メロウ1



ヨコハマの海が一望できるレストラン。暗くなった海面に周囲の街灯がゆらゆらと反射している。ムード溢れる景色を眺めながら、自分の目がさらに遠くに行ってしまうのを自覚していた。

お、お見合いっぽいの来たぁ……。

高級フレンチのフルコース。華麗にサーブされた芳醇な白ワイン。前菜が来る前のちょっとした舌慣らし。口の滑りを良くするためのアルコールはここ二年の親戚付き合いで慣れていた。

今日の格好はビビッドな赤とシアーブラックを重ねた外出用のワンピース。髪はいつもより凝ったシニヨンで差すコームはシンプルなゴールド系。ウエストのベルトの金具もブレスレットの色もゴールド系にまとめていつもより大人っぽい雰囲気に仕上げられている。全部お母さんの趣味だ。お母さんと同系統の顔とはいえ、コーデの攻め方がえげつなくて着るまでドキドキした。ちゃんとメイクして着ると意外としっくりきて不思議。

ちょっっっと普段よりキツそうに見えるけど。

ワイングラスに付いた真っ赤な口紅を指でこすりつつ、目の前の相手を伺う。


「入間さんは警察官、なんですよね」
「ええ、はい。まだまだ下っ端ですけれど」
「そんな。こんなにお若くてカッコいいのに、巡査部長なんてすごいじゃないですか」
「はは、面と向かって褒められると照れますね」


細身のスーツ。黒髪の七三。細いフレームの繊細な眼鏡。柔和な笑みを浮かべる本日のお見合い相手。ヨコハマ署組織犯罪対策部所属の入間銃兎巡査部長。年は七つ上の二十九歳。デキる男の典型例のようなインテリさんだ。お手本のように挨拶されてお手本のように席までエスコートされた。

ヤバい、お見合い舐めてた。今までお見合いしたいしたい言い続けてきたけど、実は今回のこれが初めてのお見合いだったりする。これは戦場だ。親戚の皆さん方との会食みたいなもんだ。油断したら食われる。目の前の男の人にじゃなくてこの場の空気に。

ゴクリと鳴らしかけた唾を白ワインと一緒に飲み込んで、顔を外行き用の形に切り替えた。表情筋は緩めて内心は引き締める。当たり障りのない対応は得意分野です。


「そういえば、勘解由小路さんは確か、勘解由小路警視総監の、」
「石榴でいいですよ。勘解由小路は警察関係にたくさんいて呼びづらいでしょう?」
「では石榴さん。石榴さんは勘解由小路警視総監の親族の方でしたね。どのようなご関係で?」
「母方の叔母なんです。小さな頃から母共々よくしていただいて」
「へえ、それはそれは」


実際は叔母だか伯母だか分からないけど。お母さんもあの人もいくつになっても見た目が変わらなくて、この世界の女は魔女なのかとビクビクした子供時代を過ごした。実際におかしいのはあの二人だけみたい。

そのせいかいつまで経っても私は叔母のことを無花果姉さんと呼び続けている。おばさんって呼んでいい雰囲気がちょっともないんだもの。

それを皮切りに普段の入間さんのお仕事の話とか、私の話とか、世間一般のニュースとか、入間さんのチーム、MAD TRIGGER CREWのチームメイトの話とか。当たり障りのないまま表面を撫でるだけの会話を延々と続けた。会話が途切れなかったのは入間さんの話を続けるスキルが上手すぎたからだと思う。私は基本、聞き役に徹することが多いから相手に任せきりで申し訳なくも思ったけど。

まあ、これで顔合わせを終えてMAD TRIGGER CREWとのお見合いは済ませたことにしよう。入間さんが代表で出て来たってことは他の二人と会わなくていいんだろうし。

デザートまで済ませて、食後のコーヒーも飲み終わり、今日はありがとうございましたと頭を下げ合う。お店の人にタクシーを呼んでもらって、入間さんに差し出された手を取ってお店の入口まで連れ出された。

入間さんって女の人の扱いに慣れてるというか、慣れ過ぎているというか。二十九まで独身なんて、遊んでいるのかな。それともキャリアでもないのに二十代で巡査部長なんて、よっぽど努力して真面目に仕事しているのか。人の好さそうな笑顔がずっと浮かんでいて、真面目な人なんだろうなあという感想が浮かんだ。


「ああ、忘れていました」
「はい?」


タクシーに乗る直前、エスコートしていた手が私の手を引っ張る。急に接近した顔。眼鏡に自分の顔が移りそうなほどの至近距離で、入間さんの目が緩く細まった。

あ、入間さんの虹彩って灰色じゃなくって緑っぽいんだ。

……え、えっと、どんな状況ですか。

あまりのことに混乱して、逆に顔から表情が無くなっていく。それでも入間さんの顔がどんどん近付いて来て、口が、唇が、重なる……と思ったところで、急に方向転換して、頬と頬がちょっとだけ擦れた。

相手の息が、直接耳にかかる。


「私のことも銃兎でいいですよ、石榴さん?」


私の香水と入間さんの整髪料の匂いが一瞬混じる。すぐそこにある耳は男の人のとは思えないほど白くて綺麗な形をしていた。耳の綺麗さなんてまったく興味ないのに、なんとなくそう思った。フッと笑った音と一緒にもう一度息が耳にかかって、今日はお店の人に綺麗に巻いてもらったサイドの髪をくるくる指に絡められる。耳元から顔を話した入間さんが直近数センチの距離にいて、想像していた顔とは全く別物のSっ気満載の笑い方に背筋が勝手にザワザワした。

