救けられる



それは突然のことだった。


「ひと塊になって動くな!」


USJに到着してから13号先生のご高説を聞き、これから訓練が始まるという時に、中央の噴水の前に黒い靄が滲みだした。ジワジワ染みが広がるように大きくなって、そこからポツポツと白い何かが複数飛び出してくる。それが人の手や顔だったのに気が付く前に相澤先生が私たちに指示を飛ばした。

ヴィランが校内に侵入した。漠然とありえないと思っていたことが現実に起きている。

真っ先に飛び出していった相澤先生が目にも止まらぬ速さで一騎当千に敵を圧倒していく。その様子を見届ける余裕は私たちにはない。13号先生の指示に従って入口まで避難しようと駆け出した。その時、前方に黒い霧が現れた。

あれは、先日しがらきとむらが消える直前に現れた霧に似ている。てっきりしがらきとむらの"個性"か何かかと思ったら、この霧自体が人だったんだ。

あれが、あの黒い霧がいるなら……しがらきとむらも、どこかにいるのかもしれない。彼はマスコミでも来客のヒーローでもなく、正真正銘の敵だったんだ。


『君って、そこらの雑魚よりよっぽど敵らしいぜ』


あの言葉は、敵から見て出た評価だったんだ。


「みんな!!」


誰かの叫び声で、飛んでいた思考が現実に戻って来る。その瞬間、目の前が真っ暗になった。


「うわっ」


反射で目を閉じてまた開くより先に顔を焼くような熱気が襲ってくる。空中に投げ出された感覚に目を開けて咄嗟に受け身を取った。感触からして土じゃなくてコンクリート。どこかの街に飛ばされたのかと観察する前にすぐ隣から聞こえてきた声に顔を向ける。


「お、じろくん」
「漂依さん!?」


そこには同じく受け身を取った後の尾白くんがいた。


「漂依さん、大丈夫? 怪我してない?」
「大丈夫。尾白くんは?」
「俺も大丈夫」


自然と相手を気遣える言葉が出て、ああ気が抜けてるな、と自覚した。たった一言、欲しい言葉をくれた彼に対して気を許し過ぎている。けれど、この緊急事態で一緒に行動する相手が他のクラスメイトではなく、私の"個性"を多少なりとも知っている人だったことはまだ幸運だった。


「ここ、まだUSJの中だ」
「じゃあ、火災ゾーン?」
「だと思うよ。入口から一番遠い場所だ」


しがらきとむらが消えた時も思ったけど、あの黒い霧の人は転送か何かの“個性”を持っている。それを使って私たちをこんなところまで飛ばしたんだ。

轟々と燃え盛る街。どういう理屈なのか、煙を上げながら燃え盛る炎は延焼も鎮火もしないまま同じ場所を燃やし続けている。ホログラムとも違うようで、サポート科の先生方の発明なのかもしれない。


「とにかくさっきのところまで戻ろう! みんなのことも気になるし!」
「うん」


火災ゾーンというだけあって煙のせいで見通しが悪い。二人で並んで走りながら出口を探す。その途中で見知らぬ誰かが建物の物陰からこちらに飛び出してきた。


「死ねェェェエ!!!」


拳を振り上げて力任せにスイング。間一髪でバックステップで避ける。尾白くんは尻尾を巧みに使って避け、背後に回り込んで首に当身。すぐに沈んだ体を脇に転がすので、慌ててポーチの中からトラップ用の紐を取り出して両手足を拘束した。

それを皮切りに、辺りからうじゃうじゃと敵が飛び出して来て私たちを取り囲む。


「これってもしかして、分断ってヤツかな」
「時間稼ぎか、殺しやすさか、だね」


自分で言っておいてゾッとした。人の悪意には慣れているはずだったのに、今私に向けられているこれは、紛れもない殺気なんだって。一般人と敵は全然違うんだって。

心臓が早鐘を打つ。手に冷たい汗がじんわりと滲んで来た。指先が震える。いけない、冷静にならないと。落ち着かないと、私、ころ、


「背中、任せていい?」
「ぇ……?」


嫌な予感が明瞭に浮かぶ前に、変にハキハキとした問いかけが飛んでくる。


「まずは何人か倒してこの包囲網から抜け出す。それから火災ゾーンの出口を見つけてみんなと合流するんだ」
「そんな、簡単に、」
「簡単じゃないよ。でも、漂依さんがいるからできる」
「わ、私?」
「一人じゃ無理でも、二人ならできるよ。きっと」


きっと、が重く聞こえた。

尾白くんは、笑っていた。最近見慣れてしまった苦笑や、宥める時の困った笑い方じゃない。唇の端を真っ直ぐ横に引いたような、とりあえず歯を見せて笑ってるポーズをする、無理やり作った嘘の余裕。私が不安に思っていることなんかお見通しで、安心させるために無理に浮かべていることは、垂れ下がった尻尾ですぐに分かった。それでも強気な顔は崩れない。妙にハキハキした声も、私を奮い立たせようとしている表れだ。

尾白くんは、立派にヒーローの役目を果たそうとしている。


「うん……まかせて」


口に出す。耳で聞く。責任感のような何かが恐怖を上回って、震えは、少しマシになった。冷静になれる。大丈夫。だって【何も怖くない】もの。


「じゃあ、よろし、くッ!」


流暢に話している時間は本当はなかった。むしろ今まで話せていたのが奇跡だったのかも。焦れて飛び出してきた一人が尾白くんの蹴りで吹っ飛ばされる。それを皮切りに敵たちは一斉にこちらに襲い掛かってきた。

