追記

ロマニ・アーキマンの穏やかな顔を見ると、いつも不安な気持ちになる。


『やっと、君に真実を伝えられる』


それはきっと、黙っていた罪悪感から解放されたからだとか、そういう素直な表情ではないからだろう。そんな無責任な人間ではない。むしろ彼が責任感の塊のような人間だったからこそ真実を打ち明けようとしている。

私が今までずっと穏やかだと感じていた顔は、諦めの顔だった。毎日が充実していて、生きていると実感できると朗らかに言ってのける彼が、たまに浮かべる美しい表情は、恐ろしいまでの真摯な瞳で自身の終わりを睨み続けていた。数ある可能性とそこに至るまでの選択肢の中で最も悍ましい結果を、彼は人間の目で直視してきた。

その諦めがとろりとほどけていつも通りの笑みに変わる。今浮かべるには、あまりにも“らしい”雰囲気。これから告げられる違和感の正体を突きつけられるより、よっぽど悍ましい。指先の温度が急速に下がっていく感覚。渇いた舌の根が彼の名を呼ぼうとした。それはできなかった。


『十六年前、一般枠からの採用でカルデアの医療部門に勤務していた君は、器材トラブルによる爆発事故に巻き込まれ致命的な怪我を負った。当時の医療技術では治療困難とみなされ、有無も言わせずコールドスリープにかけられたそうだ。次に目覚めたのは治療法が確立されたそれから五年後。ちょうど僕がカルデアに招かれた少し後のことだったかな。君は事故のショックで当時の記憶を失っていた。それだけ凄惨な事故だったんだと、スタッフから説明を受けたね?』


でも、と。彼は一瞬口を閉じた。


『真実は違う。君の記憶喪失は作為的なものだ』


そこから彼は怒涛の勢いで、私が預かり知らない過去を掘り起こす。恐らくは彼が前所長に直接聞いたのだろう、誰かの懺悔のようなものを。


『十六年前。西暦2000年という数字に既視感があるだろう? うん、マシュが生まれた年だ。正確にはデミ・サーヴァントの被検体、デザインベビーの作成中だった。その年にカルデアで爆発事故なんて起きていない』

『だってそうだろう? 魔術的な試みとはいえ、まだ受精卵の段階だ。魔術回路の起動どころか魔力すら宿しているのかも怪しい。ただレシピエントの精子と卵子を弄って受精させるだけなんて、倫理を無視すれば一般の病院でだってやろうと思えばできる。そんな作業中に致命傷を負うような爆発が起きるもんか』

『君のご両親、家名は伏せられているが魔術協会に所属していた魔術師だったんだ。知らなかったろう? 君の母親は子供を産んですぐ魔力が減退し、勘当される形で家を出奔した元魔術師だったからね。神秘から遠ざかった暮らしをしていれば魔術を知らないのも当然さ。君もここで暮らす前はそうだっただろう? けれど君のことを知った人間は、何も知らない君に価値を見出した』

『魔術師の血筋でありながら人脈も力も自覚もない。前所長は医療部門の人員として君を採用したけれど、本当のところは卵子を提供するレシピエントとしてこのカルデアに誘い込んだ。謀られた君は無理やり卵子を提供させられ、そして心を病んだ。腹部の古傷は君自身が切りつけた傷だ。君は絶望の末に自殺未遂を犯し、死にかけたところで前所長が独断でコールドスリープにかけた。君は血筋だけならば優秀だったからね、彼としても惜しい人材だったんだろう。定期的にコールドスリープから解いて暗示をかけ直し、定着させてはまた眠らせることを繰り返した。君がまた自殺を図り、今度こそ死んでしまわないために。その証拠に、前所長が亡くなってからグランドオーダー開始後に僕が起こすまで君は一度も目を覚まさなかっただろう?』

『そうして君がコフィンの中で眠っている間にデザインベビーは生まれた。君が卵子提供した子も何人かね。二歳になった頃には一人を除いて皆死んでしまったけれど』

『君の子供は、幸いなことに生き残った』

『元々三十年だった人生を十八年に縮めてしまったけれど、それでも今、まだ一人だけ生きている。生きて、人類最後のマスターと共に戦っている』

『マシュ・キリエライトは、』

『マシュは、君の実子なんだ』


今まで黙っていて……本当に、すいませんでした。

見たこともないほど真剣な顔で、声音で、頭を下げたロマニ。

私が最後のコールドスリープから目覚めて、およそ一年が経とうとする冬の話だった。



***



「初めまして、ミズ。カルデア局員のマシュ・キリエライトです。よろしくお願いします」


マシュ・キリエライト。
Mash Kyrielight.

