業が深い話



「三班、裏口の封鎖完了しました」
「一班、突入準備完了です」
「分かりました。時間は……二三〇八。頃合いでしょう。作戦開始!」
「はい!」


腰のマイクを抜き、いつでも起動できるようにスイッチに指をかけておく。ここ数年で手に馴染んだそれの調子を確認しつつ、銃兎は眼前の店を睥睨した。

ヨコハマ・ディビジョン某所。風俗店が密集しているその地区のある店で違法薬物の密売が行われている情報が左馬刻の筋から流れてきた。

近頃のヨコハマ署では多発する行方不明事件に手を焼いている。十代後半の家出少女から二十代後半のOLまで、若い女性が相次いで行方不明になり、その数延べ八人。捜査を進めるごとに被害者は増えていき、個人の失踪事件ではなく組織的な誘拐事件の線を有力視し始めた段階で警察は完全に後手に回っていた。署は捜査の遅れを取り戻すために徹底的にヨコハマの暗部を洗い、そして件の店を特定したのだ。

そこは、驚くべきことに以前から銃兎が個人的に追っていた薬物の流通ルートの端に位置する店だった。そして最悪なことに、誘拐してきた女性と薬物をセットで提供する悪趣味極まるサービスを行っているらしい。

今回のケースは違法薬物所持・売買の罪以外にも誘拐事件と児童及び女性買春が絡んでいる。流石に銃兎一人の手に負える事件ではなく、仕方なく警察の仕事として赴くことになった。

一班は店の人間の確保と薬物の押収。二班は被害女性の保護。三班は包囲網を敷き犯人を逃さないためのバリケード役。四班は署で情報統制役。銃兎は一班の殿で部下たちに見落としがないか目を光らせる役だ。

自身が薬物を目の前に冷静でいられるのか。という銃兎の懸念は、店内に突入してから目にした光景で既に現実のものになりつつある。


「行方不明者、ですね」
「ええ……」


無人の受付を過ぎた廊下のソファに、見世物のように座らされた少女、女性が四人。皆総じてやせ細った四肢を投げ出しており、生気というものを感じない。どこを見ているのか分からない目や涎を垂らした口は、時たま思い出したように痙攣し、ひとしきり何事かを呟いた後また元の人形に戻った。際どい下着では隠し切れない痣や生々しい行為の痕。それらすべてが、この店が地獄であったことを嫌でも見せつけてくる。


「(セックス・ドラッグ・ロックンロールは音楽の中だけにしとけや)」


元は差別主義者に対するアンチテーゼとして歌われたテーマも、後に自由を勘違いした若者の間で額面通りの受け取られ方をした。セックス、薬物、音楽。気持ちの良いこと、楽しいことを刹那的に貪る。フリーセックスなど人の勝手だが、快楽のためだけに後先考えず薬物にまで手を出すごみクズの神経は生まれ変わっても受容できない。それが銃兎の本心だった。

この手の風俗店は昔から存在していたが、政権のトップが女になってから需要は爆発的に伸びた。中王区の女に虐げられる鬱憤を同じ女で晴らそうという腹積もりなのだろうが、犠牲になるのは中流階級以下の一般人だ。政治とは全く関わりのない彼女たちが食い物にされるこの現状を、中王区の政治家たちはどう思っているのだろう。

軽く意識が飛びかけてる部下の尻を蹴り上げ先を急ぐ。その間にも廊下に直に寝そべる被害者を二、三発見し、銃兎の舌打ちは留まることを知らない。

そんな中、一行は二股に分かれた廊下に行き当たった。

左手はすぐそこにいかにもバックヤード的な一室の扉。右手には扉が複数並んだ代わり映えのしない廊下。部下にアイコンタクトを取ると、殿の銃兎を残して全員が右に行く。銃兎は一人、恐らくは売上と顧客リスト、そして現物があるだろうその部屋に向かう。受付で押収した合鍵で開錠し、意気揚々とドアノブに手をかけた。

