買ったペットの世話くらい自分でしろ
タクシーの中は無言だった。
注文の時ついでにポチッたハットを被った一二三と、昨日のフォーマルなワンピースにジャケットを羽織った私。後部座席に並んで座ればすぐに人がギリ二人入りそうなくらい距離を置かれる。知ってた。むしろ私の方も率先して窓際に寄った。スーツを着てるにしても大金で人間買うような女が隣にいるのはキツいだろう。頼む、10分の辛抱、ちょっとの我慢!
『黙って聞いてね』『拒否権ないからね』『これから一ヶ月一緒だからよろしこ』宣言の後。結局、話し合いをするより先にホテルをチェックアウトしてきてしまったから余計に申し訳ない。
昨日の時点で私はあのホテルで一泊してから行政に一二三を引き渡して対応を任せようと考えていた。
お上に報告入れなかったらまず人身売買で私がお縄だし、仕事もあるし。一二三もあんな明らかに非合法な場所に出入りする女よりは公的機関の保護下に入った方が同じ女でもマシでしょ? あと推しに怯えられる状況に耐えられるか心配だったから。さっさとお上の采配にお任せしてさ、意気揚々とシンジュク・ディビジョンの幼馴染みのところに帰宅してほしかったのよね。
ところがどっこい。昨日の電話で一気に話が変わってきてしまったんだなぁ、これが。
お上曰く『買ったペットの世話くらい自分でしろ』とのこと。
……ぺぺぺペットじゃねーし!! “保護”の意味がいかがわしくなるだろ良い加減にしろ!!!!
札束で人権の横面を叩いてきた身としては嫌な軽口だった。と言ってもこの口からは動揺は一切出てこなかったけれど。すごいなこの世界の私。さすが前世より長生きしてるだけある。あれ、私何歳で死んだんだっ………………この話はよそう。
そんなわけで、恐らくお上が用意したタクシーに乗って別のホテルに現在移動中。大きな道を使えば目的地まで3分とかからず着くが、中王区の人通りの少ない道を選んでいるから回り道が多い。お陰でチラ見した白い顔には『どこ連れてかれるんだろう』とくっきりはっきり書いてあった。ごめんご〜〜も少し我慢してくれ〜〜。
ホテルの裏口にあたかも関係者ですぅという顔で滑り込んで従業員用のエレベーターに乗り込む。そこからぎりぎり高層階くらいの階数の部屋にIN。中は前のホテルのスウィートルームと比べれば狭いが、二人で泊まるには広すぎる間取り。まあキッチンもリビングも付いてるタイプだし。ほとんどマンションじゃんすげーな金持ち。とか言いつつとくに違和感も感じていない自分にもビックリだけど。すげーな私。
さて、と。やっと話し合いできるなあと背後に振り返ると、ほとんど半泣きで気を失いそうな一二三が入口に立ち尽くしていた。
「本当にっ、本当に、ダメなのです。あなただから、と言うわけではなく、私は女性全般と、その、せ……接触ができません」
あっ。
「っそれ以外なら何でもします! 五億円も、働いてお返しします。ですから、どうか、」
「馬鹿か貴様」
で、出た〜〜〜〜〜開口一番罵倒〜〜〜〜〜〜〜。
お気に入りのミネラルウォーター並に舌馴染みがいいセリフだった。この口、罵倒し慣れてやがる。仕事では便利な強気口調もプライベートじゃまったく不必要だ。絶望的にカウンセリングに向いていない。
推しに変態金持ちのレッテルを張られているショックが罵倒になって飛び出ていた。ヤバい。口を開けば開くほどスキージャンプの如く罵倒が飛んでいきそう。ヤバい。言葉で説明するよりはと、とりあえず無言で入口近くのドアの鍵を開けた。
「そちらが君の部屋だ」
実はこの部屋、隣と内扉で行き来できるタイプだったりする。コネクティングルームってやつ?
「ここの鍵は君に渡しておこう。用がある時はこちらのドアからノックする。あまり呼び出さないように努めるが、非常時に備えていつでも出られるようにスーツは着用していてくれ。それから……詳しい話は座ってしよう。コーヒーは飲めるか?」
困った時のコーヒーです。カフェインをキメて強制的に冷静にさせるんじゃよ。
瞬間湯沸かしポット(高級ホテルにはこんなものもあるんかい)で湯を沸かしてアメニティのコーヒーを雑に淹れる。適当に砂糖とミルクとマドラーと、ついでに何かのクッキーも引っ掴んでダイニングテーブルの方に移動した。
一口飲むだけでポンコツ気味の脳がスーッと冴えてくるのを感じる。コレだからコーヒーは止められないぜ。一二三もシュガースティック2本とミルク1個入れて飲んでいる。んんん? 甘党かな? それともコーヒー好きくない感じ? どっちにしろ新情報ですありがとうございます。
お互い何となく落ち着いた雰囲気を感じ取って、とりあえず話し始めることにした。
「まず、私は中王区の行政監察局に務めている人間だ」
嘘です。一応金持っているだけの一般市民です。
「あそこにいた理由は地下競売の実態把握と違法性の調査だ。もし人間が売買されていた場合、必ず落札するよう上から指示されている」
嘘です。偶然たどり着いて独断で即決買いしました。
「君が麻天狼の伊弉冉一二三だと気付いたのは買い取ってからだ」
嘘です最初から知っていました!!!!
