ぼくはぶた



ぼくはぶた、ぶた、ぶた、ぶた〜。
しゃべれないから歌えない。
歩けないから踊れない。

ダメじゃん。

思わず替え歌を作ってしまうくらいにはちょっと混乱している。うーん、くまをぶたに変えただけでほのぼの感が一気になくなるな、この歌。

そう、ぶた。

単刀直入に言うと、私、気が付いたらぬいぐるみになってました。

ビニール製のカラフルな袋の中で自分のピンク色の足を見つめる。見たくないのに体勢的にそこしか見えない。明らかに人間の肌にあるまじき化学繊維だ。

……輪廻転生って生き物だけじゃなかったんすね。

世にも奇妙な〜とかSF(すこし・ふしぎ)みたいなアレがソレですか。それとも黒魔術の儀式的なサムシングですか。勘弁してくれ。

いや、そもそも死んだ? 私死んだ? ベッドでスヤッた記憶しかない。寝てる間に火事でお陀仏? キャトルミューティレーションされて改造されたとか? どうしよ、宇宙人に無機物にされちゃった。それか幽体離脱してぬいぐるみに入っちゃった! とかだったら笑えない。私の体、死んだことにされてないだろうな。そのまま火葬とかされちゃってたり。どっちにしろ死んでるじゃないですかやだぁ。


「十四、お誕生日おめでとう」


女の人の声の後。ガサガサと大きな音がして、パステルカラーの空の隙間から青い瞳が私を見下ろしている。

お、大きい。

ひゃぁ、と悲鳴を上げる余裕もなく突っ込まれた手に腹をむんずと掴まれる。触られているのに感触がないのは流石ぬいぐるみ。だって神経とか通ってないし。

急に明るくなった視界。両手で持ち上げられてさっきの目と目線が合った。


「はじめまして、ぶたさん!」


ぱぁぁぁ、と。輝く天使の笑みを浮かべる黒髪金メッシュのイケイケ小学生。あら可愛い。本当に目ん玉潰れるかと思うくらいに近年稀に見る美少年だ。

でも、でもね、さっきチラッと見えた名札の方にどうしても意識が引っ張られるんです。

小学校で配られるタイプの名札にマジックで書かれていた文字。


『四十物十四』


……お、親ーー!!
全力でふざけたな親ーーッッ!!

なんて親だ。子供の名前で回文作るなんぞ正気の沙汰じゃない。「あっ、これ後ろから書いても四十物十四ね〜」とかヒラメキをそのまま採用するな犬猫すらもっと慎重につけるわ親ーーッッッッ!!

存在しない肺のあたりがしんどい。動けてたら肩で息をしていたと思う。しかし所詮ぬいぐるみ。この身は綿と生地とその他いろいろで出来ている。精神疲労ばかりが蓄積されることの恐ろしさたるや。肩凝り腰痛から抜け出してぇとか愚痴ってたのに願いが叶っても全然嬉しくない。


「お母さん、これ、何て読むの」
「どれどれ」


若い母親が私の腰のあたりをさわさわ。多分タグかなんかを引っ張って目を近付けた。


「Amanda、アマンダよ。ぶたさんのお名前ね」
「あまんだ、アマンダ!」


アマンダ、アマンダ、と耳馴染みのない名前を連呼しながら私をくるくる振り回す少年。キラキラ、はしてないけど人名とは思えないお名前をお持ちの十四くん。小学生の男の子ってぬいぐるみを持つ年かな。アメリカのホームドラマでも見ているような喜びようだ。

私、日本人なんですけど。ちゃんと名前あるんですけど。どうせ訂正しようもないしなぁ。


「アマンダ、今日からボクとずっと一緒だよ!」


不承不承。私はその日から、ぶたのアマンダになった。



***



ぼくはぶた、ぶた、ぶた、ぶた〜。

怖いこと言っていい?
いいよ。
このぬいぐるみ、動く。
こっっっわ。お寺でお焚き上げしてもらわなきゃ。
待て待て死んじゃう死んじゃう。
ぬいぐるみは生きてませーん。
じゃあなんで動くの?
根性で。
こっっっわ。燃やさなきゃ。

ヤバい。暇すぎて独り言が悪化し続けている。キラキラ話しかけてくれる十四くんは日中は学校でいないし、夜はおやすみ良い子なので抱き締められたままもちろん放置。暇すぎて精神崩壊起こしそう。髪が伸びる日本人形って暇すぎて人間の新鮮なリアクション求めてたんじゃない? 私も髪伸ばそうか。あ、ぶたでした。

そこでふと、魔が差したというか。人間の魂が入ってるぬいぐるみだって呪われた人形のカテゴリに入るよなって、思い至ったが修行の始まり。

地球のみんな、オラに力を分けてくれぇーー!

