大人と子供



「悪巫山戯をするようなやつには見えなかったんだがな」
「悪巫山戯だと思いますか?」


私の下で、気怠げにこちらを見上げる座った目。人のことを言えない目をしている自覚はあるけれど、こんなにもやる気のなさそうな目はそうそうないに違いない。誰もいない放課後の教室で、何故か寝袋にこもって居眠りしていた相澤先生。彼の姿を見た瞬間に、足が勝手に動いていた。


「悪巫山戯じゃないなら、この格好はなんだ」
「さあ」


寝袋の上に乗っかって、ちょうど心臓の上に重心が来るように右膝を立てる。すると今まで死んだように眠っていた顔が一瞬にして少しだけ苛立たしげな顔に変わったんだ。洗ったのか洗ってないのか分からない伸び晒しの髪と髭面は、とても見れたものじゃないのに。私にはその瞬間、期待にも似た感情が湧いて出た。

ドライアイのせいで充血した目をしっかりと覗き込んで、躊躇うことなく“個性”を使った。


「【抵抗するな】」


瞬間、先生の体から力が抜けて、苛立ちがするりと顔から抜け落ちていった。簡単に、私の力が効いてしまった。これに驚いたのは私の方だった。


「なんで……」


ずいっと、さらによく見えるように相澤先生の目を覗き込む。触り心地の悪い髭面を撫でながら、鼻の先がくっつくほどに近づく。本当の本当に、かかってしまったというのか。変わらずやる気がなさそうで、敵意も何もない。不抜けたおじさんが私に大人しくされるがままになっている光景は、私の期待を粉々に打ち砕いた。そうして壊れた器の中から覗いた感情が、途端に体の内を暴れ狂う。

なんで、なんで。


「お前が何に期待しているかは、まあ、なんとなく分かる」


いつの間に私は“個性”を解いていたのか。気がついた時には寝袋から抜け出た相澤先生によって今度は私が上からのしかかられていた。


「漂依芳」


心底冷え切った声が上から降ってくる。骨ばった手が、男の人の手が、私の肩を、胸を、首を、耳を、頬を撫でる。それは愛撫なんて慈しみのあるものじゃない。その手の感触を、温度を身体に覚え込ませるような、支配するためにかけられる呪いのような。そんな恐ろしいものを私に植え付けようとしているんだ。


「俺の“個性”は、お前の精神安定のために使うほど安くない」
「ぅ、やっ」
「俺は、お前の“個性”を否定してやるほど、お前を嫌っていない」


耳元で、ぞわりと底冷えする息が鼓膜を打つ。気づかれていた。見透かされていた。いや、それよりも最悪かもしれない。まだ体を這いずっていた手が顎を掴んで、嫌が応にも先生の顔と向き合う形になる。自分から近づくのは平気なのに、相手から近づかれることは、なんて怖いんだろう。

私は、この大人を舐めていた。


「悪巫山戯はここまでだ」


べろり。お返しとばかりに舐められた頬を拭う術なんて、私にはなかった。
← back
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -