メーデー無音放置



「すいませんすいませんすいませんすいません女に生まれてすいません大して何もないくせに女ですいません血縁ばっかり優秀ですいませんコピー係で給料もらってすいませんごめんなさい悩みがあってごめんなさいすいませんすいません結婚に逃げようとしてすいません楽に生きたくてすいません楽に生きようとしてすいませんすいません」


病める街、シンジュク。女尊男卑のこの世の中においても女性すら病ませる不夜町。戦慄した。俺は何て街に住んでいるんだろう。

今日は朝から運がいい日だった。本当に、珍しく。記念日か何かで平日休みに当たったのか普段喧しい学生軍団がいなくて電車は空いていた。朝、余裕で着いたデスクにはいつも開口一番でチクチクチクチク嫌味を言うハゲ課長もお局様もまだ来ていなかった。それどころかハゲ課長は急な出張で今日一日いない。押し付けられる仕事の量がほぼ消えた。おかげで残業が一時間で終わった快挙。思わず一二三に電話してしまった自分を、一時間後にぶん殴りたくなるとは。

俺が一二三に電話したばかりに軽いノリで食事に誘われ、さらに同じノリで先生にまでお誘いの電話を入れられ、逃げ切れずに三人で飯を食うことになった。一二三の職場から徒歩圏内に穴場があると聞き、駅で待ち合わせてから先生と合流する。その予定だったのに……。

うるさいだけのチルドレンに捕まり、人通りの少ない場所まで追い詰められ、焦った一二三がヒプノシスマイクを取り出した。そのタイミングで、まさか一二三の客が出てくるなんて。

一瞬で縮こまった一二三がもろに相手の攻撃を喰らって座り込む。これは攻撃が効いたというより女がそばにいる恐怖で精神的防御力が紙になったんだろう。コイツを庇いながらこの局面をどう乗り越えればいいのか。今朝から運が良かったのはこの伏線だった。ああ、これも俺のせいか。調子に乗って一二三に話した俺のせい。先生を呼んだからと断れなかった俺のせい。チルドレンに目を付けられるような中年の俺のせい。俺のせい、俺のせい、俺のせい……。


『も、もしもし! 警察ですか!』


結局、乱入してきた一二三の客のおかげで難を逃れたわけで。

転がり込んだカラオケボックスで、早々にスーツに着替えに逃げた一二三に置いて行かれる形で知らない人と二人きりにされたわけで。

よくよく相手を見れば思ったより若い女の子だった。毛先まで栄養が行き届いたツヤツヤの黒髪とか、見下ろした時に目に付く上向いた睫毛とか、頭を下げて上げた後の何かの花の匂いとか、前屈みで俺を伺っている時に事故で(事故で!!) 見えた胸が予想より大きいとか。俺の職場にいないタイプの、マジの勝ち組OLがいる。パッと見はホストクラブに行くようなイメージはない。でもこういうのが陰で男の辛口品評会をしていることもうちの会社の後輩で見ている。いや、それですら勝ち組様には不必要なことなのか? でも一二三の客ってことは大なり小なりそういうことなんだろ。ヤバい。中年と二人きりのこの状況で叫ばれたら100パー俺が捕まる。助けてください先生。

中王区で俺の顔が出回っているとか、何故か飯を誘われるとか、いろいろとタイミングは、あった、はず。あっぷあっぷしながら会話をしていた俺が何か粗相をして相手を怒らせるとか引かせたならまだ分かる。でも、彼女がおかしくなったのは先生が部屋に入ってきてからだった。


「一人で生きて行けなくてすいません給料泥棒ですいません」
「落ち着いて、落ち着きなさい」


一二三が着替えるついでに先生に電話したのだろう。突然待ち合わせ場所を変更された上に合流して早々に宥め役に回る先生が不憫だ。

宥められている相手といえば、スカートから伸びた膝を直に床につけ、テーブルに突っ伏す形で延々と謝罪を繰り返している。それで見えたハイヒールのソールが真っ赤で、これがロールキャベツ女子かと思考が外に飛んだ。いや、肉食女子は男の前でこんな尊厳を捨てた謝り方をしない。じゃあこの人は何系女子なのか。普段の一二三なら『独歩系女子じゃん!』とでも茶化しそうだ。「まるで独歩くんみたいだ……」聞こえているぞ一二三。


