She only runs.



『オレはお前とは違う』


去年の冬、夜練上がりでアクエリを奢ってもらった時に言われたことを思い出した。


『女で、クライマーで、男の中に一人で飛び込んできたお前の理解者には、どう逆立ちしたってなれやしねぇ』


辺り一面真っ暗で普通さっさと帰るだろって時間に居残りしてたらしい寒咲さん。


『だけどよ、お前ならお前のこと分かってやれるだろ』


こんな時間まで居残りなんて嘘だな。そんなのすぐに分かったし相手もバレること前提に話してた節があった。だから私は黙って聞いていた。


『お前がやりたいことやってこいよ。来年、最高の舞台で。オレが分かってやれなかったことをお前が果たしてこい。お前自身のためにさ』


とても短い話だった。練習の合間にちょこっと言えばいいじゃんって内容だった。けど、寒咲さんは寒咲さんなりに私に気を使ってくれたんだと思う。そんで、期待してくれてたんだと思う。わざわざ女子の癖に男子部に入ってきた図々しい女相手に、ちゃんと一人の後輩として扱ってくれてた。


「分かったよ、寒咲さん」


たぶん、遠慮してたのは私の方だった。男子の世界で渡り合えるくらいの力をもっていたって、所詮女子だからって周りを見ないで突っ走ってきた。先輩方の気に食わないって目や気遣う態度も見なかったことにして、金城や田所っちに見てないところを押し付けて、一人で突っ走ってきた。今までは一人でしか大会に出てこなかったからそれでも良かった。けれど、これからはそうじゃない。クライマーなんて結局は山しか使い物になんない専門職だ。要所要所で力を貸してくれる仲間がいないとこんな地獄のようなレースで生き残れるはずがない。こっからは、インハイってヤツはそれじゃダメだ。

私の役目は来年のインハイを終えること? 金城や田所っちの悲願を達成させること? 確かに最初はそうだった。でも、そうじゃないだろ。それだけじゃ私は満足しないだろ。


巻島裕介の代わりなんて、耐えられるわけないじゃんか。


一年の時、田所っちに元気づけられて自転車部に入ろうと思った。勘違いされてもどうでもいいって態度の私に金城は仲間であること教えてくれた。寒咲さんは女子が男子部に入りたいなんてビックリなお願いをちゃんと受けとめてくれた。最後まで表面的にしか接してこれなかった先輩たちが、こんな大事な局面を託してくれた。普通こんな女信用できなかっただろうに。私はそんな態度しか取ってこなかったのに。

頼られるってこういうことなんだ。託されるってこういうことなんだ。

ゴールを託されたエースも、金城もこんな気持ちだったのかもしれない。考えるほど自分の反省点が浮き彫りになってなんだか笑えてきた。レースが終わったら反省会しよ。その前にやるべきことはやんなきゃね。

もういいじゃん、漫画とか未来とか。そんなどうでもいいこと放って置いて、来年と言わずに今年で頂点(テッペン)獲っちゃえ。さっき自分で言ったことを今更ながらに遅れて噛みしめる。ペダルに踏み込む力がぐんぐん増していった。


サドルにケツ乗っけたまま漕ぐこと数十秒。八人ほどの集団が目の前に見えてきた。こんだけ楽に追いつけたってことはもう一つくらい集団がいそうだ。さっきまで上げ気味だったケイデンスをさらに上げて集団の脇を一気に抜き去る。前の集団じゃないなら最後尾につく意味もない。


「おい、後ろから一人行ったぞ!」
「は、女ァ!?」
「総北の76番だ!」
「はあ?! なんでダンシングしてねえんだよ!!」


よくよく考えたら私は今まで周りの声を雑音扱いしてよく聞いていなかった気がする。だから大会に出ても何高の誰々なんて名前覚えたことがないし友達とかも出来た試しがない。二回も優勝したくせに自分がどれだけの実力かも曖昧だ。これじゃ強くなる以前の問題かも。