コロンッ。

で。できちゃった次第です。ベッドサイドから横に傾いて床に落ちる程度のことはできました。できたらできたでガチでヤバいぬいぐるみの称号を得ただけでした。ええ……引くわ……。

そこからはさらに修行です。なんて言うか、おへそのあたりに力を入れて、ふんぬー! とすると何故か手足が動く。ほんと怖いな。

ふんぬー! ふんぬー! を続けてどれくらい経ったか。昼間から西日が差す頃、ベッドに戻ろうとした努力は何故かベッド下に潜り込む形になりました。うげー、埃まみれ。後退、後退!

ふー! ふー! と旋回して、やっとベッド下から顔を出した、ら。目の前に青い目をパチパチさせた美少年がいました。

あ、おかえり十四くん………………。


『ハァイ、ジョージィ』


…………ソレ見たことない映画ーー!!

ネタでしか知らない!! あとジョージがかわいそうなことくらい!!

あまりにリアクションがないのでテンパった。とにかくテンパった。しゃがみこんでベッド下を覗いてくるこのカメラワーク、何か既視感があるなぁという思いつきが出るくらい。私ホラーは苦手なんです勘弁してください!

長い長い、それこそ初めまして以来の長々とした見つめ合い。沈黙を破ったのは、初日を思い出させるぱぁぁぁと輝く十四くんの笑顔だった。


「アマンダがしゃべった!」


嘘だろ十四くん。


「おかーさぁん! アマンダがしゃべったよ! しゃべったの!」


ドタドタバッタンダダダダダッ

お部屋から母親のところまで一直線。有無も言わせず振り回されてずずいと持ち上げられる。わたしゃ生まれたてのシンバか。しゃべって、しゃべってと騒ぐので、とりあえず電池式のしゃべるお人形風を装って同じセリフを繰り返した。


『ハァイ、ジョージィ』


母親、首を傾げる。え?


「アマンダはなんて言ってるの?」
「はぁいじゅーし!」
「ええ? お母さんは十四じゃないよ?」
「そうだよ、アマンダはお馬鹿さんなんだ! ボクの名前も間違えるんだもん!」
「じゃあ十四が教えないとね」
「うん!」


誰が馬鹿じゃい。

私の声は母親には聞こえないみたいで、「アマンダ、じゅうしだよ、じょーじじゃないよ」と訂正する様を温かく見守っている。一人遊びエンジョイ勢を見る目だ。『十四くん』「! うん! アマンダ!」そんでもってやっぱり私の声が聞こえてる、と。そっか、子供にだけ聞こえるパターンか、そっか……。

私、どうやらしゃべれるし歌えるぶたに進化したみたいです。どういうこっちゃ。



***



朝はおはよう十四くん、ってね。


『おはよーカンカンカン起きてー!!!!』
「ねむい」
『カンカンカンカンカンカンカン!!!!』
「あまんだ、ねむいの」
『カンカンカンカンカンカンカン!!!!』
「あまんだのいじわる」


遅刻させない優しさですよ。

綺麗な黒髪と金メッシュは乱れに乱れて酷いことになってる。起き上がってもしょぼしょぼ体育座りをしている十四。仕方なくベッドサイドのブラシを取って届く範囲の髪を整える。

十四にしゃべれて動けると知られてから体が軽くなった気がする。二足歩行できるようになったし軽いものなら両手で挟んでギリギリ持てる。存在を認知されて力が増すって、神様か悪霊かだよね。私の場合、ほぼほぼ悪霊なんだけどどうなんだろ。化けて出たつもりはないし、成仏できるナニカなのかも分からんし。

