普通に



「『催眠術』?」


他人の声が、男の子の声が、私の“個性”の正体を口にする。それだけで頭から冷水をかけられたみたいな震えが体中を駆け巡った。

ついに言ってしまった。俯いて地面を見つめながらも、思ったより気持ちが晴れないことに戸惑う。本当のことをやっと言えたのに、なんで楽になれないのか。それは、まだやるべきことをしていないからだ。


「あ、ありえないよ。だって漂依さん、あんなにすごかったじゃないか。体幹がしっかり取れててちゃんと力の乗った打撃だったし、受け身も完璧で、それにしっかり周りも見えてた。『催眠術』でどうやってあんな、」


一歩だけ踏み出してきた尾白くんの靴に少し後ずさりつつ、無理やり口を開く。


「……尾白くんはいつの話をしているの? 爆豪くんとの戦闘は、自分でもお粗末なものだったと、思う、けど」


恐る恐る上目で見上げた尾白くんは、いつかと同じ変な顔で口をモゴモゴさせている。私は私で、自分で聞いておきながらそれが入試の時のことを言っているんだって分かっていた。

尾白くんは、思えば最初からおかしかった。私の“個性”に振り回された人かと思えば、ちゃんと自我を持って行動しているように見える。一か月以上前にかけた『催眠術』ならとっくに効果が切れてるはず。それがまだ継続しているとすれば、それはもう最悪の事態だ。

だって、それってもう完璧に思い込んでしまっているってことだ。私がずっと、自分の“個性”が男の人を誑かすばかりの役立たずだと信じ切っていたみたいに。思い込みがそのまま本当になってしまったとしたら。本当になってしまったものは、もう私には手に負えない。私のことを忘れるように『催眠術』をかけるしかない。

でも、今さら忘れてもらってどうなるっていうの?

それは、何にも解決していないと思う。かけっぱなしで自然と消えてくれることを願いながら距離を取ったあの頃と今は違う。私はちゃんと自分の力の使い方を知っている。それなのにここで無理やり忘れさせたとしたら、それは距離を置いて見て見ぬふりをしていた前と同じだ。誰かに怯えて帰り道を遠回りして走った中学の時と一緒だ。何も変わらず、成長も学習もしていない。

誰にも期待していないくせに、誰かがたすけてくれることをどこかで願っている。

そんな自分が嫌いで、嫌で、でも、でも、


「わたしっ」


もうこれ以上、自分のことを嫌いになりたくない。

カッとなって出た大きな声。それが逆に勢いになったのか、一つ大きく息を吐いてから自分でもびっくりするくらいに口がよく動いた。


「私は少し前まで自分の“個性”がもっと、ふ、不便なものだと思っていたし、人に迷惑をかけてばかりでッ、今までいろんな人を困らせて……私、変わったつもりだったけど、ぜんぜん、成長できてなく、て……だから、障子くんにも尾白くんにも、迷惑、かけてしまって……本当に、最低なこと、して……っ」


どうすれば伝わるのか、どうしたら分かってもらえるのか。真剣に考えたのは生まれて初めてのことだった。もしかしたら小さい頃に考えたかもしれないけれど、実際に成功した覚えはないからとっくの昔に諦めて忘れてしまった。誰かと面と向かって会話しようと思ったのも久々で、本当に言いたいことを伝えられたのかも不安だ。でも、一番伝えたいことだけは絶対に分かるように伝えたくて。

ギュッと胸元で両手を握り込んだまま、私はほとんど体を折り曲げるように頭を下げた。


「ひどいことして、すいませんでした」


自分の金髪と制服、靴と、三人の足元。それだけの視界が少しだけ歪む。今無防備になっている後頭部にいったいどんな言葉をぶつけられるんだろうって不安。恐怖。諦め。嫌気。震える両手を必死に握りしめて抑え込む。涙は嘘みたいに表面張力で眼球の周りにまとわりついて落ちていかない。早く乾いてくれないかな、って現実逃避しそうになって慌てて手の甲をつねった。


「頭を上げてくれ。漂依が俺たちにどんな酷いことをしたって言うんだ」
「そ、そうだよ! 謝る必要なんて、」


違う、違うの。


「だって障子くん、私のこと好きだったでしょ……?」
「!?」
「えっ」
「尾白くんも、たぶん」
「へぁッ!?」


自覚がないだけ。覚えてないだけで、障子くんも尾白くんも立派に私の被害者だ。


「今はそうでもなくても、前はそうだったんだと思う。昨日、とか」


昨日、のところで障子くんの触手がグルグルとへんなうごめき方をしたのが見えた。尾白くんの体も忙しなさそうにモジモジ揺れていて、轟くんだけ微動だにせず立っている。ああ、轟くんは関係ないのに話を始めてしまった。でも仕方ないよね。勝手に着いてきたのは轟くんだもの。無視して続けたって仕方ない。

