追記

・終局にて


背後から名を呼ばれた気がした。

聞いたことのある声だった。憎からぬ相手の声に似ていた。読書を中断して栞を挟む面倒を無視できる程度には好ましく思った相手だったので、ドゥルシネーアは気軽に自身の座から立ち上がった。

そして呼ばれた先は宇宙。遥か向こう側に白い飛行機雲に似た線の連なりを見つけ、ここでは天の川はこう見えるのかと感動した。白い煙のように細かな星の群。そこに混じって虹を構成する赤橙黄緑青藍紫の星々が彩り散りばめられている。

なんて幻想的な光景だろう。さきほど読んでいた本よりもよほどファンタスティックで、何より感動的だ。……赤い目をした触手の群がそこかしこで蠢いていなければ。


「世界の終わり、ね」


その時、ドゥルシネーアの不死もまた終わるだろうか。いや、終わってくれなければ困る。何もない宇宙で一人永遠と窒息して蘇って窒息するだなんて地獄よりも悍ましい。もしや自分の死因は宇宙空間に放り出されて精神的に死んだのでは、とかいう仮説すら思い浮かんだ。


「何を呆けているのですトラファルガー・ロー」


大太刀鬼哭もそのままに立ち尽くすドゥルシネーアの脇を、素早い動きで通り過ぎた赤い影。クリミアの天使が目にも止まらぬ早撃ちでこちらに伸びてきた触手を撃退したのだ。


「ナ、ナイチンゲール」
「マスターの縁を辿ってやって来たのならその役目を果たしなさい。今はマスターに道を作ることが先決です。その前に座に還るなど何事ですか。……というかあなた、座に還ってからの定期カウンセリングをすっぽかしましたね!」
「そんな無茶な」


以前返した言葉をもう一度返すと顔スレスレで銃弾が通り過ぎる。背後から聞くに堪えない触手の悲鳴が聞こえ、微笑みの貴婦人は久々に分かりやすく肩を揺らした。


「ひとまず話は後です。最優のセイバーなら魔人柱の一つや二つ、一人で抑え込めますね」
「そんな無茶な」


それしか言えないのかと聞かれれば苦しいところだが、本心だった。こちらはただ一度復讐の名の下に人を殺した逸話を主軸にして無理やり紡がれたただの女の影に過ぎない。国を統べたとか文明を破壊したとか武勇で神の領域に達したとか言う化け物と同じにされては困る。自分がその化け物どもに何度殺されたって生き返る化け物であることを棚に上げてドゥルシネーアは慄いた。慄く間にも魔神柱たちがこちらを穿たんと迫っては天使の銃弾で撃ち落とされる光景がファンタスティックな舞台に不似合いだった。


「ナイチンゲール、私の真名は、」
「トラファルガー! 来ていたのか!」


赤い衣が翻り、激しく燃え上がる炎のような髪が視線を惹きつける。瞳も同じく赤々と輝いているが、描写としては炎より薔薇の方が適当だろうか。いつかの特異点で共闘したコサラの王、少年姿のラーマが颯爽と剣を抜き二人の前に姿を現した。


「以前は貴殿の戦う姿を見れなかったからな。クー・フーリン・オルタを一人で退けたという腕前、期待しているぞトラファルガー!」
「あの」


一方的に心臓を突かれることに、技術がいるのだろうか?

生前より続くドゥルシネーアの間と運の悪さがここでも発揮される。彼女の不運に気付く人間は誰もいない。そもこの場にいる人間などカルデアのマスターくらいしかいないのだ。皆が戦い、皆が疲弊し、皆が難敵を相手に吠えている。

笑顔ながらに小さく肩を落とし、ドゥルシネーアは背中の鬼哭を抜いた。正確には一度背中から下ろして地面に置き、柄だけ持ってなんとか抜いたという様だ。それから右手に柄を持ち替え、背中に鞘を背負い直し、なんとか両手で鬼哭を構える。あまりにも初心者が竹刀を初めて持ったと言わんばかりの素人っぷりだった。

悪魔の実の能力など、憎らしいにも程がある。けれどここで出し惜しみすれば殺されて生き返るだけの木偶人形となることもまた事実で、魔神柱と同じような存在になるなど流石に屈辱的であった。

だから固めたのだ。形だけでもトラファルガー・ローになる、その決意を。


「“ROOM”────切断!」


半透明の結界が、広大な宇宙空間の一部をただの手術室へと変貌させる。執刀するのは優秀な外科医ではなく、初めてメスを持った一般人であったけれど。


「シャンブルズ!」


数分後、誤って切断してしまったクー・フーリン・オルタの尻尾と魔神柱の先っぽをシャンブルズしてしまい、メイヴのチャリオットに轢かれかけ、その決意を後悔するドゥルシネーアであった。



・新人面談編


「というわけで第えぬ回、かるであ新人面談を始める! 皆の者! 拍手! 拍手ぅ!」
「わーい!」
「うふふふ」
「まったく……」
「は、はい!」(パチパチパチ!)
「…………」
「うーん、このビミョーな空気もクセになってきたのぉ!」


複数あるレクリエーションルームの一つ、海外では珍しい畳敷きの部屋。主に日本のサーヴァント御用達の一室。普段ならエミヤとタマモキャットが献立に頭を悩ませていたり、玉藻の前と清姫が惚気のドッジボールを繰り広げたり、風魔小太郎と俵藤太と天草四郎が何やら四方山話をしていたり、茨木童子と酒呑童子が洋酒と洋菓子を持ち寄っていたり、最近では刑部姫が人をダメにするクッションを持参して何やらスマホをいじってる場面も目撃する。ことさらコタツが登場したこの冬の時期にはコタツ恋しさ、あるいはコタツ珍しさに海外のサーヴァントを誘って談笑する光景も珍しくない。

そんな憩いの場であるはずのそこに、6騎のサーヴァントが微妙な空気でコタツにあたっていた。

長方形のコタツの上座(入口から見て奥)に湯呑み片手に笑うアーチャー織田信長、その左側にちまちまとみかんの白い筋まで丁寧に剥くファラオ・ニトクリスと私服姿で煎餅をかじるマシュ・キリエライト、右側に優雅にティーカップで緑茶を飲むマリー・アントワネットとみかんタワーを建築中のポール・バニヤン、そして下座(入口から見て手前)には無言の笑顔を浮かべる最近召喚されたばかりの新人、ドンキホーテ・ドゥルシネーアが座っていた。

メンバー構成としては特異点Fからマスターと共に人理修復を目指して邁進してきたマシュとマスターから聖杯を賜った4騎という内訳だ。

つまり、カルデア最強の4騎と最古参のサーヴァントに新人が圧迫面接を受ける図である。


「ま、様式美みたいなもんじゃ。楽にせい。別に取って食うわけじゃないしネ」
「そうなの、親睦会なのよ! 仲良くしましょうね」
「二人とも楽しそうだね、ワクワクするね」
「ワッハッハ! 分かっておるではないか巨大幼女!」
「騒がしい。冥界の静寂を見習ってもらいたいものです……ま、まあ、この果実はそれなりに美味ですが」
「こちらのお煎餅も美味しいですよ、ニトクリスさん」


これに久々に困ったのはドゥルシネーアだった。久々、と言いつつ召喚されたのはつい昨日で、召喚されてから初めて困ったわけだが。

以前にどこぞの世界線のアメリカでまた真名詐称をしたらしく、ドクター・ロマンとダ・ヴィンチ女史(?)に囲まれる形で聴き取りを終え、さっき解放されたばかりだった。サーヴァントである以前に不老不死の身体ゆえに疲れなどはないが流石に気疲れはする。だというのに、管制室から出たすぐそこで日本で一二を争う有名な武将に拉致されてこの場に連れてこられた。

マシュ曰く、新人の洗礼なのだと。


「ほとんどの場合は本当にただのお茶会ですし、男性サーヴァントの皆さんなんて五分で終わった方もいるほどですよ。何も心配いりません。あ、ドゥルシネーアさんは煎茶は飲んだことがありますか? 良ければどうぞ」


見事に女のサーヴァントばかりに囲まれてさぞ居心地が悪かっただろう。特にディルムッドあたりは。


「あーでもミッチーみたいなヤツとかツンデレとか面白そうなのはいじり倒して憎茶の刑じゃな。是非もないよネ!」


ちなみに憎茶とは嫌いな客に湯呑みに並々と注がれた熱々のお茶を出すことで暗に「早く帰れ」と無言の圧力をかけること。本音をわざわざ建前からはみ出させる日本人の因襲だ。

