She laughed heartily.



インハイが終わった。
私の初めてのインハイが、終わった。

昨日の閉会式や表彰式はまったく見ていないけれど、ちゃんと終わったってことは分かっていた。でも一晩時間を置いて見ると意外と理解できてなかったんだなって実感する。それが寂しくて、虚しい。

私は私のためにしか走れない。一日目の山岳リザルトでそう自覚した。今までは巻島裕介の代わりに生まれてきてしまった責任を取ろうと躍起になっていたけれど、そもそも私が望んで巻島裕介になりたいだなんて言ったわけじゃないし、誰に何て説明するのかも分からない。『本当は私じゃなくて裕介って男の子がココにいるべきなんですよ〜』とか言ったらマジもんのやべえヤツだ。やべえのは頭の色だけにしておきたい。

だから、もうそういうことは無しにしよう。巻島裕介の代わりだの女だのハンデだの。そういうこと全部取っ払って、自分の好きなようにロードに乗って自分の好きなようにやってやろう。私はちゃんと心に決めた、そのはずだった。

なのに、また同じようなことが頭の中で嫌な靄を作り始める。

金城の落車も、古賀の暴走も。止めようと考えて考えて、結局考えただけで何もしなかった。だから何も変わらずに二人とも致命的な怪我を負った。なのにふとした拍子に関わった呉南のボトル事件はアッサリなかったことになって、あんだけ箱学嫌いだった待宮が爽やかな顔で二位を悔しがってる。本当に避けたかったアクシデントは避けられなくて、何とも思っていなかったことは簡単に変えられるんだ。

それって、なんて皮肉だよ。


「クハッ」


人生ままならなすぎだろ。

一回死んで生まれ変わったとはいえ、高校生でこんな枯れたことを考えるなんて。一周回って変な笑いが口の端からこぼれた。無意識に出た声が巻島裕介の笑い方とそっくりで余計におかしい。


「巻島裕!!!」


一晩明けて朝。金城と古賀のいる病院に寄ってから監督を残して帰ることになった。先輩方と田所っちと一緒に宿泊所のロビーで待機していると、遠くから聞き覚えのある声が私を呼んだ。ていうか名指しで叫ばれて反射でウワッて顔になる。

何も田所っちのいるところで会わなくても。幸い田所っちの脳みそには福富以下インハイメンバーしかインプットされていないので気付かれる前にサッと行ってバッと掴んでその場から離れる。背後から追いかけてくる囃し立てる声は聞こえなかったことにしよう。何を勘違いしてるんだか。


「あんま刺激するようなことやめろよ、みんなピリピリしてるんだから」
「す、すまない」


少しバツの悪そうな顔をした男前、東堂が息を整えるように肩を上下させた。カチューシャから飛び出るアホ毛を見る限りコイツも慌ててたんだと予想がつく。だからとりあえずの謝罪に納得して用件を聞いた。


「俺とアドレスを交換してくれ!」
「は? なんで」


内容は予想の範疇外だったけど。


「福富の件がまだ終わっていないだろう。この一件はこのまま有耶無耶になっていい話じゃない。最低でも互いに連絡を取れるようにしておいた方がいい。かと言って俺の一存で福富のアドレスを教えるわけにはいかないしな。ならば俺と君が同意の上で交換すればすべて丸く収まるではないか!」
「はぁ」


なんだろう、この飛躍したかのように思えて意外と筋の通った提案は。

私は前世の記憶で福富が饅頭持って謝りに来ることは知っているけど、東堂の連絡もなしに前触れなく来られても困るしな。巻島裕介ならとっくに東堂とライバル関係に収まってたんだろうが、今の私はまったくそんなこともなく、むしろこのインハイで初めてちゃんと話したみたいなところがある。となると、昨日の今日で連絡先を教えるのはちょっと抵抗があった。でもなあ、東堂が言うみたいに私が金城のアドレス教えるのはアウトだろうしなあ。


「まあ、いいけど」


結局、尻ポケットからガラケーを出して赤外線通信をする。東堂尽八の名前が少ない連絡先の一つに追加されて不思議な気持ちになった。


「うむ、これで連絡先の心配がなくなったな! ありがとう巻島裕!」
「……つーかさ、」


ちょいウザスマイルで携帯を仕舞う東堂。その時、ふと浮かんだ疑問をポロッと相手に聞いてしまった。


「なんでお前フルネームで呼ぶわけ?」
「む、確かに……では巻島さん?」
「遠のいたな」
「むむむ」


いや、別に巻島さんで結構なんだけどさ。巻島って呼び捨てるだろうって勝手に思ってたから。いまだにフルネーム呼びが続いてるのが違和感があるというか、あんまフルネームで叫ばないでほしいなっていうか。


「では、巻ちゃんはどうだろうか」
「まっ!?」


ここで? ここで巻ちゃん呼び!?

