追記

・山田一郎「ああ、本当に嫌になる」「これが恋と言う感情なのだろう」「俺だってわかんねぇよ」「でも、お前がいなくなるのが一番怖いって思うくらいに好きになってしまったんだ」

ああ、本当に嫌になる。

毎朝顔を洗って、歯ァ磨いて、前髪を弄っている時に目につくホクロ。十九年もずっと見てきた自分の一部に触って、ぼやっと時間の無駄遣いをしちまう。それが堪らなく腹立たしい。誰にもぶつけられず、自分で処理しようにも持て余す。

これが恋と言う感情なのだろう。


「あれ、山田くんおひさ〜また背伸びた?」
「ッス」


敬語くらいちゃんと使えよ。人と話す時に緊張なんて一切したことはなかったくせに、この気の抜けた顔で笑う一個上の先輩に会うと自分が自分じゃないみたいになる。高卒で仕事を始めた俺と違って、キャンパスライフってやつをキラキラ楽しんでる女子大生。長めに垂らした横髪を耳にかけると、チャームポイントの泣きボクロが良く見えた。

俺と同じ場所にあるって思うだけで、なんつーか。


「なーにニヤケてるのかな?」


俺だってわかんねぇよ。

無意識だった口元をとっさに隠して、しまったと思った。先輩の顔が、イタズラを思いついた時の乱数に似てたから。


「可愛いでやんの〜」


そうだ。先輩は愉快犯で楽しいこと好きのブラックボックスみたいな人で、俺にはよく分からない生き物だった。高校の時はかなり浮いてた俺に対して昔から無遠慮にほっぺたつついてくるところとか、腹が立つのに憎めねぇ。


「高校卒業したら会えないと思ってたのに、結構会うよねー」
「そりゃ、イケブクロ・ディビジョンは俺の地元っスから」
「それにしたって未成年がここら辺ほっつき歩くのは良くないぞ〜」
「一個しか違わないでしょうに」
「一年は大きいんだよ未成年」


やっぱり腹立つな。

ふふんと笑った先輩は二十歳で、酒を飲めて、居酒屋でバイトしてる。細腕でビールジョッキだらけのお盆を持ってせかせか働いてるのが、なんか眩しい。俺だって働いて弟二人養ってるっつーのに、何が違うんだ。

なんで、こんなに、目を逸らしたくなるんだ。


「山田くんって、誕生日七月だっけ」
「は? そうっスけど」
「はー、未成年いじりできるのもあとちょっとかー時間が経つの早いなー」


誕生日。この人に出会ってまた一年経ったのか。

一年どころか、あと三年もしたらこの人が大学生じゃなくなる。その時もきっと同じことを言うんだろうか。それとも、卒業して、就職して、イケブクロ・ディビジョンから出て行くのかもしれない。

そうなったら。考える。俺はいつも通り萬屋ヤマダの依頼をこなしていて、弟二人と一緒に馬鹿みたいに笑って、ずっとカッコいい兄貴分として生きていく。昔に比べたらすっげー幸せで、ずっとそのままがいいんじゃないかってしっくりくる。

変な先輩を思い出して毎朝泣きボクロを撫でるより、ずっと、


「二十歳になったら奢ってやるよ未成年」


ぼやっとした将来設計に、先輩の茶化した声が割って入る。歯を出してニカッと笑う先輩は、髪を染めてピアスを開けても高校の時と変わってない。

そういう笑顔にやられた高校生の自分と変わってないことが怖くて、


「酒を?」
「マックのポテトだよ」
「なんスかそれ、奢ってくださいよ高い酒」
「山田くん酒強そうだから怖いのよ」


でも、アンタがいなくなるのが一番怖いって思うくらいに、


「俺のセリフっすよ、ソレ」


好きになってしまったんだ。



・山田二郎「俺だけ見てて」/プニカ

二郎さんがなんだかご機嫌斜めだ。

日曜日のデート。手を繋いでウィンドウショッピングを楽しんで、二郎さんに帽子を選んだり、逆に私のスニーカーを選んでもらったり。その間も二郎さんの話を尽きない。二郎さんの学校の話や一郎さんがすごい話、たまに三郎さんの悪態を聞いて、「相変わらず仲が良いんだね」って言うと大きな声で憤慨するのが可愛らしい。一言も三郎さんだって言ってないのに。仲良しに見られて嬉しいのは無自覚なのかな。ふふ、と笑うと「なに笑ってんだよ!!」と照れ隠ししてくるのも慣れた。「ひぇ、ごめんなさい!」……慣れていきたいなぁ。

