推しを金で買ってしまった



「五億」


薄暗い地下ホール。姦しい声と集団の熱気、複数の香水が混じり合った異様な空間で、自分の声は不思議なほど良く通った。もともと気を付けないと威圧的に聞こえる声だと自負していたが、それにしてもここまで傲慢に聞こえたことはない。

上げていた右手を下し、邪魔クサいほどデカい胸の下で組み直す。無意識に顎を上げると自然とステージ上の司会を見下すようなポーズになった。これも普段なら気を付けている癖だけれど、今回ばかりは有効に作用してくれるだろう。


「何を黙っている。ハンマープライスだ」


呆けた顔が途端に嬉々として他を煽る。既に場の空気に呑まれ萎縮しきった彼女たちには無駄なものだったが。

形ばかりの木槌が様式美で高く鳴らされる。嬉しくもない賛辞を軽く受け流しながら、視線はずっとステージ上で静かに震える男に釘付けだった。

光の当たり具合で黄緑色にも見える不思議な金髪。死にそうなほど青褪めた端正な顔。ジャケットのみ脱がされたスーツには、ところどころにチームメイトとお揃いであろうシルバーのクロスが煌めいていた。

うん。


「MC GIGOLO似のイケメン健康優良男性、五億でお買い上げです!!」


……似っていうか、本人じゃん?

私の推し、なんで売られてるん????



***



「一括のお支払い、誠にありがとうございます」


違和感はずっと感じていた。

久々のビジネス絡みのパーティで知り合ったどこぞの金持ちのマダム。直接の取引先ではないので、適当に愛想良く会話して早々に切り上げようとしたところ、見慣れぬ一枚の名刺を差し出された。パッと見は中王区のこじんまりとしたクラブの紹介状。飲み直しましょうと微笑まれ、何となくの勘でついていった。

その先に待っていたのが真っ黒な違法競売だなんて、誰が想像できようか。

入口で渡されたマスカレード風のシンプルな仮面といい、何のためかも分からない番号プレートとか。気付くのは早かった。それでも引き返そうと思わなかったのには理由があるのだけれどそこは割愛。ひしめく女たちの姿をできるだけ記憶しながら冷めた目でステージ上を睥睨していた。

ステージの真ん中に伊弉冉一二三が連れて来られるまでは。


「次回の開催は一ケ月後になりますが、いかがいたしましょう?」
「ふむ。次回もこの手の出品はあるか?」
「ええまあ、流石にあれほどまでの上物の入荷はお約束いたしかねますが、毎回最低一品は競りにかけられます。運が良ければお客様の御眼鏡に適う掘り出し物にも出会えましょう」
「掘り出し物、ねえ」


人間でも商品は商品か。へえ。ふぅん?

五億の小切手と引き換えに革製の書類入れとホテルのカードキーを渡される。客のプライバシーとカモフラージュのため一度ホテルを経由して商品の受け渡しが行われるらしい。そこからお持ち帰りなりなんなりは客のお好きに、ってことね。

ていうかこれホテルとグルじゃなきゃできない所業じゃない? 入場許可証持ってないと入れないはずの中王区に、しかもそれなりの高級ホテルに男がいれば目立つ。なのにわざわざそこのホテルを指定したと言うことは、何人かの重役も一枚噛んでるってことでは? やば、帰ったらあそこの株売ろ。

ポーカーフェイスを保ちつつ次回の招待状代わりの名刺を財布に突っ込んで退散。呼ばれていたタクシーに乗ってる途中で書類入れの中身を見たら伊弉冉一二三のではない戸籍標本の写しと中王区への入場許可証だった。立派な公文書偽造ですありがとうございます。これで中王の外にも堂々と連れ歩けるね、やったね! の幻聴が聞こえてきた。えー引くわー。

サッと証拠品をしまい込んだあたりでタクシーが停まる。見上げると平日にも関わらず景気がよさそうに光輝いている。何度も利用したし、何なら年間で借りてる部屋もあるホテルだ。それも今回でお別れとなると愛しさと切なさと心強さが湧いてくる。嘘です怒りしかないです。

フロントを素通りしてエレベーターで高層階の角部屋へ。絶妙に人通りがなく、職員用のエレベーターの近くなあたりビンゴ。ホテルとグル説が濃厚になり、絶対に縁を切ろうと意気込んでドアを三回ノックした。