果たして。室内にいたのは、女が一人だけ。

シーツのみが新品のパイプベッドと、サイドに置かれた小さなテーブル、その上の注射器、バイアル。そして部屋の真ん中で下着姿で座り込んでいる女。先ほど見た女性たちとは違い、扉を開けた瞬間にこちらに反応したことから、恐らくまだ薬物使用歴は浅い。

ハズレだ。ここは、言い方は悪いが新商品のお披露目用の部屋だったのだろう。顧客リストも現物も逆の道か。銃兎が舌打ちしかけたその時、女が急に動き出した。

根元まで綺麗に染色された茶髪が顔を覆っている。俯いて、こちらを少しも見ないまま。犬のような這い這いで女は銃兎の足元まで近寄って来る。そしてその場で突っ伏すような土下座を披露した。


「い、いい、いらっしゃいませ。この度は、よろしく、お願い、しま、す」


明らかに震えている。声は酷い吃音で、どう見たって本意ではないセリフが足元から聞こえた。面食らった銃兎のことなど気にもせず、女は床に額を擦りつける。そして、おもむろに首を伸ばして銃兎の磨き抜かれた革靴に顔を近付けた。

おい、まさか、


「ッ、やめろ!」


とっさに足を引っ込めると、女は顔を床スレスレで伏せたまま、目に見えて白い肩をビクリと震わせた。大きな声に怯えたのだろうか、それともここに来るまでに怒鳴られるなり何なり恐怖心を抱かされるようなことをされたのか。

恐怖で尊厳を捨てさせられ──初対面の男の靴を舐めるように教え込まされた。そんな被害者を流石の銃兎も無下にはできない。

相手を刺激しないよう、床に膝をつけ、目線をできる限り近付ける。視界に男の膝が入ったことに、女が大袈裟に震え出す。


「すいません、取り乱しました。安心してください。私は警察です。誓って、あなたを傷付けたりしません」


震えが目に見えて小さくなった。国家権力の名は偉大だ。明らかに警察の部分に反応を示した女が、俯いていた顔をゆっくりと持ち上げる。そこでやっと、初めて、銃兎は女の顔を見た。

至近距離で、まじまじと。


「けいさつ……お巡りさん?」


泣いて泣いて、泣き腫らして、枯れ切った後の丸い瞳が、可愛らしいと思った。

怯えで歯を立てた後の、赤くなっているぽってりとした唇が、色っぽいと思った。

縋る視線が、すすった鼻が、青褪めた頬が、むっちりとした四肢が、程よい大きさの胸が、柔らかそうな腿が、腹が、腕が──伸ばそうとして躊躇う手が。

相手を一目見て、認識して、確認して。


「( 欲しい・・・ )」


ぞぞぞぞぞぞっ。

脳天から足の爪先まで、形容しがたい衝動が銃兎の身体中を縦横無尽に駆け巡った。


人はそれを、一目惚れと呼ぶ。



***



名前は混乱していた。

今日はせっかくの休日で、久しぶりに髪を染めて新しいヒールを買った日だった。イメージチェンジと気晴らしを兼ねたショッピングはストレス発散に最適で、歩き回って疲れた足もなんのその、そろそろ帰宅しようと夕方の池袋を後にした。はずだ。

茜色の空はいつの間にかとっぷりと暮れて、部屋の電気を消したように急に真っ暗になった視界。思考停止したままその場でキョロキョロしている間にも徐々に目が慣れてくる。先ほどまで名前は池袋の大きな通りを歩いていた。周囲には制服姿の高校生や講義終わりの大学生、営業帰りのサラリーマン、外国人旅行者で溢れていたはず。こんな人っ子一人見当たらない薄汚れた裏路地では決してなかった。

慌てて取り出したスマートフォンは圏外。位置情報は当たり前に使えない。とにかく人通りのある道に出よう。そして公衆電話か、もしくは交番か、コンビニでフリーWi-Fiを借りてもいいだろう。その一心で暗い道を小走りで通り過ぎて、そして、出会ってしまった。

