WTF?



「少し考えさせてください」


最初のプレゼントにアクセサリーは重いだろうと、恥を忍んで買った花束が無駄になった瞬間だった。

何か俺は間違ったことをしたのか。やはり花束はクサすぎたのか。今日のレストランがお気に召さなかったか。いや、そもそも今まで照れて笑って喜んでくれていたアレは結局演技だったのか。

いつも心がけているポーカーフェイスを忘れるほど、アレコレと反省点を上げ連ねている間に彼女は逃げるように帰ってしまった。



***



「お疲れさまです銃兎さん。……何かありましたか?」
「お疲れさまです。いえ、なんでもありません」


何かあったからイラついてんだろーが。と当たり散らさないのが社会人といものだ。

署内の廊下ですれ違った部下を躱しつつ駐車場の愛車を目指す。まだ日が出ている内に直帰するのは久しぶりだ。だいたいは残業か、組とのパイプ強化か、左馬刻のお守りか、理鶯の様子見か。やることはいくらでもある。

今日の別件もやることの一つ。上役方との会合とどっちがめんどくせぇだろうな。

一度家に帰ってシャワーでヤニ臭さを消し、新品のスーツに着替える。襟のチェーンはくどいから外すとして、タイピンだけでも着けておくか。MTCの代表らしいアピールをするのも仕事の内だろう。いつもより念入りに七三を整えて眼鏡を掛け直す。電話でタクシーを一台呼びながら卸したての革靴に足を突っ込んだ。

あの通知が左馬刻から転送されて来たのは、理鶯の一件で大量にクズどもをしょっ引いた後のことだ。無駄に数ばかり揃ったヒプノシスマイクの違法バイヤーどもの裏を洗って大元を叩く。埃を取り除くのに尽力して、終わったそばからコレだ。有り体に言えばこっちに全部ブン投げられためんどくせぇ案件。左馬刻に任せるには確かに不安しかないが、それにしたって説明くらいしろや。

あの勘解由小路の人間との見合い。相手が用意したテリトリーで勘解由小路の縁者との化かし合いに行く。クソッタレな時間があと一時間後に迫っていた。

苛立ちが顔に出る。目的地に着くまでに眉間のシワをどうにかしなければ。

吸えない煙草の代わりに辛いミントガムを噛みまくった。


「初めまして、勘解由小路石榴と申します。本日はよろしくお願いいたします」


なるほど。勘解由小路の娘は勘解由小路無花果と似たキツめの美人だった。

そりゃ、あっちの方が年も貫禄も上だろうから、比べればこっちの方が幾分可愛らしい。それでも権力を使って男との見合いに漕ぎ着ける面の厚さが顔立ちに出ている。

挨拶もそこそこに席まで移動すると、流石と言うべきか店で一番眺めのいい窓際だった。この食事も全て勘解由小路側が手配したもので、こちらが出席の連絡を入れた時点で決まっていた。向こうなりに見合いに似合いの場所を見繕ってポンと金が出せるのがこのバカ高いフレンチだったというわけだ。相変わらず住む世界の違いを見せつけてくる。ご立派なことで。

その後に繰り広げられた会話は慣れているようで背中が痒くなるようなお世辞のオンパレード。これは予想の範囲内。予想外だったのは基本的に俺じゃなく相手が聞き役に回ったことだった。

綺麗なカトラリー使いを披露しながら、控えめに笑って頷いて質問して続きを促す。相手のことで分かったのはあの勘解由小路無花果の姪であることと年齢と職場の話題だけ。完璧な外面だ。どこでボロが出るだろう。試しにMTCの話題でわざと出した左馬刻の荒っぽいエピソードでは、眉も顰めず素直に驚いたように目を瞬いた程度だった。完全に無関係の世界の話を他人事のように聞く態度だ。

この見合いの目的が分からない。

始めは隣りを歩くお飾りが欲しいのかと当たりをつけた。テリトリーバトルの代表は中王区でちょっとしたアイドル扱いを受ける。そのアイドルを勘解由小路の権力を使えば好き勝手できるのだというちんけなマウンティング。男にとっては女尊男卑のイメージが先行するこの社会だが女の中にだって格差はある。女同士の醜い争いに勝つための道具として扱われるなんて反吐が出そうだった。