びっくりしてリアルに心臓が飛び跳ねた私を置いてけぼりに、東堂はうんうん頷いて納得している。私は自分が巻ちゃんと呼ばれるほどコイツに気に入られた意味が分からなくて何だかどうでもよくなってきた。どうやったって私は巻島裕介の通った道を歩いていくんだなって。ここまで来るともはや真面目に考えるのもアホらしい。

分かった分かった。もう巻ちゃんだろうがなんだろうが受け入れるって。どうせあと一年だし。うん、変にウジウジするよりは少しスッキリしたような気がした。


「……やはり慣れ慣れしかったか?」


おい、そこで落ち込むキャラじゃないだろお前。晴れやかな私と違って、急にシュンとなった男前が子犬みたいに可愛らしく見えてしまった。イケメンってズルい。


「あー、いや、別にいいんじゃない?」
「そ、そうか! では今日からお前は巻ちゃんだ!」
「おう」
「よろしく巻ちゃん! 俺のことは気軽に尽八と呼んでくれ!」
「たった三日前に会ったばっかで呼び捨てるのはちょっと……」
「何を今さら……ん? 待て待て、俺たち春に何度か同じ大会出たよな?」
「えっ……」
「ちょ、冗談キツイぜ巻ちゃん!!」
「えっ、あっ……」
「なにィ!? マジで忘れたのか!?」
「…………クハッ!」


東堂、既にイジられキャラが板についてるなあ。面白すぎて頑張って作ったドン引き顔が一気に崩れた。


「そっ、そんなショック、受けなくてもっ」
「か、からかったな巻ちゃん!」
「いや、おも、面白くって、ふふ、ふはっ!」
「お前ちょっと笑いすぎじゃないか!?」
「あっはっはっはっ!!」
「オイ!」


あ、声裏返ってやんの。

クハッとまた吹き出したところでやっと笑いが落ち着いた。ヒクつく腹筋を撫でてなだめながら大きく息を吐く。いや、さすが神から二物も三物も与えられている山神。ギャグセン高くて恐れ入るわ。


「なんか東堂と話すと思いっきり泣くか笑うかばっかだな。スッキリしていいわ」
「褒められている気はしないが、巻ちゃんがいいのなら良しとしておこう」
「うん、ありがとうな東堂」


二日目に泣いたことも、福富と金城のことも今深く掘り下げないでくれて。うるさいナルシストなのはともかく、中身は本当に気遣いのできる良いヤツだ。


「じゃ、そろそろ出発だから行くわ」
「ぁ、ああ、少しばかり話し込み過ぎたな。時間を取らせてすまない」
「こっちこそ助かった。何かあったら連絡よろしく」
「ああ、俺は何もなくたって気軽に連絡してくれて構わんからな!」
「いや、悪いから最終手段にしとく。お互い練習ツラいだろうし」


そんな頻繁に連絡されても何話していいか分からないし。東堂も部活と自主練で忙しいだろ。私も来年までうかうかしてらんないからなあ。

それもそうだな、って。東堂は少しだけ真剣な顔で頷いた。私がひらひら手を振ると同じく手を振り返してくれて、まあ、そこそこ話す程度の仲なら別にいいかなって、何となく自分の中の基準が緩まっていくのを感じる。なんてったって東堂はいいヤツだからなあ。いいヤツをないがしろにしていい理由はないしなあ。


「そういえば先日の、た……さ……のことだが、」
「ん?」
「っいや、なんでもない! またヒルクライムで会おうな巻ちゃん!」
「あー? まあ、会えたらな」
「絶対に会えるとも! まだ俺はお前に勝てていないのだから!」
「根拠になってない気がするんだけど」


まあ、関東のヒルクライムに出るのなら嫌でも会うだろ。納得して今度こそ東堂と別れた。ロビーに戻ると田所っちにふがふが言わたけど、二日目の朝みたいに難癖つけられたのかって心配が透けて見えたからニッコリ笑って親指を立てる。オイ、なんで今ドン引いた顔をした。


「そうか、きっちり始末してきたんなら安心だな!」
「田所っち????」


金城と古賀がいないチーム総北。初日と同じく締まらない雰囲気のまま、私たちは広島から千葉へと帰った。
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