大人しくブラッシングされていた十四がやっと動き出す。ベッドからのそのそと出てお着換え。姿見でチェックして、ぽつりと一言。


「ボクってキレイだよね?」
『うん?』
「だよね、ずっと思ってたんだ!」


な、なるしっ……いや、自己肯定感が高いんだな。すごいな今の小学生。自室に姿見があるのもビックリだったけど。早めにポジティブを養うのはいいことだし、低くて鬱になるよりは高い方が全然いい。

それに美少年なのは本当のことだからね。


『十四は綺麗、私が保証する。パーペキ』
「ぱーぺき?」
『パーフェクトにカンペキ』
「アマンダは呪文をたくさん知ってるね」
『死語なんだよなこれが』


今、教育に悪いなって反省しました。

ご飯を食べに出て行った子供に手を振ってドサッとベッドに横になる。

この生活はいつまで続くのか。男の子がぬいぐるみに飽きる年っていくつくらいだろう。長くとも小学生までだと思うんだよね。中学生はそういうの恥ずかしくなるのでは。分からん。

子供の善意につけ込んでお助けマスコット(笑)してたら宿題の手伝いはさせられるし今日の十四くんの話を聞かせられるし。まあ、それはそれで暇じゃないから楽しいんだけど、今後捨てられた時に思い出してしんどくなりそう。捨てられたいわけじゃないけど、おもちゃはいつか子供の手を離れるものだ。おもちゃのストーリーで学んだ。なので、捨てるくらいならいっそ燃やしてくれ。あと絶対に人形供養の神社やお寺は止めて。さすがに訳アリ人形と一つ屋根の下は気が狂う。何度も言うけど私、ホラーは全然ダメなんです!

……ていう話を学校から帰ってきた十四に話した。泣かれた。


「アマンダとずっと一緒だもん! 捨てないもん! アマンダのばかぁ!」
『誰が馬鹿じゃい』


あ、腹に顔押し付けんな鼻水ついてるついてる糸引いてるぅ!!!!

ばかばか言って泣き止まない子供に揉みくちゃにされてアレコレ言っている内にお助けマスコット(笑) は保護者マスコットに進化しました。子供は優しく言うだけじゃ言うこと聞いてくれないの。もっと取引先に言うみたいに言わないとだめなの。私、学びました。


『十四の涙と鼻水とヨダレと皮脂できちゃないんですけどどう責任とってくれますか』
「じゃあ一緒にお風呂はいろ!」
『申し訳ありませんでした勘弁してください』


無力なぬいぐるみの抵抗によって一緒にお風呂は回避された。洗面所でゴシゴシゴシゴシ。


「アマンダ、七×六ってなんだっけ」
『しちろくしじゅうに』
「しじゅうに、よんじゅうに!」
『十四、九九はマジで頑張れ、生活に直結するから』
「さんすう嫌い。アマンダがいるもん」
『アマンダはテスト中いないんですよぉ』


それで学校に持ってく馬鹿がいるか。

話しかけられても流石に答えるわけにもいかず、十四は立派な不思議くんキャラにジョブチェンジ。しゃべるぬいぐるみを受け入れてくれるだけで大分その気はあったけども。


『いいですか、十四くん。ぬいぐるみはしゃべらないし、普通の人はしゃべりかけないんです。アマンダが特別なんです。特別なので誰にも言っちゃいけないんです』
「なんで特別なの? 言ったらどうなるの?」
『十四くんと絶交します』
「いやだ!」


絶交は言い過ぎかなぁ、とは思ったけど、こうでもしないとこれから十四の人間関係が歪んでしまう。中学でアマンダ卒業した後に“小学校の時ぬいぐるみとしゃべってたヤツ”なんていじめられたら可哀想だ。

うるうる泣きそうな十四に『秘密にしてればええんやで』と慰めてその日は一緒に寝た。毎日一緒ですが。いつも以上にぎゅぅぅぅと抱きしめられ顔をすりすり擦りつけられると綿しかない胸の内がちょっと痛んだ。罪悪感というヤツである。

ずいぶん絆されたなぁ。

それから髪をとかして宿題を見て話を聞いてたまに洗面所で洗われて日干しされて一緒にベッドで寝る。という生活が続いた。

十四は中学生になった。


「我は四十物十四! この地上に舞い降りたエンジェル! 唯一無二の天界からの異端児である!」
『落ち着け』


ふぅーー。まだあわてるような時間じゃない。クールに、優しく。深呼吸して、美少年と美青年の狭間の学ランくんを見上げる。


『それはいつかお前を苦しめる。早めの治療をオススメしよう。アマンダからのお願いだ』
「なんと、マイディアソウルメイトは我が宿業を知っていたのか!?」
『落ち着け』