なんだろう。手を繋ぐことには慣れたのに、変なところでギクシャクしている気がする。

なんでだろうなぁ。と考え事をしている間にお目当てのクレープ屋さんに着いた。「何食べる?」「俺、イチゴとチョコケーキのやつ!」「はわ、」かわいい。「はわ?」「はわ、はわい、か、かき氷ならブルーハワイを選ぶのになって!」「ここクレープ屋だぜ。ブルーハワイは流石にねーよ」「ですよね! えーと……じゃあ私はキャラメルとバニラアイスのにするね」「おう」注文して、しばらくして手渡されたクレープは暖かくて幸せになれる甘い匂いがした。


「ありがとうございます」


店員さんから受け取って一口食べる。キャラメルの甘くて香ばしい風味とバニラの風味が混じってほっぺたを抑える。美味しい。選べなくって目に付いたのをとっさに選んでしまったのだけど、正解だったな。


「お前ってさ、」


そこで二郎さんが何かを言いかけた。どうしたのと伺うと、途端に口を閉じてそっぽを向いてしまう。


「〜〜〜〜何でもねぇよ! 一口よこせ!」
「えっ? あっ!」


ガブリと大きく齧られてバニラアイスが半分消えた。

そこからちょっとずつ不機嫌になっていって、もうすぐお別れの時間なのにムスッとしている。でも手は繋いだままなのがなんとも言えない気持ちになった。

まっすぐ前を見て歩く男の子。その横顔をチラと盗み見る。まつ毛が長い。肌が白い。鼻先がツンとしてて、不機嫌だから唇もツンとしてる。

かわいいなぁ。こんなに体が大きくても、五つも下の男の子なんだもんなぁ。

チラ見のつもりがいつの間にかガン見になっていたらしい。視線に気付いた二郎さんに急にバッと顔を向けられて思わず俯く。いや、何もやましいことはしてないのに、やましいことをした罪悪感があるのはなんでだろう。


「店員にお礼言うのとかさ、」
「はい?」
「クレープ食べて、美味ぇって思ったり。そういう時のアンタの顔、俺には向けられたことないなって、気付いちまってよ」
「そりゃ、二郎さんは店員さんでもクレープでもない、し」
「ンなこたァ分かってンだよ!」
「はいっ!」
「あ、違っ、別に怒ってないからな! ビビるなよ!?」


慌ててフォローする二郎さんに対してビビるのは反射なんですと弁解する私。


「だっ、からさ!」


繋いでいた手をギューッと握って、汗をかいた顔が思いっきり近付く……本当に近い。鼻がくっつくくらい近い。え、この距離はまずいですよ二郎さん。


「二郎さん、あの、ここでは、」
「今みたいに俯いたり目ェ逸らすのやめろよ! 俺は、もっとお前のいろんな顔見たい、し! 目ェ合わせてちゃんと、見たい!」
「え、あ、はい!?」
「俺だって恥ずいけど、けど、そういうの言ってらんねーくらい、お前、いろんなヤツに可愛い顔しちまうし、だから!」


そこで、今までの威勢がどうしたのかってくらい急に静かになって。耳まで真っ赤になった顔で明後日の方向見たり、そっぽ向いたり、「あー」「うー」と唸った後、俯いて、小さく、呟いた。


「俺だけ見てて」


俯いてくれてて良かったと心底思った。だってこっちまで汗ばむくらいドキドキしてるんだもの。
こういうことに慣れていないのか、二郎さんは自分の嫉妬とかヤキモチに関して無自覚だ。鈍いとも言える。そんなだから、自分だけじゃ上手く飲み込めなくて、感情をストレートにぶつけてくる。

それが堪らなくかわいい。

そして照れる。恥ずかし照れる。

握っている手をもじもじさせちゃうのも可愛くて仕方ない。怒られるから絶対に言わないけど、二郎さんの可愛さにはいつも勝てない自分がいる。


「二郎さん、間接キスは余裕なのに、こういうのは照れるよね……」
「は? カンセツ?」
「えっ、クレープの時、」
「……あぁッ!!!!!!」


今気付いたんだ。

鼓膜を突き破るかのような大声でバッと顔を上げた二郎さん。今度こそ、服で隠れていない部分の色白の肌ぜんぶが赤く染まって、目尻には涙がちょっとだけ見える。キャパシティの限界を超えたらしい。