名前があずかり知らない世界の住人。ヨコハマ・ディビジョンの暗部に関わる人間よって、名前は春を売る店に放り込まれてしまったのだ。


「大丈夫、大丈夫ですよ」


赤い革手袋がそっと名前の腕を撫でる。それはここ数時間で会った男性の中で一番丁寧な触り方だったから。──名前を人扱いしている手だったから。名前は今置かれている状況を忘れて相手の胸にもたれ掛かってしまった。

どうして私だったんだろう、とは何度も考えた。

理不尽だ。非道だ。あんまりだ。

何度も何度も、時には口からも出た疑問に、返ってきたのは一度の拳。それだけで反抗する気力はごっそりと奪われてしまった。後に残ったのは底冷えする不安と恐怖。これからどうなってしまうんだろうという答えのない絶望。

いや、本当は分かっていた。

あれから五時間。たったの五時間で事態は最悪の方向へ転がり続けている。服を剥かれて下着姿のままこの汚い部屋に押し込まれて、ベッドサイドのテーブルに置かれた注射器とバイアルを見る。転がって落ちていくばかりの状況に目から勝手に涙が溢れた。

ここに連れて来られてから見た女は皆、下着姿で廊下やソファに寝そべっていた。どこにいても異臭がする。決して空調が効いた居心地のいい場所ではない。それなのに彼女たちは身震い一つせずそこにいた。まるで人形のようだと思ったそばから、たまに人間だったことを思い出すのか、ある者は奇声をあげ、ある者は嘔吐し、ある者は哄笑した。

その原因。まだ一度も触れないまま放置されているそれは、明らかに何度か使用した形跡があった。注射針が茶褐色に変色しているのが目に見えて分かる。

こんな物、中身が普通の薬物であったとしても体内に侵入した瞬間に病気になる。そうなったら、名前はちゃんとした病院にかかれるのだろうか。それとも彼女たちのように路傍に捨てられ、痛みにのたうち回って、そして、そして──

思い出しただけでぶるりと震えた背中。目ざとく感じ取った手が名前を宥める。途端に親猫に舐められた子猫のような声が口から漏れた。


「私が助けてあげますから」


堪らず縋り付いた手が相手のシャツにシワを作る。ほとんど体を密着させる形になっても、男は名前を拒まなかった。

どこにもいかないでほしい。
置いていかないでほしい。
助けてほしい。


「本当ですか? 本当? 本当に?」


きっと高価な服だろうに、そんなことも思いつかないほど名前は切羽詰まっていた。

急に現れた眩い希望に、誘蛾灯に引き寄せられる蛾の如く縋り続ける。相手からの確約が欲しくて、何度も何度も同じことを訊いてしまった。

今まで誰も聞いてくれなかった。見向きもされなかった名前に対して、彼はどこまでも丁寧に触れてくれる。


「本当に、助けてくれる……?」


名前にはこの部屋に放り込まれてから彼が入って来るまで考えていたことがある。

自分にとっての最悪は何だろう。

死ぬことはもちろん嫌だ。
薬物依存症で廃人になるのも。
性暴力で搾取される立場になることも、当たり前に受け入れがたい。

けれど現在の名前にそのすべてを避けられるような力はない。ここに放り込まれた時点で逃げるには外から誰かが鍵を開けなければならない。その誰かとは、十中八九客だ。客の男を押しのけて外へと逃げられるかは相手の体格によって難易度が変わって来る。故に名前は、相手の出方をまず伺うことにした。

部屋の中央で大人しく待機。客が入室したら、相手の体格を見て、隙があれば逃げる。手に負えないようなら、貞操は諦めよう。できるだけ従順に、できるだけ相手に媚びを売って、注射器に意識が向かないように努める。向いたとしてもただひたすらにお願いするしかない。

薬物だけは死んでも嫌だ。たとえレイプされたとしても、絶対に。

それが名前にできる最後の悪足掻きだった。


『安心してください。私は警察です』


入ってきた男がそう自称するまでは。

俯いて、前髪の隙間から相手の足元を伺い、思いの外スラッとした足とサイズの大きい革靴に相手の体格を計りかね、いざ油断を誘おうと下手な演技で擦り寄った。従順な態度とはなんだろう。靴でも舐めればいいのか、と。しっかり混乱しながら首を伸ばしたその時、靴を一歩後ろに遠ざけながら男は言った。

警察……お巡りさんだって?