中学二年生の宿業なら知っていたけど君が患うとは予想外だったんだ。

最近一人称がボクからオレとか自分とか安定しないなぁと気になってはいた。それがまさかの着地点、我。いつまで経ってもぬいぐるみ離れせず、飼われているペットの気分でのんべんだらりしていたのが仇になった。何だこれは。日中に人目を忍んでリビングのテレビ見てた罰が当たったのか? 仏罰か? 反抗期より先にこっちが来るとは思わなかった。

この場合、どう接すればいいのか。頭ごなしにやめろと言うのはダメなことくらい私にも分かる。問題はこのキャラを続けることで減る十四の交友関係だ。本人が気に入って続けるにしても、そればかりはね。


『十四、これは真面目な話なんだが』
「なんだ、我がマイディアソウルメイト」


所有格が渋滞してるよ。


『力を持つ者は孤独である。他と違う者は大多数からの排斥を受ける。それが愚かしくも悲しいこの世界の真理だ。分かるね、十四』
「……はっ」


ちがっ、口調がうつったの、違うの。十四も天啓を受けたみたいな迫真顔やめて。アマンダが悪かったから一回止まって。高笑いはご近所迷惑でしょいい加減にしなさい!

その後、中二言語は治らなかったけど、理解のある仲間内や私の前だけでに限定された、らしい。地元の中学が優しいところで良かったよ。もう十四が楽しいならそれでいい。アマンダ満足。

未だにベッドで抱きしめられてくぅくぅ寝息を聞きながら見慣れた天井を見上げるのだった。

ぬいぐるみって寝れないのが難点だわ。



***



夜はお休み十四くん、ってね。

言いたかったのよね。


『寝れないの?』
「うん、ちょっとね」


大きくなったなぁ。

背丈も声も顔つきも、もうほとんど大人に近い高校生。ちょっぴり頑張った高校受験のおかげで偏差値高めの近所の高校に入学できた。

男子高校生って、ぶたのぬいぐるみを抱いて寝るのか。たぶん寝ないんじゃないかなぁ、どうだろう。

流石に中学で捨てるだろうという予想に反して十四は私を捨てない。まだしゃべるぬいぐるみを自分の大切な友達だと言う。まあ人間の友達がいるならぬいぐるみの友達の一匹や二匹くらいいてもいいだろうと楽観していたわけだが。

最近どうも雲行きが怪しい。


「ねえアマンダ。自分、くさくない?」
『嗅覚ないからわかんない。洗い流さないトリートメントのつけすぎ? お母さんに聞いてみれば?』
「……そっか、なんでもない」


自分の容姿に人一倍気を使ってる十四が、臭いかどうか聞いてくるなんて。明らかな異常事態に、私は大袈裟なリアクションを取れない。


『寝れないなら歌でも歌う?』
「へ?」
『ぼくはぶた、ぶた、ぶた〜』
「なにそれ」
『ブッダじゃないよ、ぶた、ぶた〜』
「ふ、へへ」


あ、笑った。


「アマンダ、上手だね。初めて知った」
『暇になったら歌ってるしね。こちとらしゃべれるし歌えるぶたよ』
「そっか、ずっとお留守番してたんだった」


ここで、ふっ、と短い息が耳にかかった。


「アマンダはいいよね、ずっとここにいれて」
『代わりにここにしかいれないけどね』
「あっ、」
『何でもないです忘れて』


そんな悲しそうな顔するなよ。

「ごめんね」と小さく謝られ、思わず腕を上げて前髪をポンポン撫でる。すると綺麗な青い目が波のようにユラユラ揺れた。ああ、海。そういえば何年見てないんだっけ。

ぽろ。ぽろぽろ。ずず、ひっ、うっ、うぅ。

カーテンの隙間から入って来るのは街灯の光だけど、なんだか月の光が差しているみたいだな、って。涙と鼻水とヨダレで湿りながらアマンダは思ったのでした。

これ、やっぱアレかなぁ。

次の日、十四が朝ごはんを食べに行っている間、充電中の十四のスマホを開く。ぬいぐるみの足は反応しないって? この世にはタッチペン先輩という無機物の強い味方がいるんだよ。