返事はない。当たり前か。

もう一度同じ回数でノック。やっぱり返事はない。

廊下に誰もおらず監視カメラも遠いことを確認してからドア越しに声をかける。


「君が伊弉冉一二三本人なら話がしたい。危害を与えないことを条件に部屋に入れてくれないだろうか」


……無言、ですよねー。


「明日正午にまたここに来る。必要なものはフロントに電話で注文してくれ。カードはここに置いていく。好きに使ってくれて構わないが、できるだけ早く回収してほしい。では」


廊下にプライベートのカードを置いて、エレベーターで最上階を目指す。きっと今日で最後になる慣れ親しんだスウィートルーム。上はクソだったかもしれないけれど、サービスは一級品だったな。遠い目のままカードキーを挿入し、入室と同時にオートロックを確認。堅苦しいジャケットをソファに放り投げてからようやっと一息つく。

………………お、おお、


「おしとしゃべっちゃった」


推しと喋っちゃった!!!!!!

『喋ってない喋ってない』と全力で首を振る理性と『ドア越しに喋ったもん!! 推し本当にいたもん!!』と反論する五歳児。思考放棄するとすーぐ五歳児が出てくる。しっかり混乱してるっぽい。ヤバい。理性が負けた。

落ち着くためにシャワー。シャワーで煩悩を流すしか、え、ええ〜〜推しと同じ次元に生きてるの〜〜マジでジマ〜〜?????

スーパードライに生きてきた人生が突然のテンション天元突破について行けてない。ヤバい。疲れる。シャワールームで謎の息切れを感じて早々に上がった。

まず整理しよう。今はH歴。ここは中王区。政権のトップは女が牛耳っている。男は中王区外のディビジョンで生活している。武力は放棄され、代わりに登場した精神干渉装置ヒプノシスマイク。各ディビジョンの代表が互いの陣地を賭けて戦うテリトリーバトルが開催され、中王区では立派な興行として利益が出ている。うん、ヒプマイっぽい。

そしてさっき競売にかけられていたのがシンジュク・ディビジョン代表チーム、麻天狼の伊弉冉一二三。多分本人。はい、確定。

私、生まれ変わってヒプマイの世界にいるの……?

そんでもって、あの、さっき、私、


「推しを金で買ってしまった……」


む、むり〜〜〜〜外道〜〜〜〜死〜〜〜〜〜〜〜。

濡れた頭のままバスローブ羽織って部屋中を歩き回る。記憶している限りこの人生で一番の奇行に走っている気がする。そりゃそうだよ、今までの人生オタクじゃなかったし。オタクなんて奇行に走るのが趣味みたいなもんだ。

だって、あんな怯えた顔をしてた。スーツは着てたけどジャケットはなかったからホストモードになれなかった。ということはあそこにいたのは素の一二三。女にトラウマがあって声も出せないほど縮こまってしまう伊弉冉一二三なんだ。

どれだけ怖かっただろう。誘拐されて連れてこられた知らない場所で大勢の女が自分を物のように見つめてくるなんて。誰も助けてくれない敵だらけの場所に放り投げられて、きっと冷静でいられるはずがない。

私なんて、その光景だけでショッキングだった。ショッキングすぎて前世を思い出すくらいだ。前世基準では二次元の存在とはいえ推しには健やかな日々を過ごしてほしい。早くこんな場所から離れてほしくて、気が付いたら片手を上げてて、声に出したのは即金で払える最大額。その後のことなんてサッパリ頭から抜け落ちてのことだった。

今の私がやるべきこと。違法競売でディビジョンバトルの代表を買い取って来てしまった私のこれから取るべき最善。想像して軽い吐き気がした。

明日、面と向かって一二三と会う。そして可能なら同じ車でここから移動しなければならない。部屋はまだしも車なんて嫌でも至近距離に長時間押し込まれる。推しと至近距離で二人きり。むり。死んじゃう。しかも相手からしたら自分を金で買った女だ。トラウマも合間って倍プッシュ……憎まれ怯えられてさぞ居心地悪い空間になるだろう。あっ死ぬ〜〜〜死んだ〜〜〜〜今の時点で目が死んだ〜〜〜〜。

……酒、飲まずにはいられないッ!

