また美しくなる



「行くよー!」
「えっどこに?」


質問しても答えてくれないのがヴィクトルクオリティ。うん知ってた。

勇利とユーリに滝行を言いつけてどこへ行くかと思えばまさかの長浜ラーメン。県を跨いでまでラーメンを食べに行くって何だ。美味しかったけど。その価値は十分にあったけど。


「ふくーすなぁ!」
「その辺にしておこうよ……」


明らかに飲みすぎなヴィクトルにうんざりしつつ、焼き鳥を一口。うまい。ラーメンの後で屋台を回って二軒目三軒目。酒はそこそこにしておいた私に対して今日のヴィクトルは限界を見極めない。

シーズン中は節制を心がける彼だけれど、オフはだいたいこんなふうに羽目を外す。珍しく感じるのは今のヴィクトルが以前のオフ以上に羽目を外して飲み続けているから。二十八にして我が世の春にでもなったかのようなはっちゃけ具合だ。世界選手権五連覇。GPF連覇。歴代最高得点樹立。華々しい経歴を打ち立て続けた去年の方がよっぽど春だったはずなのに。それだけリビングレジェンドの重圧が日常的にのしかかっていたのかもしれない。私にはまったくの未知の重圧を。

私がまったく見ようともしなかったこととヴィクトルは何年も付き合い続けている。昔も、今も。


「うぇ、きもちわる、」


しんみりしてるところで雰囲気をぶち壊してくれるヴィクトルクオリティ。うん最低。

吐きそうなヴィクトルを背負ってとりあえず近場のトイレに放り込む。結局吐いたのか吐いてないのか分からないけれど、三十分経って出てきた彼の顔は真っ青だった。


「終電、もうすぐだけど」
「Oh my...」


ファンが見たら卒倒するんじゃないかな。ヴィクトル・ニキフォロフの悪酔い。

SNSに載せてやりたい欲求を飲み込んで近くのビジネスホテルに泊まることになった。


「はいはい服脱ぐよー、手あげて、バンザーイ」
「バンザァーイ、ハンザァーイ」
「それ意味変わってきてるからやめようね」


前後不覚のイケメンを襲う変態の図に見えてくるから。


「HAHAHA! 日本語ムズカシーネー!」
「はあ」


仕方ない、奥の手を使おう。半裸のままニコニコヘラヘラ上機嫌なヴィクトル。乱れた銀髪を手櫛で整えてやって、うっとり目を細める彼の耳元にそっと息を吐いた。


「ヴィーチャ、いい子だから言うこと聞いて。……ね?」


できるだけ低く、温度を感じられるような声音で。


「………………ニコライ、それ、俺以外にはしないでね、ぜったい」
「あ、酔いが覚めたね。良かった良かった」
「ニコライ」
「Yes,sir.」
「Good.」


真顔のイケメンは迫力があって怖い。耳元でゆっくり囁くと酔いから覚めるからいつもやってるんだけど、ヴィクトルは忘れているらしく毎回必ず似たようなことを釘差してくる。そういうヴィクトルの方が素面で際どいスキンシップ取って来るのになあ。不公平だなあ。

お互いさっさとナイトウェアに着替えてベッドに入る。飲みまくったヴィクトルと違って、あんまり飲んでいない私はまだ眠れそうにない。意識がはっきりしていて目が暗闇に慣れてきたところで、頭の中は今朝の勇利のことを思い出していた。あんなにもヴィクトルに傾倒しているのに、ヴィクトルのことを理解しきれていなくて苦悩していた。そんな勇利が可哀想だと思った。二人の仲を取り持たないとって。


「ヴィクトル」
「んー?」
「なんで勇利がエロスなの?」
「んんー」
「なんで、ユーラがアガペーだったの?」
「ん、んん」
「私は、少なくとも二人に選ばせる程度の優しさは見せるかと思ってたんだけど」
「んん? ニコライ、君、何か、勘違いしてないかい」
「勘違い?」


二人の架け橋になりたいって……。


「おれはただ、それぞれのイメージと逆の曲を割り振っただけだよ」
「え?」
「だって、やりたい曲ばっかり、やって、たら……ふぁぁ、観客も自分自身も、イメージが、凝り固まって……面白味の、かけらも、ないじゃあ、なぃ、か……」
「は、」


二人の架け橋に……架け橋……

………………はっっっっっっっずかしっ!!!