“神からの贈り物(Matthew)・主の光(Kyrie-light)”あたりが妥当だろうか。

アニムスフィア家の悲願たるデミ・サーヴァントの作成。その試作品に“神からの贈り物”という意味を持つ聖人の名を願掛けとして与えた。ましてや“キリエ”、もしくは“キリエ・エレイソン”とはキリスト教の祈りの一つ、「憐れみの讃歌」だ。いずれ死に逝く少女につけるにはあまりにも打ってつけで、あまりにも皮肉が効きすぎている。

初めてその名を聞いた時、眠気で怠かった思考が急速に冷えたものだ。


「初めまして、ミス・キリエライト。私のことはどうか、気軽にドクトラとでも呼んでください」
「女医(ドクトラ)、ですか?」
「アーキマンがドクターなら私はドクトラでしょう。医師免許持ってるのも私くらいですし」
「は、はあ……ではドクトラ。あの、先輩の容態はどうですか? 何か、命に関わるような傷などはありませんか?」
「いいえ、擦り傷を除けば十分健康体です。もうしばらく寝せておけば直に目覚めるでしょう」
「そうですか! 良かった……」


後輩ロマニ・アーキマンに冷凍庫から叩き起こされ、締まりのない表情で軽くお願いされた数時間前。その顔が記憶よりもやや強張っていなければ、自主的にコフィンの中にUターンしていたところだ。暗く冷たい棺には悪寒しか感じないというのに。

妙に人の少ない廊下を歩きながら管制室までの道すがら、この人類史を守る壮大な作戦の発端を聞かされた。

西暦2016年。前回のコールドスリープからおよそ五年も経過しているらしい。このカルデアにやってきてから六回……七回? 起きては寝てを繰り返していたか。いくら凍っていたからといってカルデアスが燃えている間もぐっすり眠っていたなんて。叩き起こされた理由もまた、分かりやすい内容で苦笑いが浮かんだ。

アニムスフィア所長はいつの間にやらお亡くなりになっていて、その後にやってきたミス・オルガマリー・アニムスフィアも先ほどお亡くなりになったらしい。それどころか、かの高名なミスタ・ライノールが敵側のスパイであり、多くの職員たちが彼の手にかかって再起不能、マスター候補生たちも昔の私のように緊急でコールドスリープにかけられた。潤沢な資金と人員を送っていた魔術協会すら消滅しているのだから、全てにおいて火の車というわけだ。

とくれば、このカルデア内で古参の部類に入る私を使わない手はないのだろう。

給料なし、ボーナスなし、休暇も恐らく望めない。食事も最悪抜かれるかもしれない。何せこの雪山の外の世界は文字通り火の海なのだ。法すらない世界で真っ当な職場環境の改善を訴えることの虚しさったらない。

久しぶりに回したペンが床に落ちる。ペン回しすら鈍っているらしい。カルテに『異常なし』と書き殴ってバインダーに挟む。魔術と科学の融合したハイテクな設備だろうと電源が落ちれば使い物にならない。最低限の情報はアナログで残しておくべきだろう。アーキマンはこれに微妙そうな顔をするが、手伝っているだけ有難く思ってほしい。


「あの、ドクトラは先輩と同じく一般の家庭出身の方だと伺いました」
「ええ、まあ。少し病院の空気が合わなくて。転職先を探している時にこちらの職場にスカウトされました。それが何か?」
「私、カルデアの外のことに興味があります。ドクトラのお手すきの時がありましたら、ご教授願いたいのです」
「ミス・キリエライトがその堅ッ苦しい言葉遣いを改めたら考えましょう」
「では、ドクトラもマシュと呼んでください」
「なるほど」


“神からの贈り物”、ね。まあ、意識しなければいいだけよ。


「分かった。これからよろしく、マシュ」
「はい!」


真面目に、純粋に、元気よく。やや口端だけ持ち上げた笑みを浮かべる少女。好ましく思う要素が揃っているはずなのに、何故か前頭葉に鈍い痛みが走った。



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