それが名前にとって背中に手を回すのと同じことだと有一郎は知っていた。

白い頭の上に涙を落として、小さな妹を抱きしめ続けた。日が暮れるまでずっと、ずっと。







それからどうなったかというと。


「おはよう無一郎」
「おはよ、むい」
「…………」


スタスタと歩いて行く無一郎を見送って、二人は台所でご飯を作る。竃の火を起こすのは有一郎、野菜を切るのは名前。あの時火を起こせたのだから自分ですればいいものを、未だに火起こしは有一郎の役割だった。それが名前なりの甘えだと言ったのは輝哉だったか、あまねだったか。

あらかた朝食を作り終えると、名前は膳を持って行き、有一郎は右手で無一郎を引っ張ってくる。何がなんだか分かっていない無一郎はぼんやりとしたまま、いつの間にか置いてあった膳の飯を平らげる。ふろふき大根だけはちびちび大事に食べるところを見て二人は満足そうに頷いた。

有一郎と無一郎は十四歳、名前は八歳になった。

無一郎を任務に見送ると、有一郎と名前は産屋敷家の所有する屋敷に手習に行く。有一郎は片腕がなくてもできる仕事を、名前は産屋敷の子供たちと勉強をしているのだ。


「名前、帰るぞ」
「にいさん! ん! にちさ、ひなさ、きりさ、かなさ、くいさ、さよなら」
「気をつけてね、名前さん」
「またね」
「また明日ね、名前さん」
「ん!」


夕方に迎えに来ると、輝利哉と繋いでいた手を離し、とてとて走って有一郎に寄り添う名前。左腕の代わりとばかりに左側にぴったりくっつくので遠慮なく杖代わりに体重かける。それでもしっかり支えて歩くものだから、頭と違って体は丈夫だ。表情はあまり動かないが、手足はずいぶん感情豊かになったな、と何とは無しに感心した。

それにしても、


「お前、輝利哉さんと距離近くないか?」
「ん、すう、した」
「すう?」


ちょっとだけ唇を尖らせた名前。よく分からないが嫌な予感がするのでこれから注意しようと思った有一郎だった。

屋敷に帰ると夕飯を作り始める。任務に出た無一郎がその日のうちに帰ってくることは滅多にない。

有一郎はここに来てから二回ほど無一郎と喧嘩したことがある。一方的な癇癪とも言える口論だ。二人を認識できない無一郎と輝哉を挟んで会話した。一度目は鬼殺隊に入る時、二度目は柱に就任する時。そんなことのためにお前に生きてほしかったのではない。神様にお願いした意味がない。そう叫んだ有一郎を見ず、無一郎は輝哉を見た。『よく分からないけど、お館様の役に立ちたいから。恩返しもしたい。僕に大切なものはもうないし』何もかも中身が消えてしまった無一郎にとって、それは大事な新しい中身の一端であったから。結局、有一郎も納得するしかなかった。


「左腕があれば……」


一緒に戦って、今度こそ守れるかもしれないのに。

肘を過ぎたあたりから先がない左腕。もともと剣士としての研鑽を積んでいた者が片腕を無くすのと、片腕の人間が剣を習うのでは難易度が違うらしい。有一郎が無一郎のような剣士になるのは、恐らく無理だ。

悔しいような、ホッとしたような。複雑な気持ちでそれを見つめて、なんの気はなしに言った有一郎。すると名前は、しばらく感情の読めない目を向けたかと思うと、いそいそと火吹き棒を持ち出して有一郎の左腕に押しつけた。


「ふらっくす」
「は?」


は?

目が狂ったのかと思った。何故なら竹でできた火吹き棒が見る見る肌色に変化して有一郎の肘から先に張り付き、苔生こけむすように肥大化して滑らかな腕に姿を変えたのだ。

……左腕が生えた。

カランカラン。左腕はすぐに消えて、足元にはさっきの火吹き棒が転がっている。あれは見間違いか、と疑念を抱く前に、再び手に取った名前が何らかの意図を感じる動きを見せたから。その火吹き棒が有一郎の左腕になったのは本当のことだったのだろう。


「にいさん、てて、できた、ねぇ」
「は、はは……」


妹のおかしなところは頭だけではないらしい。



***



霞柱・時透無一郎の屋敷には鏡がある。

柱になってから、どうも屋敷を歩いていると自分の顔を見る機会があるのだ。朝目覚めた時に見た不機嫌そうな顔はきっと目覚めが悪かったのだろう。同じ顔のまま朝食を食べる姿が見える。こんなところに鏡なんてあったかなぁ。首を傾げて、すぐに忘れた。この動作を何度もしていることも、すぐに忘れてしまう。

お館様が用意した屋敷には通いの使用人がいるのか。無一郎の知らないうちに食事が出て、掃除が済み、風呂が沸き、布団が敷かれ、隊服が綺麗になっている。何より時たま食事に出されるふろふき大根が格別で、いつかお館様に『あのふろふき大根を作ってくれる人に毎日来てほしいです』と珍しく忘れずに伝えられた。『毎日いるよ、ずっとそばに』そう、それは良かった。まったく姿が見えない疑問はまたすぐに忘れてしまった。

朝起きて出てくる朝食は温かい。「あったかい」口に出すとあまりの舌馴染みの良さにまた首を傾げる。腕や胸が妙に暖かいのは何故だろう。無一郎は忘れた。

無一郎は忘れた。
また忘れた。
すぐ忘れた。
もう忘れた。
さて忘れた。
やっぱり忘れた。

忘れに忘れて忘れ抜き、ある日、忘れていたことを思い出した。

上弦の伍との戦いを経て、自分が何を失くしたのか知った。


父さん。母さん。兄さん。名前。


無一郎は一人だった。けれどずっと一人ではなかった。今はなくとも昔にあって、それはずっと無一郎の胸の内で強さの源として在り続けてくれる。大事な、大切な、大好きな宝物を思い出すことができた。

刀鍛冶の里から帰還し、療養を終えて自分一人の屋敷に戻る。以前の不明瞭な時と違い、はっきりとした意識の中で歩く道は新鮮で、足運びが何故かどんどん早まっていく。

きっと頭では忘れても体では覚えていたのだろう。


「おかえり。……ってなんだよその怪我!? 聞いてないぞ!?」
「むい、おかえり」


肩を強く叩いた兄。鳩尾に頭突きをする妹。よろけた無一郎は、堪らず近くの子供の頭に手を置いた。


「あったかい」


記憶より伸びた髪は、兄や自分のものと違って毛先の方が黒く真っ直ぐ肩下まで伸びている。見慣れない小さな女の子と、鏡を覗き込んだように瓜二つな兄。


『毎日いるよ、ずっとそばに』


失くしたものは、ずっとそばにいた。




企画へのご参加ありがとうございます! 手足主ifで『もしも時透双子の妹だったら』でした。有一郎が好きすぎてほぼ有一郎視点で好き勝手書きました…。ちなみに手足主視点では四歳で現実逃避をやめ、五歳直前で瀕死の兄を焼き(?)、七歳で念の修行を始め、八歳でハジメテの『吸う』を済ませました。もし続くとしたら輝利哉様夢になる、かも? 夢膨らむ設定で楽しかったです。素敵なリクエストありがとうございました!

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