相手は巧妙だった。結局食後のコーヒーが出ても大人しい態度を崩さない。いつまでも本性を表さないまま、とうとうお開きの時間になる。満足そうに頭を下げて礼を言う女は、こちらの気を惹くどころか次のデートのアポイントも取り付けては来なかった。

ここでやっと予想が外れている可能性を視野に入れ始める。まさか飯食って帰るだけではないだろうとタクシーまで送るが、相手からのアクションは来ない。いよいよもって不気味だ。目的も分からないまま相手を帰してしまっていいのか。何か大きなものを見落としてはいないか。

迷うよりも先に体が動いた。


「私のことも銃兎でいいですよ、石榴さん?」


低く、吐息を含ませた声で名前を呼ぶと、剥き出しの薄い肩が目に見えて震える。すぐそこの小さな耳がやや色濃くなった。悪くない反応だ。

相手のパーソナルスペースを侵襲しつつ、決して直接触れないように注意していた。次はさらに相手の反応を見るためにサイドの髪を指に絡める。初対面の気がない男にされたなら、普通の女は気分を害するだろう。だが、相手からの拒絶はいつになってもやってこない。それどころかやんわりと名前呼びを強要すれば面白いほど簡単に言いなりになった。

思わせぶりに身を寄せてすぐに引く。相手の顔色は夜の薄暗がりでも分かるほどに赤く火照っている。


「次会う時までに慣れておいてくださいね。おやすみなさい」


彼女がタクシーに乗って消えるまで、人好きする顔を保ち続けるのが大変だった。

なんだ、結局アレも女じゃねぇか。



***



「おい銃兎。どうだったよ」
「あ? 何がだよ主語をつけろ」
「中王区の太鼓持ちしてきたんだろーが」


ニヤニヤと煽って来る左馬刻。めんどくせぇことを押し付けてきた本人が面白がってきやがる。フィルターを噛みかけた煙草を一度口から離す。煙と一緒に息を吐き出し、なんとか苛立ちをやり過ごした。


「別に。中王区にいそうな普通の女だ」


何を考えているのか分からない態度とか、特に。

聞いておきながら左馬刻は気のねぇ相槌を打つ。煙草を一口吸い込んで吐き出す一連の動作の後にクソな質問をぶつけてきやがった。


「ンで、ソイツと結婚してやんのかよ」
「ハッ!」


誰が一回会っただけの女と結婚するかよ。

そもそも相手の目的もまだ探ってる段階だ。これでマジで飯食いに来ただけだったらどうしてやろうか。

まだ残ってる煙草の最後の一口を吸い終わって灰皿に押し付ける。肺に煙を入れると頭がすっきりする。思い浮かんだのは帰り際のあの光景。

濃い化粧の顔が呆然と俺を見上げていたあの顔。目を少し潤ませて、頬は異様に血色良く、半開きになった真っ赤な唇から少しだけ舌が覗く。キツい見た目をしてるくせに態度はしおらしく、最後の照れ顔は年相応。なんとも初心で可愛らしいことだ。

