劉輝にとっての末姫



「あにうえ、あにうえ……っ」


暗闇の中、幼子の泣き声がか細く聞こえてくる。柔く薄い手で目を擦り、止めどなく溢れる涙を拭おうと躍起になってる男の子。それが己の昔の姿だと劉輝は気付いていた。暗闇は怖い。自分が一人であることをまざまざと見せてくるから。だから彼はいつも、暗闇から抱きかかえて連れ出してくれる兄の存在を呼んだ。要らない子。いなくてもいい子。母の視線も他の兄たちの言葉も、すべて忘れられる。そんな気がしたから。劉輝は一心に兄のことを呼ぶのだ。


「初めまして兄上」


だからこそ。

むっつりと袖の下から饅頭を取り出した子供が、劉輝には理解できなかった。末の子供。劉輝より三つばかり年下の妹の存在を、劉輝が知ったのは兄が流罪にされるほんの少し前のことだった。

手のひらに残った小さな饅頭。兄に止められ、ついに口をつけることは叶わなかった。その元の持ち主が、自分の下の子供。そういえば兄たちの会話を盗み聞いた時、明らかに自分ではない者を蔑んでいることがしばしあった。下げ渡すには惜しい、育ててれば良い道具になると。幼子には分からぬ非道な内容に兄が眉を顰めていた。あれは、実の妹を慰み者にせんとするものだったのだと、思い至ったのは最近になってからだった。

劉輝は弱い子供だった。兄が消えてしまってからは縋る者を求めて漂うのみの存在になってしまったのだ。だからこそ、最初に探したのは手を差し伸べてくれた妹の存在だった。饅頭ひとつ。されど水一滴すら与えることのない兄たちに比べれば、彼女はまさしく劉輝のよりどころになりえる。幼い子供はそう信じていた。けれど実際に彼を救い出したのは父に仕える見知らぬ大人たちで、妹と再会を果たした頃には玉座に身を置く地位にまで納まっていたのだ。


「おめでとうございます」


同じ亜麻色の髪。紫の衣。上げた顔は記憶の兄の面影を落とし、細められた瞳に固まる劉輝の顔が映っているようだった。

十余年。地獄の中で息を潜めて過ごした日々は、二人を残酷なまでに美しく育てた。

妹との二度目の相対は、劉輝に思わぬ不安を抱かせる。あまりにもその顔が劉輝が見てきた女という生き物と重なって見えたからだ。

もしも彼女が母たちのように狂っていったのなら。玉座を巡って美しい容貌を醜く歪めることになるとしたら。変わってしまうかもしれない己を危惧しているのなら。この玉座を守るばかりの仮初の王に、なにができるだろう。

兄の帰りを待つ劉輝は、たった一人の妹のためになにができるだろう。

劉輝にとっての妹は妹である以前に同志であった。同じような扱いを受け、誰からも忘れられいく運命にあった同志。それが劉輝が玉座についたことで表舞台へと引きずり出され、とても困惑しているに違いない。劉輝は妹が自身と同じ価値観の人間であることを信じていた。信じて疑わなかったからこそ、己の理解の範疇の中で考えた。

深く深く、思考の海に潜って。王はひとつの結論に行き着く。


「申し訳ありません、主上」
「いや、珠翠が気に病むことではない」


行き着いたものは、結局のところは的外れであったが。

手元に戻ってきた紫の花を見つめて、嬉しげに微笑む。一輪だけの寂しい贈り物は、花束を贈るほど妹に強く出れない劉輝の遠慮を表している。二度しか会ったことのない彼女がどんな人間なのか、半分も血が繋がっているというのに推し量ることができない。劉輝はそれを歯がゆくも思うし、嬉しくも思うのだ。


「突き返したということは、余のそばにいてくれるということであろう?」


紫の花弁を持つその花の名は、野春菊。
またの名を都忘れ。決別を意味する悲しい花。

もしも彼女がこの地獄から抜け出したいと望むなら、劉輝は快く送り出す心持だった。血も権力も関係のない片田舎で普通な暮らしをさせてやろう。そうするしか劉輝が返せるものなどなかったのに、妹は不要だと切って捨てたのだ。この後宮の、劉輝のそばから離れることはない、と。

胸の奥に灯る光が愛おしい。懐紙に書いた行先も無駄になってしまったが、そんなことなどもうどうでもいいのだ。


兄が消え、母たちや兄たちも消えたこの場所には、望んで劉輝のそばに残る妹がいる。それだけで、劉輝は兄のいない玉座で待つことができる。ひとりでなければ、生きていけるのだから。


企画へのご参加ありがとうございます! 劉輝サイドから見た主人公ということで、本編の裏話のような内容にしてみました。実はすでにssに中途半端に置いていたものだったので手直ししてすぐに完成させることができました。もし野菜園さんがもう読んでいたものでしたらものすごく恥ずかしいのですが…その時は指摘していただければ喜んで別のお話を書きますので…! 応援コメントとても嬉しく読ませていただきました。野菜園さんもお体に気をつけてくださいね。リクエスト共々ありがとうございました!

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