普段は漫画読んだりアプリゲーばっかの私も、この時ばかりは心を鬼にして手紙マークをタッチ。ごめんよ十四。アマンダは友達のプライバシーを侵害します。

パッと出てきた件名をサッと確認。『初めまして』『よろしく〜』『こんばんは』当たり障りのないものばかりで、四月の時点で全部止まっていた。もう季節は夏だっていうのに。

十四、友達作りに失敗したんだ。

そっか……そっかぁ。そりゃ、難しい。私の手には負えない問題だ。だって私、友達いなくてもいい派だったし。でもこれは大学からのことで、高校はちゃんと友達がいないと詰むイベントのオンパレードだ。体育祭とか、文化祭とか、修学旅行は最難関。無理ゲー。だからって『友達作ろうぜ!』なんて布が裂けても言えない。作れるもんなら作っとるわって話。

しゃべるぶたのぬいぐるみにできることなんてカウンセリングくらいだ。いつも通りに今日の十四を聞くしか私にはできない。あと歌を歌うことくらい。秒で寝てくれるんだけどもしかして結構ヒーリング作用ある? ヒーリングオルゴールぶたに進化? なんのこっちゃ。

けど現実は上手くいかないもので。カウンセリングってのは相手が話さないと始まらないことを思い知ったのはその年の冬のことだ。


「おはようアマンダ」
『おはよう十四』
「ぁ、ブラシはいい、から」
『えぁ!?』


とうとうブラシまで断られてしまった。

避けるように頭を振ってベッドから出ていく十四。そのままさっさと制服に着替えて出て行ってしまった。ブラシを持ったまま立ち尽くすぬいぐるみを残して。

仕方なくブラシをベッドサイドに戻して、落ちるようにベッドから飛び降りる。とぼとぼと近付いた姿見にはとぼけた表情のぶたのぬいぐるみ。くたくたの生地に糸くずが飛び出た縫い目、右目のフェルトは薄汚れて歪んでいる。そういえばここに来た時は十四は小学生だったな。そりゃ、小汚くもなる。

最近の十四はあまり私と話してくれない。挨拶はしてくれるし、洗面所で洗ってもくれる。でもその日あったことは話してくれない。歌を歌っても何も反応してくれない。しゃべるぬいぐるみも、口数が減ればただのぬいぐるみだ。

もう十分大事にしてもらった。

十四も私も、ぬいぐるみから卒業かな。


『十四、捨てるなら燃えるゴミに出してね』


タイミングを見計らって打ち明けると、今日初めて十四と目が合った。


「な、なん、」
『人形供養だとしばらく保管されるって言うし、他の子に譲られても十四以外だとしゃべれないからつまらないし。だったら潔く燃やしてほしいって言うか』
「アマンダまで、自分のこと、一人にするの」
『一度くらい溶鉱炉に沈んでアイルビーバックって……ん? 一人にする?』
「自分には、アマンダしかいないのにっ!!」


久しぶりに十四の大きな声を聞いた。

あれは、中学の時に友達と喧嘩した愚痴を聞いてた時だっけ。どちらの言い分もわかるし、喧嘩するほど仲が良い相手がいていいねって言ったら「アマンダには分からない!」て怒られたんだっけ。まあ、私って誰かと喧嘩するの苦手だしな。

何より、今は十四としかしゃべれないし。


『私も。十四しか、いないよ』


何かしゃべってくれなきゃ分からないよ。

精一杯首を傾げようとすると全身を使ってくの字に曲がるしかないぬいぐるみボディ。シュール。それでも十四は笑わず、むしろボロボロと涙をこぼして私に縋りついて来た。腹が雑巾絞りできるくらいに濡れた。

