となりのフリージア
「ずるいなあ」
「なにが」
と、目の前の彼女は間髪入れずに聞いてきた。この漂依芳ってやつは、俺に負けず劣らず性格が悪い。
「とぼけんなって。そういうのうざいよ」
「そういうこと言ってくる心操くんもうざい」
「うっわ」
面と向かって漂依さんに言われるのは、俺としては十分傷つく。別に他のやつらみたいに見た目で寄ってきたようなアホのつもりはないけれど、それでもこのお綺麗な顔が辛辣な言葉を使ってると思うとツライ。この現実がツライ。このヒヤッとする嫌な感覚があるってことは、俺もアホの仲間だったってことになるわけで。まあ、ダブルパンチで傷ついた。
俺は、漂依芳のことをそれなりに知っているつもりだ。というか、この雄英高校の中でなら誰よりも知っていると思う。ただの同中出身ってだけなわけだけど、俺ら以外に同中がいないから嘘じゃない。彼女がどんな人間かなんて風の噂で耳にタコができるくらいには聞いたし、周りにも聞かされてきた。
他人を操る“個性”で、他人に嫌われやすい女子。オブラート何千枚も使って丁寧に包んだ表現に言い直すとそんな感じの内容だった。俺の『洗脳』の“個性”と似たり寄ったりで、でも決定的に何かが違うんだろう。その何かのおかげで彼女は嫌われて、俺は嫌われなかった。そう、中学の時は密かに安心していたもんだ。
それが、この雄英に入ってみれば嫌われ者がヒーロー科だってさ。そりゃあ、俺じゃなくても思うよな。
「ずるいよ、漂依さん」
彼女は形のいい眉毛を顰めて俺を睨みつける。それさえも、中学の時には見れなかった表情で、さっきとは違った何かが俺の背筋を伝った。
「お詫びに俺のこと慰めてよ」
「意味分かんない」
漂依さんがそう返事した瞬間。フ……と。彼女の綺麗な紅色がただのガラス玉になる。冷たい色をしたそれに温度なんて感じられなかったけど、いざ意思がなくなるとそうでもなかったんだな。俺はちょっとだけ得意げになって、そんで調子に乗ってしまった。
「そのまま、俺にキスしろ」
我ながらデリカシーの欠片もない命令だ。
ゆっくりとマスクが下ろされて、色白い顔が目の前に現れる。シュッとした鼻筋も、ふっくらと赤い唇も、気がつけば目と鼻の先にまで近付いてきて。辛うじて無表情のまま、俺はその唇が触れる瞬間を待った。何か大切なものを失くしてしまうような、そんな胸騒ぎを覚えながら。震える色素の薄い睫毛を見つめて、そして、
「サイッテー」
ガツンと。額に強烈な一撃。
「うッ」
いってえ。
思わずしゃがみこんで頭を押さえる。こんなとこ痛めたのは入試の時以来かもしんない。しばらく続く鈍痛と戦い、涙目のまま見上げた先で、同じく額を赤くした漂依さんが蔑んだ目で俺を見ていた。なにそれ、コスチュームの時にもう一度お願いしたい。
「あの、さあ……色気とかそういうのないわけ?」
「ない」
きっぱり言い切られて俺が凹まないとでも思っているのか。
恐らくってか確実に俺が“個性”使う前に相手も“個性”使ってたんだろうと。そう考え付けると、いかに俺が信用されていないかがよく分かった。信用していない相手の思い通りになっているフリして、こんな騙し討ちしてきやがった。上げて落とす戦法ってか。本当に漂依芳ってやつは性格が悪い。
「やっぱりずるい」
「くどい」
「うッ」
ローファーのつま先が鳩尾に入って今度こそ俺は撃沈した。こんだけ綺麗な見た目しておいて中身は地味に乱暴者なんだから、俺の憧れを返して欲しい。
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