聞かなかったことにしてマシュが淹れた程よい温度のお茶を一口。日本人の遺伝子に響く美味さだった。霊基は徹頭徹尾欧州製だが。

マイペースの極み武将と王妃と幼女と生真面目ファラオに囲まれながらマシュから話を聞くと、どうやら現在は六つ目の聖杯を回収し、人理修復もいよいよ大詰めまで来ているとのこと。


「最近は真名名乗れない系? ミステリアス系サーヴァント? が流行っていてのう。キャラ盛りするのは勝手なんじゃが信用的な意味でちょっと問題あるよねーってことで新人面談強化中なんじゃよ。あ、煎餅食う?」
「ええ、では一つ」


そういえば明らかに特異点で縁を紡いだとは考えられないサーヴァントが何騎か召喚されることがたまにあるらしい。恐らくは未来で紡ぐ縁だろうとダ・ヴィンチ女史が漏らしていたのを小耳に挟んだ。なるほどそこら辺の配慮もしなければならないとは、使い魔業も大変なのだなあと他人事のように感心したものだ。


「ほれ」
「ありがとうございます、織田殿」
「おぬし固いのう。もっとこう餅のようにじゃな、」
「信長さんが柔軟すぎるだけかと」
「マシ……おっぱいサーヴァントは体も柔らかそうじゃな!」
「マシュ・キリエライトです! 復刻で思い出したネタを急に蔵出ししないでください!」


新人面談ではなかったのか。

各々好き勝手に歓談を始めたサーヴァントたちに交じりながら煎餅を齧る。口で噛み砕いたあたりで、『あ、これ吐き出す前に魔力変換されるヤツ』と気付く。飲み込んだそばから腹の中がぎゅるぎゅると動き出す。


「お煎餅が口に合ったのね、ドゥルシネーア」
「しょっぱくておいしいよね。でも、甘い方がもっとおいしいよ」
「……ええ、そうですね。甘い物もいいですね」


賑やかで、美味しくて、ああ、いいなあ。

楽しい、なあ。



・バビロニア


遠く彼方に影が見える。多く発光した生白い肢体。豊満な胸元で祈るように両手を閉ざされ、彼女は長い睫毛を伏せている。星の終わりを見通すように、矮小な生物の生きざまを憐れむように。曇った表情のままゆっくりと、それでいて着々と歩を進めている。着々と、人類最後の砦へと近付いている。

悍ましい星の浸蝕者たちを滅ぼすために。


「まあ、大きい」


無尽蔵に溢れ地表を覆う黒い泥。黒いコートが汚れるのも、ブーツから這い上がるように浸蝕してくる母の声も無視して。ドゥルシネーアはビーストUの足元に立った。

空は厚い雲に覆われ、太陽が昇ったのかも分からない。それでも今が一日の始まりを告げる朝だとは何となく感じていた。だって、マスターが起きる前に……ティアマトが移動を再開する前にここまで走ってやって来たのだから。


『ドゥルシネーア! なんでそんなところに!』


耳元でマスターの声が聞こえてきて、ドゥルシネーアは手を止めた。ロマニ・アーキマンがいつもしている通信の応用だろうか。マスターとサーヴァントのパスを通して音声だけの会話を一時的に可能にしているらしい。


「マスター。勝手に抜け出したこと、謝罪いたします」
『何を……ダメだ! 戻って!』
「いいえ、マスター。冥界の門をウルクに開くための時間稼ぎに、わたくしのような矮小な身が使えるかは分かりませんが、やってみる価値はありましょう」
『嫌だよ、そんな、無謀だ!』
「大丈夫ですよ、わたくし、どうせマスターが死なない限り死ねないんです。マスター、マスター。これでもわたくし、愚考しましたの」


止めていた手をまた動かす。背中に背負っていた鬼哭を両手に抱えて、柄をしっかりと握り、鞘を泥の中に落とした。瞬く間に沈んでいったソレは見ない。ぬらぬらと輝く刀身は、きっとカルデアに帰るまで元の鞘に収まることはないのだろう。