泣いて泣いて、落ち着いた十四と正面から向かい合う。十四は床の上にペタンと座り、私はベッドの縁に腰かけている図。やっぱりシュールだなぁ。


「アマンダは言ったよね、他と違うと、仲間外れにされるって」
『言ったっけ』
「言ったよ! 忘れないでよ!」


ずず、ずず。ところどころ鼻をすすりつつ、十四は私に向かって話し始める。


「自分らしくして、自分のやりたいようにやって、それがみんなと違かったら、仲間外れにされて当然なの?」
『違うの基準が曖昧すぎる。もっとちゃんと詳しく言って』


十四が俯く。何事かをぼそぼそ言っているが内容は全く聞き取れない。


「わ、……れ、」
『はっきり!』
「っ我が名は四十物十四! 混沌の闇より生まれ出でし美しき月の御子!」
『お、おお……』
「何を感慨に浸っておるのだ、我が賢き獣の友よ」
『ぶたのぬいぐるみには過剰な呼び名をありがとう』
「我が親愛なる友への賛辞だ。これでも足りぬくらいであろう」
『へいへい……え、これがどうしたの?』


うるり。どばー。さっき静かに泣いていたのが嘘みたいに十四の涙腺のダムが決壊した。美顔も崩れた。


「ア、アマンダぁ! やっぱり自分にはアマンダしかいないよぉ!」
『うぇ、また鼻水』
「アマンダ、アマンダ!」
『よしよしもっと讃えよアマンダを讃えよ』
「うわぁあああん!!」
『結局よくわからんけど、話したいこと話して、ツラいことがあったら泣いて、ってストレス発散も手だよ』
「わぁあああああ!!」
『聞いてるかなコレ』


多分聞いてないな。


『ぼくはぶた、ぶた、ぶた〜』


前髪をペシぺシ叩きながら、いつもの歌を歌った。

それから十四は何も言わないけど、週一くらいのペースで私の腹を濡らして寝ることを繰り返した。これは流石におかしい。私は一念発起する。

十四のカバンに忍び込み大作戦〜いぇ〜い!!


「うっそ、ナルシストくん少女趣味だったの?」
「マジウケるわ、どんだけ属性盛れば気が済むの」
「アイツだけ生きてる世界が違うよな」
「異世界人ってヤツ? 話も通じねーし」
「ちょっと俺ら風の仲良しのアイサツ教えてやろうぜ」
「おっ、いいじゃん」
「デコっちゃえデコっちゃえ」


えっ、待て待て、それはヤバいって、何そのハサ、

──────じゃきん。


『み"!!!!!!!!』



***



授業中に聞こえるくすくす笑い。カバンの隙間から見えた飛んでくる紙クズ。「当たり〜」の声がやけに耳に残った。「私語は慎めよー」それが教師の言葉とは思いたくなかった。移動教室で誰もいない時を見計らってカバンから出ると、机にはマジックで落書きされた跡があった。カッターか何かで削られたままのところもある。小学生の悪口から口に出したくない下品な言葉まで。たくさん……たくさん。

十四はひとりぼっちがツラくて泣いてたんじゃなかった。

十四はいじめられていたんだ。

放課後、十四に掃除当番を押し付ける会話が聞こえてきて、慌ててカバンの中のスマホを起動した。タッチペンでなんとかビデオモードにして、カバンの隙間からカメラを出す。机の隙間から角度的にギリギリ見えた光景は、プロレスのように首を固めて、必要以上にバンバン叩く三人組。毎朝のブラシを拒否したのは、技をかけられた痕を見せないためじゃないかって急に思い浮かんだ。

自分がなんでこんなに冷静なのかわからない。ぬいぐるみだから感情なんて失くしたのかもしれない。夜はあんなに泣いてたのに何をされても唇を噛んで我慢する十四が、こんなにも痛ましくて、悲しくて、悲しいのに。

それから予想外だったのは、十四が消えてから三人組がこっちにやってきたことだった。慌ててスマホを教科書の下に押し込んでいると突然降ってきた明るい光。知らない目が二つ、私を見てニヤッと笑った。

そこからの記憶はない。


「アヴァ、んだ、っまんだァ、ぉ、うぁ、ひっく、うぁああ、アマンダしんじゃヤダっ!!!!」
『うるさっ』
「あ"ま"ん"た"ぁ"あ"あ"あ"あ"!!!!」
『喉痛めるでしょやめなさい』
「い"き"て"て"よ"か"った"あ"あ"あ"!!!!」
『十四くん話聞いて』


泣き止んだ十四の要領を得ない説明によると、私がハサミでじょきじょきやられた後、耐え切れずに泣きながら歩いていたところを呼び止めてくれた人がいたんだと。

アマグニヒトヤさんという弁護士の先生で、いじめ問題のプロフェッショナルなんだとか。お金も受け取らずに証拠集めをして法律の力でいじめっ子と黙認していた先生から慰謝料をぶん取ったんだって。