隙を付いて逃げ出そうと伺っていた気持ちが一瞬で萎える。いつでも立ち上がれるように力を入れていた腰が抜け、完全に下半身が床と一体化してしまった。それだけ、名前は安心してしまったのだ。もう枯れたと思った涙がうるりと戻って来るほど。

助かったと、そう思った。

だから、判断を誤ってしまったのだ。


「ぁっ、あの、どうしてそこ、触るんですか」
「ああ、言い忘れていました。身体検査ですよ。どこかに怪我がないか見ているんです」
「は、はあ」


先程から優しく、けれど執拗ほどに皮膚の上を這いまわる赤い革手袋。最初は二の腕の内側、関節。手首の血管、手のひら、指の股と、革がつぅっと滑らされる様子は見ているだけでくすぐったい。思わず身じろぎすると、今度はさっきの宥める動作よりも粘度を持った熱が、名前の背骨に沿ってゆっくりと上下する。意図せず熱っぽい溜息が口から飛び出してしまった。

おかしい。何か、言いしれない違和感を感じる。

身体検査? そんなわけがない。何故なら名前はブラとショーツ以外の衣服を身につけていないのだ。よしんば身体検査をするのならその二つを調べるべきで……べき、で。


「他のところも、触ってほしいんですか?」


「えっ」予想外の言葉に丸くした目を向けた先。

男はさっきまで腕を撫でていた方の手袋を口元にまで持っていった。そして、薄い唇の隙間から覗いた歯が手袋の端を噛む。一瞬見えた犬歯が理知的な面差しを肉食獣のソレに塗り替えた。ごくり、我知らず唾を飲み込んだ音が嫌に耳に残る。口で脱がされた手袋の下は生白さに不相応な男らしい手で。それに釘付けになっていた視線は、途中で割り込んで来た眼鏡越しの熱視線と無理やりに交わった。

男の美しい顔にさらに艶っぽい色が増す。


「そんな顔をして……欲張りさんですね」


ゾクッとした。

生白い指が三本、名前の首筋に直接添えられる。耳元で吐息混じりに吐き出されたその言葉は、これから獲物を貪ろうとする獣の興奮にも似ていた。ならば、手に添えられた指は獲物にトドメを刺すための牙か。などと現実逃避が入ってしまうほど、名前は静かに絶望していた。

果たして、こんな最低な店の汚い一室で発見した被害者女性に対し、本当の警察官がこのような接触を図るだろうか。──答えは否だ。そんなはずがない。なら、この人は誰だ。そんなの決まっている。

店の客に、決まっている。


「脈が随分と早い。緊張、しているんですか?」


それも、警察の真似事をして興奮するような変態だ。

冷えていく思考とは裏腹に下腹部に走る子犬のような甘え。ショーツに不快な感触が増し、刺激を逃そうと太腿が勝手に擦りあわされる。直接触れられている首筋は、現在進行形でこの浅ましい体の変化を教えているに違いない。止まらない熱に唇を噛めば、ゆっくりと相手の顔が近付いて来て、「ダメですよ」とでも言うように艶っぽい吐息が吹きかけられた。


「ぁっ……はぁ、んっ」


たったそれだけで名前の口は甘ったるい声を吐き出した。

落ち着いて、落ち着け。

そもそもこんな顔のいい警察官がいて堪るものか。見れば見るほど綺麗な顔をしてる。きっと夜の相手には困らないだろうに、こんな非合法な店に来るくらいだ。よほど性的嗜好がマイノリティーなのだろう。名前の読みでは警察プレイ好きの変態だ。自らを警察と名乗ってこのような身売りの現場に赴き、相手に希望を持たせた上で犯すことに快感を覚えている、とか。なんて酷い変態だ。

憤りと嫌悪が駆け巡るより先に、今名前が考えるべきはこれからの身の振り方。警察プレイ好きの変態であるものの今まで一度だって注射器には手を伸ばさなかったこの美形と、今後相手をするかもしれない薬物中毒者の変態。どちらを客として取りたいかなんて、考えるまでもない。