いつもなら心配してフォローを入れるけれど……今だけは。なんだかイタズラをしてみたい気持ちになって、思い切って二郎さんの顔を下から覗き込んだ。


「私にも、そういう顔たくさん、見せて、ね」


間。間。間。

真っ赤な顔のままフリーズした二郎さんが復活したのは、どれくらい経ってからだったか。無言のままカチコチと頷いてまた歩き出した私たち。時折こっちの様子を伺おうとして、サッと顔を前に戻すのが堪らない。


「かわいいなぁ」
「男相手にかわいいとか言ってンじゃねェ!!」


あ、かわいいだけは変わらず怒ってくるんだ。

勝手に口から飛び出た言葉に即座に反応する二郎さん。そして目が合ったら慌てて前を向いてしまう。そんなところがまた子供っぽくて、

私の恋人、かわいい……。



・天国獄「俺を本気にさせてどうしたいの?」

「聖職って知ってるか? 教育者や医療従事者、法律家や宗教家、とにかく信用が大事な職業のことだ。そういうヤツらはな、ちょっとでも悪いことすると一般人よりもバッシングがすごいんだよ。少なくとも真人間だと取り繕う能力がないとできない仕事なわけ」


長々とした説明を終えて、天国さんはコーヒーを啜った。湿らす程度を口に含んでローテーブルにマグを置く。天国さんの必要最低限の広さの事務所には私たちしかいない。私が訪ねてから今まで、目線はずっと手元のタブレット端末に固定されていた。きっとお仕事関係の何かを見ているんだろう。


「弁護士が未成年と遊ぶのは心象が悪いの」


そのセリフも、マグの扱いと同じくらいぞんざいだった。

スプリングが死んでるソファの背もたれに身を預けている天国さん。その隣を陣取ってぴっとり寄り添ってみる。ついでにおっぱいも当ててみるけど、やっぱり目線は動かなかった。


「私、未成年じゃありません」
「二十ちょっとだろ? 俺にとっちゃ未成年みたいなモンだ」
「弁護士なのに成人年齢も分からない?」
「たわけ、十も下のガキに付き合ってられっか」
「波羅夷くんも四十物くんも未成年ですよ。未成年と一緒のチームにいるじゃないですか」
「アイツらとお前を並べんなや」


むぅ、と真っ赤な唇を尖らせかけて慌てて引き結ぶ。ダメダメ。大人の女は余裕を持たなきゃ。


「並べてないですよ。だって私は特別ですものね」
「まだ言ってンのかソレ」
「天国さんが言ったんですよ?」
「さあ、どうだったかね。俺も物忘れが始まってきてな」
「そんな歳じゃないでしょう」
「お子ちゃまには分かんないだろうよ」


お子ちゃま、お子ちゃまって。

ダメだって分かっているのに、眉間にぐぐぐっと力が入る。せっかく大人なタイトスカートを履いてきたのに、つい握り締めてシワを作ってしまった。

天国さんは弁護士の先生で、イジメられてた私を助けてくれた人だった。イジメって言ったって、物を隠されるとか陰口を叩かれるとか、今にしてみれば些細なことで。高校を卒業すれば赤の他人になる人たちのことなんてどうでも良かった。もちろん弁護士を雇って訴えるなんて気もなく、早く高校生じゃなくなればいいって、そう思ってた。

そんな時だった。


『失礼、私こういう者ですが、彼女とはどういったご関係で? 君たちがしていることは器物損壊罪──立派な犯罪ですよ?』


帰り道。カバンを盗られて教科書を破られた私の前に、白黒のジャケットが現れた。

天国さんは高そうな紙の名刺を取り出して、肩書きだけで相手を退けてしまった。そして、受け取られなかった名刺をそのまま私に寄越してくる。


『あの、どうして、』
『助けたかって?』
『だって私、訴えるお金とか、ないし』
『金なんていらないよ。……特別、ね』


今なら分かる。私は特別ではなかった。天国さんはイジメられている子を放っておけない。そういう意味の特別で、私はその特別の一部でしかない。

イジメられなくなった私は、天国さんの特別じゃなくなった。

怖いくらいに堅かった表情が崩れて、茶目っ気たっぷりに片目を瞑った彼のことが、こんなにも忘れられないのに。


「天国さん、こっち見て」
「就業中なもので、お引き取りを」
「ねぇ、天国さん」


不意打ちを狙ってストッキングに覆われた脚を天国さんの膝に乗せる。一瞬度肝を抜かれた隙を見てタブレットを奪い、空いた膝にすかさず腰を落ち着けた。

天国さんの膝に、跨っている。

いけないことを、している。

自覚したら終わりな気がして、彼の首に腕を回して抱き着いてみた。

腕に抱き着いたりしたことはあっても、真正面からしたことは初めてで、いつも以上に天国さんが近いというか。ゼロ距離というか。えっと、これからどうすればいいんだろう。とりあえずおっぱい押し付けながら考えると、肩口に深い溜息がかかった。