「獄さんがね、スマホの映像とアマンダの傷が決定打になったって」


私が切り刻まれた残骸を十四が発見した後、勇気を出して先生に助けを求めた。けど答えは最悪なもので、「大事なものを学校に持ってくるのが悪い。いじめられてる自覚がないのか?」録画しっぱなしのスマホにバッチリ入っていたセリフだった。これを理由に懲戒免職になったんだってさ。ざまぁ。


「自分が助かったのは、アマンダのおかげでもあるんだ。ありがとう、アマンダ」


泣き腫らした目で晴れやかに笑う十四。小学生の時の面影を残した幼さに、思わず。猫パンチならぬぶたパンチが炸裂した。ぽすっ。


「あ、アマンダ?」
『いつからいじめられてたの』
「えっ、えっと、夏休みの後、くらい」
『めちゃくちゃ経ってるじゃん。なんで、もっと、早く、相談、してくれないの』


ぽすっ、ぽすっ、ぽすっ、ぽすっ。


「だって、アマンダに心配させたくなくて」
『夜に黙って泣いてたら心配するよ! ただでさえぬいぐるみで、何もできないのに、話もしてくれないなんて、あんまりだ!』
「アマンダはすごいよ! 自分じゃ、卒業するまでずっとこのままだった! アマンダがいたから獄さんに会えたんだ!」
『ヒトヤさんがすごいだけじゃん! アマンダすごくない! 十四の馬鹿ぁ!』
「アマンダはすごいもん! なんで分からないんだよ! アマンダの分からず屋! 馬鹿ぁ! わぁあああん!」
『泣きたいのはこっちだよ! 泣かせろよフェルト生地! わぁあああん!』


私は気が付いたらぬいぐるみになってた。ぬいぐるみになって、もう──十年近く経つ。ほとんどぬいぐるみの自意識が根付いてしまって、十四の変化に鈍感になっていた。いや、触れないようにしていたのかも。だって私はぶたのぬいぐるみだから。

人間じゃないから・・・・・・・・。

人間のことはどうしようもないから・・・・・・・・・・・・・・・・。

どこかで我関せずの無機物になっていた。なりかけていた。それを気付くキッカケが十四のいじめなんて最低だ。誰かが傷付いて分かることなんて一生分からなくていい。

けど、分かってしまったから、もう二度とこんなことがないようにしなければ。

ちゃんと人間らしく、頑張らなければ。

二人で泣いて、ずっと泣いて。ぐちゃぐちゃになった部屋で十四と仲直りする。『もう秘密はナシだよ』「うん、アマンダも勝手に危ないことしないでね」『うん、指切りげんまん』妙に綺麗なピンク色の腕に長い小指が添えられて、一緒に針千本の脅し文句を言う。


「獄さんがね、アマンダの修理をしてくれるお店を紹介してくれたんだ」


どうやら修理専門の店で生地や綿を新調して直してもらったらしい。触り心地が良さそうな腕がもう涙で湿ってるのが締まらないなぁと思った。

今度会ったらお礼を言わないとね、聞こえてなくても言った事実が大事よね、人間関係は。


「それで獄さんがね、困ったことがあったらいつでも事務所に来いって。すごいよね、事務所だって! カッコいいなぁ」
『へぇ』
「コーヒーもね、出してくれて、すごく苦いのにそのまま飲んでた! 大人だよね、カッコいいなぁ」
『へぇ』
「あとね、あとね、」


君ヒトヤさんのこと大好きね。

思い出したようにヒトヤさんを繰り返す十四に心の中で半目になってしまう。なんだろう、この敗北感。今までの十年間の付き合いを一気に飛び越えられたような。いや、ぬいぐるみ以外で人脈を広げてくれるのはかなり嬉しいんだけど。

もやもやした気分のまま、対面の日はやって来た。


「アマンダ、獄さんだよ。獄さん、改めまして、コイツが自分の親友のアマンダです! 自分共々、よろしくっス!」
「お、おお……」


エビフライだ……!!