……………………。


「まあ、相手次第だな。あれでも勘解由小路無花果の親族だ。もしもの時は有り難く出世の踏み台にでも使ってやるさ」


何も捨てられない人間に何かを得ることはできない。世界を変えるためなら、自分の人生だって捨てて見せる。出世のために結婚。手段としてはそれも結構。


「テメェの人生だ。テメェの好きなように生きればいい」


笑い出すかと思った左馬刻が、予想外に静かな声で突き離したことを言ってくる。少し間を置いて、そういえばコイツに女はデリケートな話題だったか、と思い当たった。


「テリトリーバトルまでには何とかしとく」


もう一本吸う気にもならず。妙に気まずい空気を変えるために別の話題を振ることにした。

この気まずさが後を引いてくるなんて予想もしないで。



***



彼女との初デートでは、待ち合わせの段階で衝撃を受けた。


「銃兎さん、お待たせしました」
「いえ、今来たところなので」


お決まりのクサいセリフを無意識で返しながら、俺としたことが一瞬ポーカーフェイスが剥がれかけた。彼女が勘解由小路石榴だと気が付くのに時間がかかったからだ。

緩くまとめられた黒髪だとか、落ち着いたピンク色の唇だとか、爽やかな白と水色のワンピースだとか。初対面の毒々しさすら感じられたイメージがどこにもなかった。化粧のせいかと思ったが、あの妙にしおらしく控えめな態度はこの格好だとしっくりくる。なるほど、アレは勘解由小路の趣味でこっちが彼女の本来の趣味か。

初対面では鋭く釣り気味に見えていた目が、存外丸っこく柔らかい弧を描いて見上げてくる。年は確か……二十二だったか。あの大人びた見目が変わった途端にすごく年下の少女を連れて歩くような居心地の悪さを感じた。


「手をどうぞ、石榴さん」
「は、はい」


恐る恐る差し出される手を直に触る。プライベートだからと外してきた手袋の存在を唐突に思い出した。

……いや、何を動揺している。あの勘解由小路の縁者だぞ? 権力でテリトリーバトルの代表と手当たりしだい見合いをこじつけるような女だ。それが目的じゃなかったとしても、生まれてこのかた中王区で英才教育を受けてきた、気が強い女のエリート街道を突き進んできたような人間が、こんな男慣れしていないわけがない。

理解してしまえばポーカーフェイスはもう剥がれない。直接触れた手の甲に思わせぶりに指を擦る。あの時の夜のようにあからさまな反応を示した相手に笑いそうになった。

出世の道具に使うにしても使わないにしても、少しくらい遊んでやってもいいかもしれない。


「今日の格好も素敵ですね。他の男に見せるなんてもったいない」


最後だけ囁くようにやや声を低くする。ぎこちなくお礼を返されて、これが本当に演技なのかと舌を巻いた。最初から疑ってかからなければ分からないレベルだった。

それがまったくの勘違いであったことに気付くまで、一月近くかかってしまったが。



***



「あの娘は勘解由小路がぶら下げている生餌なんだよ」


勘解由小路石榴との見合いから三週間が経った。忙しい仕事の合間を縫ってデート時間を捻出するのもそろそろ慣れてきた頃。

最近妙にこちらを見てニヤニヤする奴がいる。上層部に媚びを売るために小金をちまちまと横領してはうまく立ち回っていた小物。先日弱味を握った人間が上から目線でやって来るものだから、どちらが上か分からせてやろうと思わず本気を出して尋問してしまった。

短いリリックですぐにゲロった奴の主張はこうだった。

勘解由小路の末端の末端が酒の席で溢した事実。勘解由小路石榴は勘解由小路一族の生餌なのだと。一族の中で唯一政界にも警察機関にも属さない一般人。ぶら下げておけば蜜を求める虫のようにわらわらと縁談が送られてくる。勘解由小路の権力目当てか、勘解由小路の弱味を引き出すためか。血筋以外は無知な一般人の彼女を篭絡して己のために利用しようとする。それらの人種は勘解由小路家にとっては潜在的な敵である。勘解由小路石榴に群がって来た人間の全てを調べれば自ずと政敵の介在を未然に防げるのだと。

そのための餌として彼女は自由に泳がされているのだ。


「テメェのことなんてとっくに勘解由小路に調べられてンだよ。残念だったな、巡査部長さんよォ」
「私のことを心配してくれるんですか? ありがとうございます……お礼と言ってはなんですが、あの件、上に報告しておきますね」


喚く男を部下に任せて署内の廊下を歩く。


「お疲れさまです銃兎さん。……な、何かありましたか?」
「あ"? ……失礼。何でもありません」


変なタイミングで声かけてくんじゃねぇ。

社会人にあるまじき応対をしてしまい、内心で舌打ちする。だが、相手方の目的は確定した。

今回の見合いは勘解由小路石榴という餌を使った釣りだ。テリトリーバトルの代表と満遍なく会わせ、食いついた人間を調べ上げ、不穏分子を見つけ次第ただちに排除できるように。なるほど、確かに生餌という言葉がしっくり来る。

