教えてあげない
「個性把握……テストォ!!?」
クラス中から驚きの声が上がった。
寝袋からするりと抜け出した男の人、担任の相澤先生の指示に従い、配られた体操服を着てグラウンドに来てみれば早速のテストらしい。初日からなんて聞いてない、なんてことを言っても聞き入れてくれることはなさそう。教える気も無かったことは先生の態度からも見て取れるし。
“個性”を使っていい体力測定に目新しさを感じたものの、先生の“貴重なご意見”も『死ねえ!!!』の掛け声とともにボールを飛ばす男の子にも興味は湧かず、気持ち半分で流しながら他のことを考える。雄英の先生はみんなプロのヒーローというのが本当だとして、じゃあ相澤先生はなんてヒーローなんだろう。それこそアングラからメジャーどころまで網羅する勢いでヒーローは調べたつもりなのに。不衛生なヒゲと髪の男をいくら見つめても該当するヒーロー像は思い出せない。彼の“個性”を見れば分かるだろうか。
制服と違って露出している袖を癖で伸ばしている間に、いつの間にか続々と体力測定が始まっていたらしい。
「ねえ、あなた21番の漂依ちゃん?」
「ぁ、はい」
「50m走、次あなたの番よ」
「へ、ぁ……!」
本日二度目の驚きだった。
知らない女の子が、私に優しく話しかけている。しかも嘘じゃなくて本当のことを教えてくれるなんて。
私よりも猫背な女の子に軽く会釈して、急に着た順番に正直慌てた。考え事に集中しすぎて気分の切り替えがまだできてないのだ。小走りでスタートラインのところまで急ぎながら、なんとか気持ちを整えるので精一杯だった。
何度も言うが、私の“個性”は思い込みが大事なんだ。深く嘘のことを本当だと思い込まないとどんな小さなことだって上手くいかない。細かい操作も、ましてや自己催眠で誰かになりきることなんて各段に難しくなる。今回の場合は特に時間なんて数秒もない。相澤先生が合図を出すほんのコンマ数秒前に、腕時計型の鏡越しに自分の目を見ながら小さく呟いた。
「【私は足が速い】」
我ながらとても漠然とした内容だったけれど。そこはずっと口に出すことで意識を集中させてなんとか乗り切ることにする。
「【私は足が速い。速い。速い。速い。速い。速い!】」
ぐんぐんと、足の筋肉が不思議と伸びる。今まで使っていなかった場所が隅々まで使えるようになった感覚。実際は感覚であって本来は使えないはずなのだけど、それを無理やり使うのが自己催眠の力だ。足を前に出して後ろを蹴り上げるほどにトップスピードが伸びていって、気がつけばゴールラインを通り過ぎていた。
漠然としすぎたおかげで意識が飛ぶこともなく、足もいつもより少し痺れた程度で座り込むほどじゃない。待てば数秒で動く。とりあえず入試の時みたいにならなくてホっとした。
「5秒02!!」
「は……」
問題は中学の記録と比べて半分近くも縮めてしまったこと。いや、目的としてはこれでいいはず。でも目立つのは私の本意ではないわけで。
「すっごーい! 足速いね! マスクしてたのに! 息苦しくなかったの?」
「え、うん」
「見たところ増強型の“個性”でしょうか。全身の筋肉をフル活用していてまるで陸上選手のように綺麗なフォームでした」
「はあ」
「あーあー、かけっこなら私が一番だと思ったのになー!」
「えっと」
案の定というべきか、クラスメイトたちからの視線がこちらに集まっていた。予想と違っていたのはゴール付近にいた私の周りに女の子たちが集まってきたこと。もう驚かない。ヒーロー科の女子は普通じゃないことは既に八百万さんとさっきの女の子との会話で理解してしまった。理解したところで私が彼女たちに対処できるかと言えば話は別で。
「ぁ、私、握力行くから」
意味もなくマスクを弄りながら握力計が置いてある方に逃げた。近くにいたのが腕が六本の男の子の脇を早歩きで通り過ぎてできるだけ目立たない隅っこで測定する。さっきと違って時間に余裕があるのに、気持ちが落ち着かなくていつものような細かい操作ができない。結局「【私は力が強い】」なんてお粗末過ぎる催眠で誤魔化すしかなかった。それでも本気でやったことのない中学の記録と比べれば随分とマシだった。
立ち幅跳び、反復横跳びと来て、第五種目のボール投げ。そこで私は相澤先生の正体を知る。
「“個性”を消した」
自然と逆立った髪。マフラーの隙間から見える独特のゴーグル。なによりその“個性”。間違いなく、抹消ヒーロー『イレイザー・ヘッド』だ。
「本当にいたんだ……」
思わず感嘆の溜息が出た。
それこそ、私の目はヒーローに会ったみたいに輝いているのだろう。実際彼はヒーローだけど、私にとっては真の意味でヒーローだ。近くにいる尻尾が生えた男の子から妙な視線が飛んでくるのも気にならない。羨ましい。そんな素敵な“個性”を持って生まれたことが。そして、純粋に嬉しい。彼のような存在がいてくれるなら私の学校生活は少しは安心できるものになるに違いない。
なにやらもじゃもじゃ頭の男の子とひと悶着あったらしいけど、私の目はずっとイレイザー・ヘッドに釘付けだった。そして自分の番になった時、私は自分でも知らない内に浮かれていたのかもしれない。
「243m!!」
繰り返し、しつこく説明するけれど。私の力は思い込みによってできるもので、実際は私の自力にプラスαされているだけ。そのプラスαの大きさに比例して私の体は消耗する。自分の実力からかけ離れたものであればあるほど体は酷く損傷する。
去年の私のソフトボール投げの飛距離は18m。実に6.5倍の力を出したことになる。
結果、私の右肩がしばらく使い物にならなくなった。
「漂依、おまえも緑谷と行ってこい」
全種目の測定が終わって、除籍云々の話が嘘だという話で締めくくられた今日の授業。もじゃもじゃ頭の子、たぶん緑谷くんに渡したものと同じ紙が私に押し付けられた。
サーっと顔から血の気が引いていく。
「大丈夫です」
「あ?」
「これくらい、放っておけばそのうち治ります」
「治らなそうだから行けっつーんだよ」
ギロリと血走った目が冷たく見下ろす。
「おまえ、途中まで上手く制御してたのにソフトボール投げあたりからおかしくなったよな」
「あ……それは、その」
「俺がイレイザー・ヘッドだってことの何がそんなに気になるんだ?」
「え、えっと……」
言えるわけがなかった。周りに今日あったばかりの人がいて、こっちに聞き耳をたててるのに。私の話なんて出来るわけがなかった。俯いてもじもじしてる私の頭に深い溜息が降ってきて、再度リカバリーガールのところへ行くように促される。
私は今度こそ、黙って頷くしかなかった。
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