サンガツの乱心



帆はその日、せっかくの休日だというのに学校に来ていた。きっちりと箱根学園の制服を身に纏い、チェック欄が幾つも存在するプリントをボードに挟んで覗き込む。休日を返上して行われる生徒会の抜き打ち調査で、各委員会や部活の活動状況を報告しなければならないのだ。箱根学園は部活が多く、休日も練習するのが当たり前のため、土日であろうと生徒会は調査のために駆り出されることが多々ある。とはいえ、今日の帆の担当は毎日当番が定められている委員会の監査で、部活は先輩方の管轄なのだが。

校舎裏、人の気配が少ない飼育小屋にはウサギやニワトリが複数飼育されている。最後の委員会、飼育委員会の調査は飼育している動物の数と、小屋の中の環境、その他諸々を分かる範囲で観察してチェック欄にレの字を入れていくこと。それが今日最後の仕事である。

空は既に茜色を帯び始め、下校時刻のチャイムまで幾ばくもない。報告書の提出は次の月曜日で、埋め次第帰宅しても良いとのことだ。この仕事が終われば寮に直帰できる。帆は足早に校舎の影になっていて薄暗いそこへと進んで行った。そして、出会った。


「え……」


飼育小屋の、壁にもたれかかるように座り込む少年。傍らには乱暴に投げ出された鞄とヘルメット。服は何か競技用の体にフィットしたジャージで、ところどころが擦り切れていたり泥がついていたり、決して綺麗な有様ではない。


「えっと、大丈夫、ですか?」


恐る恐る声をかけると、ガタイの良い肩がピクリと反応を示す。長めの前髪から現れた瞳は、本来なら大きく澄んでいるはずなのに、落ち窪んでしまっていて隠しきれない陰惨さを漂わせていた。

あ、と帆はこの光景の心当たりを思い浮かべて、辿り着いてしまった。

もしかして彼は、あの新開隼人ではないかと。

生前から帆が持っている新開の印象は、猫のようにフワフワとした赤毛に飄々とした笑みを浮かべた温和な好青年だった。そのためにすぐには気付かなかったが、二年の彼、つまり今目の前にいる彼は髪がストレートで短い。先輩になりたてなせいかあの独特の余裕は見受けられず、少しだけ頼りない風体に見えた。しかも、よくよく観察すれば右腕には茶色のウサギが大事そうに抱かれている。彼がトラウマになったあの事件が、まさに今日起きたのだと察せられて顔から血の気が引いていった。

最悪のタイミングだ。


「なあ、キミさ、飼育委員の子か?」
「え、いえ、」
「頼みがあんだけど、聞いてくんないか」


それで、最悪の事態だった。

この時の新開はまだ誰にも事件のこともトラウマも打ち明けられていない。傷ついたままの無防備な姿で、恐らく今日負った様々な感情をすべて理解できてはいないだろう。呑み込んで表を繕う余裕すらない。まさに手負いの獣のそれ。カサブタも消毒もできていないままの生傷を外気に晒している状態に過ぎないのだ。

そんな相手に刺激を与えず、会話を成立させる術など帆は持っていなかった。

どうしようもなく、一歩、背後に後ずさる。けれど彼はそれを目敏く見つけて逃がすまいと手を伸ばした。


「どこ行くんだよ」


驚くべき瞬発力で立ち上がった新開はまだグローブを外していない手で帆の手首を捕まえる。爪を立てているわけではない、なのにその長い指の腹が食い込むほどの力で握られ、か細い手首はすぐさま悲鳴を上げ始めた。


「いっ、はな、離してください」
「なあ、頼むよ、話を聞いてくれ、こいつを助けたいんだ、こいつを、なあ、お願いだから、オレ、なんでもするから! なんでも! なあ、聞いてくれよ! 助けてくれよ!」


必死の形相、とはこのことか。眉を吊り上げ、だんだんとボリュームを増す声でがなり立てているにも関わらず、その陰惨な瞳は夕陽に照らされてキラキラと輝く。悲しく、輝く。


「ま、待って、痛い、」


落ち着いて話をしましょう、と。帆が提案を口にしようとした瞬間、手首にかかっていたものが誰かによって外される。急になくなった手首の力に驚いて帆は地面に尻餅をついた。と同時に、フェンスが大きく撓む音が近くから鳴り響いた。


「何をしている」
「寿一……」
「何をしていると、聞いているんだ!」


誰かの正体は金髪の少年だった。福富寿一。次期主将で、新開の理解者であり恩人の一人。そう頭が理解した途端、助かったと肩の力が抜けた。その間にも福富は新開をフェンスに押さえつけて、鉄仮面と揶揄される顔に怒りを蓄積させて怒鳴っていたのだから本当は安心できる場面ではない。

が、帆は違った。彼なら新開を救ってくれると心底安心して地面からお尻を離して立ち上がる。何やら口論がヒートアップしているようだったが、彼女にはそれが新開が成長するための足がけにしか見えていなかったから、ただその様子を物怖じせずに眺めていた。

そういえば、何故新開はあんなにも飼育委員に用があったんだろう。

ふと疑問に思って、俯いて考えているとつぶらな瞳と目があった。納得した。なるほど、ウサギの世話は寮ではできない。ならば学校にお願いするしかないということだろう。ふむふむと頷いて、そして、自分が今できることを思いついて、帆は声をかけた。そろそろ殴り合いでも始まるのではというほど剣呑な雰囲気の中だったが、決して彼女が空気を読めないわけではない。多分、きっと。



「あの! すぐ戻ってくるので、ちょっと待っててください!」


背後から聞こえた戸惑う声や突き刺さる視線。それらを無視して、帆は下校時刻を告げるチャイムと共に校舎の中へと全力で走った。


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