ノーバディ・ノーウェア3



昼は夢、夜ぞ現。
うつし世は夢、夜こそまこと。

私たちが見ている現実こそがまやかしであり、真実は夢の中にある。とは江戸川乱歩の言葉だ……ったような気がする。というかこれで解釈合ってる? 約二十年と飛んで前世の記憶とか眉唾物だ。ググれれば早いんだろうけど、この世界に実在しない人物なんて調べられるはずもなく。何となくの記憶を頼りに思い出すしかない。


「なあ、おい、アンタ」


私が夢野先輩に話した内容だって同じだ。全部うろ覚えの雑な説明で、本物の素晴らしさの三分の一も伝わっていないだろう。もしかしたら他のお話と混ざってたり結末を間違って覚えていたりするかもしれない。先輩は頭が良いから、きっとそういう話の整合性の違和感に気付いたはずだ。案外、そこら辺の粗さが“自作を他作だと言い張っている”疑惑を助長させているのかもしれない。……うわっ、ありえる。


「アンタだよ、聞いてんのか」
「あっ、えっ、私?」


シブヤ・ディビジョンの某公園。土曜日の午前中に考え事をしながら歩き回っているところを見知らぬ人に話しかけられた。


「さっきからおっかねぇ顔でうろちょろしやがって」
「は、はあ、すいません」
「ったくよォ。気が散っておちおち寝れもしねぇぜ」


寝るとか言ったか、この人。

ベンチに胡坐をかいて煩わしそうに頭をかいている男の子。どこかで見たような顔だ。有名人、ならこんな時間に公園のベンチで寝ないだろうし。うぅん、どこで見たんだろう。


「なに人の顔ジロジロ見てんだ?」
「す、すいません」
「あ? 俺は理由を訊いてんだよ」
「すいません……」
「謝んなっつーの。無意味に謝る人間は薄っぺら野郎だって相場が決まってるんだよ」
「う、薄っぺら……」


分かってはいても、見知らぬ誰かに面と向かって言われるとツラいものがある。

苦笑いを浮かべる私に対し、相手はジトっとした目で胡散臭そうに見てくる。絶対知り合いじゃない。なのに既視感。本当にどこで見たんだ。明らかに大学の後輩でも職場でもみたことがない子だし。

さりげなくチラチラ観察した──つもりだったのは私だけで、相手にはばっちりバレてたらしい。


「ダァーー!! だからさっきから俺の顔見すぎなんだよお前は!! 何の用だって聞いてんださっさと答えろ!!」
「あっ、あぁ、すいまっ、あっ!」
「また謝ったなテメェ!!」
「すいません! どこかで見た顔なのにどこで見たか思い出せなくてモヤモヤしてました!」
「すいませんが余計なんだよッ!!」
「うっ、あ、はいっ!!」
「よし!!」


なんで急に体育会系のノリ?

自分に自分でツッコミを入れてしまうほど久しぶりに大きな声を出した。謎の息切れをしている私に対して相手はハンと大仰に鼻を鳴らした。


「んで、俺の顔に見覚えがあるんだって? そりゃ多分アレだ、俺がFling Posseの有栖川帝統だからじゃねーの」
「……ああ!」


確かに! という納得。釣書で見たのは隠し撮りみたいな横顔だったから……あれ、ガチで肖像権侵害されてない?

パンッと両手を合わせると馬鹿を見る目で呆れられた。うぅ、グサグサ刺さる。


「ボサッとしてる割にウザったく歩き回りやがって。なぁんか嫌なことでもあったのか?」
「いやぁ、それは、まぁ」
「ま、俺には関係ねぇけど」
「えっ!」


ここは話を聞いてくれる流れではないの!?

ちょっと吐き出して楽になりたかった気持ちが宙ぶらりんで行き場をなくす。我関せずな有栖川さんは、ボリボリ頭をかいて大きな欠伸をした。


「ダチでも仲間でもねーヤツの話、タダで聞くわけねーだろ」


タダ……タダか……。


「あっ、ここにホテルビュッフェの無料招待券があるんですけど」
「なんでも話してくれ、俺たち昨日今日の仲じゃないだろ?」


初対面では……?

変わり身の早さに引いてる間にも有栖川さんは姿勢を正し隣をバンバン叩いている。

休日に予定が入ってて結局行けないまま期限が切れそうだったから、使ってもらえるなら本望だろう。そろりと隣にお邪魔すると、有栖川さんは聞く体勢に入った。ベンチに片足立てて頬杖つくというアウトローな体勢だ。メンチを切るみたいな猫目がなんだか落ち着かない。


「ええ、と……この前久しぶりに会った先輩が、思い詰めているみたいで、どうしたのかなぁと、お電話したんです」
「へぇ」
「そしたら、その、告白されたんです」
「ほぉーん。で、付き合うのか?」
「ふへっ!?」