なにこれ。


「ほら、呼んでみてください」
「い、いるまさん?」
「銃兎、ですよ」
「じゅうと、さん」
「はい、結構」


パッと簡単に離れた入間さん……改め、銃兎さん。顔のすぐ横に銃兎さんの顔があった熱がまだ残っている。


「次会う時までに慣れておいてくださいね。おやすみなさい」


なにこれ、むりこれ。

飛んでいた意識が戻ったのはタクシーが走り出して少し経った後。ヨコハマの街のネオンがゆっくりと遠ざかって行って、夜の暗い景色が私の顔を鏡のように映す。自分でもびっくりするくらい真っ赤だった。

あの人、絶対真面目じゃない。



***



初対面の衝撃から今までの一ヶ月間、片手程度のデートを重ねて分かったことがある。

銃兎さんはSだ。

たとえるなら少女漫画に登場するサド眼鏡先輩。あ、しっくり来てしまった。学園物の副会長にいそう。そう考えるとあの柔らかい笑顔は猫被ってることになるけど、さすがにそれはないか。

とにかく銃兎さんは完璧なデートプラン、エスコート、会話運びを披露しながら一瞬の隙を突いてこちらの心臓に悪いことをしてくる。自分の顔の綺麗さを理解しているような……いや、そんな人間それこそ少女漫画の性悪眼鏡になってしまう。ここは現実だ。この現実には、ここぞとばかりに女性が好きそうな言葉でアプローチしてくる銃兎さんがいる。


『今日の格好も素敵ですね。他の男に見せるなんてもったいない』

『ああ、失礼。初めてお会いしたあの日からあなたは綺麗ですが、甘い物を食べている時のあなたは大変に可愛らしくて』

『よそ見をしてはいけませんよ? ちゃんと私のことも見てください』

『ああ、このまま連れ去ってしまいたいくらいです』

『あなたの愛らしい顔を見て朝を迎える男は幸せ者ですね』


この人は少女漫画で女の口説き方を勉強したの?

最後の方、ほとんどプロポーズじゃない?

とにかく出るわ出るわのキラーワードを耳と顔面で受けまくって毎回瀕死の状態で帰宅した。言ってる内容はあまりにも突拍子もないことなのに、あの低くて吐息を含んだ良い声で言われるとサマになってしまって困る。いちいち反応してしまう自分の免疫のなさに絶望感しかない。

いっそこのまま落ちてしまった方が楽なのでは、とも思えてくる。

銃兎さんはいつも優しくて、会話がスマートで、でもプライドもあって、どちらかと言うと人を使うことに慣れている。警察官だから安定した職業だし、毎回の安くないデート代はすべて銃兎さん持ち。男性の税金が女性の十倍なんて恐ろしい背景をもろともしない羽振りの良さだ。少なくとも一般水準の暮らしはさせてもらえるだろう。

考えてみれば銃兎さんは私が考える理想の旦那さんだ。ここは私も押して押して結婚まで漕ぎ着けるべきでは?

いつもよりちょっと気合いの入ったメイクと服で挑んだ五回目のデート。夕方に待ち合わせた場所、ヨコハマの街で怖い人に会った。


「テメェ、中王区のクソ女じゃねーか」


MAD TRIGGER CREWのリーダー、碧棺左馬刻。今日も写真で見たのと同じチームマークの髑髏柄のシャツを着ている。これ、一応アロハシャツらしい。釣り書きに書いてあった。こんなシンプルなアロハもあるんだ、という感想がまた浮かんだ。

私が釣り書きで知っているように、向こうも一応釣り書きで顔を覚えていたのだろう。それとも銃兎さんから聞いていたのか。不機嫌そうな雰囲気が怖いと思うと同時に、銃兎さんが言っていた内容も思い出して何とか外面は取り繕えた。基本的に誰に対しても柄が悪いので気にしないでください、って。

真面目に自己紹介して、今銃兎さんと待ち合わせ中だと伝える。途端に碧棺さんの顔がもっと歪んで、すぐに肉食獣みたいな怖い表情を作った。ひえっ。


「銃兎のヤツ、まだ転がしてんのかよ」
「は、はい? 転がす?」
「出世のために必死か。大変だなァ、うさポリ公は!」


しゅっせ……出世?

な、なるほど?


「これに懲りたらクソババアのコネで男漁りは止めるんだな。テメェなんざ使えるだけ使い潰されてポイ捨てされんのが関の山だ」


私の顔付きが変わったのと同じく、碧棺さんの顔付きも変わる。怖い顔は怖い顔でも、さっきみたいな無法者チックな感じじゃなくて、ビックリするくらい真剣な顔。声もずっと低くて私以外の誰にも聞こえないくらい小さかった。

そのまま、もう私への興味が失せたという態度で人混みの中に消えていく白い背中。あれは碧棺さんなりの忠告だったのかな。妙に冷えた気持ちのまま、私は銃兎さんに名前を呼ばれるまでぼんやりとその背中を見送った。


「私と結婚を前提にお付き合いしてください」


小さな花束と一緒に告白されたのは、その日の夜のことだった。


「少し考えさせてください」



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