彼女は、本当に何も知らされていなかったのだろう。

途端に今までのデートの記憶が頭の中を駆け巡る。俺の一言で一喜一憂し、何回デートしてもまったく慣れる様子もない彼女。途中からあの男慣れしていない態度は演技でないことは気付いていたが、目的が不透明だったために最後まで本心であることを信じきれていなかった。だが、今回の件であれは本気で照れていたことを確信してしまった。

勘解由小路石榴は……石榴さんは、見合い相手からのアプローチにただ翻弄されていただけだった。あの押しの弱さも、しおらしさも、反応の良さも、素。

……テメェの顔がどんな崩れ方をしているのか分からない。少なくとも普段のポーカーフェイスは保てていないだろう。

優しい言葉。甘い言葉。意地悪な言葉。結婚を匂わせながらも明言を避けた口説き文句。思いつく限りのテクを使って相手からボロを出させようと尽力した。それにしたってあんな、クソ恥ずいことを言わなくても良かったじゃねーか。

このまま連れ去ってしまいたい?
あなたの顔を見て朝を迎えたい?
ハァ??

いちいちイイ反応されて面白がって、らしくねぇ殺し文句を言いまくって、これで遊んでるのはテメェの方だと思い込んで。どっちの面の皮が厚いって? 察しが悪いにもほどがある。

遊んでやるはずが遊びじゃなくなったのは俺のほうじゃねーか。

深い溜め息が口から出て行く。冷静になるためにヤニを入れたいところだが署内の廊下は禁煙だ。それどころか最近は石榴さんを乗せるために車内も禁煙にしている。いや、この時点で気付けや。なんで遊ぶ女のために俺が愛車で禁煙してんだよ。初恋覚えたてのガキか。

喫煙スペースに足を伸ばしてとりあえず一服。徐々に冴え始めた思考は、これからのことについて考え始める。

まず、石榴さんに食いついてデートを重ねた時点で勘解由小路から調査が入っているに違いない。そこはまだ隠し通せる自信がある。探られて痛む腹をいつまでもそのままにしておく方がマヌケだ。マヌケが出世できるほどこのハマの警察は甘くない。

だが、石榴さんと本格的に付き合った場合、今度は別の痛くない腹を探られることになる。勘解由小路のコネ目当てで近付いたと決め付けられたとして、否定材料を俺が提示できるかどうか。簡単なのは一生巡査部長で甘んじていれば出世欲のない人間をアピールできるが、それではポリ公になった意味がない。

出世か、女か。
二つに一つ。


「リスクを取る勇気がなければ達成できない、か」


どっちも取るんなら、疑われ続けるリスクくらい負ってやるよ。

腹を決めるのは早かった。

これからやることとして、一応勘解由小路側の思惑について裏を取り、探られた時のリスク管理基準を上げ、身辺整理、ついでにいつもよりグレードの高いレストランを予約し、石榴さんにデートのお誘いする。

……ハァ? なんだそりゃ?

自覚した途端、我ながら酷い執着だと思った。

もしも俺がこの関係を終わらせたとして、その後に石榴さんは別のディビジョンの奴らとの見合いをするのだろう。そこで誰かに惚れられてアプローチを受ければ、押しに弱い彼女は簡単に頷いてしまう。相手がコネ目当てじゃなかった場合、勘解由小路からの妨害は……恐らく入らない。

他の男に取られると想像した瞬間、まだ吸いかけの煙草のフィルターを思いっきり噛んでしまった。舌打ちが出る。乱暴に灰皿に押し付け、手っ取り早く相手を手に入れる方法を思い付く。

押しに弱い彼女なら断りはしないだろうと、高を括って。







「私と結婚を前提にお付き合いしてください」


柄にもない花束と、いわゆる“愛の告白”が、まさか無駄になるとは予想もしていなかった。



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