多対一。こういうこともあるだろうと一応備えてはいても初めての実践が本気の敵相手なんて誰が予想できるのか。異形型の拳を避けて関節目がけて手刀、怯んだ隙に懐に飛び込んでみぞおちを殴打する。蹲りかけた相手を使って何かの“個性”による遠距離射撃の盾にする。何とか受けきったところで敵を盾にしたまま集団の中に力いっぱい押して、隙ができた相手のみぞおちや脛や腕の関節、とにかく目に付いた急所と言う急所を殴っていく。

これはワイルド・ワイルド・プッシーキャッツのマンダレイがデビューしたての頃にやっていた格闘技を参考にしている。私と体格が同じくらいで“個性”が異形型や戦闘向きじゃないのに肉弾戦で対敵して制圧できている女性のヒーローはたくさんいる。自己催眠で彼女になりきらずとも実践で使えると判断した。

マンダレイと比べれば私の筋肉量なんてまだまだだ。瞬発力も、経験だって当たり前に足りない。デビュー当時とはいえ彼女は立派なプロヒーローなんだから。

誰かになりきらないまま、いつまでこの量の敵を裁き切れるか。でも誰かになりきったら最後、数分でぶっ倒れて尾白くんの足手まといになる。今だって、爆豪くんとの戦闘で目と体の動かし方を学んでいなかったらこんなに動けなかったかもしれない。相手が爆豪くんより弱くて助かった。

拮抗しているのは相手が予想より少し弱くて、私が考えて動ける余裕と体力があるから。体力がなくなるか集中力が切れる前にどうにかしないと。

残された選択は、他人に催眠術を使うこと。

分かってはいても、“個性”を使うのは最後の手段にしなければならない。私の催眠術は指向性を絞れない。絞るためのサポートアイテムには限りがある。せいぜい十回ちょっと。敵の数に対して少なすぎる。尾白くんを除いて周りの敵すべてにかけることなんてできるわけがない。やるとしたら全員にかけて、その後に尾白くんのだけ術を解く。範囲は10m弱。敵全員がその中にいるわけではないから、ほぼノータイムで尾白くんを正気に戻して逃げなければならない。

この極限状態で、私は“個性”をコントロールできるのか。

考えている内に手が少し痺れを感じ始める。警棒を忘れてきたことが今になって響いてきた。あの時、私は更衣室の空気に怯えて逃げた。逃げたから私は、たった今後悔することになっている。だからダメなんだ。ダメな自分。ダメなままじゃダメなんだ。ダメ、ダメ、ダメ。


「漂依さんッ!」


尾白くんが叫ぶ。ハッとして目の前に迫った蹴りを流しながら視線を少しやる。尾白くんの周囲の敵の層が薄くなっていた。とにかく囲まれている今の状況が一番ヤバい。腰のポーチから粘着テープを敵の足元にばら撒き、尾白くんの後に続いて包囲網から脱出する。

今、危なかった……。


「ナイスファイト!」
「おっ、じろくん、こそっ」


走っている方がさっきより呼吸しやすいなんて不思議だ。何度か燃える街角を曲がって追手を巻いたり転がしたりしながら死角になりそうな場所を探す。レスキュー訓練用の施設だけあって見つけにくいところに要救助者役が隠れるポイントがあった。

狭い空間に二人で身を滑らして一息つく。すぐそこに男の子がいるこの状況は非常事態にあっても遠慮したいものだったけれど、個人的な感情よりも生き残ることが最優先だ。

手が空いている内に今まで着けっぱなしだったマスクを外し、ポーチに仕舞っていたマイクを耳に取りつける。ついでに髪に差すピンを五本ほど追加して装備をできるだけ最善に近づけた。

あとは心の問題。私自身の、問題。


「さっき逃げている途中で案内表示を見つけた。ここから二本隣りの大通りに出て、北へ道沿いに行けば出入り口があるって」
「よ、よく見つけたね。私、そんな余裕なくて、」
「たまたまだよ。運が良かった」


あはは、と力なく笑う。空元気なのは一目瞭然だった。

尾白くんにとって、私はたすけるべき人間になってしまっている。意識的じゃなく、無意識的に。それは、なんてヒーローらしいことなんだろう。殴りすぎて痺れているからだけじゃなく、今さら戻ってきた手の震えを見下ろす。

……いつの間に、私は自分に“個性”を使っていたのか。恐怖を抑え込んで、冷静になろうと無理やり体を動かしていた。自分の力を自分のために使う、自分本位な行動を体が勝手に取っていた。


「このまま、普通に脱出できるかどうかだよね」
「……出口、張られてるかもね」
「その時は、このまま地道に敵を倒しながら救助を待つ方が最善かな」


それも現実的じゃない気がする。いつ来るかもしれない救助を待ちながらずっと気を張っているなんて。想像しただけで果てしない気持ちになった。

俯いていた顔を無理やり尾白くんに向ける。手を伸ばせば触れられる距離にいる男の子。たった一週間と少し前に会ったばかりの人。そんな短期間に、私は彼をたくさん傷つけて、彼に救けられた。今だって、空元気の笑顔が苦しそうに歪んでいる。火災ゾーンなだけあって熱気もすごい。止まらない汗を袖で拭う彼に、私はこのまま救けられたままでいいのか。このままおんぶに抱っこで任せてしまうなんて、今までと同じだ。

誰かの言いなりで振り回されているのと本質は同じなんじゃないか。

結論に行き着く。躊躇が、急に軽くなった。


「提案と、お願いがあります」
「おねがい?」
「私の……」


面と向かってお願いする。不思議なことに、敵と初めて相対した時と同じ震えが全身に走った。この震えだけは、自分で止めなければいけない。できないじゃなくて、やる。

私は私を救けられる。



「私の“個性”を、使わせてほしい」



尾白くんのことだって、救けてみせる。

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