She is blind to whose emotion.



「うわっ」


と、思わず声が出たのは仕方ないと思う。

久しぶりに出た大会。近場であったヒルクライムのレースに見たことのあるヤツを見つけて、しかもバッチリ目が合ってしまったから。

白いサイクルジャージに白いカチューシャ。この前は春だったけど今は初夏だからちゃんと半袖になっていて筋肉のある腕と足を晒している。私は筋肉がつきにくくて細いけど、こいつのは細いのに筋肉がついてる謎構造だ。女子としてはいらないがクライマーとしてはこれくらい欲しい。男ってずるい。なんとなく思ってしまった。


「"うわっ"とはなんだ"うわっ"とは! この美形の顔を見て言うことではないぞ!」


自分で美形って言うあたりが"うわっ"ってなるんだよ。

面倒くさすぎて素通りしようとしたらうるさい声で目の前に立ち塞がってくる。今度は口に出さないで"うわっ"という顔をしてやった。や、だってこれからレースがあるのにさ。こっちはトイレから帰ってきたところで足止めされてるんだ。早く愛車の最終チェックしたいのに。


「お前、そのジャージ、千葉総北のレギュラーなのか? もしかして、来月のインハイに出るとか言わないよな?」
「それがどうした」
「オレと同じ二年でそんなヒョロいくせに、オレより先にインハイの舞台に立つのか?!」
「だからそれがどーしたっつってんだよ!」


ぐぬぬと悔しそうに顔を歪める自称美形。そういえばこの前もこんな顔してたっけ。成長しないのかこいつは。


「今日こそはこの山神が勝つ! 全国区のハコガク次期エースクライマーの実力を知らしめてやるからなっ!!」


と捨て台詞を吐いて東堂は早歩きで去って行った。何がしたいんだ本当に。

最近伸びてきた玉虫色の髪を耳にかける。何度説いても染めることを辞めない母には軽く諦めの境地に立たされている。いや、ここはいっそ無駄に長く伸ばして染髪の手間をかけさせる作戦はどうだろうか。肩口までのショートよりロングのほうが時間も手間も倍増だろうし。

こっそり髪を伸ばすことを決意した私は東堂の宣言をほとんど忘れてレースに臨んだ。

クリートをペダルに引っ掛けた状態で一漕ぎ。ギュンと辺りを流れる空気が何度か下がる感覚。それは私の速度が上がったということ。踏めば踏むほどその変化は顕著に現れる。心臓の高鳴りも、体中を巡る血液も、すべてが前と違って新鮮に思えた。何人かのアタックを潰すまでもなく抜き去り、目の前にある坂を登ることに集中する。どこまでもどこまでも続いているような気がする。そうあって欲しいという願いが収まらない。楽しい。ロードはやっぱり楽しい。

一際大きなカーブの時に後ろの選手の姿が目に映る。白くて、他のヤツよりも私に近いところにいる。そう、もっと。もっと追って来いよ。独走するよりも誰かが後ろに迫ってくるほうが速度が上がる。一人より、誰かがいたほうが張り合える。燃え上がる情動のまま、もっともっとケイデンスを上げてフレームを傾ける。そうして私はそのレースで誰よりも速く一番最初にゴールラインを通過した。

歓声が上がる。私の名前が、巻島裕の名前が場に響き渡る。登っている時は背筋を駆け上がるような快感だけが全身を支配するけれど、レースの後のこの感情は胸の内に広がる安堵だ。私がちゃんと歩けている証拠。証明。これでいい。このまま走ればいい。その時私は多分、笑っていた。もしかしたらレース中はずっと笑っていたのかもしれない。だって驚くほど簡単に口の両端が釣り上がったから。


後に表彰式で隣に並んだ東堂の視線はそいつの口と同じくらいウザかった。だから、私は絡まれる前に監督が待つバスの中に逃げ込むように全力疾走した。後ろから聞こえた声なんて聞こえないフリだ。


← back
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -