IDK!



おいおいおい、マジかよ。

手元のスマホでメッセージアプリを起動してはホームボタンで戻る。時間の無駄にもほどがある動作はここ一週間で既に数え切れないほど繰り返していた。

石榴さんに連絡を取れない。言葉にしてみると馬鹿かよと言いたくなる悩みがもはや笑えない域ににまで達しようとしていた。

何を躊躇っているんだ俺は。相手からの返事は『考えさせてください』であって『お断りします』じゃない。関係は進まない代わりに終わってもいないんだ。ならシレッと今まで通り食事にでも誘えばいい。何も遠慮する必要はない。上辺だけの口説き文句でも相手には十分有効だったのだから、本心からの口説き文句はもっと効果的なはずだ。今までの雑さを挽回すれば相手も頷いてくれるかもしれない。いや、頷かせる。絶対にだ。ならば余計に会って話をするべきだというのに。

アプリを開く。親指一本でメッセージを入力。『今週の金曜日の夜は空いていますか? 以前お話ししたイタリアンの店を予約したいのですが、石榴さんの予定を──』消去。消去消去。……いや、なんでだよ。

そもそも、思い返せば連絡を取るのはいつもこちらからで、相手から来たことなんて一度もない。いや、マメな男の方が気があるように見えるからと定期連絡を怠らなかったことの弊害か? それにしたってこうも向こうからのアクションがないと流石に気が滅入る。……やはり、石榴さんは勘解由小路に言われたから付き合っていたのであって、俺自身に興味はなかったのではないか、と。

恋愛ってやつは双方ともに恋愛する気がないと成立しない。当たり前のことを今さら思い知らされるなんてな。

いつの間にか短くなっていた煙草を灰皿に押し付けて腕時計を見る。結構いい時間じゃねえか。遅刻してヘソ曲げられんのも面倒くせぇ。ポケットの中のキーを確認しつつ、愛車を停めている駐車場まで急いだ。


「感謝しろよ銃兎。どんくさいテメェの代わりに俺様がシメといてやったぜ」


MTCの会合だと事務所に呼び出されて開口一番に左馬刻がほざく。とりあえずヤニを入れようと胸ポケットからボックスを取り出した、まさにその時だった。


「あ? 何を、誰に?」
「テメェの見合い相手に決まってんだろ」
「あ"?」


手の内にあったボックスが僅かに歪む。こいつは今、なんて言った?


「使うには打ってつけかもしれねぇが、ありゃ遊ぶには面倒なタイプだぜ。引っかける相手くらい選べや」


『少し考えさせてください』──あの言葉、あの表情が嫌にしっかりとフラッシュバックしてくる。思えばあの日は最初から少し態度がぎこちなかった気がした。こっちもこっちで何度会っても慣れない初々しさに、改めてこれが演技じゃないのかと感慨深い気持ちになったが……


「何を言った」
「あ?」
「彼女に何言ったか聞いてんだよダボがッ!」
「あ"あ"!?」


ネクタイごと胸倉を掴まれ、とっさに相手の腕を掴み返す。


「テメェが回りくどい手使ってまで出世してぇっつーからよォ、協力してやれって俺様直々に頼んでやったんだ。その気があったらの話だけどなァ!」
「……じゃねぇんだよ」
「あ"!? 聞こえねぇなハッキリ言えや!!」
「遊びじゃ、ねぇんだよッ」


……急に黙んなよ何とか言えや。

直前まで凶悪な面してたくせに、信じられないモノ……つーよりは気色悪ぃモノを見たようなツラしてやがる。恥を振り払うために軽く叫んじまった俺にとって、現状は恥の上塗りでしかない。三十を目前にして何やってんだ俺は。

これは、左馬刻の女に対するコンプレックスを勘定に入れていなかった俺のミスだ。

互いに気まずい空気が流れて手の力が弱まる。それを見計らったかのように事務所の扉が開いた。


「遅れてすまない。……どうした、喧嘩か?」
「り、理鶯」


タイミングが良いのか悪いのか。いつもの無表情より心なしか驚いた顔で理鶯が俺と左馬刻を交互に見やる。まずい。二人して同時に腕を離してソファに座り直したが、少し遅かった。