顎下程度の短い髪を適当に乾かして、意気揚々とワインボトルを取り出す……その前に。何とか荒ぶった気持ちを落ち着かせながら記憶してある番号にコールした。


「夜分遅くに失礼いたします、勘解由小路様。少々お耳に入れたいことが」


お仕事、大事。



***



約束の正午ちょうどにノックを三回。なんでピンポン押さないかって、なんとなく三回ノックは私が来たぞってイメージを相手に印象付けるためだ。なんとなく、保険で。

か細く「はい」と返事が来る。ゆっくりとドアが開くのを一歩引いて待った。


「入っても?」
「………………………………………………どうぞ」


ものすごく長い間。やっと開いたドアの隙間からは怯えているのが一発で分かる青い顔が見えた。そりゃそうだよね、だって売られて買われたのは昨日の今日だし。

そして普通に入ろうとしたところ10センチ以上ドアが開かない。あれっと思った。よくよく見れば一二三の服が昨日と変わっていない。


「ふざけてるのか貴様は」


ふざけてるのは私じゃバッカモーン!!!!

とっさに出た暴言に白目を剥きかけた。

昨日から薄々気づいていたけど、この世界の私おっかない口調してるな? ほぼほぼ思考回路は近いから間違いなく私で、これは多分生き方の違いだ。なに、私からオタク成分を抜いて権力と金を上乗せするとこんな怖い女になるの? 一応気を付けないとキツい態度になるのは昔から自覚してるっぽいし、悪意なく上から口調なのがむしろタチが悪い。一二三に対しては慎重に言葉を選ばないと。

青を通り越して白い顔の相手を刺激しないよう、ゆっくりした口調で、できるだけ笑顔を心がける。


「……すまない。失言した。昨日の件で他人と会うのは忌避感があったのだろう。気が利かなくて悪かった」
「ッ……っぁ、う」
「好きな服を選んでくれ。これでは話もできない」


私的には昨日の内に適当にスーツを買ってもらって今日の話し合いに備えてねって意味でのカードだったけれど、ストレスフルで緊張状態の人間になに冷静な判断を求めてるんだって話だ。というか私もきっちりしっかり混乱してたね? 冷静な判断できてないね?

まだちょっとしか開いてないドアの隙間にタブレット端末を差し込む。震える手が遠慮がちにそれを受け取って、数分で戻って来た画面には案の定一二三がいつも着ているのと似た型のスーツ一式。ただ色味はホストのよりも落ち着いていてカジュアル寄りだ。さっさと注文ボタンを押して電源を落とす。


「一時間以内に部屋の前に届くよう注文した。それまで可能なら風呂なり食事なりきっちり取って落ち着いた方がいい。私は二時間後にまた来る。では」


辛うじて頷いたのを確認してその場を離れる。

二時間後にまた部屋を訪れるまで、頭の中では会話のシミュレーションに忙しなかった。


「落ち着いただろうか」
「はい、お心遣いありがとうございます」


また三回ノックすると、今度はすんなりとドアが開いた。髪はふわふわノーセットだけどカジュアルなスーツを着た一二三がいて、シャワーをちゃんと浴びたのか顔色もマシになっていた。それでもホストモードとは思えないほど硬い表情で部屋に招き入れてくれた。

中はクイーンサイズのベッド一つと一人がけのソファが二つ、テーブル一つ。シングルルームともダブルルームとも取れる絶妙な広さだった。うわ、気まずっ。ソファを勧められ、テーブルを挟んで向かい合う。

大丈夫だ、シミュレーションばっちりやったし、今の顔は無表情は氷の女王だったけど笑ったら結構癒し系だったし。できるだけ柔らかい、せめてとっつきやすい雰囲気を心がけてゆっくりと口を開く。


「早速で悪いが本題に入ろう。これから話すことに拒否権はない。こちらも守秘義務があり、そちらにも守秘義務が発生する事案だ。それを念頭に置いて話を聞いてほしい」
「は、はい?」
「君には最短一ケ月ほど、私の管理下に置かれてもらう」



だから!!! しゃべりかた!!!! おっかないってゆったでしょ!!!!!!!


あまりのことに脳内五歳児が癇癪を起こした瞬間だった。





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