直球ストレートみぞおちヒット。打者凡退。むしろ退かせてくださいお願いします。

流石にチームメイトの夢野幻太郎さんのことですよーとは言えず、ぼかしぼかししゃべろうとした思考が吹っ飛んだ。


「それが、よく分からなくて……」
「は? なんでだ? 好きなら付き合う。嫌なら付き合わない。簡単だろ?」
「そんな殺生な」
「んじゃ、チューできるかできねぇかで決めろよ」
「そんな殺生な」


ここに来て、私はやっと相談する相手を間違えたことに気付いた。そもそも先輩のチームメイトの方にするのが間違っている。


「セッショーだか山椒だか知らねーけどよ。返事する気はあんだろ?」
「うっ、はい、まあ」
「ここで潔く決めちまった方がおめぇも楽だろ。絶対一人になったら悩みまくって結局決められないだろ」


初対面なのになんで分かるんだこの人。


「パーッと行ってチューして来いよ」
「チューは確定でするんですか!?」
「できねぇならフれば終わりだろ。解決だな!」
「ええ……」


想像する。夢野先輩の端正なお顔に、薄い唇に、チュー。…………いやいやいやいや、さすがに好きな人相手だろうと突然チューされたら先輩も不愉快でしょ。潔癖そうだし。はい無理。


「できません」
「はぁ!?」
「ひぇっ」


声に出てた……!


「せっかく俺がテメェの興味ねぇ相談に乗ってやったのになんだそれ! 俺のシンセツ返せー!」


ありえねぇと顔にも声にも出した有栖川さんが乱暴に私の肩を揺さぶって来る。


「す、いま、」
「謝れって言ってねーだろ!」
「すい、ま、」
「だーーーー! さっさとチューして玉砕して来いよ!!!!」
「チューとは?」
「コイツの優柔不断をどうにかしてやるんだよ、幻太郎!! ……幻太郎?」
「はい」


いつの間に!?

一悶着起こっていたベンチ脇に音も気配もなく夢野先輩が立っていた。春風もかくやという爽やかなお顔。


「もう一度聞きますよ帝統。チュー、とは?」


実際は春一番くらいの暴風だったんだけど。







有栖川さんが何故かしどろもどろに逃げていってしまい、残った私たちは重苦しい空気のままベンチに座っている。

最初は「あのような変人ギャンブラーに声をかけるなんて身包み剥がされて賭け金にされても文句は言えませんよ」とか恐ろしいことを言っていた先輩も、ぽつぽつと言葉数が減って、今では無言だ。

これは、私の言葉を待っている、のか?

今、告白の返事をして良いの?

そわぁ。隣をチラチラ見ても先輩と目が合わない。そもそもベンチで隣に座ってる時ってお互いを見ずに前だけ見てたな。

……なんか、懐かしいなぁ。

場所は違えど、大学時代もこんな感じでお話した。私が馬鹿正直に知っている小説を語って、夢野先輩が興味深そうに頷いて。

そういえば、私の今の状況ってある意味、


「『押絵と旅する男』、なんですよね」
「はい?」


また、声に出てた……!

あまりの口の緩さに思わず項垂れる。先輩から説明しろという視線を受けて、恐々と顔を上げた。


「昔、読んだ小説と今の自分が重なって」
「……あなた、こんな時まで小説の話ですか」
「面目次第も、」
「ま、いいでしょう。久しぶりに聞いてあげますよ」
「えっ」


嘘でしょ、と見つめ返しても緑色の目が続きを促してくる。あうあうと口をまごつかせながら、私はできるだけ簡潔にあの小説のあらすじを説明することにした。

押絵の女に一目惚れして絵の中に入り、自らが絵となって女と結ばれた男。その一部始終を見届けた弟は新婚旅行と称して兄夫婦の絵を持って旅をしている。彼らに列車で出くわした旅人の白昼夢のような話、だったはず。

何年も旅を続けてきたのか。元々生き物ではない──生きてはいない女は年を取らずに若く瑞々しいままの姿であるのに、男は自ら人外の世界に入っても人間の理に縛られ醜く年老いていった。白粉をはたいた美しい女に寄り添う男の顔には黒い糸のようなシワがいくつも這い、表情は苦悶に満ちていた。

それでも二人はお互いを愛しく想い、もともとそういう絵であったようにひっそり身を寄せ合っていた。いつまでも新婚のように、幸せに笑い合っていた。

私は、どっちなんだろう。

変わらないまま、変われないまま。二十年以上たった今もここは知らない世界だなって思ってしまう。ちっとも自分が生きている実感が湧かない。


「夢野先輩に好きだって言われて、ちょっとだけ、押絵の女の人の気持ちを想像しちゃったんです。こんな気持ちだったのかなぁ、と」


最初は普通の絵だった女。何かの演目を描いた絵だったのか、隣には同じく絵の男がいた。その男の立ち位置に取って代わるように人間の男が入ってきて、隣で熱心に自分を口説くのだ。感情を得て、絆されて、愛しく思うのは自然の摂理なのか。急に別の世界の生き物と出会った戸惑いはなかったのだろうか。