「遊びは同年代で探せ。俺は付き合わないからな」


あ、まずい。


「……遊びじゃないもん、遊びじゃヤダもん」


目がじわっと熱くなって、鼻の奥がツンと痛む。大人の女は泣かない。ここぞという時以外は笑って流すんだ。

そう言い聞かせても、一度出てきたものは引っ込められなくて。ぎゅーっと天国さんの首にしがみついた。その時。

肩に置かれた手がゆっくり、それでいて強く押される。そして、気が付けば私はソファに押し倒されていて、天国さんの体が私の股の間に滑り込んできた。

まるで、セックスしているみたいな体勢、で。

ぼぼぼ、と。顔から火が出るような勢いで体温が上がる。ほとんど距離もなく体で体を抑え込まれた。宙に投げ出されている私の足。背伸びしまくったピンヒールが間接照明に照らされて目に眩しい。

影になるほどすぐ近くにある天国さんの顔。目元のシワがクッと上がって、釣られて涙ボクロに視線を取られた。


「俺を本気にさせてどうしたいの?」


熱い息が、耳にかかって、


「お嫁さんに、してほしい」
「……ガキ」


思わず飛び出た願望。途端に真顔になった天国さんが、いつも通りの素っ気なさで離れていきかけて。とっさに宙に浮いていた足を彼の体に絡めてしまった。「子泣き爺か」「ジジイじゃないもん」「妖怪も知らないのかよ」「妖怪ウォッチなら知ってる」「はぁ……」なにその溜息。余計に離したくなくて首にも抱き着く。もう一度ダメ押しで溜息が来た。

いいもん、どうせ子供扱いされるなら、最後まで駄々こねて、


「その似合わん口紅落としたらな」


やる、ん、だから……。

力を抜いた体がもう一度体の上に落ちてきて、さっきまでタブレットを持っていた手がポンポン私の頭を叩く。

天国さんのためのリップなのに、とか。また子供扱いして、とか。そういういろんなことがぐるぐる回って、口から出て行ったのはいつもの減らず口。


「天国さんが落としてよ、唇で」
「たわけ」


本気になってくれるなら、たわけでいいもん。



・宇髄天元「笑えとは言ったが」/綺麗な手足学パロ

キメツ学園高等部の音楽室はこの世の終わりだった。カオスだ。地獄だ。世紀末だ。外宇宙の邪神を降臨させるための儀式と言われた方がしっくりくる。現に隅っこの方で耳を抑えて失神する我妻善逸がいた。それほど二名の悲鳴と一名の雄叫びは酷い。一度無防備に開けてしまった体。面と向かって浴びた冒涜的な音を遮断するために生存本能が秒で扉を閉めさせた。未だ冷や汗は止まらず、脈は異様に早い。

何故、どうしてこうなった。


「笑えとは言ったが」


歌えとは一言も言っていない。宇髄天元は頭を抱えた。

始まりはそう、忘れもしない先週の昼休み。久しぶりに美術室で昼飯を貪っていた妹分が、ふと顔を上げて感情の読めない瞳を宇髄に向けた。


「好感度、どうする、と、上がる?」
「コーカンドォ?」


好感度とか気にする玉か。

首を捻った宇髄に対し、マイペースな妹分がたどたどしく続けた説明。曰く、過保護な母親が娘の友達が少ないことに心を痛めているらしい。せめて、家に遊びに来る友達の一人や二人作ってほしい、と。


「胡蝶がいるだろ。会わせりゃいいじゃねーか」
「しのぶさん、部活ある。放課後、遊び、呼べない」
「あぁ、なるほど」


友達はいるが家に呼ぶ友達がいないことが引っかかっているらしい。母親はぶっちゃけそこんところ区別していないと思うが、宇髄は面倒になってスルーした。オトモダチ。この独特すぎる妹分に関しては多いに越したことはないだろう。