彼を逃したら、私は──。

妙に官能を高める手練手管。肩の力を抜いて、より相手を享受する姿勢を見せると、近くの喉仏が目に見えて大きく上下した。

名前に男を誑かす才能なんてない。経験がないのだから仕方ないわけで、もう捨て身になってやることは一つしかない。

大丈夫。甘ったるい声は、さっきから勝手に溢れているのだ。だから大丈夫。なんの根拠もない大丈夫を内心で繰り返し、恐る恐る男の手を取った。


「たすけて、おまわりさぁん」


一瞬だけピクリと動いた手。それでもされるがままになってることに安心して、名前は羞恥を押し殺して、自身の下腹部にそれを当てがった。


「ここが、切なくて、苦しいんです」


生き残るために、ここから抜け出すために。何もかもをかなぐり捨てて獣に落ちるしか残された道はなかったのだから。


「おねがい、します」


もう一度言う。名前は混乱していた。



***



「ねぇわ」
「ないな」


面と向かって仲間からの引いた眼差しを受け、銃兎は思いの外彼らを信頼していた自分に気付いた。つまり、それほど二人の端的な否定は彼の鳩尾にクリーンヒットしたということだ。

行方不明事件が誘拐事件として解決して一週間が経った。未だ事件の事後処理に追われているが、ヨコハマ・ディビジョンに蔓延する薬物の流通ルートを一つ潰せたことで銃兎にとって概ね充足感がある幕引きになった。

件の店から連れ出した彼女のことを除いて。


「違う! 違うんです、始めは下心はなかったんです、本当に、まったく。……ただ、私が触れるたびに敏感に反応するものだから、その、宥めなくては、と」


銃兎だって、始めからあんな猥褻行為を働く気はなかった。一切、本当に一切なかったと断言できる。

始めに彼女に触れたのは相手を落ち着かせるためと、違法薬物の投与歴があるか否か確かめるためだった。

サイドテーブルにある注射器のタイプなら腕に注射痕があるはずだと、目視、触診で調べ、痕跡がまったくない事を確認。次に瞳孔の散大具合、そして脈拍数の確認。緊張で脈拍がやや早いことを除けば健常人と代わりない体だった。あとは尿検査をする必要があったが、キットを持っているのは外で待機している部下だったため後回しにした。

そう、銃兎が真っ当な警察官であったならそこで引き返すべきだった。けれど事態は予想外の方向へと転がり出す。

あの店は部屋ごとに催淫効果のある香を薄く焚きこめていたのだ。

明らかに興奮状態にあった彼女と、脈拍を取るために直接触れてしまった銃兎。催淫効果に弄ばれる形で、据え膳に手を出した自分に頭を抱えた。いや、理性で完食しなかったところは褒められてもいいのでは?


「銃兎よォ。そりゃマジで言ってんのか? その女、知らねぇヤローに体中撫でまわされてビビってたんじゃねぇか? 何されるか分かったモンじゃねぇから仕方なく受け入れたんだろーが」
「相手は性犯罪に巻き込まれた女性だ。追い詰められた弱者を手籠めにするとは。見損なったぞ銃兎」
「クッ……!」


正論のナイフで滅多刺し。ヒプノシスマイクよりも強力な精神攻撃だった。

言われなくとも銃兎自身がそれを理解している。

軽く(軽くと言ったら軽くだ)盛り上がった後に彼女にジャケットを被せて抱き上げると、赤く腫れぼったい瞳がこちらを見上げた。悩まし気に、そして不安そうに銃兎のシャツにいじらしく縋ってくる。存在するとは思っていなかった庇護欲が己の内から湧き上がった。


『もう終わりですか?』『最後までしないんですか?』『また来てくれますか?』『か、買ってくれますか?』『おねがい、お兄さん』


何度も噛み付こうとして理性で留まったぽってりした唇。可愛らしい声で散々乱れた後のあの言葉で、銃兎の自己紹介が信用されていなかったことを痛感した。彼女はまだ自分を客だと思っているらしい。


