シニックな唇
今回の戦闘訓練で私が試したかったことは二つ。一つは他の子との“個性”なしでの戦闘。このヒーロー科という狭き門で自分の力がどれだけのものなのか、という判断材料が欲しかった、と言い換えてもいい。そしてもう一つは、私の“個性”の精度を見るためのものだ。
「大丈夫?」
「漂依くん……」
「気分は、どこかおかしいところはない?」
「ああ、大丈夫だとも」
足にベタベタと張り付くテープを綺麗に剥がし、ヘルメット越しに飯田くんの様子を伺う。変に挙動不審じゃないし、馴れ馴れしくもしてこない。顔が直に見えないけれど、受け答えがしっかりしていたから一先ずは安心した。ついでに怪我がないことを確認してから私たちは地下のモニタールームまで並んで階段を降りた。開始前と比べて特に変化のない建物の中を五階から四階、三階と降りたところで飯田くんが突然立ち止まる。その顔の向きには堂々と設置されたハリボテの核があった。
「どういうことだ、漂依くん……」
力ない声から飯田くんが本当に驚いていることが伝わってくる。それは彼が私に何をされたのか理解していないことを同時に教えてくれた。階段の影に隠れていた時、彼らが私の領域に入った瞬間にかけられた“個性”に。
五階の中央フロアに核があるという錯覚を植え付けられたことに、まだ気づいていない。
相手、もしくは自分の目を見る。言葉にする。この二つによって私は催眠術をかける。けれどこれは絶対にしなくてはならないことではない。距離は曖昧だけれど、私の間合いに入った人間には無差別にかけることができるのだ。ただこれには細かい操作に向かないし、大なり小なり催眠にムラが生じてくる。だからそれを無くすために、私は目を見て、言葉で訴えかける。私に意識を集中させて耳から入ってきた内容に脳を誘導する。そうすることで暗示がより強固なものになる。
今回試したかったことは、姿が見えなくてもどれだけ私の“個性”が通じるか、というもの。そのためにわざわざ核を目立つ場所に置いた。目に見える自分の情報と私の催眠術、どちらが有利に働くか。五階の中央フロアに指定したのも、飯田くんが最初に核を設置した部屋だったから。核がある場所として彼がすんなり認識できる場所。わざと逃がした彼がなんのリアクションもなく三階を通り過ぎ、さっきまで五階の中央フロアで転がっていたことがすべての結果だ。私の“個性”が暴走しなかった、結果だ。
飯田くんが走り去った瞬間から、私は心置きなく爆豪くんとの一対一に臨むことができた。爆豪くんの“個性”は協力して敵を倒すよりタイマンの方がやりやすいだろうし、核をいち早く確保したいなら足の速い飯田くんに行かせる。なにより奇襲なんて舐めたマネをされて黙っていられるほど大人しくもないだろう。私としても彼の無鉄砲さを前にトラップで拘束なんてことは怖くて出来そうにない。たとえ彼の両手を拘束出来たとして、一瞬で爆破されて抜け出されるオチが見えている。最悪床ごと破壊されてフィールドのトラップすべてを無駄にされるかもしれないとなれば、一対一にもつれ込めた時点で八割方作戦成功と言っても過言ではない。
「おかしいぞ、確かにここを通った時はなかったはずだ。そもそもボ……俺はどうして五階に核があるなどと……」
一人でブツブツ首を捻る飯田くんを置いて、早歩きで先に階段を下る。その途中で爆豪くんに会うことはなかった。
「講評の時間だ」
モニタールームに着くと壁際に既に爆豪くんが立っていた。その隣に一人分スペースを置いて立ったところで飯田くんが私と爆豪くんの間に立った。せっかく開けたのに。少し窮屈さを感じてさらに一歩ズレようとしたところでオールマイトの声がかかった。腰に手を当てて胸を張っているヒーローと、なんとも微妙な顔のクラスメイトたちがちぐはぐな光景だった。
「今回のベストは文句なしで漂依少女! ……と言いたいところだが」
彫りの深い顔が私を見下ろしている。気づいた瞬間、私は俯いていた顔を上げてその顔を見つめ返す。マスクをしていない状態で自分から他人を見ようと思ったのは久しぶりのことだった。彫りの深すぎて目が良く見えない、不思議な顔。それだけは、あの人によく似ているなと思った。思っただけで、決して本気で間違えたりはしないけれど。
「漂依少女」
「はい」
「君の“個性”ならもっと早く終わらせることだってできたはずだ。どうしてあんなにまどろっこしいことをしたんだい?」
オールマイトの言いたいことも分かる。私の“個性”なら出会い頭に有無も言わせず二人を石にしてしまえば開始三分で終わっていたはずだから。そういえば、Kのくじを引いた私にオールマイトはラッキーだと言っていた。私の“個性”をあらかじめ知っていたとしたら、確かに一瞬で楽に終わらせられると思ったのでしょう。
けれど、それに何の意味があるって言うの?
「自分の力量を図るための訓練ではないのですか」
「うん? それも一理あるけどね?」
「オールマイト先生は、さっさと授業を終わらせて帰りたかったんですか?」
「ええ? けっこう尖った言い方をするな、君」
とぼけた態度の大人だ。まるで子供扱いだ。これが1ヒーロー? それだけの余裕があるってこと? 分からない。今日あったばかりなのだから、まだ見極めるには早すぎる。分かっているはずだけれど、彼に向ける目はどうしても不審なものになってしまう。
「漂依くん! その言い方は先生に対して失礼ではないか!」
「黙って」
「だまっ……!? 君そんな性格だったのか!?」
至近距離でやんややんや言ってくる飯田くんを見ないふりしてオールマイトを見上げ続ける。彼はその巨漢に見合わぬ可愛らしい仕草で頬をかいてから、私に再度言い放った。
「それが漂依少女にとって正しい判断だと思ったのなら否定はしないけどね。今回の訓練では速やかな収束が望まれる状況だったから、君の実験はまたの機会にして欲しかったってことさ!」
ああ、なんでもお見通しってこと。私に訊かなくても知ってたんじゃない。
僅かなイライラを残しつつ、初めてのヒーロー基礎学の授業は終わった。相澤先生の除籍云々の脅し付きだった昨日とは違い、まとも過ぎる授業内容にみんな拍子抜けしているようだった。授業終了とともに全速力で保健室へ駆けていくオールマイト。一瞬だけ、その目がこちらを見た気がしたのは、たぶん気のせいじゃない。
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