She starts it.



「あのさ、金城」


空を飛ぶ飛行機の中。早朝に集合して朝イチの便に乗ったせいか部員のほとんどは夢の中だ。かくいう私も実は結構眠かったりするのだけれど、隣の席で起きている金城が気になって目を閉じることができない。だってついにその日が来てしまったのだから。

あのことを伝えるべきか、伝えるならどう言えばいいのか。あまりよくない頭が捻り出した言葉はずいぶんと遠まわしな表現だった。


「後続の……後続には、気をつけろよ」
「なんだ巻島。ずいぶん急なことを言うんだな」


それに返ってきた金城の言葉は、まあ普通そう思うよなって内容で、自分で振っておきながら返答に詰まった。


「ああ、なんか……胸騒ぎがして」


本当は胸騒ぎなんて不確かなもんじゃないのに。そうとしか言いようがなくて唇が引くつく。


「その、金城が無事にゴールラインを通過してくれるなら、一位にこだわんなくていいからさ」
「それは無理な相談だ」
「!!」


急に低くなった声にびっくりして顔を向けると、怖い顔をした金城がこっちを見ていた。そういえばこいつって笑わないと結構強面なんだった。初対面から柔らかい顔しか見てなかったからそんな表情は面と向かって初めて見る。ゴクリと喉が鳴って、その視線から目が離せなかった。


「オレは今日チームのエースとして走る。オレを認めてくれた先輩方のためにも、お前たちのためにも、このジャージを一番速くゴールに届けなくてはならない。例えオレの身に何があっても、だ」


ああ、忘れてた。金城ってこういうヤツだった。

今まで優しくてストイックな面ばかり見てたけど、こいつの本質は諦めの悪さだ。どんな過酷な状況でも貪欲に勝利を追い求めている。いろんな人の思いを重りだと感じずに全部背負い込んでゴールまで一直線に走っていく、そんな男だったんだ。そんなヤツ相手に、私はなんてことを言ってんだろ。石道の蛇に向かって一位を諦めろだなんて、仲間として言っちゃいけないことのはずなのにな。

金城は、私の思いまで背負っている。もともと私にはチームのエースを信じるって選択肢しか用意されてなかったんだ。例え金城が言ったとおり彼の身に何が起きようとも。


「ごめん、さっきの言葉は忘れて」
「いいさ、初めてのインハイで巻島も不安だったんだろう。それはお互い様だ」
「ハハ……」


本当に、なんでこんないいヤツがあんな悔しい思いをしなきゃいけないんだよ。

乾いた笑いを零してから、その考えを忘れるために目を閉じた。意外と眠気はすぐそこまで迫っていたらしく、次に目を開けた時には飛行機は地上に降り立っていた。

飛行機から降りてバスに乗り換えスタート地点まで行くこと数時間。ちょうどステージインタビューの三十分前にバスが到着する。千葉よりずっと南に来たせいか思っていたより熱い。地味に伸びてきた髪の毛を適当に払ってゆっくりレギュラー陣の後ろに続いてバスを降りると、ちょうど隣に並んでいたバスが目についた。総北とは違ってそれは大きなバスだ。そんで千葉と並んで駐車されるってことは、恐らく関東圏。関東圏でこんなに大きなバスを用意できるとしたら、もちろんあそこしかない。


「箱根学園……」


今はその名前を聞くだけで舌打ちが出そうだった。だから目を逸らすように視線を横に向けて、硬直。すぐにそうしたことが間違いだったという風に、できるだけ自然な動作であさっての方向に顔を向けた。


「オイ東堂ォ! レースまで時間ねェんだから早くしろ!」
「どうした尽八」


へえ? トウドウジンパチくん? 珍しい名前だな聞いたことねえわ。知らない知らない。だからお前も人のこと指差して固まってんじゃねえ。

すぐにでも騒ぎ始めそうな気配をひしひしと感じて、今までのゆったりのんびりだった歩き方を吹っ飛ばして金城と田所っちの間に身を隠した。こっちはさっきまで寝ててあんなテンション高そうなヤツの相手するほど余裕じゃないんだ。不思議そうな顔の二人をせっついて総北のテントまで早歩きで向かい、着いた途端にとりあえず気が抜けた。


「オイオイ緊張しすぎじゃねーのか巻島」
「人の気も知らないで……」


田所っちはいいよな、あんなめんどくさい知り合いいなくて。八つ当たりしたい口を必死でつぐんでバシバシ肩を叩いてくる手を叩き返した。こんな締まらない雰囲気も、あと何分もしない内に張り詰めたものになる。主将の声でメンバー全員が受付をしに外に出る。去年先輩方がもぎ取った70番台のゼッケン6枚。それを手にしたら、そうしたら、こいつも私も笑っている余裕なんて跡形もなく吹っ飛んじゃうはずだから。


「ゼッケン76番は二年、巻島裕」
「ハイ!!」


私の初めてのインターハイ。不安の大きいそのレースが、もうすぐ始まる。


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