追記

目を覚ますと知らない場所だった。

薄汚れた灰色の壁と屋根の平屋が何十と並んだ場所。驚くほど近くからザワザワとした音が聞こえる。匂いは、なんだろう。違和感がある。ドゥルシネーアはぼんやりとした意識のまま、視野を広げるために見聞色の覇気を展開しようとした。何も感じない。覇気などもともと存在しないかのように皆無だ。もう一度集中しようと顔を俯けた時、見慣れない黒色が視界を覆った。髪の毛だった。払いのけようと上げた手は指の長さから爪の形まで小作りな印象を受ける。そういえば手持ちの私服にズボンなんてあっただろうか。擦り切れたジーンズを纏った足がコンクリートに投げ出されている。

そこでやっと、最初に感じた違和感の正体に思い至った。

さっきから聞き流しているのは波の音だ。

立ち上がる。打った覚えのない背中や尻が鈍痛を訴えてくる。放っておけば治るだろうと思っていたが一向に治まる兆しがない。もしかして、もしかして! 波の音のする方向へ足を縺れさせながら駆け寄る。テトラポットの何とか足場になる場所を探して、手のひらを擦り、怪我を作りながら海の見える場所まで辿り着く。

早朝だった。夜から朝に変わる曖昧な境目。濃紺が徐々に光を含んで白く輝く。低い汽笛の音が遠く、ウミネコは高く空を泳いでいる。人と自然の営みが共存する身近な光景。

──海を、美しく思える。

人間穂波シエの誕生を祝福する、希望の朝だった。



***



失踪事件の被害者を保護した。

穂波シエ。女。19XX年生まれ。24歳。17歳の高校三年時に失踪し、それから約七年間消息を絶つ。誘拐の線を軸に捜査が進められたものの証拠は見当たらず失踪事件として二年前に打ち切られた。家族構成は父母。彼らは娘の失踪に心を病み自殺。思い出は火に巻かれて消し炭になった。

保護された穂波シエは記憶障害を発症しており失踪期間の記憶どころかそれ以前の記憶すらおぼろげな様子だった。加えて日常生活に関わる大部分の常識が欠落している。逆にノックの回数や家屋に土足のまま上がろうとすることを始めとした文化的マナーの違い、滲み出る所作や言葉遣いの丁寧さなど。失踪期間の生活が少なくとも一般的水準以上だったことが垣間見える。

彼女の奇妙さは保護された日から現在に至るまで増え続けている。

まず毎日の食事について。始めは警戒していたのか食事に一切手を付けず、水すら最低限飲まなかったために脱水症状を呈した。警察病院で点滴からの栄養摂取に切り替え、快復の折を見て経口摂取の食事に切り替えると、目を離した隙にトイレで吐き出す始末。理由を尋ねた際の返答は「必要ないと思ったので」。検査で胃腸が弱っている様子は見られないため、心因性の拒食症を診断された。

また彼女はたびたび細かい傷を負った。顕著だったのは本のページで指を切った時だ。傷と、そこから溢れた血を見た顔は驚きに満ちていた。次いで試すように二度三度と指を滑らして傷を増やし、恍惚と笑む様はどう見ても異常の一言に尽きる。診断書の特記欄に自傷癖の文字が追加された。

失踪事件の真相が上流階級出身者との駆け落ち、その果てのDVによる逃亡の可能性が示されたところで、一つの恐るべき情報が飛び込んで来た。

彼女が保護された同日、同港で組織の密会があった。そこにはボス直々の命令でRUMが姿を現したのだと言う。


「こんにちは、穂波さん」
「こんにちは、風見さん」


警察病院の奥まった個室。ベッドで大人しく本を読む手には手袋がはめられている。自傷癖の予防として着用を義務付けられたのだろう。紙のページを捲るには些か苦労しそうな装備だった。

風見はいつもの硬い表情のまま、背後の同行者を彼女の前に突き出す。


「今日はあなたに面会していただきたい方がいます」


茶色い日本人らしい瞳が風見の隣をジッと見る。見られた相手は心細さを隠しもせずに眉を下げた。


「あの、初めまして」
「初めまして、穂波シエと申します」
「あ……ごめんなさい。私、自分の名前も分からなくて」


しどろもどろに、銀髪に色違いの瞳を持つ女、キュラソーが答える。


「覚えていないの?」
「え、ええ」
「まあ、それは心細いでしょうに。私で良ければお話相手になりましょう」
「ありがとう、穂波さん」
「シエでいいですよ」
「じゃあ、シエ」
「はい」


ふふふ。微笑む様は年不相応におっとりと落ち着いている。風見はたまに、彼女が自分より年下であることを忘れそうになる。


「何か分かることはありますか」
「分かること、ですか」


柔らかく細められていた瞳が丸く開かれる。キュラソーは肩を揺らして後ずさった。中身を覗かれているという根拠のない怖気が走ったのだろう。風見もその感覚は得意ではない。上司からの指示がなければ二度と体験したくないものの一つだ。