なに、え、どうしよ、え、ええ、なんか、それっぽいことを勇利に語ってたよ、私、変に気取って何か、持論みたいなことベラベラ喋り倒したよ!? 『勝生勇利の愛を見たいっていうメッセージなんだよドヤァ』言ったよ!? 勇利納得しちゃったよ!? 的外れのところに橋を架けて奇跡的に機能しちゃったヤツだ! どうしよ、今さら間違ってたなんて言えない……え、恥ずかしっ!! 生まれ変わって今までで一番恥ずかしいかもしれない、あ、穴があったら入りたい、墓穴でも洞窟でもいいから隠れたい、無理、はずっ!! え、え、誰か、助けて誰か、ねえ、誰か!!

ヴィクトル!!! ヴィクトール!!!!!


「スヤァ」
「うぇーん」


その夜、私は生まれて初めて自分のキャラを見失ったのであった。



***



「昨日は可愛かったよ。ニコライのあんなに真っ赤な顔、初めて見た」
「電気消したのに見えてたんだ……あ、あんまりそういうこと言わないで、恥ずかしいから……」


ゴトッドンッ「痛ッ!?」ガラガッシャンドドドドッッ


「とうとうやりやがったな」


ええ……。

手に持っていたボトルとタオルを落とした上にエッジカバーをつけていた中腰の勇利に激突。そこから鬼気迫る表情で走ってきたユーリが私の腕を引いて男子トイレの個室に押し込めた。

始発で長谷津まで帰ってきた私たちに、ユーリは終始親の仇でも見る目を向けていた。美しい顔を険しくして一生懸命睨み付けてくるのは慣れてくると可愛さすら感じる……なんて余裕を持っていたから今、怖い思いをさせられているのかもしれない。トイレの蓋の上に座らせられて、また上から見下されている。最近このアングルからしかユーリの顔を見ていない気がする。

まじまじといつまでもこっちを見たままのユーリを見つめ返す。すると、彼の顔が決して険しいだけじゃないことに気付いた。なんとなく、クワドサルコウを練習していた時の彼に似ている。何度練習してもできなくて、悔しくて、悲しくて、それでもやめることを知らない、あの日の少しだけ幼いユーリ。


「どうしたの、ユーラ。そんな怖い顔して、唇噛んだらダメだよ? 傷がついちゃう」


なだめるようにすべすべ頬っぺたに手を添えて親指の腹でそっと唇を撫でる。ちょっとカサついているかも。今晩帰ったら持ってきたリップバームの予備あげよう。そして、できたら髪の毛のトリートメントもしてあげたい。水が変わったからか少し髪質が変化している気がする。そこらへんユーリは無頓着だから私がやってあげないと。必要とされているうちは、私が気付いてあげないと。

そんなことをツラツラ考えていると、ユーリの眉間からシワが消えて、半目だった碧眼が丸くなった。

あ、可愛い。

久しぶりに見た、日本に来てからは初めて見たユーリの無防備な表情。自然と顔がゆるゆるになっていく。


「ふふっ、もしかして見惚れちゃった? 私の顔、こんなに間近で見るの久しぶりだものね」
「ナルシスト、うざい、黙れ」
「ふふふ」
「なにニヤニヤしてんだ、気持ち悪ぃ」
「ひどいなあ」


ああ、いつものユーリだ。

内容に比べて声に毒がない。いつもの爪を立てたままじゃれついてくる子猫ちゃん。他人がどんな言葉で傷付くとか理解しないまま、素の自分を貫き通すしか知らない。いくら傷つけても私が遠くへ離れていかないと盲信しているユーリ。変な甘え方を覚えちゃって。こんなの私くらいにしかできないんじゃないかな。

仕方ないなあ、と呆れつつ嬉しくもなってしまって笑いが止まらない。それだけ私はユーリとの会話に飢えていた。やっと落ち着いて話せると思うと唇がムズムズして仕方ない。居ても立っても居られなくて、思わずユーリの腕を引いて首に抱き着いた。


「わっ、クソッ、何しやがる!」
「ごめんねユーラ」


中腰で暴れようとしたユーリの後頭部を私の肩に押し付ける。金色の髪の毛に指を通しながら、ゆっくり、ユーリの耳にちゃんと届くように。声を低めて。目を瞑って。熱を感じながら。