無言のまま何人も人を抜いて、次の集団の最後尾についたあたりで速度を緩めた。ここが先頭。一番ゴールに近いところ。よくよく見れば聞いたことのある学校の名前がちらほら見える。果たしてこの聞いたことがあるってのが昔のことか最近かは分からないけど。とりあえず長野中央が今年もクライマーに恵まれていたことはよく分かった。

ああ、でもなんだろ。こんな上からな感想持つとは思わなかったけど、前に他のヤツのジャージがあるって新鮮だな。私の前を誰かが走ってるって不思議だな。

山で。坂で。いい天気で。後ろを押してもらって。

いろいろ、本当にいろんなことが頭ん中から出たり入ったりして、そんで胸の奥から手足に向かって今までにないほどの何かが伝っていく。力を入れてないと逃げてしまいそうなそれが体中を痺れさせて、うるさいくらいに私に催促するんだ。


「総北、前に出たぞ!」


早く前に出ろって!


「この斜度で残り3kmもある! このまま独走なんて無理だ!」
「それに女だろ?! 体力が持つわけねぇ!」


観客から聞こえたのは断片だけだった。そんだけ気付かない内にペダリングが速くなってる。ここに来てケイデンスが上がっていく。

まだだ。まだ本気を出すな。こんな、こんな、一人で走ることに全力を使いたくない。口元がまた勝手に上がっていく。こんな余裕綽々なことを考えられるなんて、私は一体どうなっちゃったんだろ。変わりすぎでしょ。ただの自転車バカかよまったく。


「箱学が上がってきたぞ!!」


ぞくり。

瞬間、身が震えた。背後から感じる威圧。緊張感がふわふわして逃げそうだった感覚を一本の鋭い芯にまとめあげる。来た。今だ。

今まで乗っけていたケツを上げてフレームを限界まで傾ける。コンクリートを滑るタイヤが少しだけ高く鳴く。全身全霊を使って私はロードごと体を左右に震わせた。


「なんだあのダンシング!」
「速ぇ! なんでアレであんな速度出るんだ!?」


踏め、回せ、進め!!

残り1km少し。目の前は誰もいない景色。おまけに後ろからはやばそうなヤツがグイグイ近づいてくる。すぐ後ろで知らない息遣いが耳に入ってくる。けど、それがいい。前に誰かがいるのも追いがいがあったけど、後ろから追い上げられるのもめちゃくちゃ楽しい。ああ、追いつかれそう。疲れてきた。まだリザルトラインが見えない。ペダルを緩めらんない。普通なら苦しくなりそうな要素ばっかそこかしこに落っこちてるのに、私にはそれくらいがちょうど良かった。


「あああああああああああああ!!!」
「オオオオオオオオオオオオオ!!!」


来いよ! 抜かしてみろよ! あたしが負かしてやる!

言いたいことは全部ペダルに乗せてただ前を進んだ。走り抜ける感覚が息をする毎に酸素と一緒に燃え上がっているみたいだった。

近い。並びそう。楽しい。抜かれそう。嬉しい。ああ、私、自転車乗ってる。速く。風になってる。勝ちたい。

酸素が頭に回らなくなってきたせいか中身は意味不明なことしか巡らなくなって、最終的に残ったのは勝つってことくらいだった。それだけだった。回して回して。肩下まで伸びてた髪を振り乱すことが苦ではなくなっていた。蜘蛛のお化けにでも取り憑かれたように一心不乱に走り続ける。

そうだ駆け抜けろ。頂上がそこにあるんだ。取らない手はないでしょ。永遠と尽きることのない渇きが前へ進める力になる。ひたすら進み続けるだけのこの時間が、いつまでも終わらない。そんな錯覚をした、その瞬間に。



『インターハイ1日目山岳リザルトを取ったのは――――』


私の勝負が、終わった。


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