ごめんなさいね、ロー。あなたの相棒をこんなことに使ってしまって。

口の中でだけ謝罪を呟いて、恐ろしく長い大太刀を両手で構えた。


「“死”がない化け物には、“死”がない化け物をぶつけるのよ」







「低能な雑魚の癖にしぶといね、まったく」
「きん……ぐぅ?」
「その脆弱な命で……よく半刻も母さんの足止めをしたものだ」
「半刻……それはすごいわ。棒振りの真似事で、そこまで、」
「驕るな、死にぞこない風情が」
「ふ、ふふっ、これくらしか取柄がないもの」
「気味が悪いな。何がそんなにおかしい」
「ふふっふふふふ」
「……お前、どうして僕と普通に会話できるんだ。死んで清々した敵が生きてたんだぞ」
「そうね、そうよね」
「おい」
「ふふ、ふふっふふふ」

「だって、家族を大事にする人は憎めないわ」


傷一つない体・・・・・・を横たえ、泥の中で眠る。それはまるで蓮のような化け物だった。



・お稽古編


「よろしくお願いします。ベディヴィエール様」
「敬称は止してください、ドゥルシネーア嬢」
「では、ベディヴィエール。わたくしのことも呼び捨ててくださいな」
「いえ、それは、」
「わたくしは教えを乞う身ですよ。お師匠様に畏まれるのはおかしいわ。それに、もうお嬢さんなんて年でもありませんし」
「……そうですか、では失礼して。まずは剣の構え方から始めましょうか、ドゥルシネーア」
「はい」


第七特異点での対ティアマト戦で、奇跡的に足止めに成功したとはいえ、ドゥルシネーアの剣裁きは酷いものだった。それこそ自己申告した通り“棒振り”以外の何物でもない。結果的に養い子から預かる形になった業物をあそこまで粗末に扱うのは流石にいけないだろうと。第七特異点から間を置かず突入することになった時間神殿を経て、人理修復が為された今になって学ぶ覚悟を決めた。

師になってほしいと頭を下げた相手こそ、かのアーサー王伝説に登場する円卓の騎士、ベディヴィエール卿であった。


「それにしても、本当に私でいいのですか? 教師ならば、私でなくとも……サー・ランスロットやサー・トリスタンはまあ、論外として。ここにはマーリンというキングメーカーもいますが」
「……マーリン様は、あまり、」
「ああ、いいのです。合わない人間がいるのは仕方ありませんから」


マーリンが合わないというより、マーリンの飄々とした態度がどことなく昔の男と被るのがしんどいだけなのだが。流してくれたベディヴィエールに敬意を表しつつ、あまり不誠実なのもよろしくないと、素直に答えることにした。

たとえそれが相手のデリケートな部分に触れることであろうと。


「生前のわたくしは、半世紀ほど、老いず死なない体で生きていました」


突拍子もない話口でもベディヴィエールは口を挟まず聞き入ってくれる。


「マスターから伺いました。第六特異点でのあなたは定命を超えるほどの旅を続けたのだと。わたくしが生きた年月と比べようもなく、永い時を」
「それは……マスターにもお伝えしましたが、残念ながら私の霊基には刻まれていない記憶です」
「ええ、聞き及んでいます。ですから、少しだけ残念なのです」
「残念、ですか」
「時代が変わるほど永い時を、あなたは孤独に狂うことなく人間として生き続けた。それはどうしてだろうと。果たすべき使命が、雪げぬ罪悪感があったからこそ可能なのか。──わたくしも、何か挫けぬ目的があれば、人間のまま生きれたのかと、自問してしまうのです」


ごめんなさい、と。普段よりも砕けた口調で謝罪を紡ぐ彼女。それは微笑みの貴婦人ではなく、アーサー王が守り慈しみたかった民草そのものだった。


「レディ、私にとって、苦悩するあなたは正しく人間の姿に違いありませんよ」
「わたくしたちは今はサーヴァントだというのに?」
「サーヴァントとはいつかに生きた人間の影法師。人間の残滓があって当然ではありませんか?」