「ごめんね、勝手に日本に来ちゃって」


腕の中で暴れていたユーリが大人しくなった。


「ユーラを置いていったわけじゃないんだ。ちょっとヴィーチャの思いつきに引っかかっちゃっただけで」
「……いつからだよ」
「ん?」
「いつからヴィクトルとデキてたんだ」
「はい……?」


あれ、やっと会話できたと思ったのにまた分からなくなった。


「ヴィクトルの頼みなら断らないのかよ。俺のは断ったのに、ヴィクトルのためなら滑るのか? ヴィクトルの方が特別だから!」
「W,Wait a minute.ちゃんとロシア語で喋ってくれない?」
「しゃべってんだろーがッ!!」


今まで大人しく抱きしめられていたユーリがガバッと頭を上げた。また眉間にシワを寄せて、けれどやっぱり悔しそうな顔で。今の冗談みたいな言葉が本気だと知った。

それに、今までの不機嫌の理由も。


「もしかして、そのことで怒ってたの?」
「わ、悪いかよ!! 俺が、何年、お前に滑ろって言ってきたと、」
「あれ、本気で言ってたの?」
「なんで俺が冗談言うんだッ!」
「だってユーラならこっちが折れるまで食い下がるでしょう?」
「お前が、本気で嫌がってるって、思ってッ」


ユーリ、違うんだ、ユーリ。私はただ、もう誰かを理由にしないと滑れないだけなんだ。

自分勝手なスケートを全世界に晒してしまった過去の自分が、ただ、恥ずかしくて。恥ずかしいと思っている自分も情けなくて。何より私のスケートを愛してくれた誰かに笑顔を向けることだってツラかった。いっそ酷評してくれた方がマシだった。誰かに非難されたかった。『よくもこんなもの見せてくれたな』って罵倒してほしかった。

そんなこと、誰にも言えない。ユーリにも、ヴィクトルにも、ヤコフにも。ただ言えなかっただけで、ユーリが気を遣う理由なんて何もなかった。もう六年も昔に完結した物語なんて、さっさと忘れてしまえばいいのに。

俯いてしまっても座っているこちらからは顔が丸見えで、今にも泣きそうなユーリの頭を精一杯かき混ぜる。ユーリは意地でも泣かないだろうけれど、いつだって私は彼の涙を拭ってあげたい。この繊細な子供が大人になるまで。そのいつかがいつまでも来ないことを祈りながら、必ず来てしまう未来を見据える。そうすれば目の前の子猫ちゃんを甘やかさないなんて選択肢は最初からなかった。

あ、もしかして、ヴィクトルが言っていた『ユーリが駄目になる』ってこういうことなのかもしれない。そう気づいたところでやめようとは一切思わなかった。目の前に彼がいるうちは、やめようがないんだろうなあ。


「なんの曲で滑ってほしい?」
「アガペー、お前のアガペーが見たい」
「うん、いいよ」
「ちゃんとクワドも跳べよ」
「うん、私の全力のアガペー、ユーラに見せてあげる」
「……ユーリって呼べよ」
「うん?」
「ユーラじゃなくて、ユーリって呼べよ。カツ丼がいる時は面倒くせえから、二人の時だけ」
「そっか、うん、分かった」


ユーリの頬を両手で挟んでおでこをくっつける。この前の夜、ユーリが私にやったように。覗き込んだ緑柱石は磨く前から眩ゆいポテンシャルを見せつけている。けれど今の私の瞳だって原石と同じくらいに輝いている自信があった。これ以上ないほどに磨かれきって、もう変わりようがなくても。

誰かのためにだったら、私はまだ輝ける。
ユーリのためなら、なおさら。


「世界で一番美しく滑るから、私から目を離さないでね、ユーリ」


結局、私にとってユーリはいつまでも私の可愛いユーリでしかなかったんだ。



***



「それで……さ、最後まで、いったのかよ」
「さいご?」
「ヴィクトルとの、その、」
「は? ヴィク……は?」
「付き合い始めたんだろ、昨日から」
「What!? いやいやいやいや、ぜんぜん、まったく違うから!!」
「つ、付き合っていないのに寝たのかッ?!」
「違うから、私は同性愛者じゃないから!」
「でも、ヴィクトルは別なんだろ?」
「He is a friend of mine!! Just a friend!! Understand!?」
「必死すぎて逆に怪しい……」
「うぇーん!!」


その後、アイスキャッスルはせつのトイレでカップルの修羅場があったという噂が立ったとか立たなかったとか。誤解が広まってる……!?

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