そんなことを、この世界の住人の先輩と当てはめて考えてしまった。

だって私は、こんなにも戸惑っている。


「私の方が、絵に入ってきたのにね」
「あなたは、この世が絵の中だとでも言いたいんですか」
「あっ」


冷やっとしたものが背中に走った。

まるで、私に前世の記憶があることを告白してしまったみたいで。既に頭がおかしいと思われているのに、前世とかスピリチュアルな話をしたら、今度こそ取り返しがつかないような何かを、思われるんじゃないかって。

震えた私の手を、先輩の白くて大きな手が覆う。包んで、取って、引っ張って。逆らうこともできずに先輩の顔と向き合った。


「あなたが投げやりな理由が分かりました」
「な、投げやり?」
「というか人任せ。良くも悪くも他人に決めてもらいたがるのは、現実をちゃんと見ていないからなんですね。頭にキました」


とっさに否定しようとして、何も言えなかった。


「業腹ですが、帝統の案を採用しましょう」


ベンチに手をついてこちらに身を乗り出す先輩。手を握られていて動けない私は、近付いて来る顔を黙って見るしかできない。ああ、こういうところが先輩の言う“投げやり”なんだろうか。


「石榴、チューしてみてください」
「は、」


…………なんですって?


「ふふふ、吐息がくすぐったいですね」
「っ!」


えっ、えっ、えぇ!?

先輩が笑うと、唇に生暖かい風を感じた。私も先輩の吐息がくすぐったかった。身震いする体。許さないとばかりに手を握る力が強まる。


「このチューをもって告白の返事とします。できるなら僕たちは晴れて恋人同士、できないなら僕はこの場で諦めます。あなたの思い出の中の先輩として、これからも時々本の感想を求める程度の仲です。おや、小生が一切本を出版しなければ二度と接点がありませんね? 困った困った」
「あ、え、そうです、ね?」


もう一度、唇に息がかかった。溜め息だ。


「ね? あなたにとってはどうでもいい人間なんです。拙者のことなど捨て置いて、麻呂のことなど忘れて、小生なしで生きていける」


俺のことなんて、どうでも良いと思っている。


「ち、ちがう、違いますっ!」
「違わないなら、ほら」


緑色が、逃げる事は許さないと私を追い詰める。

私は、夢野先輩の幸せを願っている。夢野先輩が作家として大成して、すごい人なんだと世の中の人に認められることを嬉しく思う。けれど、その横に私がいて、夢野先輩が幸せだと言ってくれるなら。ここは私がチューをすべきなんだろうか。そもそも、私は夢野先輩にチューできる? したいと思うのか?

お顔は言うまでもなく綺麗で、意地悪な言動を忘れるくらいに優しそう。でも私は白々しくからかった後の子供っぽい笑顔の方が好きだ。馬鹿にしたかと思えば兄のように“しょうがない子”と見られるのも嫌いじゃない。

あれ、これは私、先輩のこと好きなんじゃ?

コクリ、喉が音を立てて唾を飲み込む。どうしよう。これは好きって感情で合ってるのだろうか。迷っている間に、先輩と繋いでいる手がぬるりと汗をかく。一旦離して欲しいな、と揺らすと恐ろしい力で握り締められた。けど先輩の手も汗で湿っていて、それが妙に恥ずかしくて。顔が熱くなると、近くの先輩もコクリと喉を鳴らしたのが分かった。

二人して緊張している。ひぇっ。

急に堪えられないほどの恥ずかしさがやって来た。だってここ、外。周りに誰もいないけど、いつ人が来るか分からない。この状況を終わらせるには、私がチューするか離れるかしかなくて、そう、とりあえずチューすれば先輩と永遠にお別れすることはない。万事解決では? うん、とりあえずチューしよう。チュー、チュー。

…………チューってどうすれば?

そろりと助けを求めて先輩を見ると、早くしろとばかりに目が細められる。た、たすけておまわりさん。

頭ぐるぐる目もぐるぐる。完全に混乱しきって限界間近だった私は、遠くから駆けてくる足音に気付かず、



「ホテルビュフェの無料けぇーんッ!!!」



突然の大声に、大袈裟に震えてしまったのだった。

ガチッ!


「いだっ!」
「っ!?」
「相談乗ってやったのに貰ってねぇぞッッッ!!!!…………へ?」



有栖川さんが見たのは、口を覆って俯く私と夢野先輩という、世にも奇妙な光景だったことだろう。ベンチに倒れ伏す私は、生憎と見れなかったけれど。


「帝統……」


先輩の地獄のような声だけはしっかり聞いていた。


「げ、幻太郎?」
「覚えておけよ」
「ひょえっ」



これは、お返事したうちに入るのかな。







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