我ながらスラスラ出てくる嘘のオンパレードにビビる。いやでもさ、『たまたま見つけた地下競売で麻天狼の伊弉冉一二三が売っていたから可哀想だと思って買いました! 保護します!』とか言われても絶妙に気持ち悪くない? 何か見返り求められそうで怖くない? それこそ『解放してあげる代わりに一晩お願いします!』とかなりそうで怖くない? 考えすぎ?
「ディビジョンバトルの代表が中王区で不当に拘束され人権侵害を受けたとあれば行政監察局の落ち度となる。できるだけ穏便に事を済ませたい。そこで君の協力が必要不可欠となるわけだ」
カップの縁に付いた口紅を撫でつつ、チラリと流し見るように視線を向ける。というのを自然とできてしまうあたり大人の女って感じがする。やだ、オタクじゃない私イイ女だったんじゃん。中身がこんなになっちゃってもったいねー。
神妙な顔で頷いた一二三にこちらも頷き返して、まずどうしてあそこにいたのかと聞く。言葉を選ぶように目を彷徨わせた相手が言うには、分からない、だった。
「恐らく一昨日の、早朝……四時は過ぎていたと思います。職場から帰宅する途中でいきなり集団に取り囲まれたんです。逃げる暇もありませんでした。やむを得ず、ヒプノシスマイクでの抗戦を試みましたが、相手もそれぞれマイクを持っていたために倒しきれず、」
「あえなく捕まった、と」
「はい。その際に財布やスマホが入ったカバンも、ジャケットもどこかに行ってしまって。どうにもできないまま目隠しをされて、一日ほど個室に閉じ込められました。そして、また目隠しをされて……あそこ、に、」
「なるほど。参考になった」
あの競売を思い出したのか。震える手で口元を覆った一二三は吐きそうだ。昨日のことだし、現実味が湧かないままここまで来て、悪い夢じゃなかったことを実感して今さら気持ち悪さが込み上げてきたんだろう。
推しが苦しんでいる。見ているだけでこっちも死にそう。背中さすってやりたいのに私が女だったばっかりに触ることもできない。
あまり気を遣うばかりなのも失礼かと、急かさず待って、相手がコーヒーを煽ってなんとか平常に戻ったところで大事な質問をする。
「君を取り囲んだ集団は、マイクを持っていたということは、」
「……男、でした」
あーこれ絶対私が世話しなきゃいけないヤツー。
「すぐに家に帰してやりたいのは山々だが、それをできない理由はいくつかある」
一つは、あの違法競売がある限り、今度は伊弉冉一二三本人として捕まってしまう可能性がある。そのため上から私が伊弉冉一二三の保護者として中王区で監視するように指示されたこと。
「なら、せめてシンジュク・ディビジョンのホテルかどこかにすることはできませんか?」
「中王区から出ると男に囲まれた時が厄介だ。マイクを使われれば流石の私も手出しができない。その点、中王区の女相手ならやりようはいくらでもあるからな。外よりは君を守りやすい」
「そう、ですか……」
分かる。女だらけの中王区より男もいる外の方が精神的に楽だよね。分かるけど、耐えてほしい理由は他にもあるんです。
それが二つ目、次の競売がある一ヶ月の間は絶対に逃げ切らなきゃならないから。
「上は競売中の現行犯で客ごと逮捕したいと考えている。そのためあと一ヶ月は相手方を泳がせておかなければならない」
「だから一ヶ月、」
「ついでに相手も私を探しているだろうしな」
「な、何故ですか?」
「支払いを済ませていないからだ」
「え?」
表情筋がニヤッと嫌な感じに動くのが自分でも分かった。
「使用した五億円の小切手は、偽物だ」
お上から緊急事態でのみ使っていいと言われた手。これこそ偽造なんだけど、向こうが先にやってるんだからまあ大目に見てもらえるよね〜。
「小切手の現金引き換え期間は確か……記入された翌日から10日ほどだったか。さすがに昨日の今日で換金はしないだろうから、猶予は一週間ほどか」
それまでにホテルを変えて居場所を眩ます必要があったわけですよ。だって向こうは死に物狂いで五億円を徴収しに来るだろうし、なんなら返品も要求するかもしれない。それがこちらの狙いなわけ。換金に行った時、まず銀行に足がつく。プラス、こっちを嗅ぎ回ってる人間がいる時点で行政監察局が勘付く。とっさの判断にしては頭良っ。IQいくつくらいだろこの自分。
あまりに悪どい顔をしていたのか、余計に静かになった一二三にこちらも冷静になる。
「これは守秘義務が発生する事案だ。君には不便をかけるだろうが、一ヶ月だけこちらに協力してほしい」
よろしく頼む。
昨日鏡で練習しまくった柔らかスマイルを浮かべるも、相手の表情はやっぱり硬いままだった。
むり……傷付く……。
***
一二三には伝えていないことがある。
