蕾未満



「今日もいないな」
「やっぱ生徒会入っちまったから忙しんだろ」
「だよな、オレらだけの特権だったのに」
「何が?」


泉田は脈絡の見えない話をする同級生たちに振り返った。箱根学園の自転車競技部といえば全国の頂点に立つ王者。その練習量は半端なものではないが、毎年多くの部員が最強の頂きに立つために入部してくる。が、一年の最初の仕事といえば成績の優劣に関わらず雑務から始まる。現在も本日のノルマをクリアした一年のグループが三本ローラーの清掃や洗濯をしている途中だ。手を動かしつつ口も動かしてしまうのは高校に入学したばかりで浮かれ気分がまだ抜けていない証拠だろうか。

泉田も例に漏れず、口数は少ないものの聞き耳だけは立てて三本ローラの隙間に雑巾をねじ込んでいた。それで、先ほどの疑問である。


「お前知らねえの? 御堂筋さんだよ」
「御堂筋さん? 新入生代表の?」
「そう、入試トップの御堂筋さん」
「あそこ、部室向きの教室あるだろ、二階の」


一人が指さした方向に目を向ければ、確かにこちら向きの校舎に教室の窓が見える。生徒や教師の姿は見当たらず、電気もついていないせいかどこか寂しげな印象を受けた。あんなところに教室があったのか、と泉田は頷いて続きを促す。


「御堂筋さん、入学式から結構な頻度であそこ座って勉強しててさ。オレらん中で話題だったわけ」
「へえ、知らなかった」
「それが最近見かけないからよ、惜しいことしたなって」
「惜しい? なんで?」
「はあ??」


と、そこで脇でうんうん頷いていた一人が盛大に顔を顰める。何か気に障ることを言ったかと身構えたものの、彼は心底何言ってんだコイツという顔をしていて、泉田を攻める様子は見受けられなかった。本当に何も分からずに聞いたのが見て取れたのか、彼はだんだんとヒートアップしながら噂の御堂筋さんのことを語り始めた。


「お前、あの御堂筋さんだぞ? 入学してから人気爆発! ぶっちぎりで一年の生徒会選挙に当選して現在見事次期生徒会長候補! 最近じゃあ男女入り乱れてファンクラブまでできたらしいあの御堂筋さんを! タダで! 眺め放題! これがどれだけ素晴らしいことだったか!」
「お前キモいぞ、言えてるけど」
「言えてるならお前も同類じゃねえか!」
「へ、へえ」


正直ドン引きだった。あの真面目で温厚な泉田が。ここに幼馴染の黒田がいれば珍しがって揶揄してくるに違いないが、残念ながら彼は別チームでノルマ走行中である。


「あーあー、同じクラスとか生徒会入ってたら接点あるのに」
「同じクラスのやついたっけ?」
「葦木場とか?」


泉田は言えなかった。この前のクラス委員会で直接的な意味で接点を持ってしまったことを。

黙々と三本ローラーの仕上げを再開しながら思い出すのはあの時のこと。真面目さが長所の泉田はよく委員長を任せられることが多く、高校に入学してもそれは変わらなかった。もはや慣れたことだとテキパキ仕事を熟し、委員会でも率先して意見を出す。議長の終了の合図の後、早く部活に行こうとすぐに立ち上がったことが、その時は功を奏した。

目の前で傾いた体。咄嗟に腕を広げ受け止めたそれは小さく柔らかかった。泉田は初めて触れた女の子の体に一瞬身を固めてしまった。何せ近い。というかくっついている。すぐそこで芳香を放つ髪の毛も事態を飲み込めず震える睫毛も左胸に添えられた白い手も。全てが泉田にとって初めてのことだった。なにより、気になることはあの時聞こえた小さな声。聞き取れた名前。男の名前だった。何度か繰り返された丁寧な感謝にドギマギと受け答えをしながらも、頭の中ではその名前のリピート再生が止まらない。それも彼女の声でだ。

おかしい。"あきら"なんてそんなに珍しい名前ではないし、声だってあの言葉以外でも選挙の時や委員会の発表の時にマイク越しに聞いたはず。なのにその言葉だけ、しかもほぼ初対面に近い彼女のことが頭から離れないなんて。胸もたまに息苦しいし。なんだこれ。なんだこれ。


「ユキ、あの、ちょっと相談があるんだけど」


と、後日恐る恐る声をかけた内容に黒田が風邪の心配をし、相手の名前を聞いて頭を抱えさせたのは別の話である。

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