『私は、警察だと、最初に言いましたよね?』
『っ、すいません、すいません、おまわりさん、ごめんなさい、もう覚えました、おまわりさんっ!』
『は? 何故謝るんですか?』
『もう間違いませんから、私、頑張りますからっ』
『間違えるとは、何の、』
『銃兎さん! 店内の制圧完了しました』
『ひっ』


絶妙なタイミングで報告に来た部下を恨んだ。

明らかに男に対して恐怖を浮かべる彼女。なのに銃兎に対しては決して手を離すまいとすり寄って来る。


『私はこれからやることがありますので、部下にあなたを任せます』
『部下、に、任せる? 任せ……ぅ、ぁあ、だめ、イヤッ!』


チラと浮かんだ優越感に気付く前に、突然、彼女は可哀想なほど青褪めながら余計に銃兎に縋りついた。『部下ってなに。この人本当は何の仕事しているの。マフィア? ジャパニーズマフィア? 任せるってなに、どういう意味で任せるの。これ以上どんなエロ同人みたいなことが待ってるの。輪〇? 嘘でしょこんな美形なのにどこまで性癖ねじ曲がってるのヤダヤダ助けておまわりさん』シャツに顔を押し付けて何やら呻き出した彼女には、尋常ならざるトラウマが見て取れた。ここに来るまでに何があったのか。

思わずヒシッと抱き返してしまった銃兎は、この後自宅に引き取って事情聴取からカウンセリングまで面倒を見ることになる。

その生活が始まって、一週間。


「未だに警察だと信じてもらえないんだ……」
「それは……当然のことでは?」
「煽られて手ェ出した時点で信用ゼロだろ淫行警官」


銃兎は痛感した。左馬刻と理鶯に正論を言われることほど辛いことはない。

反論の気力も完全に削がれ、頭を抱えた銃兎に対し、流石善意の塊理鶯。やや困惑を含みながらも適格なアドバイスをした。


「とにかく相手に誠意を見せるしかないと思うが」


正論だ。


「まあ、それで今度は変態ポリ公の烙印を押されるかもな」


正論だ……。







「おかえりなさいませ、旦那様。ご飯できていますよ。お風呂もすぐに、沸かせ、ます。それとも、ぁ、あの、……わ、たし、とか?」


下着姿に数サイズ大きいシャツを羽織っただけの名前に、銃兎は膝から崩れ落ちた。

何故だ。何故不本意そうな顔の癖に真っ赤になってそんなセリフを言う。言い切った後本格的に恥ずかしくなって萌え袖で顔を覆うな。余計に可愛いだろう。

だいたい旦那様はやめてくれと銃兎は言ったはずだ。いや、初日にお巡りさんはやめてくれと言った後の『じゃあ、ご主人様? だ、旦那様、とか?』と明らかに身請けされて来た遊女のような発言をされ、あまりのいい響きにグラッと来てしまったのは銃兎の方だが。

あれから一週間、保護した名前という女は不本意そうに、そして恥ずかしそうに銃兎にお誘いをかけてくる。それは銃兎が自分を買い取った客だと信じて疑わず、捨てられたくないと必死にしがみついている故の行動だと理解している。警察手帳を見せても制服警官時代の写真を見せてもイマイチ理解を得られない。──(名前の世界にヨコハマ・ディビジョンは存在しないのだから当然だった)──銃兎が本当に警察だと信じてもらうには態度で証明し続けなければならない。

だが、不本意とはいえ手を出され続けない生活は彼女に極度の不安を与えているらしい。

ぽってりツヤツヤとした唇が何か言おうと思案して、結局何も言わずに閉ざされる。それが堪らなくそそられる。

少しくらい味見しても、と魔が差してしまうくらいに。


「ぁっ! んっ……ん、んぅっ」


あの日耐えきった理性を解して、存分にその唇を味わってしまうくらいに。

銃兎とて、誘惑に毎日耐えてきたのだ。少しくらいのご褒美は許される……はず。







「そういうところだぞお前……」
「銃兎……」
「己の欲深さを舐めていた……!」



ヤクザと軍人に憐れまれる警察。業が深い。






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