彼女が見つめ始めて一分。元の様子に戻った視線は穏やかさを含んでキュラソーに向けられる。風見の首筋が訳もなく粟立った。


「とても困惑していて、不安で、失くしたものに対して執着しているけれど、同じくらい逃れたい忌避感がありますね。あら、最近良い出会いでもありました? 大切にしたいと思えるものが増えるのは良いことですね。大事にしてあげてくださいな」
「え……」


キュラソーは何を言われたのか分からないという顔でキョロキョロと視線を彷徨わせる。


「この顔に見覚えは?」
「ありません。初対面です」
「分かりました。ご協力感謝します」
「いいえ、お安い御用ですわ」
「今日はこれで失礼します」
「また来てくださいね。あなたも」


風見とキュラソーを交互に見て手を振る彼女。風見は外に待たせている部下に指示を出しながらキュラソーを病室に送り届けた。


『──失くしたものに対して執着しているけれど、同じくらい逃れたい忌避感がありますね』


背広のポケットに入れていたレコーダーは鮮明に穂波シエの発言を記録している。風見はキュラソーと引き会わせることで彼女がRUMの取引現場を目撃した可能性の答えを欲した。本人が現れるのなら腹心のキュラソーも必ず連れていたはずだ。そして、穂波シエが本当にRUMと鉢合わせたのなら何か記憶に引っかかる部分があるのでは、と予想した。その意味での『分かることはありますか』だった。

風見は記憶している番号を打ち込み上司に連絡を繋ぐ。いくつかの情報交換を経て、先ほどのレコーダーを電話口から相手に聞かせた。


『なるほど、キュラソーの記憶喪失は本当のようだ』
「まだ信じられません。もう少し様子を見た方が、」
『もう散々見ただろう。従来の嘘発見器より断然高性能だ。使わない手はない』
「降谷さん、彼女は我々の協力者ではありません」
『まだ、な』
「降谷さん」
『分かっている。精神的に不安定な人間を捜査に関わらせるべきではない。経過を見つつ、その件は後回しにしよう』
「……私は、反対です」
『理由を聞こう』
「穂波シエの不安定さは失踪期間中のトラウマによるPTSDだと考えられていますが、私は彼女が本来の人格ではないように感じます」
『解離性同一性障害を疑っているのか?』
「はい。我々が接している穂波シエは、本来の穂波シエではなく全くの別人、別人格であり、それは犯罪に巻き込まれた被害者本人ではない。むしろ加害者側と同じ思想を持っている、そんな気がしてなりません」
『ずいぶん抽象的な話を長々とする。彼女の話口が移ったか? それとも……お前個人の感情か?』
「っ!」
『公私を分けろ、風見裕也』
「はい……」


切れた電話をしばらく耳に当て、上司に言われたことを反芻する。個人的な感情。それは、確かにその通りだ。風見は穂波シエが恐ろしい。あの内面を探る読心に近い直感は、何も犯罪者のみに向けて行われているわけではない。一般人や、風見や、降谷に向けたところで罪には問われないし、やられた証拠など用意しようがないのだ。

穂波シエを上司に近付けたくない。それが風見の本当の感情。公安部所属にあるまじき公私混同をしてしまった原因だった。



主人公「ご飯吐かなくてもいいこと忘れてた^ ^ ついつい癖でやっちゃう^ ^ 慣れなきゃなあ^ ^」
周りの人「拒食症になるほどのことがあったんだ…ヤバい…」

主人公「本当に傷治らないんだ^ ^ すごぉい^ ^」
周りの人「自傷癖だ…本格的にヤバいぞ…」

コナン世界に覇気はないけれど似たような生命エネルギーを感じ取ってギリギリ目の前の相手の思考が読める見聞色の覇気(仮)を身につけた元ドゥルシネーアが人間の体に慣れないまま人間の生活を送り、周囲から精神病患者やら超能力者やらいろんな勘違いをされながら公安の協力者として警察病院で過ごす話を妄想しました。

もしくは普通の高校生をやってた穂波シエ(17)の体にいきなりドゥルシネーアの意識が入り込んだパターンで警察学校組の救済をやっていく話とか。電話の使い方が分からずあたふたしてる時にNOCバレして逃亡中のスコッチをたまたま捕まえて同じ電話ボックスに引き込んでアレコレ押し問答してたら追っ手がスルーしてくれた上に電話でバーボンに連絡入れられて難を逃れるとか。電話ボックスの使い方が分からなかっただけかと思ったら携帯も固定電話も使えなくて「大丈夫かこの子」ってなる。携帯の使い方が分からない現代っ子シュールすぎる。



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