「そうか、腹が減っているんだな、分かった」
「な、何が分かったんですか理鶯?」
「待て理鶯! で、出前! もう出前取ってあっからお前は座っとけ!」
「ム。そうか、取ってあるなら仕方ないな」


た、助かった……。

無言でスマホ片手に出ていく左馬刻の部下を見送りつつ、歪んだネクタイを適当に直す。

コイツに当たっても仕方ない。らしくもなく熱くなっちまって、余計に惨めな気分になった。だが、プロポーズを断られた理由は分かった。今はともかく最初は本気じゃなかったことが向こうにバレてる。……救いようがねぇ。

信頼を得るのは簡単でも、一度落ちた信頼を取り戻すのは恐ろしく難しい。こと恋愛面での信頼は人間関係の中でも最難関の部類に入るだろう。頭が痛ぇことだ。

信頼を取り戻せるか否か。アレコレ思い悩むより先に、まず話し合う機会を作らなければいけないわけだが。


「銃兎は、行政監察局とのコネクションがあると聞いたが」
「え? いえ、正確には勘解由小路無花果の親族ですが。彼女と連絡を取ることは可能です」


理鶯の口からコネなんて言葉が聞けるなんて珍しい。というか初めてじゃないか。曖昧に頷くと、これまた珍しく悩むような仕草を見せてくる。


「小官にも会わせてくれないだろうか」


期せずして連絡を取る口実ができた瞬間だった。



***



口の中に唾液が溜まる。食欲が増したから、なんて理由ではない。そんなことあって堪るか。

落ち合う場所として指定されたのは理鶯のベースキャンプ。見るからに運動などしなさそうな石榴さんを連れて行く心配はもちろんのこと、理鶯が自分のテリトリーに初対面の相手を引き入れるというのにも違和感があった。アイツを疑うわけではないが、どんな思惑があるのかと考えずにはいられない。


「銃兎さん、あの、どちらに向かっているんですか?」
「え、ああ、もうすぐ着きますよ」


考え事が過ぎた。気が付けば黙々と目的地付近まで歩いていたらしい。その間無言。流石にありえないかと振り返ろうとして、思うように首が回ってくれない。つい一週間前にプロポーズを断られた、それも遊ばれていると思っているだろう相手だ。むしろよく今日の誘いに乗ったもんだ。そういうところまで押しに弱いのだとしたら心配どころの騒ぎじゃない。何か言おうとした口は何も動かず、結局またさっきまでの無言に戻ってしまった。

感じられるのは獣道を先導するために引いている手の感触。普段のスーツで彼女に会うのは初めてだ。気付いた途端、手袋越しに手を握ることに違和感を覚え始めた自分に呆れた。

そういや、相手の出方を伺いすぎて全く手を出していない。出会って一カ月、デートは五回。やったことと言えばお手手つないでお出かけか。呆れを通り越して笑う気も起きない。

まさかそのすぐ後に別の意味で笑えて来ることが起きるとは。

お上品にスプーンでからあげを口に運ぶ箱入り娘。信じられない光景だった。ありえないことに、彼女はゲテモノがイケる口だったらしい。道楽の一種で経験済みだったとかか? 金持ちの考えることは分からん。

彼女が食べた手前、俺が食べないわけにもいかず、覚悟を決めてゲテモノ料理をかきこむハメになった。何故……こんなことに……。

込み上げてくる得体の知れないモノを必死に飲み下す。軽い現実逃避まで思考が飛びかけた間に、事態はさらにおかしな方向へ転がっていく。


「銃兎さんのこと、もっと知りたいんです」


なんだこれは。

突然に訳の分からないことを言って勢いよく頭を下げた彼女。「銃兎さんのこと何も知らなかった」のあたりで罵倒が飛んでくるかと身構えれば、続きは「チャンスをください」と来た。さらにこうも恥ずかしそうに顔を真っ赤にして頭を下げてくるとは。意味が分からない。

左馬刻が彼女に出世目当ての件をチクったのは嘘だったのか? いや、そんな意味不明な嘘をアイツがつくとは思えない。では、これは、本当になんだ? 明らかに責める目じゃなく懇願している目だ。とんでもなく下手に出た目でこっちを見上げてきやがる。腹を空かせた子犬に餌を前に待てを強いている気分になった。

