八百万百の考察



後ろの席の漂依さんは、とても大人しい方です。


「えっと、漂依芳、です」


新しいクラスメイトとして、同じヒーローを目指すものとして、挨拶を欠かすことはいけない。そう思って声をかけたとても落ち着かない様子で挨拶しました。落ち着かない、というよりは、驚いている、というほうが適切でしょうか。声をかけられることを最初から度外視していたように、私の挨拶をありえないものだと捉えているようでした。そんなに私が礼儀を欠いている人間に見えたのでしょうか。それが本当ならとても心外ですわ。

漂依さんはその後すぐに俯いてしまって、私からは表情がよく見えません。具合が悪いのか、と保健室を勧めてみてもあまり乗り気ではないらしく、深く触れるのは控えることにしました。恐らくパーソナルスペースが広い方なのでしょう。言葉数も少なく、視線もあまり合いません。ヒーローになるためどころか、人としての適切な対人関係を上手く築いていけるようには見えなくて、途端に私は心配な気持ちになりました。

内気で引っ込み思案な方は中学校のクラスにも何人かいました。コミュニケーションが上手くいかない方も、委員長を任されることが多いせいかよく接する機会があります。ヒーロー科にそのような方がいるとは予想外でしたが、無視するという選択肢はありません。余計なお世話かもしれないと分かりつつも、私は漂依さんを注視することにしました。

案の定と言うべきか、漂依さんは会話が不得手です。個性把握テストの際、とても人好きする麗日さんや芦戸さんにも怯えたような態度をとります。朝のあの態度は私だったから、というわけではなかったようです。それに安堵したのは一瞬で、これでは余計にいけないとさらに観察するようになりました。そうすると、ほんの少しだけ彼女のことが見えて来たような気がします。

漂依さんは、女子に対して平等によそよそしい態度をとります。人見知りの方のようにつっかえたりどもったりしながら、できるだけ関わりのないような態度を取るのです。対して男子にはきつく、突き放すような言葉をハッキリと言っているようでした。男子と話している様子は尾白くんとしか見たことがありませんが、他の方とも話そうとはしませんから、恐らくは同じ反応であろうと仮定します。これらの共通点は目を合わせないこと。頑として視線が合いません。もしかして、彼女は意図的に周囲と距離を取っているのでしょうか。だとしたら私のこの心配は完全にお節介だったということになってしまいます。

なんとももやもやとした気分のまま迎えた入学二日目、一限の英語の時間。見覚えのある問題の数々を解き終え、丸つけの段階に入った時、漂依さんの隣が誰もいないことに気づきました。これでは彼女一人で採点することになってしまう。私はそのことを轟さんに告げ、後ろを向いてプリントの交換を申し出ました。轟さんは少し面倒そうなお顔をしましたが、こういうことはしっかりしなければなりません。漂依さんも戸惑いはすれど素直にプリントを渡してくれました。採点の結果は満点。丁寧なアルファベットの羅列は彼女の性格を表しているのでしょう。採点ミスがないか確認し、返すために再び振り返った先で、漂依さんの様子が少しおかしいことに気がつきました。


「漂依さん? どうかしましたか?」
「うっ」


ペンを持つ手が震えています。顔も心なしか青ざめていて、もしかしてまた体調が優れないのかしら。彼女の視線を辿っていくと、手元のプリントにぶつかります。それを見つけた私は、何故だかとてもびっくりしてしまいました。


「どうした」
「轟さん、これ……」


赤ペンで書かれたスペルミスを告げるイラスト。不思議と可愛らしい。特別黒目が大きいわけでもないのに妙な愛嬌を感じます。こんな落書きをするような方だったなんて。そっと彼女の顔を伺うと、突然胸が締め付けられるような感覚が襲ってきました。漂依さんは、それはそれは羞恥に濡れた瞳で机を睨みつけていたのです。僅かに潤んだ紅い瞳と、淡く色づいた耳と目元、マスクでは隠しきれないほどに、彼女は照れていたのです。普通の女の子のように、恥ずかしさに身を焦がしているようでした。

その表情の、なんて可愛らしいこと。


「漂依さんって……」


絵がお上手ですのね。

話のきっかけを作ろうと開いた口はプレゼント・マイク先生のお言葉で咄嗟に噤んでしまいました。隣で意外そうにプリントを覗く轟さんが羨ましくて仕方ありません。私も彼女に絵を描いて欲しかった。それは別に、その絵がとても気に入ったというわけでなく、漂依さんが手づから描いたという事実が欲しかったのです。

誰とでも距離を取る漂依さんの表情を崩させたそれが、とても特別なものに感じたのです。

その数時間後、お昼のお誘いをあえなく断られたのは予想の範疇でした。当然です。あんなに頑なな態度が突然変わるはずがありません。分かっています。分かっていますわ。ええ、悲しいことに。慰めてくれる耳郎さんの優しさが身に染みました。



「しっかし、見れば見るほど美人だよな」


彼女の堅いガードを解けないまま迎えた午後の基礎ヒーロー学。最後に一人で敵役をしなければならなくなった漂依さんは、顔を手で覆いながらも部屋を出て行きました。眉間にシワを寄せて口を押さえているのは、それだけこれからの対戦に不安を抱いているということ。大丈夫かしら。純粋に心配でその細い背中を見送っていると、唐突に上鳴さんがそのようなことを言いました。