「もしかして、先ほどのヒプノシスマイクの攻撃が子猫ちゃんにまで伝染してしまったとか?」
「それは本当かい、一二三くん」
「はい、相手はあまりマイクの扱いに慣れていませんでした。全方位無差別に敵意を振りまいていたので、子猫ちゃんにも少なからず被害が出たのかと」
「なるほど。この様子を見る限り、もともと精神的に参っていたせいでマイクの干渉を受けやすくなっていたのだろう」


そうして先生は懐からヒプノシスマイクを取り出してリリックを紡ぎ出す。

相変わらず耳に心地よい低音のフロー。直接浴びていないにも関わらずとても癒される。

もちろん治療された彼女にも効果があったようで、すいませんの声が徐々に小さくなっていく。そして完全に止まった今、突っ伏した状態のまま動かない女性の姿だけが残った。


「落ち着きましたか、勘解由小路さん」
「大変、大変お見苦しいところを……」


顔を上げるのも恐れ多いというように俯いたまま、のろのろと土下座しそうな体勢まで身を縮めている。

そういえばカラオケって全室監視カメラが付いてなかったか?

大の男三人が女一人を取り囲んで土下座させる。
それこそ通報される。
俺に逮捕歴がつく。
路頭に迷う。

餓死。


「わ、わあああああああ!!!!」
「ど、独歩!?」


勢いで彼女の脇下に腕を突っ込んで起き上がらせる。勢いが良すぎて何か弾力のあるものに触ったような気がした(冷静に考えればあれ、胸だ……)が、とりあえず土下座を阻止できればなんでもいい。結果、相手の体重が軽すぎて起き上がらせるどころか羽交い絞めで軽く持ち上げる形になり、余計に乱暴している風な見た目になったのは予想外だった。


「え、なに!?」
「独歩くん、ゆっくり、ゆっくり彼女を離すんだ」
「深呼吸して、吸って、吐いて」


結局、場の空気が落ち着いた頃にはカラオケボックスから追い出された。通報されなかっただけマシだったが、俺のせい……俺のせい……。


「あの、重ね重ねご迷惑をおかけしました。私、こういう者です」


深々と頭を下げないでくれ、頼む。この世の中、男相手にそこまで丁寧な対応をする女性はいない。珍しいを通り越して恐ろしさすら感じる。

テラテラと輝く爪が俺なんかより丁寧に名刺を渡してくる。思わず取引先と同じように名刺交換して頭を下げてしまったのは、悲しい社畜のサガだ。

渡された名刺には、目玉が飛び出るほどの大企業の名前があった。本気の勝ち組OLだった。俺、こんな人を羽交い絞めにして、しかも胸触ったのか。は? 殺されないか? 訴えられないとか嘘だろ?


「何か、本当に何かありましたら、ご連絡いただけるとこちらで何とかしますので、本当に、大変、すいませんでした」
「あ、謝らないで。そちらも何か落ち込んだことがあれば相談に乗りますよ。悩みを溜め込む前にうちの病院に来てください」
「僕も話を聞くよ。いつでもうちの店においで。子猫ちゃんの憂い顔は見たくないからね」
「あ、ありがとうございます。神宮寺さん、一二三さん。観音坂さんも」
「ぇ、へ、ぁ、恐れ入ります……!」


もう一度深々と頭を下げて去っていく背中をげっそりと見送る。


「なんだったんだ、いったい……」
「ちゃんと家まで帰れるだろうか。心配な子猫ちゃんだ」
「今時のお嬢さんにしては変わった子だったね。興味深い。……政界に縁者がいると私たちには分からない苦労があるんだろう」
「せいかい?」


な、何の話だ?


「ああ……一二三くんは女性恐怖症だし、独歩くんは恐縮すると思って伝えていなかったのだけど、麻天狼宛に通達が来ていてね。ある人物と一度は顔合わせするように中王区の運営から言いつけられていたんだ。ご丁寧に正式な釣り書きももらったよ」
「は、な、何の話をしているんですか?」
「彼女、あの勘解由小路無花果の親族なんだ」


かでのこうじいちじく、って。内閣総理大臣補佐官で、警視庁警視総監で、行政監査局局長の、勘解由小路無花果か????


「あの病みようからして、相手もお見合いに乗り気じゃないんだろう」


日本トップクラスの権力者の縁者とお見合い。断れるわけがない。ぶっ倒れるかと思った。

やっぱり今日は厄日だ。



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