ブルースカイブルース



臭う。臭う。

荒北靖友は急に何かを主張し始めた鼻に気取られて意識を現実に戻した。


HRで居眠りしたせいで勝手に押し付けられた委員会。風紀委員なんて一年の頃の彼を知る人間ならまさかと思うようなところに容赦無く送り込んだクラスメイトたちが憎らしい。ガンと睨んでもニヤニヤ笑って頑張れと言ってくるあたり、前よりはとっつきやすい雰囲気になったのだろうが、こんなことになるのなら嬉しくもなんともない。

毎回毎回、やるべき最低限のことだけ喋ってあとは上の空が常の荒北だ。肘をついて窓の外、チェレステとはまた違った嫌味なほどに青い空を眺める。とにかくやる気がなさすぎる。頭の中はロードのことでいっぱいで、早く部活に行きてェとしか思っていないのだ。

そんな中、ひくりと反応した鼻と己の直感が怠惰な思考を断ち切る。何が変わったのか。たいして広くもない教室を見渡して、周りの生徒たちの意識が黒板とは別の方に向いていることに気付いた。教室の入り口、向かって右前方にある扉の脇に見慣れない女子が立っている。委員会の開始時にはそこにいなかったはずなのに。途中で入ってきたことも気付かないほどぼんやりしていたのだろうか。

さらに言えば、彼女がそこにいると確認できた時から委員会の進行が妙に押していることが気になる。いつもならこれくらいの議題、めぼしい意見がなくても勝手に義務制にして全員が意見を出す流れに持っていくはず。確かにそれは荒北にとって面倒くさいことこの上ないが、それで委員会が早く終わるなら仕方なしにやってやるスタンスだ。それが今日はない。いつまでも同じところでダラダラダラダラ。時間稼ぎをしているようにすら思える。


「(委員会を引き延ばそうとしてやがんのかァ?)」


何故。そんな疑問は再び扉の脇に立つ女子に目を向けて察した。彼女は可愛かった。そこらにいる普通の女子と比べて小綺麗な顔立ちで、真剣な表情で委員会の様子を観察しているだけなのにどことなく人の良さが滲み出ている。普通の人間なら彼女が笑っただけでコロリと心を傾けてしまうだろう。いつまでも見ていたくなる。それは荒北の預かり知らない一意見だが、だからといってこの種にも実にもならなそうな話し合いを引き延ばしていいことはない。なによりこんなことをしていては当の彼女にも迷惑だろうに。

いろいろと察してしまってから荒北の行動は早かった。


「さっさと終わらせてくんないっすか、この後部活あるんでェ」


取ってつけたような敬語。やはり敬っているとは思えない目つきを普段よりも三倍キツくして睨みつけると委員長の口から短い悲鳴が上がった。その後の進行は言うまでもない。先ほどまでの停滞っぷりはなんだったのかと舌打ちしたくなるほど迅速に、最後は生徒会書記からの注意事項で委員会は締めくくられた。

挨拶と同時に立ち上がった荒北が窓際から外に出ようと前方の入口に近づく。ついさっき教室に自分の声を届けたばかりの彼女はまだそこに立っている。荒北は近づくにつれ濃厚に感じるニオイに眉を顰めた。

臭う。臭う。悪いものではない、が良いものとも一概には言えない。なんだ、これは。どう表現していいか分からないものだった。見た目からして優等生然としたエリートのニオイではないし、かと言って猫を被った性悪のニオイでもない。世に言う天然にしては何とも複雑怪奇な、当たらずとも遠からずのニオイ。そうして彼女自身に徐々に近づいていく毎に荒北の少ないボキャブラリーが火を噴き、一番近そうで、けれどやっぱり何処か違うそれが飛び出してきた。


「偽善者が」


言って、一番驚いたのは恐らく荒北のほうだった。だって、そんなことを口に出して言うつもりは微塵もなかった。奇しくもそれは彼女の脇をすり抜けて教室を出る瞬間に零れてしまったもので。バッチリと、大きな黒目と三白眼が交差する。互いが互いを認識する。

一瞬の膠着状態。その後、最初に口を開いたのは彼女の方だった。


「先輩がそう思うなら、あなたの中ではそうなんでしょうね」


綺麗に受け流されたと、普通ならそう思うだろう。浮かべられた笑みも、見知らぬ柄の悪い先輩に難癖をつけられ困惑しているように見て取れる。けれど荒北の鼻はその言葉の裏の感情を敏感に嗅ぎ取っていた。"コイツのこの顔は本物だ"と。しっかりきっかり自身の脳で結論が下る。荒北の言葉を受けて本当に嬉しそうに、負の感情なんか根こそぎ抜き取ったような純粋さで綺麗に笑いやがったのだ。それは決して、偽善者なんて悪口を面と向かってぶつけられた女子の反応ではない。

ゾッと怖気が走る。"偽善者"。この言葉のどこに彼女の琴線に触れるものがあったのかは分からない。けれどその時その瞬間に笑みを浮かべた目の前の少女が、そこにいるはずのない何かだと錯覚してしまうほどに荒北の胸中を言い知れない不安が襲う。そんなもの、むしろ分かりたくもない。慌ててかち合っていた目を逸らし、いつも以上の大股で教室から出る。初夏をとうに過ぎた夏の暑い日にも関わらず、妙な寒気を感じるせいで彼の腕には見事な鳥肌が立っていた。

見た目も中身も人畜無害なその女子生徒。彼女は本当に見たままの存在なのだろうか。その内に秘めた何かは、本当にただの女子高生だと言い切れるのか。女ってのはうるさいから苦手だと、普段思っている内容とはまったく別の苦手意識を、その瞬間荒北靖友は御堂筋帆という女子に対してはっきりと自覚した。

なのに、だ。


「実はだな、この目つきの悪い男は御堂筋さんのファンなのだ!」


不幸なことに、まだそれほど間を置いていない内から荒北は苦手判定を下したばかりの彼女と再会する。何故かドヤ顔を決めた東堂の悪ふざけに付き合わされる形で。

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