「だよな、いっつもマスクしてて分からなかったけどさ」
「くぅ、オイラとしたことがあんな美人に気付かないなんて!」


それにしても、男子の皆さんの目は節穴ですか。

いくら漂依さんがマスクをしていたとはいえ、せめてあの髪色だけでも分かるはずでしょうに。確かに彼女のマスクの下は私にも予想外でした。目の醒めるような美人、と言えばいいのでしょうか。もともと輝いていた紅い眼がさらに引き立つような造詣。それが惜しげもなく晒されている様子はたくさんの目を引きつけました。いつも猫背で頼りない印象ががらりと変わって、凛と芯の通った女性の姿になったのです。驚くのも無理もないでしょう。けれど、顔が綺麗だからとあからさまな興味を示すのはどうかと思います。

鼻白んだ気分のまま、室内になにやらトラップを仕掛け終わった彼女の姿に集中します。あとは核のハリボテを設置するだけ。そうなった時に、私は次の彼女の行動に思わず声を出していました。


「どうして……!?」


今までの行動を見る限り、漂依さんはトラップの多用で相手を追い詰める作戦のようでした。一人で二人を相手に防衛戦を取るのは悪手です。いつ隙を突かれて核に触れられるとも限らない。ならば核を安全な場所に隠し、中間点で時間いっぱい足止めをするのが正解でしょう。確かに、彼女の行動は理に適っている。けれど今問題なのは、彼女が核を隠した場所が決して安全ではなかったところです。

何故なら核は、三階の入口に堂々と置いてあったのですから。

階段を登りきってすぐ目の前にあるそれ。三階に足を踏み入れずともその前の踊り場から見上げればすぐ目に入ります。何故そんな目立つところに置いたのか。さきほどトラップを仕掛けた五階のフロアに置くのがベストではないのか。騒がしくなるモニタールームの中で、皆さんが困惑の表情を浮かべていました。当然、私たちの声が向こうに届くわけもなく、オールマイト先生の合図とともに三階へと続く階段の死角に身を隠してしまいました。


「おいおい、爆豪たち来てるぞ」


ちょうど爆豪さんと飯田さんが一階から侵入して二階フロアにまでやってきました。その間、漂依さんは死角から動こうとしません。このままではすぐに核を取られてしまうというのに、いったい。

そうこうしているうちに漂依さんは攻撃を仕掛けます。一直線に爆豪さんの元へ飛び込んで行った彼女。それは爆豪さんのカウンターで失敗に終わります。どころか、彼女が止める間もなく飯田さんが三階へと駆け抜けていきます。これで核はすぐ目と鼻の先。開始三分で終わってしまうのでしょうか。ずいぶんと呆気ない終わりだったと口々に言う皆さんを他所に、私はモニターで起こった現実に呆気にとられました。


「通り過ぎましたわ……」


唖然。まさに皆さんそんな顔をしていました。

飯田さんは、核に見向きもせず、そのすぐ脇を通って階段を駆け上っていったのです。本当に、手を伸ばせば届く距離を爆走です。見えていなかった、なんてありえない。しかも彼は、他のフロアを見回ることなく五階の中央フロアへ一直線に駆けていったのです。漂依さんが一際入念にトラップを仕掛けた部屋へ。


「なにが起こってるんだ……?」


足を中心に拘束され転がった飯田さん。もう動くことは困難だろうと判断して、私は再度爆豪さんと漂依さんの戦いに目を向けました。爆豪さんが冷静でない分、漂依さんの落ち着いた動きが顕著に見えます。爆豪さんは先に行った飯田さんを無視した彼女を怪訝に思っているようでした。彼がいるところからも核が見えているはずなのに、一向に気づく様子がありません。それだけでなく、私は漂依さんの様子にも引っかかりを覚えました。

彼女の“個性”は確か、増強型のものだったと記憶しています。それは昨日のテストで確認済みです。緑谷さんと同じように“個性”の使い過ぎで保健室に行くよう相澤先生に言われているところを見ました。けれど今の彼女の動きは、何かを増強しているようには見えません。爆豪さん相手に“個性”なしで挑んでいるということでしょうか? そんな無謀なことをするような無鉄砲さがあるようには思えません。

でも、けれども。気になることはこれだけじゃありません。

思えば先程見送った背中には僅かに違和感を感じていました。彼女の背中は無駄な脂肪も筋肉もない、とても引き締まったものでした。常にあの猫背を保っているのなら、それなりの脂肪や筋肉が付くはずなのに。それが一切ないということは、彼女の猫背は意図的なものという可能性が出てきます。だとしたら、なんのために?

一つ見つけるといくつも芋ずる式に謎が飛び出してくる。彼女は、私が見えている漂依芳は、本当の彼女ではないのかもしれない。


モニターの向こうで爆豪さんの隙を突いた一撃を加えた彼女。そのうっそりとした壮絶な微笑みに、私は小さく唾を飲み込みました。
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