パティシエ主とエト



「おねーさんはぁ、アオギリの樹って知ってる?」


鼻にかかったような高い声がこじんまりとした店内で発せられた。サイフォンのフラスコの中で水の泡が踊っている。こぽこぽと可愛らしい音が耳に心地よく、毒々しい目の前の人外は楽しそうに頬杖を付いていた。


「……黄色い、小さな花が咲く木のことでしょうか。無学なもので、あまり詳しいことは言えないのですが」


白い髪を引っ詰めた白い彼女はゆったりとした話口で思いついたことを連ねていく。それは耳触りの良い音を含んで包帯の中を風のように通り過ぎていった。


「そういえば、太平洋戦争の時にはアオギリの種子を炒ってコーヒー豆の代わりに使われたとか」


ちょうど出来上がったコーヒーをアンティーク調のティーカップに注ぐ。空気を含んで淹れられたそれに風味付けの血酒が僅かばかり足され、彼女たちの本能が静かに歓喜の悲鳴を上げ始めた。


「そのアオギリがどうかされましたか?」


首を傾げた時に少しだけサイドの髪が滑り落ちる。その完璧に貼り付けられた営業スマイルを、彼女は見えない包帯の下でにんまりと笑った。


「本当は誘いに来んだけど。そっかぁ、興味がないなら仕方ないよねぇ」
「申し訳ありません。製菓のこと以外では物を知らない未熟者でありまして」
「いーのいーの。なんとなぁく言ってみただけだから」


白々しいにも程がある言葉には耳を貸さず、鼻を抜ける血酒の風味を楽しむ。先日眼帯の彼を助けるべくアオギリの樹の陣地に遠慮会釈なく乗り込んできた女の、なんとも面の皮が厚いことだ。

最初から、彼女は彼女を勧誘するつもりはなかった。少なくとも今、この場では。この薄ら寒さすら感じる対応ではぐらかされるのは目に見えている。あの悲鳴じみた哄笑を聴くのは楽しみであったが、そこで決裂すれば最後、彼女のこの気味の悪い姿はもうお目にかかれないだろう。

だからその前に、エトは自らこの“おままごとの家”に足を運んだのだ。


「失礼します。本日のおすすめ、ホワイトガナッシュケーキです」


真っ新な皿の中央に鎮座する純白のケーキ。1ピースに切り取られた断面からは甘く煮詰めたジャムのような赤いソースが僅かに覗く。

この皿の上にある全てが人間から作られたもの。
目の前の彼女によって変容させられた、ちっぽけな命の末路。

そう考えただけで背筋にゾクゾクとした快感が湧いてくる。美しい皿の上にある美しい見目の食べ物は、人間という尊厳を汚く踏みにじった末にできたもの。人間の真似事で人間の血肉を弄りまわす。この醜悪な爽快感はなんにしろエトに期待以上の悦びをもたらした。


「おいしそ〜〜」


どうしてこんな、まどろっこしいことをしようと思ったのだろう。どうして大切なものと大切なモノを天秤に掛けないのだろう。

どうして、彼女は人間のような思考をしているのだろう。

尽きることのない興味。どれだけつつけばボロが出るのか分からないが、いくらだって切るカードはエトの手の内にある。だから今だけは、この醜悪なおままごとを美味しそうな彼女と楽しむことにしよう。丹念に磨かれた銀のフォークを人間だった死骸に刺し入れる。自ら獲物を刈り取る快感には到底及ばないが。一匹の化け物によって一方的に陵辱された真っ白い罪が、エトの舌根に多大なるスパイスを効かせていた。


「また来るね、おねーさん」
「またのお越しを、お待ちしております」


予想外な満足感に包まれて席を立ったエトに、慇懃な深い礼が送られる。それに手を振って、見えない口元は次の参段を無意識に口ずさんでいた。

今度は、もう一人の名前さんに会いに。


「タタラさん、お土産だよ」
「なんだ、これは」
「トリュフだって」
「?」
「クスクス」


企画へのご参加ありがとうございます! お祝いの言葉もいただけてとても嬉しいです。エトちゃんとの絡みということで、パティシエ主のテリトリーにご来店していただきました。高槻さんだったら普通のカフェで哲学のお話させればいいだけ(語弊)だけれど、エトちゃんと会うなら戦場かお店しかないと思い、こんな出来になってしまいました。エトちゃんはパティシエ主のことをちょこっと下に見ています。リゼさんと月山さんの関係に近いかもしれません。難しいながらにとてもワクワクしながら書けました。素敵なリクエストありがとうございました。

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