あかい腐れ目
『屋内対人戦闘訓練、
開始!!』
作戦のシミュレートはあらかたできた。細工も上々。あとは自分を信じて動くのみ。小型無線でオールマイトの合図を聞き届けてから、私は行動に移した。
爆豪くんの“個性”は地面から浮くことは出来るだろうけど、あれは機動力に用いられる程度で実質飛ぶことはできない。飯田くんの“個性”は、壁登りなんて無茶な芸当ができない限りは恐らく平面のみに有効。よって彼らの侵入経路は一階か、万が一を考えても二階の窓からになる。大穴で爆豪くんが壁を破壊する可能性もあるけれど、みすみす相手に居場所を教えるほど馬鹿ではなさそうだ。
二人組のセオリーなら、核の周りを取り囲んで守りに徹する防衛戦を選ぶ。けれど私は一人しかいないわけで、核を守りながら二人を相手にする芸当は普通は不可能だ。よって、一人の時に取るべきセオリーを私は選ぶしかない。
核をできるだけ見つけにくい場所に隠し、制限時間いっぱいまで相手の足止めをするという戦法。それを取るために、私は二階と三階の間の踊り場に身を潜めた。
ほどなくして、爆豪くんと飯田くんの気配が一階からやって来る。なんともギスギスとした会話をしている二人に呆れながらも、彼らの足が二階の階段に差し掛かったところで私は死角から飛び出した。狙うは爆豪くん。まっ先に臨戦態勢に入ったのは流石として、問題なのはよく考えずに右手を大きく振り上げたことだった。さっき緑谷くんにも読まれていたじゃない。爆音とともに放たれた強烈な拳をすんでのところ避けて脇へ転がる。
爆豪くんとまともにやり合うのは得策ではない。けど、こんな訓練でない限り対人でこんな派手な“個性"とぶつかれる機会はそうそうないだろう。端的に言えば、それが今回の目的だった。
「んのアマ!」
「爆豪くん!」
「うるせえ邪魔だ端役! てめェは五階の核の方に行け!」
「最初の方が余計だが、了解した!」
飯田くんが私の脇をすり抜け階段を駆け上っていく。それを横目で見送りながら体勢を立て直し、再度振り上げられた爆豪くんの拳を見据えた。
私が自分で優れていると思える唯一の特技は目がいいということだ。単純に視力だけでなく、動体視力が恐らく他よりも優れている。現に圧倒的強者であるはずの爆豪くんの拳をモニターで見ていた時から今まで一度も見失ったことがない。それは他のクラスメイトたちにとっては当たり前のことかもしれなけれど、それでも。面と向かって時間を稼ぐには最低限必要なことだから。
「っらああ!!!」
爆風がピンで留めていない髪を浚っていく。バックステップで避けながら見据えた彼の顔は驚く程に余裕がなかった。
「なに避けてんだ……てめェもうぜえ目しやがって……ムカつく……ムカつくんだよブスがァ!!!」
「ブス……?」
単調な攻撃の合間に叫ばれた内容。思わず口が勝手に言葉を返していた。
本当は、この十五分間、一言だって口にする気はなかった。所詮、今の私は目がいいだけの雑魚で、体が動きに着いてこれているのはこの一年の鍛錬での付け焼刃だ。正直避けるのに手一杯で攻撃に転じる暇がない。この調子ならせいぜい三分経ったかどうか。待ち伏せ時間も含めて五分弱。あと十分も爆豪くんを抑えられる自信はない。圧倒するのなんて以ての外。そんなこと、弁えていた。はずだった。
そんな状況で聞いたその単語が、私の琴線に触れるものだったのが、そもそもの誤算。
「私のこと、ブスに見える?」
「ああ!?」
ああ、だって、それは、
「そう、君の目は腐ってないのね」
とっても、得がたい言葉だ。
自分でも分かる。私は今、笑っている。ものすごく、嬉しそうに笑っているに違いない。口端が自制しようとしても下がってくれないんだもの。そんなことに意識を割くくらいなら、今目の前でできた隙を突くことに専念しよう。
突然笑った私を不気味にでも思ったのか、虚を突かれたように目を見開く爆豪くんの懐に潜り込む。初めて入り込んだ彼の間合い。それを無駄にするわけにはいかない。瞬時にベルトに下げられた警棒のようなものを引き抜いて、無防備な彼の鳩尾を思いっきり叩いた。
「ガッ!!」
僅かに飛んだ唾が頬につく。それも気にならないまま、私は第二撃を加えるべく警棒を構え直す。とにかくテンションがハイだった。その一瞬だけは、爆豪くんと戦っていることに少しだけ感謝したくらいだ。私が生身でどれだけ実戦に耐えられるか、という実験に付き合ってもらえることに対してじゃない。私がいつも思っている、本当のことを言ってくれた。それだけで私の頭は狂ってないと慰められたような気になれた。実際はそんなことあるわけないことが分かっていたけれど。自分自身を冷静に諌める理性すら、今はただ邪魔だった。
緑谷くんと爆豪くんの対戦の時に考えていたことを、自分自身で思ったことを忘れるなんて。やっぱり私は馬鹿だ。
「舐めてんじゃ、ねェ!!!!」
なんで彼が反撃することを考慮に入れないのか。突っ込んだ先に翳された手が近づくと同時に心底呆れた。
鼻につく何かが焦げた臭い。あと数瞬もしないうちにそれは私の顔面を覆う。そうしたら、あとはどうなるか考えなくとも分かる。だから、そうなる前にどうにかしないといけないわけで。
時間にして七分。爆豪くんと対面してまだ五分。五分も対面して無傷でもったことが上等というべきか、自分の非力さを恨むべきか。あまりに彼が規格外すぎて比べること自体が間違いだったかもしれいない。どっちにしろ“個性”なしの私の力がどんなものかはおおよそ図れた。だから、もういい。引き時は弁えないと、命がいくつあっても足りやしない。
完全に爆豪くんの手が視界を覆う前に。私は彼の目を覗き込んで、そっと囁いた。
「【爆豪くんはただの石】」
何もできない。“個性”も何もない。道端に転がるただの石っころ。
途端に、彼の右手が私の顔を掴む形で停止する。実際は彼の表情も身体もすべて止まっている。当然だ。石は笑わないし怒らない。ただ誰かに動かされるまでその辺に転がっているものだ。なんて彼に似合わないチョイスだろう。爆豪くんの動きが完全に止まっていることを確認してから彼の腕に確保用のテープを巻く。これで、あとは飯田くんのみ。その点に関しての心配は全くしていない。
緊張と疲労で重い体を酷使して五階の真ん中のフロアまで歩く。時間にして十分。あと五分でタイムアップだからそれまで待つのもやぶさかではないけれど、一応やる気だけは見せておかないと。成績不振で先に学校に見放されたら私がここに入った意味がなくなる。
「何故だ!? 確かに核はここにあったのに!」
開始前にしかけておいたトラップで芋虫状態の飯田くん。彼が騒ぐのも構わず、適当なところに同じくテープを巻く。瞬間、無線から聞こえてきたオールマイトの声にやっと一息つけた。
最初の勝利が仮とはいえ敵役なんて、皮肉が効きすぎて笑えない。釣り上がっていたはずの口は自然と元のへの字に戻っていた。
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