まずは、今回の人身売買は初めから伊弉冉一二三を狙った犯行だったこと。これはご丁寧に偽造された入場許可証を見れば分かる。添付された顔写真が一二三本人のものだったからだ。
ディビジョンバトル代表のアイドル的な人気を思えば女が主犯だと考えるのが妥当だ。有り余るほど需要があるし。でも中王区の外で男が複数人動いたのがいただけない。
中王区の女が男を使って捕まえさせた、となるとネックになるのがヒプノシスマイクの存在だ。あれは政府でそれなりに厳しく管理しているし、違法マイクなんてものもあるにはあるが集団で持ち歩けるほどの量産性があることは確認されていない。ヨコハマ・ディビジョンなんて無法地帯ならともかく、都内のディビジョンは特にそこらへん厳しいはず。
一番の問題は、添付された写真がホストモードじゃないウェイ系の一二三だったこと。ホストモードしか知らない人間は、きっと顔がよく似た別人だと考えるだろう。そう誤認されるように作られたとしか思えない。
伊弉冉一二三を別人として売り飛ばしたい人物がいる。
それも、中王区への入場許可書を偽造できて、なおかつヒプノシスマイクを大量に流出できるような人物。それって。
「(政府側に変なのがいるってことねぇ)」
ドラマみたいじゃん。ドラマティックなライフじゃん。すごいなこの世界。
……頭良い話をしすぎた反動で急にIQ下がった。
ていうか一二三を一ヶ月拘束するってヤバない? 一ヶ月欠勤でホストクビになるのだけは阻止したい。長すぎた同伴ということで許してくれないかな〜月額1234万5600円払うから〜。
一二三を隣の部屋にカードと一緒に押し込んだところでタイミング良く電話が鳴る。おっ、お上からの連絡かなぁと画面を見て、思わず真顔になった。
隣室に聞こえないよう、一応浴室まで移動してから通話をタップする。
「そちらから電話がかかって来るなんて珍しいな。コウモリ同士だからと言って無理に馴れ合う必要はないぞ?」
ひぇっ……今度は開口一番の嫌味だ……。
というかこの自分、テンパればテンパるほど口が悪くなる説があるな。育った環境のせいだというのは記憶を掘り返せば納得もするけれど、それにしたって自分でもビックリしてしまう。
まあ相手が相手っていうのもあるかもしれない。幸か不幸か、相手はこの嫌味に慣れてる人間だったし。
『ちょ〜っと聞きたいことがあってね! 僕も仕方な〜く電話したんだぁ。だ・か・らぁ、
────変な誤解しないでくれる?』
こわ。こっわ。
最後だけ地獄のように低い声が鼓膜に直に響いた。ビビっている自分と“だろうな”って自分がマーブルテクスチャーだ。このぐちゃぐちゃ感、そろそろ慣れてきたかも。
浴室の扉に寄りかかって、胸の下で腕を組むように左手で右肘を支える。昨日から思ってたけどオッパイて大きいと邪魔なんだね。持てる者の苦しみってヤツだ。口だけじゃなくこっちも嫌味〜。
「なら手短に言え。こちらはお堅いデスクワークの身だからな。時間は有限だ」
『うっざ。いっつもいっつもいっつも! おしゃべりするたびに嫌味ったらしくてさ〜。ホント、そういうとこ、』
カチン。
あっ、これアレだ。
「二度は言わないぞ、飴村乱数」
マジギレスイッチ、入っちゃった。
「今すぐシブヤ・ディビジョンのスクランブル交差点に貴様の死体を転がしてやってもいいんだが」
『あっははー! 怒った怒った! おもしろ〜い!』
「飴村」
『ごめんごめーん! ちゃんと言うから電話切らないで〜!』
ひとしきり笑い終わった乱数が一呼吸置く。
『そっちにさぁ、麻天狼のホストが迷い込んでないか調べてほしくって。一郎からの頼みだったけど、多分寂雷のジジイからの依頼だと思うんだよねぇ。中王区の情報なら僕より早いでしょ?』
「──ああ、まあな」
そういえば一二三がいなくなって三日は経ったのか。そりゃ同居してる独歩がいるのなら行方不明なのはすぐに気付くよね。それで先生に相談して、先生から萬屋ヤマダに依頼が入ったわけか。ここら辺はドラマCDのストーカー事件でもあった流れだ。なるほどなるほど。
と、しみじみ納得しているのは私だけで、実際のこの私は結構な動揺をしているようだった。でも相手に気付かれるのは癪で、精一杯取り繕ってる。
「貸しということでいいな」
『えぇ〜相変わらずワガママ〜』
「貸しでいいな?」
『……分かったよっ、もう! 用事おわりっ! 電話切るからねっ!』
可愛らしい、みんなの乱数くんみたいな口調を一貫して使われても、こちらとしては相手の本心を知っているとイラッとしかしないらしい。私としては“かわいい〜〜〜”ってなるんだけど、まあ、仕方なくもあるよね。
だってこの乱数は、
『じゃあね、神宮寺さん』
お姉さんと呼ばないくらい、私のことが大嫌いなんだから。
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