追記

※相澤先生のアラサー女子に対するシャレにならないセクハラ発言があります。


将来の夢は臨床医。研究畑も捨てがたいけれど、面と向かって患者さんと接する方が充足感がありそうだと思った。たくさん勉強して、病気や怪我に苦しむ誰かを助けたい。ヒーローとは違った面で人助けがしたい。そんなご立派な考えの元、私は偏差値も有名大進学率もトップクラスと名高い雄英高校へ入学した。今から数えて十三年も昔のことだ。


「お前、そろそろ結婚しないと羊水腐って子供産めなくなるぞ」
「人生でこんなにひどいハラスメントを受けたのは初めてです」


現在二十八歳。あの頃の人生計画では病院で研修医をやっているはずのこの年で、私は先輩にセクハラされながら母校の教師をやっている。どうしてこうなった。

私の“個性”は治癒力の活性化。数ミリから数センチの傷を一瞬で治す程度のとってもみみっちいものだった。それが突然変異したのは高校三年に上がった春のこと。それまで軽い切り傷を治す程度だったそれが一瞬で重傷患者を健常者にするくらいに強力なものになった。さんざん同級生から体のいい絆創膏代わりにされてきた“個性”が、一瞬で誰もが羨むものに変わってしまったんだ。「へー、こんなこともあるなんて人体って不思議ねー」と、軽く考えていたのは私だけだった。


『いやー、ここだけの話、リカバリーガールの後任どうするか私も頭を悩ませていてね。君さえ良かったら教師にならないかい?』


とは校長先生の言である。正直お断りするのも気が引けた。というのも、リカバリーガールは私の祖母に当たる。幼い頃は祖母のようなヒーローになりたいと憧れたものだ。“個性”がしょぼすぎて早々に諦めたけど。四歳にして現実に横っ面を叩かれて、それでもめげずに新しい目標を立てたというのに。自分の“個性”に見向きもしなくなった途端にコレだ。十七歳にして現実とは非情であると学んだ瞬間だった。

ヒーローの身内として育ってきた影響か、求められれば応えなければと思ってしまうのが自分の性分だ。強制されたわけでもないのに、急遽進路をヒーロー資格の取れる大学に変え、卒業後教員免許のためにまた大学に入り直した。計八年。二年前にこの学校に来て、なんの因果か高校時代にお世話(?)になった相澤先輩と再会。今現在は同僚としてそこそこの仲を築いている。

と、私は思っているんだけど。


「あのですね、羊水は妊娠と共に増量していくもので妊婦ではない私にはほとんどありませんし、死人で腐蝕が進んでない限り腐ることはありえません。そもそも先輩の発言はセクハラとエイハラの最低な合わせ技です……私の年齢でそんなこと言ってたらミッドナイト先生にも喧嘩売ってることになりますよ」


最後の部分だけ小声で言い切ると、先輩の目線がチラリと私の後方に向けられる。今さら確認しないでください。ちょっと釣られて見ちゃったじゃないですか。ヒヤッとした背筋はマイク先生だけしかいない職員室の景色でホっと元に戻る。マイク先生は一人で腕を回したり口笛を吹いたりと落ち着きがないが、まあいつものハイテンションだろう。


「冗談は置いといて、結局本題はなんですか」


パソコンで来週分の授業プリントを作りながら相澤先輩に尋ねる。すると途端に先輩がだんまりを決め込むので、最終的に仕事に集中して存在を忘れてしまうのだ。

相澤先輩ってこんな人だっけなあ、とは二年前から首を傾げていたことだ。先輩と呼んでいるのは高校時代に保健委員として関わった時の名残りだ。マイク先生も一応先輩に当たるが初対面は教師として赴任してきた時からなので先生呼び。実質私が先輩と呼ぶのは相澤先輩くらいである。

高校時代の先輩はそれはそれはストイックでカッコよかった。なのに十五年経つとこんなどうしようもないセクハラをかましてくる人になるんだから。現実は誰に対しても平等に非情なのかねえ。


「飯はウィダー派だから美味くなくてもいい」
「私は美味しい白米派ですかね」
「使う宛てがねえから貯金もそこそこある」
「教師とヒーローの掛け持ちですもんね。新任教師よりは懐も暖かいでしょう」
「お前もめんどくさいのは嫌だろうし、最低限式は挙げるにしても披露宴はなしでいい」
「先輩理数苦手ですっけ。公式は上げるものじゃなく代入するものですよ」
「いつでも籍を入れる準備は出来てる」
「A組の誰かが席ぶっ壊したんですか、ご愁傷様です」
「ぶっふッ!! 正攻法でもコレかよ!!」


今日は珍しく何か言ってるなあと適当に返してたら背後からマイク越しの爆音が降ってきた。誰かなんてことは言わずもがな。


「あいっ変わらず超絶クールだな後輩チャン!!!」
「うるさいですよマイク先生」
「アレ、そこは聞いているのかよ!!?」
「うるせえ」
「お前は八つ当たりだな!!? こいつぁシヴィー!!!」


何やら一人で笑って一人で騒いでいるマイク先生は人生が楽しそうで良いなあと思った。

ところで先輩、何か言いました?



***



ふにゃ、と。例えようのない柔らかさが瞼に降ってくる。

生理的に流れる涙で滲んだ視界に、見たことのない顔が緩く微笑んだ。同じクラスはおろか、ヒーロー科ですら見たことがない顔。いつの間にか寝かせられていた保健室のベッドの上で、俺に覆い被さるように顔を近づけていた女子。その女子の、柔らかそうな小ぶりの唇が俺の顔にくっつけられる。また、ふにゃ、とした。それでさっき瞼に降ってきたのがコイツの唇だってことにやっと気付けた。

柔らかそう、じゃなくて、マジで柔らかい。


『おはようございます先輩。気分はどうですか?』
『お前、誰だ……』
『保健委員ですよ。普通科1年の』
『俺は……』
『授業で倒れられたそうで、出張中のリカバリーガールの代わりに私が対応しました。目のお加減は?』
『め……』


そういえば、いつもイガイガする目が目薬を差した時よりも調子がいい。潤い方が違うというか、視界が嫌にクリアだ。疲労していたのも回復したのも目だけだっつーのに、肩から妙なコリが取れてベッドの上がひどく心地良い。


『私の“個性”、局部の細かいところだけなら治せるんですよ。まあ、リカバリーガールの劣化版みたいなもんです』


どこか、まだ治し足りないところはありますか?

事務的に質問を付け加えた、まだ名前も知らねえその後輩の唇から俺は目が離せなかった。そして恐らく、これから一生“そう”なんだろうという非合理的な直感が俺をしばらくの間困らせることになる。


『……もう一回、目に』
『はい。目、閉じてくださいね』


もう十年以上も前の、俺にとって馬鹿らしいほど理不尽な運命の出会いだった。



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