「でも、好感度、ない、て」
「だからなんだよ好感度。誰に言われた」
「村田くん」
「誰だソレ」


体育委員会の後輩、ということは宇髄は知らない。興味もない。


「友達、ほしい。好感度、ない。どうする、いい」
「……そりゃ、まずは笑顔じゃねーの?」
「えがお」
「笑えばいいんだよ、お前、それなりに見れるツラしてんだからよ。ヘラヘラしてみろ。それだけで案外とっつき易くなるモンだぜ」
「わらう……う。やってみる」
「おう」


という会話をしたのを覚えている。というか捻り出した。そこからどうして歌を歌う方に行くのか。


「うーたをわすれたかなりやぁはぁ!」
「後ろのお山に捨てましょかぁああ!」
「「いえいえそれはなりませぬぅああ!」」


なんだその選曲。悲しすぎないかカナリア。

無表情のくせに腹から声出してる妹分と変顔で喉を引き絞るように歌う竈門炭治郎。シャツ全開で周りを走り回る野生児嘴平伊之助。善逸はまだ気絶している。

そして地味に合間に挟まるお囃子は、もちろん音楽教師の響凱先生のものだ。いつも通り充血した目と悲しそうな表情で寸分の乱れもなくリズムを取っている。よくこの惨状の中で耳を塞がずに続けられるものだ。宇髄は密かに感心した。絶対に声には出さないが。


「あー、響凱先生」
「(ぽん、ぽん、ぽぽん、ぽん、ぽぽぽん)」
「響凱先生!」
「……む、宇髄先生。如何した」
「この阿鼻叫喚はなんスか」
「阿鼻だからこそ、生徒の向上心に応えて然るべきだと小生は愚考した」
「はぁ?」


相変わらず地味に話にならない。

それきりぽん、ぽぽんと演奏に戻った響凱を放って、今度は隅っこに寝っ転がっているタンポポ頭にガッと蹴りを入れた。


「いっっったぁあああ!? なんで蹴るの?! なんで?! なんでみんな俺にツラく当たるのぉおおお?!」
「うるせえ、説明」
「雑ぅ!?」


数度転がして聞いた話をまとめると、冨岡被害者の会(なんて?)の集まりで声を大きくする方法を相談され、たまたま居合わせた炭治郎が『歌で肺活量を鍛えるのはどうだろう』と提案し、全力で止めた甲斐もなく音楽室に引き摺られ、たまたま居合わせた響凱が真摯に受け止めてしまい、この惨状らしい。


「炭治郎はお人好しで練習に付き合うって言うし、伊之助はあの調子だし……」
「あの猪はなんで狂ったように走り回ってんだ?」
「夏の山にいた頃を思い出すんですって」


動物の発情期じゃねーよ。

ツッコミたくても宇髄の体は一つしかなく、既にドッと疲れきっていた。だが諸悪の根源を絶たないことにはこの地獄の儀式は終わらない。仕方なくズンズンと不協和音の元へと近付いて妹分の肩をむんずと掴んだ。


「お前、何してるわけ。好感度はどうした」
「天元様。あの、あの、聞いて」
「ん? お、おう?」


心なしかいつもよりテンションが数倍高い。先ほどまで歌っていたせいか息が上がっていて、白い面にやや赤みが差している。無表情ながら“わくわく”という文字が何故か見える独特の雰囲気。小さな口をいつもよりも大きく、それこそ白い歯と赤い舌が見えるほどの大口を開けて、宇髄にそれを放った。


「わははは、わははは、わっしょいわっしょい」
「煉獄の真似じゃねーかッ!!」


その笑いじゃねーんだわ。



・観音坂独歩「好きすぎておかしくなりそう」/プニカ

「好きすぎておかしくなりそう」

「……パスタが?」
「……ハッ!! あっ、いや、はいパスタが! 俺、たらこに目がなくて!」
「あ、分かります。美味しいですよね、たらこ」


危なかった。

無意識に口から出ていた本音。なんとか誤魔化しに成功してホッと息をつく。それを不思議そうに首を傾げながらもニコニコと食事を再開した彼女。ミートソースパスタを器用にくるくる巻いて上品にフォークで一口。口の周りが一切汚れていないあたり流石育ちが良いと感心してしまった。