呆然とご立派なリーゼントを眺める。弁護士にしては奇抜なジャケットだが、それ以上に髪型が異彩を放っている。


「アマンダ、獄さんにご挨拶!」
『は、はじめまして……』


ライバルは、エビフライ……。



***



ぼくはぶた、ぶた、ぶた〜。
ブッダじゃないけど神のごとく崇め奉れ。

久々にね、切れちゃってますよ。

あれから十四は結局居心地が悪くて高校を二年で中退した。そこからいろいろと変遷を経てヴィジュアル系バンドのヴォーカリストとしてステージに立っている。自分が好きなこと、好きな振る舞いが許されるから楽しそうだ。人気が出てくれればいいんだけど。

十四はいじめの件から変わった。私をカバンの中に入れて持ち歩くようになった。「ずっと部屋の中にいたら飽きちゃうもんね。気付かなくてごめんね」悲しそうな顔はいつかに見た表情と一緒で、私は何も言えなくなった。

軽口のつもりでも十四にとっては衝撃だったのだろう。こういうのも一歩間違えればいじめの範疇に入ってしまう。私は反省を活かせる女になる。

それから、十四は泣き虫になってしまった。正確には気を許した相手の前でだ。これも私のせいかもしれないと反省した。が、泣けるだけの体力があるならそれはそれでいいのでは? とちょっと開き直りが入ってしまう。だって十四には獄さんがいるんだもの。今まで一人で飴と鞭をやってきたけど、鞭役の獄さんがいるから全力で飴役をやれる! 頑張れライバル! 任せたエビフライ!

冗談混じりのエールは獄さんには聞こえない。私も本気で言ってないからそれでいい。私の十年を負かしたんだから責任取って十四の人間の保護者役をお願いしたい。君に任せた天国獄!

今日も十四のカバンに入ってライブハウスにやって来た、のだけど。


「ぶっさ」


急にカバンが開いたかと思えば第一声が罵倒。びっくりしている間にあれよあれよと奇抜な髪色の少年に攫われてしまったのだった。

十四、十四ーー!! 早くトイレから帰ってきてよ十四ーー!!


「あれ、Fling Posseのラムダちゃんじゃない!?」
「うそ、ホンモノ!? なんでナゴヤディビジョンにいるの!?」


…………………え。



***



ここ、ヒプマイの世界なんですか。



***



『はっ』


現実に戻ってきた時には、見覚えのない日本家屋、多分お寺の玄関で、知らないお坊さんに鷲掴みにされていた。

えっと、なんかすごい事実に気付いたというか、正気度が削れたというか。言語化できない感情が綿しか詰まっていない頭の中で暴れまわっている。なんか、ピンク色の天使に出会ったような、天使というか悪魔というか。


「アマンダッッ!!!!」
「コラ十四! 人の家で走るんじゃない!」


そこで、何故か滴るほど濡れ鼠な十四が寺の廊下を猛ダッシュ。お坊さんの手から私を奪ってギューっと抱きしめてきた。って濡れる濡れる! 私も濡れてる!


『十四、十四、落ち着いて、なんで濡れてるの、またいじめられたの』
「いじめじゃない! 修行してたんだ!」
『修行? はぁ? イマドキ?』
「自分、もっともっと強くなるんだ! アマンダに心配かけないように!」
『お、おう』


何やら熱く拳を握り締める十四は、今までで一番声が出てるし覇気があった。何があったか知らないが、今からだって成長する気概があるのはいいことだと思う。

頑張れ! そう言おうとして、ふと、十四の肩越しに人差し指をこちらに向ける赤髪ヤンキーとポカンと口を開けたエビフライが目に入った。


「ぬ、ぬいぐるみが、」
「しゃべった……」


……えっ。









「空却! 悪霊退散だ! なんかあるだろ、そういう経とかマントラとか!」
「ウチはお祓いやってねーんだよ! 余所に行け!」
「アマンダは自分の親友ッス! 小学校の時からずっと一緒なんスよ!」
「取り憑かれてるじゃねぇか燃やせ燃やせ!」
「拙僧が人形供養の寺探してやっから! まずは捨てろ! どっか遠くに隔離すっぞ!」
「獄さんも空却さんもヒドいッス! アマンダも何か言ってよぉ!」
『我を燃やすと言ったか。人間ごときが我を愚弄するなど笑止千万。今この場で呪い殺してくれようぞ!』
「「ぎゃああああ!!」」
『十四のマネ』
「アマンダ!」





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