His brain is cool, unfortunately.



息が苦しい。苦しい。苦しい。

ペダルを漕ぐ足もハンドルを握る手も。まだ我慢できる程度の疲れなのに、意識がどっかに吹っ飛んでしまいそうなほどあやふやだ。心が体に追いつかない。集中力が気を抜くとプッツリと切れてしまいそうだ。

これが、嫌な予感ってやつなのか。


「田所っち、田所っち!」
「ああ? どうした巻島」


すでに金城は前方で箱学とトップ争いをしている。平坦は田所っちと古賀が、山は私が引いた。ファーストリザルトも山岳リザルトも犠牲にして絶好のポジションで発射させた。あとは金城を信じて私たちがゴールまで突っ走るだけ。何も難しいことを考える必要はない。必要以上の不安は落車の危険性を高めるだけ。分かってる。


「大丈夫、だよなあ」
「あったりまえじゃねーか! 二日目の黄色ゼッケンはうちがもらったぜ!」
「だよ、なあ」


田所っちの言葉をそのまま飲み込めないのは、私が心配性だってことにも原因がある。コイツは細かいことは気にしない楽天家だから、私が代わりに慎重にならなきゃいけない。心配するのは私の仕事。だからこの不安も様式美みたいなもんだと思い込むしかない。そうじゃないとメンタルボロボロで自転車に乗ってるのさえツラくなってくる。このインハイの舞台でから逃げることは、それこそ金城や寒咲さん、先輩たちに田所っち、部活面子に申し訳が立たない。

だから、何時間と必死に回してきたのに。



「それが箱学のやり方かよォオ!!!」


田所っちの怒号が遠い。
金城を支える肩が重い。
頭の中が真っ白になる。


「すまない、巻島」


手のひらの感覚がよく分からなくて、金城に名前呼ばれるまで思いっきり握っていたことにも気付かなかった。

ああ、やっぱり。

舌の上で転がした実感がストンと心に落ちてくる。ずっと悩んできた。ずっとどうしたら正しいのか、どうしたらこんな悲惨なことが起こらないのか、考えてきた。その全てが無駄だったんだって。

トップを独走していたはずの金城が、後から遅れてゴールして。血を流しながら、すまないって謝ってきて。箱学の金髪のヤツはオレが落車させましたって言いに来て。田所っちが殴って、金城が諌めて。なんだこれ、私が巻島裕介じゃなくっても、私が必死に祈っていたのも、どんだけ悩みまくっても、全部無意味じゃないか。

全部、漫画通りの進んでいくんじゃない。


「田所っち」


自分の口から出てきた言葉が、空々しい音をしていると他人事のように思った。


「オメェはこんなことして勝って嬉しいのかよ!?」
「田所っち、もうやめろよ」
「はあ!? コイツを庇う気かよ!?」
「ソイツ責めるよりやることがあんだろ」


私の耳元で少しだけ金城がうめき声を上げる。救急車と応援を呼びに行った手嶋を待つ間、一番非力な私が金城を支えるのも限界がある。みんな疲れてるのは分かるけど、できれば田所っちにも一緒に手伝って欲しい。それを伝える前に、金城が私の肩から体を離して田所っちに声をかける。

金城はまだ、明日のレースに出ることを諦めていない。例えどんな結果になるか目に見えていたとしても、始まる前から道の上での勝負を捨てる気なんて、さらさらないんだ。

そうだ、この日の悔しさは一年後の布石だ。一年後、新しいカードを手に入れた総北が勝利への道を走るための第一歩。

正直そのために、金城がこんな目にあったのかと思うと腸が煮えくり返りそうだ。とりあえず空を見上げて神様にでも叫んでやりたい。ふざけんな。一人で何でもできるなんて驕ってたくせに、自分が弱いって気付いた途端に待ってくれなんて。ンな甘ったれたことロードに持ち込みやがって。何が王者だ。何が箱学だ。卑怯者。クソ金髪。このリンゴ野郎!

そのどれもこれも、突き詰めれば金城が言うべきセリフで、私が言うべきではないと分かりきっているから。口から出ていけなかった罵声の言葉が無理やり飲み下されて胃の中で暴れている。腹のグツグツとしたそれに反比例して、頭は嫌に冷たい。怒るのも体力が要る。そう考えると田所っちの体力は化物じみてる。

立ち去ろうとしたところでちょうど表彰式のアナウンスが鳴って、なんとなく立ち尽くしたままの金髪頭に声をかけた。


「表彰式、行かねえの?」
「……オレにその資格はない」
「ああ、そうだな」


当たり前だわ。田所っちが何か追撃しそうな雰囲気がヒシヒシと伝わってきたから、早口で思ったことを言って逃げることにした。


「来年のインハイ、首洗って待ってろよ」


本当に言いたかったのは、そんな綺麗事じゃない。

コイツが本当に嫌なヤツだったら良かったのに。そしたら、金城のこと抜きにしても心置きなく罵ってやったのに。これだから私は馬鹿なんだ。馬鹿。バーカ。


「ちくしょう……」


悔しいなあ、バーカ。

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