優しく笑う白銀の騎士に、ぎこちなく笑い返すドゥルシネーア。安堵が入り混じった自分の生徒に、少しの庇護欲を感じたベディヴィエールだった。


「脇がガラ空きです。これではすぐに致命傷を負いますよ」
「は、はい!」
「ああ、また肩に無駄な力が。適度にリラックスして」
「はい!」
「それに──」


ちなみに指導はスパルタだった。



・サバフェス


空港に降り立つ前に気付くべきだったと、ドゥルシネーアは後悔した。

同人誌即売会、というものを名前だけ知っている。薄れに薄れて遠い過去のものになっている日本人の記憶から、それはクールジャパンだかなんだかという日本が世界に誇るべき文化だと認識していた。

いつもはお茶会に誘ってくれるジャンヌやマリー、食事を共にするクレオパトラやニトクリスや不夜城のキャスター、何やかんやと気にかけてくれる織田信長や茶々、たまに見かけては強制的なカウンセリングをしてくるナイチンゲール、未熟な剣の腕をなんとか上げようと苦心してくれるベディヴィエールも見当たらず、さてどうしたものかと暇を持て余していたところで耳に入った情報だった。

日本の文化というくらいなら日本で開催されるものだろう。サーヴァントの身になってやっと、やっと里帰りできるかもしれないと。何も考えずにサバフェス会場までやって来た。それがいけなかった。


「ハワイだわ……」


正確にはルルハワという謎の複合アイランドだが。

ハワイと言えば海、海と言えばあの悍ましき海だ。

来たばかりで帰る気も置きず、リゾート地でホテルに缶詰めの一週間が決まった瞬間だった。


「こんにちは、レディ。こちら、相席よろしいでしょうか」
「…………ええ、どうぞ」


ドゥルシネーアはサーヴァントになってからというもの、吐き出さなくても魔力変換されて空っぽになる胃袋に慣れ、今ではすっかり食べることが趣味になりつつある。その日もホテルに併設された海が一望できる開放式レストラン……の一番奥まった席でビュッフェ形式の昼食を取っていた時だ。

中途半端な時間帯なためか人が少なく、空いている席はいくらでもある。なのにわざわざドゥルシネーアの向いの席にやって来たということは、何か話があると言うことだろう。


「トリスタン様、ですよね」
「トリスタン、とお呼びください。レディ」
「まあまあ。それではわたくしのこともドゥルシネーアで良いですよ、トリスタン」
「ありがとうございます、ドゥルシネーア」


アロハシャツにゴーグルを首から下げるという浮かれた格好と、首から足首まで普段着で隠れたドゥルシネーア。同じテーブルにいるにはチグハグな二人だった。


「あなたのことはベディヴィエール卿から伺っています。一度、お話ししてみたかったのです。こんな時くらいでしか時間が取れないと思いまして」
「まあ、そうですか」


これは、マスターからベディヴィエールのデリケートな情報を聞き出したドゥルシネーアへの、運命からのしっぺ返しだろうか。

トリスタンのことはベディヴィエールやクレオパトラから聞いていた。曰く、お調子者の騎士。曰く、ヒトヅマニア。後者のろくでもなさが突き抜けて前者の印象をかき消す勢いだ。

無表情の代わりの微笑みを浮かべて手元のハワイアンパンケーキを一口。美味しさに口元がふんわりと緩んだ。


「ルルハワは楽しんでいらっしゃいますか? 見たところ、あまり海には行かれていない様子ですが」
「ええ、まあ、あまり日焼けするのが得意ではなくて」
「なるほど、では夜にお誘いした方が確率が高いと」
「はい?」


心なしか、やや笑みの種類を変えたトリスタンがどこからともなくチケットを二枚取り出す。


「今晩、ビーチの野外ステージでジャズバンドのコンサートがあるのです。よろしければ一緒に行きませんか」


直球のナンパだった。

ヒクリと頬が引き攣ったのは、ナンパされた事実に慄いたからではなく、海のある場所に連れ出される不快感。そしてちょっとの疑惑だった。


「トリスタン」
「はい」
「わたくし、生前も今も人妻になったことは一度もありませんわ」
「はい?」


パンケーキの最後の一口を食べきって席を立つ。


「素敵な一夏を、トリスタン」


さあ、今日はジャンヌとマリーのお手伝いでもしようか。

暇潰しに頭を悩ませるドゥルシネーアの背後で、トリスタンがガックリと肩を落とした。


「ベディヴィエール卿……」
「卿の悪名は私に庇い切れるものではありません。ご自分で頑張りましょう」
「私は悲しい……」




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