騙されるな、この女はさっきまで黙々と蟻の卵を食っていた女だぞ。叫びたくなる衝動とは裏腹に、心の底から湧き上がる何とも言い難い別の衝動。


「よろしく、お願いします……」


こんなの、断れるわけがない。

カップル割引という言葉が出てくるあたり、少なからず、奇跡的にも俺とカップルの自覚はあったらしい。つまり恋人として紹介してもいいくらいには俺のことを認めているわけだ。その隙を逃してなるものか。

なんとか絞り出した返事に石榴さんがそろりと顔を上げる。そして心底安心したと言わんばかりに表情が解れていく。至近距離で見て良い顔じゃない。利用しようと近付いてきた男に対してその顔はないだろ。崩れかけた口元は、内側の頬を噛むことで何とか耐えきれた。

こっそりと息を吐いて落ち着いたところで、急に神妙な顔をした理鶯が石榴さんを呼んだ。


「聞きたいことがあるのだが、良いだろうか」


そういえば、理鶯が石榴さんをここまで呼びつけた理由をまだ聞いていない。混乱していた頭がスッと冷たくなる。

どんな話が始まるのかと注視すると、皿にスプーンを置いた理鶯は突拍子もない質問を彼女に投げかけた。


「貴殿はH法案についてどう思う」


明らかな政治の話だった。


「どう、ですか?」
「ああ、軍部の廃止、武力放棄の話だ。率直な意見を聞きたい」


何のつもりですか、理鶯。そう目で訴えかけてもいつもの何を考えているのか分からない顔で見つめ返される。グッと眉間にシワが寄るのを自覚した。

そんなこちらの気も知らず、石榴さんは難しそうな顔でうんうん唸っている。


「テレビで聞いた以上の知識はないですし、小学生のような感想で恥ずかしいんですけど、」
「構わない。聞かせてくれ」
「……本当に武力放棄は完了しているんでしょうか」


────────は。


「戦争が簡単に勃発しないのはそれぞれ同盟国による後ろ盾があったからで、ええと、暴力装置、って言うんですか? そういうのがあったから一応日本は平和を保てていた。それって簡単に手放せるものなんでしょうか。表向き放棄したと公表しても裏ではこっそり隠していたり、なんて勘ぐってしまって……それに、」
「それに? それに、なんだ?」
「そ、そもそも、今だって完全に武力放棄したとは言えないと思うんです」


嫌な汗がコメカミに滲んだ。

これ以上は言わせてはいけない。止めなければいけないと、そうは思っても、喉の奥がひりついて仕方ない。音を立てて唾を飲み込んだタイミングで、石榴さんは逆に息を吐いた。こんな時だけ、言っていいのかとこちらを軽く伺う様子を見せてきて、本当に、わけが分からなかった。


「だってヒプノシスマイクは、脳に作用して相手の神経をおかしくするんでしょう? それって身体的に害されていることと何が違うんですか? 私からしたら立派な武器だと……銃兎さん?」


ここまで……ここまで箱入りだとは思わなかった。

石榴さんは、本当に大切に育てられた人間なんだろう。政界に関係ない人間だからこそ、関係ないことで思い悩まないように。家族から何の情報も与えられず、それこそペットのように可愛がるばかりの接し方をされた。だから政治の話など振られない。専門家はわざわざ素人の意見など仰がない。何も知らないと決めつけられた彼女の意見なんて、始めから求められるわけがない。

だからこそ、こんな、政権批判とも取られかねない思想を持っているなんて予想だにしていないのだろう。

少し考える頭がある人間なら至る当然の疑問。それが石榴さんの口から出るとなると意味が変わって来る。

聞く者が聞けば、これはある意味醜聞だ。勘解由小路を嗅ぎまわるマスコミの格好の的。

H法案の可決とヒプノシスマイクの運用は勘解由小路が主導の政策だ。それを勘解由小路の人間が疑問視するなど、どこかの政治家に抱き込まれたマスコミが世論の不信感を不必要に煽る様が目に浮かぶ。そうなった場合、勘解由小路家は石榴さんをどうする。今まで通り良くも悪くも自由な日々を送れるのか。嫌な予感しかしない。

