“Will you walk into my parlour?”



そのクモをこの手に捕まえたいと思い始めたのはいつの頃だっただろうか。

春は出会いと別れの季節というが、恐らくあの大会が俺とそいつとの出会いだった。見慣れない黄色のジャージ。タマ虫色の目立つ頭以外にはオーラゼロ。俺より何センチか高い背、170は余裕で超えている上背のくせに白く細長い手足がまるでモヤシのようだと内心鼻で笑っていた。

それがどうだろう。走り出してみれば力の差は圧倒的だった。長い手足を目一杯使いながらありえないフォームで繰り出されるダンシング。どうやったらそんなに速く登れるのかと叫んでやりたい衝動に駆られるが、それ以上にそいつの眼差しが印象的だった。

そいつの目は初めて与えられたおもちゃに感動する子供みたいにキラキラと輝いていた。長い下睫毛に彩られた瞳が太陽以外の光を映していると、ゴールを切った後振り返った顔から垣間見えた。その容貌が、よく見れば整った部類に入ることに気づいたのは何回目の勝負の時だったろうか。今考えてもよく思い出せないのだけれど。

もっと衝撃的だったのは俺がそいつに親しみを覚え始めたあるヒルクライムの大会のこと。


「よお、また会ったなタマ虫」
「げ、また来たなカチューシャ」
「ハッハッハ! 今日は特別にちゃんとした自己紹介をしてやろう! よく聞け! 登れる上にトークも切れる! さらにこの美形! 天は俺に三物を与えた! 箱根の山神でありスリーピングビューティー、眠れる森の美……」
「はああ!??」
「けい?」


と、そこで素っ頓狂な声を上げた"男"は、いつも気だるそうな下がり眉を押し上げ、信じられないものを見たと言わんばかりの変顔を俺に向けて来たのだ。その反応にうむ?とこちらも眉を上げる。相変わらず無表情以外はキモイ顔である。そんな感想を抱いているうちにわなわなと震える指が俺をしっかりと指す。思えばこいつがこんなに驚きを顕にするなんて初めてだ、と思考する頭は途中であえなく停止した。


「お前も女だったのか!?」
「む、失敬な! 俺はれっきとしたおと、…………"も"?」
「スリーピングビューティーって眠れる森の美女ってことだろ。ナルシストだとは思っていたけどまさか自分を美女だなんて自称するやばい奴だとは思わなかった」
「自称とは失敬な! 俺は自他ともに認める美形だ! ……いやいや今はそんなことじゃなくて、お前今、"も"って言ったよな? "も"って!」
「はあ? それがどうしたよ。こっちはあたし以外にも女が出場してるなんて知らなかったんだ。しかも今まで気付かなかったなんて、あんた悲しいほど貧乳だな」
「貧にゅ、!?」


唖然と、というか混乱する俺をおいてけぼりにそいつはジャージのジッパーを躊躇いなく下ろす。そこから現れたのは水泳か陸上で見かけるような、恐らくスポーツタイプのブラで、押さえ込まれていて勝手に胸筋だと思っていたそれが女子特有の丸みを帯びた胸だとまじまじと見つめてしまったのだ。俺としたことが、ライバルだと認めた相手が実は女子だったのだとこの数ヶ月の勝負の間気付いていなかったのである。

それからだ。俺はそいつを、巻島裕のことを練習以外でも考えるようになったのは。そもそも裕なんて女みたいな名前の男がいるわけない。あんな細い男も滅多にいるはずがない。初対面ではモヤシだと嘲っていた白く長い手足が女だと分かった瞬間から酷くそそられるものに見えてきてしまうのはどういうことなんだろう。たまに風に乗って香ってきた椿の香りは確実にあいつの髪の匂いだろうし、目元と口元のホクロはなんだか色っぽい。ペットボトルにストローを刺して飲む変わった癖も、僅かに突き出された薄い唇を見てしまえば夢にまで出てきそうなエロさだった。俺の頭はおかしくなってしまったのか。

詳しいことは伏せてそれとなく新開に相談してみれば「そりゃ尽八、おめさんその子に恋してるんじゃないのか」とバキュンポーズで言われ困惑はかなり助長された。

いやいやないない。相手はあのタマ虫だ。女どころか男と比較しても口の悪いあの女子を、この東堂尽八が惚れるなど。


「また会ったなカチューシャ。今日も負けねえからな」


きゅん。胸がありえない音を立てて縮んだ。おいおいおいおいなんでロードに乗っている時だけそんな綺麗な笑顔になるんだよ。というかまだ俺のことカチューシャ呼びか。そりゃないんじゃないのか巻島裕。と、そこで、思いついた俺は貯めていた足をここぞと言わんばかりに行使して彼女の前方へと躍り出た。


「ワッハッハ! 今日は俺が頂きだ巻ちゃん!」


即席で思いついたとは思えないほどしっくりときたそのあだ名は、今に至るまで俺の舌に浸透している。あれから俺たちは三年に上がり、もうすぐ最後の夏がやってくる。巻ちゃんとの最後の決着も、もう目と鼻の先なのだ。


「なあ巻ちゃん。インハイで俺が勝ったら聞いて欲しいお願いがあるんだが、いいだろうか」
「それってあたしに拒否権あんのかよ」
「ワッハッハ! ないな、それは!」
「じゃあ聞く意味ないだろ」


そんな軽口の電話の後、柄にもなく緊張で汗ばんだ手を握り締めながら独り言ちた。


「この山神のものになれ、裕」


それが言霊となり、俺に彼女を運んできてくれることを信じて。


(His room is my parlor.の元ネタのお話。メモ帳から発掘されたので一応載っけました。本編の展開とは関係がありません)(たぶん)
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