落書きと嘘つき



『エヴィバディ スタンダーップ! 授業始めるぞー!!』


雄英での初授業はプレゼント・マイクによる英語だった。拡声器越しの独特の掛け声とともにノリノリで入ってきたプロヒーローに少しだけ身構える。入試の時のテンションはあの場限りのものではなく通常運転だったらしい。それに内心辟易しつつも授業は進んでいく。とはいえ登場の派手さに似合わぬ堅実な内容で、最初に行われたのは学力把握のための復習テスト。回ってきたたプリントの内容はおよそ見たことがある問題ばかりで安心して解くことができた。というよりか、これ入試の問題より簡単じゃないだろうか。


『解き終わったかいリスナー! 隣同士で交換して丸つけすんぜー!』


私の隣、誰もいませんが。


「私たち三人で回しましょう。いいですよね、轟さん」
「ああ」


振り返った八百万さんと同意する轟? くんが申し出てくれるまで、別に一人で丸つけしてもいいかと開き直っていたのに。当たり前のようにプリントを要求してくる八百万さんと、無言でプリントを差し出してくる轟くんに悩むまもなく頷いてしまった。二人ともキッチリしてそうな印象のせいか、押しが強いわけでもないのに断りづらい雰囲気があった。

受け取った轟くんのプリントには慣れた様子の筆記体がすらすらと流れている。教科書のような機械的な綺麗さではなく達筆という感じの文字だ。物静かな子に見えたけれど意外と荒々しい一面もあるのかもしれない。丸つけの結果は単語のつづりミスを除けばほぼ満点。むしろ応用がとれているのに何故そこで間違えたという場所でのミスだった。惜しい。

experienseのsをcに直す。その間に轟くんの印象が荒々しいにプラスして見直しが雑、となったところで、自分が無意識に動かしていた手元が大変になっていることに遅ればせながら気づいた。


「ぁ……」
『丸つけ終わったら点数書いて隣に戻せー!!』


待って。待って。

赤ペンで、sを塗りつぶした上に書いてしまったみのむしマーク。そこから吹き出しで書かれたcの文字。やってしまった。訂正の時によくやる癖を轟くんのプリントでやってしまった。見ず知らずの男の子のプリントに、落書き。朝の時とは違った焦りでペンを持つ手が震えた。


「どうかなさいましたか、漂依さん」
「うっ」


八百万さんが丸つけの終わったプリントを私に返す。そして隠す間も無く手元を覗かれて、涼しそうな目がほんのり大きくなった。


「どうした」
「轟さん、これ……」


早くしろと言わんばかりに振り返った轟くんにもばっちり見られてしまった。自分のプリントに目を見張っている。見つかった。バレた。もともと俯いていた顔が猫背でさらに下がっていく。人のプリントに落書きするような幼稚な人間に見られているのかと思うと、顔から火が出るほどの羞恥に襲われた。


「漂依さんって……」
『おーい、授業始めるぜ! アーユーレディ!?』


八百万さんの声はプレゼント・マイクの声に遮られる。そこで二人とも授業中だったことを思い出したのか何も言わずに前を向き直した。轟くんが受け取ったプリントをガン見してたのがとても心臓に悪かったけれど。助かったような、そうじゃないような。微妙な気持ちのまま英語の授業は終わった。八百万さんも轟くんも、授業が終わって休み時間になっても話しかけてこない。だから、もうなかったことにしてもらえたのだと一先ず安心した。

すっかり安心した私はお昼休みをどうするか、という思考に切り換える。午後のヒーロー基礎学に向けて昼休みは朝出来なかったシミュレートをやりたい。ご飯も食べるし、マスクを取った顔は誰にも見られたくなかった。教室には人がいるだろうし、食堂は人でごった返しているはず。どこか、人気のない場所はあるだろうか。

そんなことをつらつらと考えているうちに午前の授業は過ぎていく。とうとう昼休みになった時に、驚くことにまた八百万さんが私の方に振り返ったんだ。


「漂依さん、昼休みに何かご予定はあります?」
「ない、けど」
「では御一緒しませんか? これから耳郎さんたちと食堂に行きますの」


ごいっしょ。しょくどう。

もしかして、これは。


「何を、御一緒するの?」
「もちろん、お昼ですわ」


お昼ご飯に、誘われている?

八百万さんの中で、どんな思考回路の末にそんな結論が出たのか。さっきのことと関係があるかと言えば微妙だし。わざわざお友達作りの大事な場に私を組み込む意味も分からない。まさか私を友達にしたいだなんてことはありえないだろうし。引き立て役……さくら要員……そこにいたからついで、とか?


「漂依さんはお弁当ですか?」
「えっと、うん、蒸し鶏サラダ」
「まあ、サラダだけ? 栄養が偏りますわ」
「鶏肉入ってるから、だいじょぶ」


いや、なにお昼ご飯の話に乗ってるの。そうじゃないだろ私。混乱のせいでさらっと流されそうになった自分を戒める意味でも手の甲をつねる。いくら女の子にお昼を誘われたからって、何をそんなに恐れることがあるっていうの。

嫌なことは嫌と言える。もうされるがままではいられない。


「あの、やっぱり用事があるので、お昼は、ちょっと」
「まあ、そうでしたか……。とても残念です」


さっき予定はないって言ったくせに、我ながら分かりやすい嘘をついてしまった。もちろん八百万さんもその意味を分かってくれるはず。現に深く突っ込まずに引き下がってくれてとても助かった。人前でマスクを取らずに済んで、本当に良かった。

教科書一式が入ったままのショルダーバッグを肩にかけ、人気のなさそうな場所を探して彷徨う。その時の私は、一時的に回避した危機が一時間後にもう一度やってくるなんて露とも思わなかった。
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