ノーバディ・ノーウェア1



渡された十二枚の釣り書きの中には、実は一人だけ知人が混じっていた。


「夢野先輩?」


シブヤ・ディビジョンで待ち合わせ場所に指定された喫茶店。奥まった一人席で大学時代の先輩に会った。


「ユメノセンパイ? 確かに私は夢野久作というしがない作家だが、君とは初対面のはずだ」
「す、すいません。まだ根に持っているんですね、それ」
「持ってませんよ。ただの嘘です。久しぶりですね、石榴」
「はい、お久しぶりです」


記憶より凝っている和装。それでも違和感なく着こなせてしまうカッコよさ。相変わらずだなあとしみじみ懐かしく思った。大学時代、一人で人気のないベンチに座って本を読んでいた先輩。今も似たような雰囲気で一冊の文庫本を開いている。


「読書のお邪魔でしたか?」
「ああ、本当に初対面を意識したわけではないんですね。失敬」
「そ、それはもう忘れてください」
「無理ですね。こうして本にしてしまった以上、未来永劫忘れられませんよ」
「本?」


夢野先輩が持っていた本の表紙を掲げる。書店の新刊コーナーで見たことがある。今月出たばかりの本で、表紙には油絵具で描かれた赤い球体に印字された『果実』というタイトル。少し不穏な雰囲気だけど、先輩の本なら明るいハッピーエンドなんだろう。

そういえば社会人一年目で最近は本を読む暇もなかった。先輩の本はできるだけ買って読むようにしているんだけど。


「許可は取りましたよ? あなたをモデルにした登場人物を出していいか」
「あ、あれ本気だったんですか!?」
「嘘だと思いました?」
「だって先輩、いつも、」


いつも時間差で嘘ですよって言うから……。

大学時代。先輩が卒業間近の冬に、世間話をしている途中で何でもない風に聞かれた。小説の登場人物のモデルにしたい、なんて先輩がよく使う嘘の常套句の一つだった。そういえば嘘ですよってネタ晴らしされた記憶がない。


「どんな話なんですか?」
「読んでからのお楽しみです。あなたなら文庫本の一冊くらい買えるでしょう?」
「そりゃ、そうですけど」


相変わらず柔らかい口調で突き放した言い方をしてくる。それが大学時代の私は新鮮で、在学期間が被っていた二年間珍しく自主的に話しかけたんだけど。今思えばウザ絡みにも程がある。二度目の人生とはいえ子供の生活を続けていると精神年齢も幼くなるもので、後になって恥ずかしくなった。

夢野先輩にはウザい後輩の話し相手になってもらった恩と負い目がある。自覚してからは再会したら上手く話せる自信がなかったけれど、あまりに変わらない先輩に肩の力は自然と抜けていった。


「積もる話もありますが、そろそろ待ち合わせの相手が来るので、この辺で」
「あ、私もそろそろです。では、ますますのご活躍をお祈りしています。夢野先生」
「ええ、そちらもどうかご健勝で」
「はい、失礼します」


夢野先輩の連絡先は知らないし、今回も運の巡り合わせで会えたようなものだ。下手したらもう二度と会えないんだろうな。

適当に二人席を探して席に着く。メニューを開いて先に何か頼んでおこうかと思案していると、テーブルに置いたスマホにメールが届いていることに気付いた。送り主は待ち合わせ相手。内容は『ごめーん。急用で行けなくなっちゃった。代役を立てたからよろしくね!』だそうで。代役……?


「ちょっとお尋ねしたいのですが」


首を傾げた私の前に先ほど別れたばかりの夢野先輩が立っている。片手にはスマホで、ついさっきまで電話をしていたのか、耳元に当てたままこちらに近寄って来たみたいだった。


「待ち合わせ相手は飴村乱数という男で間違いありませんか?」
「え、あ、はい。そうですけど」
「乱数の代役で来ました。夢野幻太郎です」


Fling Posseの飴村乱数さんとのお見合いが、夢野先輩との同窓会に早変わりした瞬間だった。

荷物を持って向かいの席に移動してきた先輩。適当にメニューを開いてとりあえずコーヒーを二つ注文する。それが来るまでにこれからどうするか先輩と計画を擦り合わせることにした。


「そういえば、乱数とはお知り合いなんですか?」
「いえ、今日が初対面です。だってお見合いしに来たんですし」
「はあ?」
「え? 聞いてないんですか?」
「初耳ですが?」


なんで半ギレなんだろう。飴村さんから話を聞いていないのかな。

あまり身内とのアレコレを話したくはないけど、かいつまんでお見合いの件について説明すると、先輩の目が明らかに冷めていった。


「あなた、まだ母親の言いなりを続けているんですか」
「い、言い方ぁ」
「事実でしょうに。まったく」


深々とした溜め息。頭痛がすると言わんばかりに生白く細い指がコメカミを二度ノックした。


「それで? 四チームの内の誰がしかを気に入ればそのまま結婚するおつもりで? 人生のパートナーですよ? 浅慮にも程があるでしょう」
「私が気に入るかではなく、相手が気に入るかでしょう」
「出た、他人任せ。断られるだろうと高をくくって会いに行って、相手に見初められたらどうするのです。そのまま言われるままに結婚するのですか?」
「まあ、貰ってくれるなら」
「馬鹿か」
「ひ、久しぶりなのに罵倒が直球ですね」
「人聞きの悪い。事実じゃないですか」


ちょうど来たコーヒーにミルクだけを注いでティースプーンでかき回す先輩。一連の動作が少しだけ荒っぽくて、本気で腹を立てていることが分かった。


「非常識ですよね……先輩、こういうの嫌いでしょう?」
「それを面と向かって訊いてくる神経を疑います」
「すいません……」


湯気立つコーヒーを一口。お店の雰囲気からしてこだわっていそうな味は少し酸味が強めだった。夢野先輩は前に来たことがあるのかな。少しだけミルクを足すと、さっきより飲みやすくなった。


「それで、この後はどこに行きましょうか」
「あー、お見合いっぽいことしないといけないんですかね」
「お見合いっぽいこととは」
「あとは若いお二人で?」
「仲人のセリフですね」
「そうですね」
「真面目に」
「はい」


うーんと首を捻る私に見かねたのか、先輩がスマホの画面を見せてくる。


「プラネタリウム、ですか」
「お嫌いですか」
「暗い所で寝ちゃわないか心配です」
「石榴は意外と真面目なので最後まで起きているタイプでしょう」
「なるほど、先輩の観察眼を信じますか」
「そうしなさい」


薄い色のコーヒーの最後の一口を飲み干す。いつの間にか飲み終わっていたらしい先輩が長い指で伝票を攫って行った。そういえば、先輩と外食をしたのは初めてだった。大学でしか会っていなかったんだから当たり前か。

テーブルの上に忘れ物がないか確認している時、ふと今まで自然と笑えていた自分に気が付く。学生時代に戻ったような気楽さ。それは夢野先輩に甘えきっていた自分に戻ったということだった。

ちゃんと、大人にならなきゃ。



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