「父は不幸な人なんです」
その一言は、彼女の父を知る者ならばなんと嘘に塗り固められた言葉かと目を剥くだろう。
父親と揃いの黒髪と、同じく灰色にも見える青い瞳。唯一違うのは母親譲りの白い肌だろうか。瑞々しい若さを惜しげもなく晒す年頃の少女は、その年に似合わぬ老成した眼差しで机一つ挟んだ向かいの男と会話する。男は、初対面であるはずの彼女に既に言い知れない違和感を抱いていた。そして、同時に愕然としたものも感じていた。
彼女は、名も知らない豪運のエイブラムスの娘は、齢三歳の時からこの態度を頑として変えたことがないのだという。
「それはまた、どういう意図で?」
「私が父の娘だったからです」
男は生まれてこの方ここまでの自虐を聞いたことがなかった。さらに問題なのは、彼女自身がそのことを自虐ではなく事実として、世間話程度に初対面の相手に言ったことだ。会話が続かない相手にとりあえず振る内容としては最悪だ。なによりジョークとしても笑えない。
ミス・エイブラムスは三歳から十八歳までの十五年間、牙狩り本部の最下層にて幽閉されてきた。それはこの年不相応の物言いに起因する。その幼子が使うには成熟しすぎた言動は見る者に不信感を抱かせ、次に彼女の父親を知ると疑惑が確信に変わった。
エイブラムスの娘は化物に乗っ取られているのではないか、と。
世界中の血界の眷属から憎まれ呪われた男の一人娘だ。母親が彼女を産み落とした瞬間に命を落としたことも確信を強めた。母親の命を吸い取って生まれ出た化物。何らかの呪いか、あるいは術式がそのDNAに組み込まれているのではないかと。華奢な幼女の中に恐ろしい幻覚を見る者は後を絶たなかった。
そうして彼女は親元を離され、牙狩り本部の最深部で息苦しく生きてきたのだ。
「私、自分でもおかしいなって思う事があるんです。父のような善良な人間の娘でいいのかなって」
ぼんやりとした瞳を瞬かせながら、彼女は仄かに笑う。それだけ見ればただの大人しい娘にしか見えないのに。彼女に向けられるものは可憐な花束ではなく無骨な監視カメラと銃口しかない。
「私を娘として愛してしまったことが、父にとっての不運なんです」
その話を聞いたところで、男のポーカーフェイスが崩れる様子は一切なかった。
「だからこそ、本当にお父上が不幸者かどうか今回白黒つけるのでしょう?」
「そう、みたいですね」
頷いた黒髪がサラリと揺れる。
「少なくとも、私の主食が血じゃないことは証明できますかね」
「あははは、面白いジョークだ」
うやうやしく傷一つない手を取り、男は……秘密結社ライブラの番頭であるスティーブン・A・スターフェイズは不幸を身に纏う少女をエスコートする。または監視すると言った方が正しいのかもしれない。それが今回スティーブンがHLから遠い牙狩り本部にわざわざ長い足を伸ばした理由だった。今頃ライブラの執務室で呑気にドーナッツを貪っているであろう“神々の義眼”保有者が、彼女の真の姿を見通すその時まで。
彼の瞳から昏い色が消えることはなかった。