ずっと頭を下げたまま思考が乱れる。二人の顔は、まだ見れる気がしなかった。


「ごめんなさい。許してほしいとは言えないけど、ごめんなさい。二人が感じたことは、全部私のせいだから。その気持ちだけは、自分を信用しないでほしい。嘘だって、ちゃんと疑ってほしい」


嘘だ。本当は許してほしくて仕方ない。黙って許して、無視してほしい。

同じクラスにいる時点で無理なことは分かっているけれど、できるだけ、距離を置いて関わらないでほしい。きっと二人は私のことを気持ち悪いと思っている。話を聞いていた轟くんもきっとそう。でも三人とも優しいから不快な気持ちを隠して普通に接しようとしてくれると思う。そんな優しさ、私には苦しいだけだ。そんな苦しい思い、したくない。

ただ、あからさまに距離を取れば相澤先生にどう思われるか。問題を先延ばしにして逃げたと思われて除籍処分にさせられる、とか。もしもまた同じことがあったらどうするんだって、無言で責められるのか。想像しただけで怖い。相澤先生に希望を見出した初対面が今は遠く感じる。

なんだ。結局、本当のことを言ったって楽になれるわけじゃないんだ。


「それは違うよ」
「ああ、漂依は何か勘違いをしいてるんじゃないか」


違う。勘違い。

それは、自暴自棄になりかけた私の耳に、不思議なくらいはっきりと聞こえてきた。


「確かに俺はお前のことを好ましく思っているが、他のクラスメイトと同じ普通の“好ましい”だ。漂依が心配するようなことは何もない」
「俺も、漂依さんのことはす、好きだけど、それは入試の時に君が誰よりもヒーローらしかったから、俺は普通に漂依さんと仲良くなりたいと思ったんだ」


普通。他の子と同じ。普通に仲良くなりたい。

普通って、もしかして、


「ほんとに?」


いつの間にか私は前を向いていて、相手の顔をはっきりと見ていた。

その先で尾白くんも障子くんも当たり前に私を見ていて、当たり前という顔でうんうん頷いている。責めている風にも下心がある風にも見えない。普通に、私と面と向かって話そうとしてくれている。……ううん、本当は最初から、私が話があると言った時から二人はちゃんと話そうとしてくれていた。私が気付いていなかっただけ。


「ほんとに、私のこと普通? 私のこと、嫌いじゃない? そういう意味で好きでもない? ほんと?」
「あ、ああ」
「うん、普通に好きだよ」


さっきまで眼球でくすぶっていた涙がブワッと溢れた。マスクの隙間から頬を伝って顎からまたマスクに吸い込まれていく感覚は昨日と一緒で、でも、私の顔はどうしようもないくらい緩く解れていって。止めるという意識もまったく度外視したまま、私はマスクの下で普通に笑っていた。

私は普通の子になりたかった。誰にでも好かれる子や嫌われる子じゃなくて、普通に生きたかった。普通が欲しかった。

その気持ちを認めてもらえた。欲しかった言葉を、なりたい自分を。


「あ、あぃ、がとっ、うれし……」


それは多分、救いだった。

彼らはヒーローじゃない。まだヒーローの卵なのに、立派に私を救けてくれる。あの人のように、私を救けてくれた。爆豪くんの『ブス』よりも嬉しい。うん、『ブス』は本当のことだけれど褒め言葉じゃないからかな。酸素が足りなくて思わずマスクを外して深呼吸する。マスク越しじゃない空気は青臭い草の匂いがした。


「えっ、漂依さん!?」
「大丈夫か? 少し落ち着いた方がいい」
「うん、嬉しくて……ごめんなさい、あり、ありがとう」


外したマスクで無理やり涙を拭ったところで今まで黙って立っていた轟くんのことが目に入った。無表情に見えて少し居心地悪そうにポケットに手を入れている。私が突然泣き出して困っていることはすぐに分かった。


「とどろきくん、も、私のこと、普通?」
「あ、ああ、フツーだが、」
「そっか、ありがとう」
「悪ぃ、本当に俺には関係ない話だったな」
「えへへ。でしょ?」


誰にも好かれず、誰にも嫌われない。そう確信した瞬間に涙腺も表情筋もぐずぐずのゆるゆるで。久しぶりに男の子の前で気を抜いて笑えた気がした。嬉しいついでに気を抜いて尾白くんと障子くん、ついでに轟くんの手を一人ずつ握ってもう一度ありがとうを伝えた。謝罪じゃなくて感謝を伝えることになるなんて思いもよらなくって、隠しもしないで笑顔を晒し続けた。

顔を晒したって好きにも嫌いにもならない。尾白くんも障子くんも轟くんも普通のままなんだって安心感が、ただただ心地よかった。


「お前、普通に笑えるんだな」
「だって私、普通の子だもの」


強がりで軽口を叩いてみる。普通の子ってこんなに楽なんだ。私だって普通になれるんだって嬉しかった。

普通に、嬉しかったの。
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