彼の人知らず



次の日の朝は思ったよりも気持ちが落ち着いていた。一晩でも時間を置けば冷静さは戻ってくるもので、昨日の会話がどんな風だったのか客観的に振り返ることができる。結果私は布団の中で頭を抱えることになった。

『人間は真に理解し合えない』なんて。本当はあんなことを言うつもりはなかった。オールマイトがどんな人間なのか知るために、どこまでが彼の本心なのか見極めるために煽ったのに。途中から自分の本心を曝け出してしまっている。あれではただの八つ当たりだ。ただヒステリックに叫んで逃げた頭のおかしい子供だ。羞恥を散らすように深い溜息を吐く。今日も学校がある。いつまで私は雄英に通うんだろう。カバンの中に忍ばせた編入届を確認した後、ゆっくりと家を出た。


教室に入った瞬間まず向かったのは爆豪くんの席。単刀直入に昨日確認できなかったことをしようと爆豪くんに話しかけた。


「爆豪くん、昨日のことで話が」
「ああ!?」
「なんでもない」
「変わり身はやッ!?」


瞬間的にどうでもよくなった。それだけ彼の機嫌が最悪だった。よく朝からここまで不機嫌でいられるものだ。不機嫌さを隠しもしない彼は入学早々に『死ね』と叫んだ横暴さと相違なかったから、確認するまでもないと私は判断した。数秒で済んだ用事に安堵するという僅かな間もなく、突然叫びだしたのは緑谷くんだ。これはツッコミ、というやつなのか。この二人はいじめっ子といじめられっ子のような関係に見えるのに、変なところでタイミングが合う。意外と仲良しなのかも。私には関係ないけれど。

ちらと視線をやると緊張したように体を震わせたので、すぐに緑谷くんから意識を外して席に着いた。初日に声をかけられた時から彼のことはよく分からない。分かる必要も、ない。


「学級委員長を決めてもらう」
「学校っぽいの来たー!!!」


それからHRを経て本日の授業が始まる。朝から教卓に相澤先生がいるということでみんな嫌な予感がしていたけれど、蓋を開けてみればただのLHRみたいなものだ。ヒーロー科といえどもやっぱり学校という体制は崩れないらしい。誰が委員長をやっても同じだろうと、適当に前の席の八百万さんに投票した。

結果は委員長が緑谷くん。副委員長が八百万さんになった。他はみんな自分で入れた一票ずつ。私とのやる気の差がよく見て取れた。これがトップになるという気概なのか。自己投票の多い名前の羅列を何の気なしに目で追っていくと、当たり前のように見覚えのありすぎる名前を見つける。

漂依芳 一票。


「は?」


マスクの中で呟いたそれは幸運なことに他の人に聞かれることはなかった。周りがパラパラとした拍手をしていたのもある。委員長への好感を露にするクラスメイトたちに反して私は思いっきり顔を歪めて黒板を睨みつけていた。何度見ても、私の名前だ。おかしい。誰が私なんかに投票しようと思ったのか。もう一度黒板に並んだ名前に目を通す。知らない名前が多すぎて特定はできないけれど、少なくともそこに飯田くんと轟くんの名前がないことは分かった。もっと訳が分からない。

だって、飯田くんは昨日散々虚仮こけにした相手だし、轟くんとは直接会話すらしたことがない。もしかしてプリントに落書きをした制裁だなんてことは……まさか、ね。


「漂依さんも御自分に投票したのですね。意外ですわ」
「ううん……私は八百万さんに……」
「ほ、本当ですか!?」


考え事をしてたせいか。いつの間にやら前の席に帰ってきた八百万さんの質問に素直に答えていたらしい。気付いた時には八百万さんが興奮したように口元に手を添えていてびっくりした。なんでそんなに嬉しそうなの。


「あ、あの、今日こそ一緒にお昼を食べませんか……?」
「ごめんなさい」


そして秒で落ち込んだ八百万さんのテンションがなんだか不気味だった。初日との印象が少し違う気がする。それに気にもせず、まさか、と思いつつツートーンカラーの後頭部を観察しても、当たり前のように彼が振り返ることはなかった。

そうこうしている内に午前の授業が終わり、お昼休みの時間になる。荷物を全部持って私が向かうのは校舎の裏庭。パッと見ただけだと日当たりの悪いジメジメとしたところだけど、植え込みの隙間を抜けるとそこそこ明るい場所に出る。人気のない花壇の適当な縁石に座り込んで、昨日と同じくコンビニで買った蒸し鶏サラダを取り出す。

身体作りの資本は食事だ。けれど、誰に見られるとも知れない場所で食べることがとても苦痛だった。たくさん食べると吐きそうになる。だから仕方なく、申し訳程度のタンパク質が入ったサラダで妥協する。吐いて食材を無駄にするよりは全然マシだと思うことにして、数時間ぶりにマスクを外す。

一人の食事は味気ないものだ、などと言う輩が大多数いることは知っている。ならば私は少数派なのだろう。気を張り詰めなきゃいけない相手が他人すべてである時点で、そもそもの大前提が覆っているかもしれない。鳥が鳴いて、雑草の青臭さが残り、虫が些細な羽音を立てる。雄英というマンモス校の一角にあるとは思えない空間で、膝の上のサラダをプラスチックのフォークで適当につつく。青じそドレッシングのさっぱりした味がいくらでも食べられるような気がした。

食べ物の味を噛み締められる幸福を、私は静かに噛み締めていたのだ。


「ねえ、何してるの」


そこに、彼が現れるまでは。
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