いや、それにしても。下手な誤魔化しで簡単に納得する相手にも心配になる。俺なんかと一緒にいて休日潰してるのもびっくりだし。ま、まあ、俺は彼女の彼氏、彼氏とのデートは世間一般的に見ても率先して行きたがるだろう。でも相手が俺だぞ? 本当に彼女は満足しているのか? 二十二なんてつい最近二十歳になったばかりのようなもんだろ。それに引き換え俺は二十九。もうすぐ三十のうだつが上がらないサラリーマンだ。彼女からしてみればオジサン。うっ、オジサン……。自分で言っておいて落ち込む。オジサンが若い子に手を出している。こんな状況許されるのだろうか。誰かから、それこそ彼女の家族や友人や、一目惚れした男から刺されないだろうか。なんせこんなに素直なんだ。俺なんかに頬を染めてはにかんで……あ、かわいい。


「独歩さん、鮭とかたらことか海の物が好きですよね。お魚料理頑張ってみようかなぁ」
「えっ、作ってくれるのか? 俺に?」
「もちろん! 独歩さんのために作るんですもん。……あ、でも独歩さんには一二三さんがいますよね」
「何故ここで一二三の名前が出るんだ」
「えっと、独歩さんの胃袋は一二三さんの領域かと」
「俺の体にそんな縄張りはない」


俺の体でディビジョンバトルしないでくれ。

俺と知り合うより先に一二三と面識があった彼女だが、何故だか一二三のことをとても尊敬している。ホストのアイツしか知らないのだから異性として惚れているのかと思えば、どうやら仕事に対するプロ根性を見習いたいのだとか。俺と同居していて料理も担当していると知ると余計にキラキラとした目で見ていた。恋愛感情がないのは分かりきっていてもあまり面白くはない。俺を蚊帳の外に置いて料理の話をするのも少し寂しい。こっちの方が年上なのにガキみたいな駄々を捏ねたくなって、余計に惨めな気持ちになった。

けど、彼女は俺が思う以上に出来た人間で、俺が俯いたのに気付くとすぐに顔を向けて様子を伺ってくるんだ。


「だって、私より一二三さんの方が独歩さんのことを知ってるんですよ。……私だって、もっと知りたいんです」


珍しく拗ねたように唇を尖らせた彼女は、恐ろしく可愛かった。これが俺の彼女。彼女、かぁ。


「好きすぎておかしくなりそう」
「……あの、独歩さん」
「はい?」


フォークを置いた彼女が悩むように口をもごもごさせている。

なんだ、何か彼女の気に障るようなことをしたのか?

さっきまでの浮かれ気分が急に奈落の底に突き落とされたような心地に変わる。恐々と何か言おうとしている彼女を注視していると、相手はとうとう覚悟が決まったのか突拍子もない話題を口にした。


「自慢するようで大変お恥ずかしいのですが、私、家族や友人から褒めてもらえることが結構ありまして、」
「……?」
「その時は、ホッとするんです。私、ちゃんと出来てるんだなって。何も間違えてないんだって、力が抜けるというか、リラックスして、でも、あの──独歩さんに褒められると、ドキドキしすぎて落ち着かなくて」


……………………?

彼女は今、なんの話をしているんだ?

両手で頬を包んでいる彼女は大変可愛らしく照れている。が、話が掴めないこっちとしては眉間にシワを寄せるばかりで。


「す、……は、」
「な、なんだって?」
「すき、は、二人の時だけに言ってもらえたら、嬉しいなって思います。あ、言ってもらえるのはもちろん嬉しいんですけど! 顔を取り繕うのが、大変、で」


とうとう顔を覆って俯いてしまった彼女。けどオフの日は難解に編み込んだ髪型をしているせいで真っ赤になった耳は丸見えだった。

というか、すき──好き? 俺は今日彼女にそんな、大胆なことを言った、か…………?

“好きすぎておかしくなりそう”


「あっ」


思わず口を押さえてしまったが、確信はまだで。まさか、そんな、と震える唇を隠しながら、手のひらの下でしどろもどろに舌を動かす。


「声に、出てた?」
「ろっかいほど」
「ろっかい」


ほぼ全部じゃないか。

ガチャンと音がするほど勢いよくテーブルに突っ伏した俺。未だ俯いて回復の兆しを見せない彼女。大の大人二人が沈んだテーブルに、水のお代わりに来たウェイターを困らせてしまったのは完全な余談だ。

その後、二人きりになった時に「もう言ってくれないんですか」というワガママにも入らない催促が来て今度は天を仰ぐハメになった。


「好きすぎておかしくなりそう」


いや、もうなってるだろ。





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