もしも、理鶯が石榴さんを山に呼び出すのではなく、ヨコハマ・ディビジョンのどこかの店で二人を引き合わせていたら。想像しただけでゾッとする。


「石榴さん。その話は他所で口外しないでください」
「えっ」
「絶対ですよ」
「えっ、はいっ、すいませんっ」


何が悪かったのか分からず、それでも自分が悪いのだろうという態度で謝罪する。余計に誰かが見ていないといけないという危機感が積もった。

ヤバい女に惚れてしまった……。



***



「銃兎さん、幻滅しましたか?」
「はい?」


理鶯の真意は分からないまま。結局あの後はたらふく……本当にたらふく飯を食わされて、日が暮れる前にと下山を始めた。獣道をまた石榴さんの手を引いて歩く。行きとは別の考え事が増えてしまった。軽い頭痛を覚え始めたその時、黙って手を引かれていた彼女がか細く声を上げる。


「さっきの、私、物を知らなくて本当に小学生のようなことを口走ってしまったから。銃兎さんに呆れられてしまったんだと思いました」


足を止め、振り返った先で、声の印象通り彼女は所在なさげに狼狽えていた。


「政治の話はデリケートなことですから。石榴さんが変に誤解されるのは、私も悲しいので」


いつもならもっと優しく、柔らかくを心がけている声音が固い。当たり前だ。何故なら図星を突かれたから。

幻滅した? ああ、そうだ。幻滅したさ。失望だ。こんな、箱入りも箱入り、ガラス細工の箱に砂糖菓子か羽毛か何かを敷き詰めて大事に仕舞われて来たような女と恋愛? それも上に目をつけられないように常時気を張り続ける綱渡りな人生を選ぶなんて、その価値がこの女にあるのか? リスクを取る対価がこの、爆弾じみた思想を持った女に? まさか! 一度冷静になるべきだ。見た目と中身のギャップが激しくて驚いただけ。普段付き合わない類の女が物珍しかっただけで、本当は惚れてなんかいない。そうか、俺はこの女と恋愛ごっこをマジで楽しんでいただけなのか! ははッ、三十を目前にしてお遊びが過ぎるな。女遊びも流石にそろそろ自重するべきだろう。

こんな、


「本当に? 馬鹿だなって思いませんか? 本当?」


こんな、女なん、て、


「また、ご飯一緒に行ってくれますか?」


………………………………くそッ。


「こんなことで呆れたりしませんよ。ご飯だって、むしろ私の方からお誘いしようと思っていたくらいです」
「よ、よかったぁ……」


ダメだ。具体的に何がダメなのか分からないがとにかくダメだ。突き放せない。なんだこれは。意味不明すぎる。気位の高い高層マンションの家猫みたいな顔立ちの癖に、なんで俺のような男相手に信頼しきったツラで笑えるんだ。ふにゃふにゃふわふわと無防備に晒しやがって。餅か。綿あめか。なんだこの生き物は。

空いている方の手が思わず左胸を抑える。謎のうめき声が喉から飛び出しそうで、また同じところの頬肉を噛むハメになった。口内炎ができたらどうしてくれる。いや、できたとしても報告しねぇが。違う、そういう話じゃない。ああ、面倒くせぇ!

分かった、今度こそちゃんと認める。俺はこの、ヤバい立場にのほほんと警戒心ゼロで居続けるヤバい女に本気で惚れている。リスクを取ってもでも何をしてでもいいから欲しい。手の届くところに置いて、身も心も自分のものにしたい。この馬鹿げた見合いでできた縁を逃したくない。認める。俺は石榴さんが好きだ。

だから今こそ、確実に相手を落とすために次の繋ぎを作らなければいけない。彼女が油断しきっている今なら、食事のお誘いをすれば100パー頷かれるはずだ。

揺るぎない自信と確信のまま。少し前まで何度も打って消してを繰り返したメッセージをそのまま口に出した。


「次はいつ会えそうですか? 先日お話ししたイタリアンの店が予約できそうで、」
「あ! だ、だめ! それは行けません! ごめんなさい!」


なんでだ。



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